ひらりん・大塚英志『まんがでわかるまんがの歴史』

タイトル通り、まんがでわかるまんがの歴史
いわゆる学習マンガ形式で書かれた日本マンガ史のテキスト
あくまで日本史で、海外のまんがについての歴史は触れられていない(海外への言及がないわけではないが)
冒頭において、「日本のまんが史というと、最初に鳥獣戯画があって、その次にいきなり「萌え」(現代)がくるような説明がされていることが往々にしてあったりするけど、そんなわけないだろ」ってことでこの本が書かれたというようなことが述べられている。
さすがに鳥獣戯画史観は極端であるにしても、確かにそういうイメージしか持ってない人は多いだろうし、そうでなかったとしても、手塚治虫以前のまんが史はほとんど知られていないだろう。ここ20年くらいで急速に研究が進んだジャンルだと思うのだけど、思いのほか、一般向けの教科書はなかったのかもしれない。
ちなみに、元は何かの連載らしい。やや時事ネタっぽい話が混ざってたりもする。


本書の基本的な主張・歴史観は、従来の大塚英志と同じ
しかし、自分が読んだ中で、一番最近の大塚英志大塚英志『アトムの命題』 - logical cypher scape2なのだけど、それと比べたときに、大幅にアップデートされている感じがした。
例えば、『アトムの命題』で既に大正アヴァンギャルドには触れられていたけれど、そのあたりの説明や資料がより詳しくなったのではないか(読み直して確認してないけど)ということ、それ以前(江戸・明治)についての話も触れられていること、アニメーションやメディアミックスなどマンガ以外の関連分野にも触れられていること、さらには少女マンガ関係の話題もあることなど。


大塚英志の話芸というか性格というかで、あとがきに、こういう話するとみんなから嫌がられるんだけど的なこと書いてるんだけど、しかし、政治的社会的状況がその時代の文化の表現に影響を与えるって話というのは、文化史としては普通の話というか、そこが面白いとこなのではと思う
文化史みたいな人文系の学問自体、サヨクっぽいというのは、それはそれで否定しないけど
「こういうのやるとカドカワの偉い人は嫌がるんだよねー」とか言いながら日本国憲法を引用するという大塚英志の振る舞い自体は、大塚英志のファンとしては好きなんだけどw
ただそんなに、偽悪的(?)というかそういう言動するほどのことでもないとも思う

第1章 「ミッキーの書式」とまんが記号説
 第1講 ミッキーはパーツの組み合わせで誰でも描ける(まんが記号説と「ミッキーの書式」)
 第2講 レオは肉体と内面を持ったミッキーマウスである(日本まんがキャラクターの特徴)
 第3講 キャラクターに名前がまだなかった時代(江戸期・明治期のキャラクター)
 第4講 「鳥獣戯画」と現代まんがの正しい関係(略画式とミッキーの「描き方」)
 第5講 ミュシャ与謝野晶子から少女まんがは生まれた(アール・ヌーヴォーと『明星』の挿画)
 第6講 正チャンはどうして成長しないの? と大正の子は疑問に思った(大正期のまんがと読者たち)
 第7講 まんがは最初から現代アートだった(大正アヴァンギャルド田河水泡
 第8講 「のらくろ」は「軍人」であった故、成長しなくてはならなかった(「のらくろ」における身体性と内面性の発生)
 第9講 ミッキーの描き方は誰のものか?(著作権と公共財産としての「描き方」)
 第10講 自分らしく生きようとミッキーのコスプレネズミは思った(「ミッキー」海賊版とオリジナリティの関係)


第2章 戦時下のまんが表現とキャラクターの運命
 第11講 「科学」という思想統制でまんがから「物語」が消える(内務省統制と科学化するまんが表現)
 第12講 空想を禁じられたまんがと学習まんがとの関係(小熊英雄と『火星探検』)
 第13講 「原稿が描けない」という楽屋オチで「統制」に抵抗したまんが家がいた(大城のぼるの“抵抗”)
 第14講 戦時下、朝日新聞社は何故、二次創作を呼びかけたのか(「翼賛一家」と読者参加型プロパガンダ
 第15講 釈放された“その男”は日本で初めてのアニメーション評論の専門家となる(今村太平と『漫画映画論』)
 第16講 ディズニーみたいなアニメがないと日本は戦争に負けるぞ、と言われた海軍が支援したアニメとは? (「文化映画」としてのアニメーション)
 第17講 ディズニーアニメとドキュメンタリー映画の手法はいかに融合したか?(『桃太郎 海の神兵』の方法)
 第18講 大阪大空襲の直後、手塚少年が焦土の中の映画館で見たアニメは?(『桃太郎 海の神兵』と手塚の習作『勝利の日まで』)
 第19講 16歳の手塚少年のノートの中で戦後まんがが始まる(手塚における映画的手法の成立と身体性の発生)
 第20講 手塚治虫はディスニーキャラをいかに「科学化」したか(ミッキーの書式とリアリズムの統合)


第3章 「アトムの命題」と可能性としての戦後まんが
 第21講 ストーリーまんがと手塚が「おれはまんがの中のその他大勢のひとりだ」と思ったこととの関係(「大きな物語」と「ストーリーまんが」)
 第22講 手塚治虫、「映画的」まんがを「実験」する(実験作として『罪と罰』を読む)
 第23講 戦争が終わり、手塚少年はもう一度、ディズニーを受けとめる(『新宝島』と「映画的手法」)
 第24講 『スーパーマン』は何故、敗れたか?(GHQと占領下のまんが表現)
 第25講 アトムは何故、非武装だったのか?(『アトム大使』と日本国憲法
 第26講 成長しないはずのキャラクターに成長せよと無理難題を命じる(「アトムの命題」とは何か)
 第27講 手塚治虫の「映画的手法」を誰が発展させたのか?(辰巳ヨシヒロ石森章太郎
 第28講 少女まんがは「少女とは何か」をある日、問い始めた(24年組の主題と方法)
 第29講 何故、70年代の少年まんがのヒロインは次々と無残に殺されたのか?(身体と成長という主題)

第1講 ミッキーはパーツの組み合わせで誰でも描ける(まんが記号説と「ミッキーの書式」)

第2講 レオは肉体と内面を持ったミッキーマウスである(日本まんがキャラクターの特徴)

このあたりは、大塚英志流の日本のまんがの特徴について論じる部分
曰く、記号性、身体性、内面性をもつということ。以降、この三点に着目しながら歴史をみていくことになる。
基本的に、大塚が講義して進めていくというスタイルのまんがだが、アシスタント役として、ミッキーのパーツから作られたキャラクターである「マンネコ君」が登場する。

第3講 キャラクターに名前がまだなかった時代(江戸期・明治期のキャラクター)

江戸時代の妖怪の話から、キャラクターについて
ここでは、キャラクターを、外見、名前、属性、世界観をもつものと定義している。
江戸時代や明治期のキャラクターは、まだ名前をもたない。属性でそのまま呼ばれていたり、符丁だったりする

第4講 「鳥獣戯画」と現代まんがの正しい関係(略画式とミッキーの「描き方」)

鳥獣戯画をまんがの起源というのも、完全に間違いではないという話(少なくともディズニーアニメが入ってくる前までは)
略画という描き方と、記号ないし円の組合せで描かれるミッキーの描き方には通じるところがある

第5講 ミュシャ与謝野晶子から少女まんがは生まれた(アール・ヌーヴォーと『明星』の挿画)

ミュシャないしミュシャ風の絵が、与謝野晶子の本の挿絵に使われたことで、絵と内面性・肉体性がセットになった。これが、少女まんがの起源だという話。
これ、その後、少女雑誌や少女小説へと受け継がれていって、まんがという形になるのは戦後まで待たなければいけない。
これは、まんがは最初からまんがだったと思うと、まんが史を解き明かせないという例になっていて面白い(まんがは最初からまんがだったわけではなく、他の芸術形式と関係しているというのは、あとがきで改めて述べられている)
少女まんがで登場人物の背景に花がでてくるのはミュシャに由来している、とか面白い

第6講 正チャンはどうして成長しないの? と大正の子は疑問に思った(大正期のまんがと読者たち)

これ実際にあった子どもたちからの投稿が紹介されていて面白い

第7講 まんがは最初から現代アートだった(大正アヴァンギャルド田河水泡

第8講 「のらくろ」は「軍人」であった故、成長しなくてはならなかった(「のらくろ」における身体性と内面性の発生)

アヴァンギャルドについて、大衆のための芸術であり、機械に注目していたという特徴が紹介される。機械を対象にしているというだけでなく、印刷とか写真とか機械を用いた芸術
イヤミのモデルが、大正アヴァンギャルド村山知義だったという説があるらしい。似てるw
あ、この本、まんがではあるのだけど、写真とかも結構ばんばん引用されたりする
田河水泡というのは高見沢路直というアヴァンギャルド芸術家の1人
一方、アヴァンギャルド芸術家としてまんがを描いたのは田河=高見沢だけではない
ミッキーとの出会いが、他のまんがを描いたアヴァンギャルド芸術家と田河をわけたと大塚はいう
ミッキーというのは円の組み合わせで描ける。これを田河は、アヴァンギャルドにおける幾何学的構成ととらえた
アヴァンギャルド芸術の理念を実現する表現方法の一つとして、ミッキーの描き方を取り入れたまんががあった、と。
ここから、「のらくろ」が生まれる
略画式から生まれた日本のまんがが、ディズニーからの影響により近代化をとげる!
で、「のらくろ」は軍人という設定だったので、階級があがっていく=成長がある
現実の戦争を背景に描くようになり、少しずつ傷つく身体に近づくようになっていく

第9講 ミッキーの描き方は誰のものか?(著作権と公共財産としての「描き方」)

第10講 自分らしく生きようとミッキーのコスプレネズミは思った(「ミッキー」海賊版とオリジナリティの関係)

9講は、村上隆disの回w
村上隆著作権侵害で訴訟起こしたことに対して、お前何言っちゃってんのって
ミッキーの描き方から派生したミッキー的キャラの紹介も
10講からは「ミッキーパチモンコレクション」の紹介w
そういえば、これまんがだからか、大塚英志(を模したキャラ)がわりとテンション高くしゃべってるところがあったりするのが面白い

第11講 「科学」という思想統制でまんがから「物語」が消える(内務省統制と科学化するまんが表現)

昭和13年内務省から、まんがや絵本など子供向けの本についての指示事項とうのが出て、空想ではなく科学的なものを書け、という「指示」がなされる
で、物語からノンフィクションまんが、学習まんがが生まれてくる
他にも、子供向け雑誌は、鉄道や工場の絵本・写真集なんかがよく作られるようになる。そして、秘密兵器ものとか。
大塚は、このあたりが、鉄道オタクや工場萌え、SFオタクやミリタリーオタクの起源なんだと述べている

第12講 空想を禁じられたまんがと学習まんがとの関係(小熊英雄と『火星探検』)

大城のぼるの『火星探検』は、原作者として旭太郎がクレジットされているが、これが、プロレタリア詩人の小熊英雄の変名
小熊英雄というのは、転向した中野重治を批判した詩で知られ、昭和15年に早逝しており、転向した形跡がないので、評価が高い人、らしい
ところが、この人は、一方で内務省からの斡旋でまんが出版社の編集長および原作者となっていて、まんがの「科学化」を推し進めている、と。
そういうちょっと面白い話
ところで、あとがきで大塚は、「サヨクっぽいとおもわれたかもしれないけど、小熊英雄に対して批判っぽいこと書いてるから左翼からも怒られてんだよ」みたいなこと書いてたりするw

第13講 「原稿が描けない」という楽屋オチで「統制」に抵抗したまんが家がいた(大城のぼるの“抵抗”)

「指示」された側である、大城のぼるの話
これはサブタイトルの通りなんだけど、夢オチにしたり楽屋オチにしたり作中にアニメを出したりすることで、空想を描くなと言われていた時代に、空想の要素を入れようとしていたという話
当時の事情を知らないとほのぼのファンタジーに見えるかもしれないけど、「抵抗」なんだよ、と。
大城のぼるというと『汽車旅行』が有名だけど、ほとんど抵抗が力尽きて、「科学化」してしまった作品なんだと紹介されている

第14講 戦時下、朝日新聞社は何故、二次創作を呼びかけたのか(「翼賛一家」と読者参加型プロパガンダ

戦時下にあったメディアミックスの話として、大政翼賛会主導による「大和一家」という作品が取り上げられる
翼賛体制のもとに作られた「新日本漫画家協会」がキャラクターの設定を作り、朝日、読売、国民、東京毎夕の各新聞でまんがが連載され、他の雑誌や台湾の新聞にも時々掲載され、さらに朝日新聞は読者から二次創作の投稿を募っていた。他にも、ラジオドラマ、小説、キャラクターグッズ、盆踊りの音頭まであったとか
昭和初期から、まんがの入門書などが出ていたり通信教育もあって、まんがを描けるアマチュアが当時からいたとか

第15講 釈放された“その男”は日本で初めてのアニメーション評論の専門家となる(今村太平と『漫画映画論』)

第16講 ディズニーみたいなアニメがないと日本は戦争に負けるぞ、と言われた海軍が支援したアニメとは? (「文化映画」としてのアニメーション)

第17講 ディズニーアニメとドキュメンタリー映画の手法はいかに融合したか?(『桃太郎 海の神兵』の方法)

続いて、アニメの話
『桃太郎 海の神兵』について、ディズニー的な非リアリズム的キャラクターとリアリズムで描かれた兵器が共存している作品だ、という指摘
今村太平はマルクス主義に傾倒していたために逮捕されており、釈放後、映画評論家になる。
その際、記録映画とまんが映画の評論家になると決める
文化映画=国策目的で作られたドキュメンタリー映画
今村は、記録映画をリアリズム芸術として理論化
一方で、ディズニー映画についても、キュビスムなどと同様、デフォルメの美学にもとづくと理論化
その上で、ディズニーがアメリカのプロパガンダに使われていることを示しながら、日本もディズニーのような映画を作るべきなのだ! と海軍に売り込みをかけ、作られたのが『桃太郎 海の神兵』なのだ、と。
17講では、『桃太郎 海の神兵』についての分析
アジア初の長編アニメである中国の『鉄扇公主』はロトスコープによるアニメであったが、『桃太郎 海の神兵』はディズニーのように動きをデフォルメしたアニメ
また、セル=レイヤーを重ねた構図
記録映画の再現的なカメラワークや構図、カット割り。
当時のプロパガンダによくみられる「ローアングル」構図の採用
一方ここでも大塚は、「死」が描かれたことに着目している

第18講 大阪大空襲の直後、手塚少年が焦土の中の映画館で見たアニメは?(『桃太郎 海の神兵』と手塚の習作『勝利の日まで』)

第19講 16歳の手塚少年のノートの中で戦後まんがが始まる(手塚における映画的手法の成立と身体性の発生)

『桃太郎 海の神兵』を見た手塚が、そこから影響を受けて『勝利の日まで』を描いたことについて
手塚は、『桃太郎 海の神兵』が文化映画をアニメ化したものだと見抜いていた
そこで、文化映画をまんが化したものとして『勝利の日まで』を描く。ここでは、モンタージュ技法が使われていることに「映画的」を見ている
また、例の、血が出たシーンについても

第20講 手塚治虫はディスニーキャラをいかに「科学化」したか(ミッキーの書式とリアリズムの統合)

手塚は、死にゆく身体を描くために、科学的設定をもちこんだと

第21講 ストーリーまんがと手塚が「おれはまんがの中のその他大勢のひとりだ」と思ったこととの関係(「大きな物語」と「ストーリーまんが」)

第22講 手塚治虫、「映画的」まんがを「実験」する(実験作として『罪と罰』を読む)

手塚が、まんがで文学をやるために、様々な技法を「実験」していたと。
大きな物語と小さな物語の説明は、それであっているのかというのが微妙に謎だけど。
そうした様々な技法の中で、特に「群像シーン」に注目する。
罪と罰』やそれ以外の作品でも、クライマックスシーンに「群像シーン」を持ってきて、主人公をその他大勢の中の一人でしてしまう演出
そこにリアリズムを見て取る

第23講 戦争が終わり、手塚少年はもう一度、ディズニーを受けとめる(『新宝島』と「映画的手法」)

第24講 『スーパーマン』は何故、敗れたか?(GHQと占領下のまんが表現)

新宝島』について
映画的技法自体はそれ以前からあったのではないか、と。
一方で『新宝島』の価値は、それが後の漫画家に影響を与えたこと。また、それは映画的技法よりもそのディズニー的絵柄にあったのではないか、と。

第25講 アトムは何故、非武装だったのか?(『アトム大使』と日本国憲法

第26講 成長しないはずのキャラクターに成長せよと無理難題を命じる(「アトムの命題」とは何か)

ここらへん「アトムの命題」の話

第27講 手塚治虫の「映画的手法」を誰が発展させたのか?(辰巳ヨシヒロ石森章太郎

新しい手法としての「映画的」(主にクローズアップなどを用いたモンタージュ技法)と、従来からの「舞台的」
手塚は、映画的手法も色々試したが、当時はまだ「手抜き」という批判もありなかなか受け入れられず、結局、舞台的な方法で多く描いている。
これらを引き継いだがグループとして、
辰巳ヨシヒロらの劇画グループと
石森章太郎らのトキワ荘グループとをあげる
前者は、手塚の関西在住時代に手塚のもとに訪れていた元少年たち
大塚は、彼らが「内面」を描くために「映画的手法」を手塚から引き継ぎ発展させていったのだと論じる
石森は、手塚が『罪と罰』で「実験」し、しかし「失敗」した手法なども、自分で改めて「実験」したりしている
石森の『龍神沼』とそれを作例とした『マンガ家入門』が、1950年代生まれの24年組と60年代生まれのオタク第一世代に影響を与えた

第28講 少女まんがは「少女とは何か」をある日、問い始めた(24年組の主題と方法)

24年組の少女まんがによる、「言葉」と「身体」
明治の女学校以来の少女文化の延長に生まれてきた少女まんがにおいて、内面を描くことが可能になってきたために、改めて、少女とは何か、女性とは何かを問い直す作品が現れてきた。
このあたりは、結構面白い感じの話題なのだけど、ページ数の都合もあり、かなり駆け足気味となっている

第29講 何故、70年代の少年まんがのヒロインは次々と無残に殺されたのか?(身体と成長という主題)

山上たつひこ『光る風』、ジョージ秋山『アシュラ』、永井豪ハレンチ学園』に見られる残酷な描写や、手塚や石森に見られる性表現などをあげ、身体性をもち「死」と「性」を描くことが可能になったまんがが、70年代に「暴走」していく様を紹介していく
「先生のまんが(※『サイコ』のこと)がとてもフツーに見えますね」というコメントがついたりしている
そして『あしたのジョー』の、真っ白になる結末について、「アトムの命題」を繰り返しているようだと解釈する(成長しながらも成長しきれない)
最後に、萌えやBLなどまんがの表現の自由を守りたいなら、まんがが近代史の中で生まれてきた歴史的所産であることをちゃんと学んでおきましょうね、というメッセージで終わる

記号の話

マンガ論は、何かと「記号的」とか「記号性」とかいうことをいうのだけど、その時「記号」って何のことをいっているのかという問題が常にあると思う。
わりと、何の前置きもなく使われていることが多いんだけど。
記号性とは何かと言ったときに、類型的であること(パターン化されているなど)、非写実的であること、分節化されていることなどの性質が混ざっているように思える。ここでいう分節化されているとは、有限の要素の組合せであるということ。
これらは相互に関係しつつも、概念としては互いに独立している。
「記号的であるにもかかわらず、血を流す」というのは、なかなかに厄介な記述


記号って、最低限の定義としては、指示作用のあるしるし、くらいのもんだと思う。
広い意味では、絵画とか写真とかも記号ということになる(これ、「絵画や写真は記号として「も」使うことができる」という意味ではない)。
グッドマンなんかはこの立場であるが、ただ、一般的には、絵画や写真のことを記号とは呼ばない。そして、グッドマンもそれは承知しているので、一般的に記号と呼ばれるものと、絵画では何が違うのかということを説明できる理論を作っている。
広い意味での記号と、狭い意味での記号、どっちが正しい意味での記号かというのはこの際どちらでもよく、何がポイントとされているか。
1つは、分節化されていることだと思われる。
つまり、有限の要素の組合せによって構成されているということ。
あるいは、指示作用が相対的に単純であること。


分節化されているから非写実的になるだろうし、指示作用が単純だから類型化しやすいだろうから、非写実的であることや類型的であることを記号的と呼ぶのもわからんではないのだけど、しかし、やはりそこにはワンステップ挟まっているのではないだろうか、と思う。
類型的にしか描かれていないから、殴られても撃たれても血が出ず星が出るだけ、であるんだろうけれど
うーん、このあたりの話は、何かこうむずむずする