キム・スタンリー・ロビンスン『ブルー・マーズ』上下

キム・スタンリー・ロビンスン『レッド・マーズ』上下 - logical cypher scape
キム・スタンリー・ロビンスン『グリーン・マーズ』上下 - logical cypher scape
に続く、マーズ三部作完結編
1巻につき600ページとすれば、全部で文庫本およそ3600ページの大長編であった
巻末の年表によれば
『レッド・マーズ』が2026年〜2061年
『グリーン・マーズ』が2081年〜2127年
『ブルー・マーズ』が2127年〜2225年
を描いている。
ところで、レッドからグリーンの間には物語世界内で20年の間隔が空いているのだが、グリーンからブルーの間は特に時間的な隔たりはなく続いており、それでいて、日本語訳の出版が10年くらい間隔があいたのは、刊行当時から読んでいた人たちにとっては大変だなあという感じ。


火星の憲法ができ、さらに太陽系の他の惑星系にも人類の開発の手が進んでいく過程が描かれる。
また一方、登場人物たちに注目するならば、長寿処置によって死が遠のいた世界での、老いの物語のように思える。


マーズ三部作全体で見ると、やはり一番面白かったのは『グリーン・マーズ』かなあと思うんだけど、それは一番話の筋道が分かりやすいから、というのと裏腹。
あと、『ブルー・マーズ』はさすがに後半で集中力が切れてしまってきていた。
火星の独立革命についての物語、という意味では、『グリーン・マーズ』のバロゥズからの脱出徒歩行がやはりクライマックスであるし、その後の話は、蛇足めいて見えるところはある。
もちろん、火星独立史のドキュメントと考えれば、その後も、シェフィールド攻防戦、憲法制定会議、他星系への開発の広がり、移民問題への対処と重要なトピックスが、『ブルー・マーズ』では続いているのは確かである。
『グリーン・マーズ』で終わってしまうと、そうした事項が残ってしまうわけで、『ブルー・マーズ』が必要ではあるんだけど、「一本のおはなし」として見ると、いささか、個々のトピックがバラバラになっている感じがある。
一方で、このマーズ三部作を「最初の100人」たちの半生を描いたドラマだと考えると、まあこの点でも、激動の時期は『グリーン・マーズ』で終わってはいるとはいえ、長寿処置を施された「最初の」人類がどのような老年期を迎えるのか、という点を描いたドラマとなっている。
200年近い人生を生きる彼らにも老いと死が追いついてくる。
またそれは、地球を離れ火星へ移民してきた彼らにとっての故郷とは一体何か、という物語であったかもしれない。
そして、『ブルー・マーズ』というタイトルに相応しい青さにまつわるシーンが終盤にあって、なかなか感動的でもある。
また、レッズとグリーンという、マーズ三部作における火星史の中でずっと背景にあった対立図式が、解消していく物語ともなっている(そういう意味で革命の物語としても、グリーンだけでは終われずブルーが必要であるという理由はわかる)。
まあ、これがサックスとアンの個人的なロマンスへと回収されていくというのを、どう捉えるかという問題はあるかもしれない
マーズ三部作はハードSFという側面は確実にあるしそこが面白くもあるが、一方で、結構センチメントな人間ドラマとしての側面もあったりする。

第一部 孔雀の山
第二部 火星浄福(アレオファニィ)
第三部 新たなる憲法
第四部 緑の地球(グリーンアース
第五部 帰郷
第六部 荒野に立つアン
第七部 世界を切り回して
第八部 緑と白
第九部 博物誌
第十部 価値の変容(ヴエルテスヴァンデル)
第十一部 緑化力(ヴィリデイタス)
第十二部 進むのが速すぎる
第十三部 実験的手順
第十四部 鳳凰の湖(うみ)

ブルー・マーズ〈上〉 (創元SF文庫)

ブルー・マーズ〈上〉 (創元SF文庫)

ブルー・マーズ〈下〉 (創元SF文庫)

ブルー・マーズ〈下〉 (創元SF文庫)

第一部 孔雀の山

火星の革命の舞台は、バロゥズからパヴォニス山山麓へと移る
軌道エレベーターのソケットが位置するシェフィールドにUNTAの部隊が集結し、東パヴォニスに革命勢力が集結
この章はアンの視点で語られる。
レッズの過激派はエレベータを再び落とすことも視野にいれている。一方、実はアンがレッズにはさほど共感をしていないことも書かれている。彼女は『火星地質学研究ジャーナル』のような科学者集団に仲間意識を感じていて、レッズは一種のカルトと化してしまっている。
パヴォニスでは、革命を担う集団同士の会議が続いているが、アンはそうした会議にも嫌気がさしている。
結局、シェフィールドで戦闘が起きるも、これは結局レッズの勢力を削ぐような形で終結する。
アンはレッズたちがこれ以上エレベータを攻撃しないようにさせる代わりに、ソレッタを落とすようにサックスと取引する

第二部 火星浄福(アレオファニィ)

サックスは、アンとの約束を守るためにソレッタをなくす算段を始めるが、ソレッタがなくなればもちろん気温は下がる。ダ・ヴィンチの科学者集団や明日香の土壌研究者たちとも調整を行う。
ダ・ヴィンチの科学者集団は、サックス・クローンなどと揶揄されることもあるような人々で構成されており、政治にはほとんど興味をもたない。
ところで、明日香で環境詩学の研究者が出てくる。「環境詩学」は『グリーン・マーズ』から出てきている単語だが、巻末の解説によると、意味的には「生態系創成エコポイエイシスecopoiesis」を指していると思われるが、作者が意図的に「環境詩学エコポエシスecopoesis」と綴っているとのことである。
サックスは、パンヴォニス山を一人ローバーで探索し、自由を謳歌するのだが、嵐に巻き込まれる。絶体絶命のピンチの中、突如現れたヒロコに助けられる。
『ブルー・マーズ』は絶えずヒロコの噂がささやかれつづける。
本作は「最初の100人」が様々に老いていく話なのだが、ある意味で、ヒロコは他のメンバーとは全く別の形での長寿を得たといえるのかもしれない。
ヒロコとそのグループメンバーは、『グリーン・マーズ』において描かれた明日香襲撃の時点で行方不明になり、その後、一切姿を現すことはなくなった。コヨーテが、他の誰も知らないような隠れ家まで探しても見つかっていないので、明日香襲撃の際に亡くなったと考えられるのだが、その後、目撃談が後を絶たないのである。
サックスがパンヴォニスで見たヒロコは、客観的に考えれば、極限状態で見た幻覚であるが、あまりにも生々しかったためか、サックス自身はヒロコはまだどこかで生きていて隠れていると信じることになる。
この章でサックスは、アンにも緑化された新しい火星の魅力を知ってもらいたいと努めるが、アンが意識を失った際に、アンが拒否していた長寿処置を施す。
サックスは、アンが目覚める前に、使節の一員として地球へと旅立つことになる

第三部 新たなる憲法

憲法制定会議が見せ場の一つになるのが、やはりマーズ三部作の面白いところだろう。
アートを視点人物として、火星憲法制定会議の様子が描かれる。一方で、アートとナディアが仲を深めていく。
また、マヤ、ニルガル、サックス、ミシェルは地球への使節として旅立つ。
憲法制定会議では、まず投票権をもつ代表団として一体どのような都市・団体があるのかというリスト作りから始まり、次に、憲法とは何か、憲法を作るべきなのかが論じられ、どのような人権が憲法によって保証されるべきなのかが一つ一つ確認されていった。
この会議の中で、「火星自由党(フリー・マーズ)」のジャッキィが支配権を広げようと画策していた。火星生まれのほとんどがフリー・マーズを支持しており、アラブ人でも、アラブ同士より火星生まれ同士との方が政治的立場が近かったりしている。
この会議の中の見せ場としては、ヴラドがアラブ人二世(でジャッキィの子分)のアンタルを演説で打ち負かすシーンがある。
ヴラドは「最初の百人」のうちの一人で、ウルズラ、マリーナとともにアケロン・グループを作り、生物学と経済学を牽引していた一人であるが、この3人、名前自体はしょっちゅう登場するのだが、一体どういう人物なのかはあまり語られてこなかった。さらにいうと、火星の人たちにとっても、この3人は微妙に謎な存在らしい(主には彼らの関係で、ヴラドが男性で、ウルズラとマリーナは女性なのだが、この3人がどのような人間関係を構築しているのかとか、学問的な業績を担っているのは一体誰なのかとかは、全く謎なのである)
ここでヴラドが提唱するのは、企業経済ではなく協同組合による経済である。
協同組合とは、労働者自身が組合を所有し経営する形式である。資本主義は、資本家が企業を所有し、労働者がそこに雇われて働くわけだが、それは一種の封建制であって、自由主義・民主主義を徹底するのであれば、協同組合型の経済に移行すべきだというのである。
また、これまで火星地下社会で実際に営まれてきた、贈与経済と貨幣経済の混成経済を行うことで、社会的な権利は市場化せずに維持する一方で、協同組合は市場の恩恵を受ける、と。
実際に、ヴラドのこの提案は火星で採用され、そればかりでなく、地球にも広がっていくことになる。
これは後の章で書かれていることだが、大洪水によって、危機的状況に瀕した地球において、協同組合式に移行していたプラクシスをまねして、他のメタナショナルも協同組合式に移行していったのである。
さて、憲法制定会議の結果、火星は以下のような政治体制となった。
まず、連邦政府であり、基本的には地方分権型である。
二院制立法府と、7人のメンバーによる行政評議会があるが、いずれも権力は弱い
これに対して、強い司法府が制定されている。最高裁は、憲法裁判所と環境裁判所の二つからなっている。環境裁判所は、環境に影響を与えるような行為に対して裁定を下す。
地方分権と同時に、惑星規模で強い影響力を持つ統一政府を作るという目論見も、この司法権によって満たされることになったし、この環境裁判所は、少数派となったレッズへの配慮ともなった。
また、この憲法には、オーストラリア式投票制度という、おおむねボルダルールの投票方式が採用されている。

第四部 緑の地球(グリーンアース

地球に行ったマヤ、サックス、ニルガル、ミシェルの話
彼らはまず、トリニダード・トバゴへと降り立つ。なぜトリニダードなのかというと、コヨーテがトリニダード出身で、コヨーテの息子であるニルガルのいる一行を、とりわけ熱烈に歓迎していたのだがトリニダードだったから。
火星出身のニルガルにとって、熱帯のトリニダードはまるで異なる環境で鮮烈ながらも負担が大きい。
その後、ヨーロッパはスイスへと移動する。
ニルガルはここでアルプスの光景に完全に心奪われる。さりげなく、花崗岩への言及があり、火星とは全然違う風景が広がっていると続いているのがなかなかいい。
その一方で、ニルガルは地球でもっとも火星化されている場所で、地球人の中でもっとも火星人だったのがスイス人だったのだと思う。
また、完全な静寂を味わうというのもいい。火星では、必ず生命維持装置の機械音がしているから、火星人のニルガルにとって、静寂はそれ自体が新鮮なのである。
アルプスからの帰り、通りすがりの人から、ヒロコをイギリスで見たと聞かされ、ニルガルはいてもたってもいられなくなってイングランド南部へと向かう。
洪水によって半ば水没したイングランド。沈んだ町からの回収業者と一緒になってヒロコの足取りをたどるが、見つからない。
ニルガルは、ダイビングが気に入る(重力が軽くなるため)。
地球でも、(空気の薄い)アルプスと水中が気に入るというのが火星人らしいところ。
結局、ヒロコは見つからず、またニルガルは重力酔いで体調を崩してしまう

第五部 帰郷

ミシェルはいてもたってもいられなくなり、プロヴァンスへと向かう
マヤにもついてきてほしいと願うが、マヤはスイスで国連との交渉にのめりこんでいる
ミシェルの故郷への思い

第六部 荒野に立つアン

テンペ台地を一人ローヴァーで旅するアン
テンペ台地は、オリュンポスやパヴォニスがあるタルシスの山々の北側に広がる台地で、ポリアレス大洋と接している。
火星の環境には、すでに多くの動物も解き放たれていて、アンは野生のクマに襲われながらも生き延びる

第七部 世界を切り回して

初代行政評議会議長、すなわち初代大統領に就任したナディアの話
憲法制定会議が終わったら政治から離れようとしていたナディアだったが、どの勢力からも中立的な立場だとみなされていたナディアは、多くの人から慰留されシェフィールドにとどまることになる。
アートが、私的な秘書といった立場からサポートするも、内部の権力闘争じみたことばかりが繰り返されてナディアは嫌気がさす。
ジャッキィのグループが、カイロが勝手に居住区を広げている件をもって、環境裁判所の力を試そうとするなど。
一方、ナディアは、アートの提案もあって、時々、議長職を離れて、例えばヴィシュアニクで行われている土壌の研究や、火星全体の水循環のための南半球における配管工事など、技術的・工学的な課題に接することで、なんとかストレス発散をしていた。
マヤやニルガルは地球との交渉で、ある程度の移民を受け入れることで火星政府を認めさせることに成功したのだが、火星の現地勢力はどこも移民受け入れに反対であり、その点で、ジャッキィのフリー・マーズとレッズが接近しつつあった。ナディアは、このあたりもうまく調整しなければならなかった。

第八部 緑と白

火星に戻ってきたニルガルの話
長寿処置を受けまくって若さを保ち、権力に魅せられているジャッキイから離れるべく、ニルガルは政治からは距離をおく。そもそもフリー・マーズは運動であって政党じゃなかったはずだ、と。
グライダーにのめりこんだり、またヒロコを探して歩き回ったり
今では巨大な島ないし大陸となったエリシウムへと向かい、そこで環境詩学を始める。荒野を土壌改良して、モグラやミミズ、そしてネズミやウサギなどを放ち畑を作る。時々、明日香の協同組合で働く。
しかし、突然謎の疫病によって芋が枯れていく。ウイルスよりも小さいウイロイドという病原菌
そして嵐。ニルガルは結局この農耕を諦めてしまう。

第九部 博物誌

ダ・ヴィンチに戻り科学者の協同組合のもとにいるサックス
サックスがドゥルーズ読んでるのちょっとびっくりするw
すぐに語源を調べる癖がついてるのも面白い
超ひも理論について、バオという女性研究者が天才を発揮していて、サックスは少し彼女と話すようになる。サックスは、女性が数学で才能を発揮していることに少し驚いている。ただ、彼女は母親の死とともに故郷へ戻ってしまう(母系社会なので相続のため)。
ミシェルがダ・ヴィンチにやってくる。プロヴァンスが欲しいぼくとアンが欲しいきみ、僕らは二人とも狂っているねと笑いながら、穏やかな午後を過ごす2人

第十部 価値の変容(ヴエルテスヴァンデル)

ニルガルが長距離ランナーになってる話
なんか、走る宗教みたくなっている。あと、惑星一周レースとかやってて何回も優勝してる
また、惑星一周レースに参加するのだけど、途中で、弓や槍を使って野生動物をハンティングしている人たちと出会って、その人たちとしばらく一緒に行動する。
そこで出会った女性ゾーと、グライダーやバードスーツを着て飛ぶ遊びに興じたりする。このバードスーツが、おそらく表紙と思われる。レッドやグリーンの表紙とは雰囲気が違っていて、最初一体何を描いたイラストなのかわかりにくいんだけど
で、ゾーが、実はジャッキィの娘だということが分かって、ショックっていう話

第十一部 緑化力(ヴィリデイタス)

火星以外の惑星や衛星へと人類が進出していく
火星のソレッタをサックスがなくす時、実はソレッタを落とすのではなく、金星まで運んで日よけにしている。
水星や木星土星天王星の衛星にも人類は進出していく。それは「ディアスポラ」や「アッチェレランド」とも呼ばれた、と書かれていて、はー、なんか同時代作品へのオマージュ(?)なのかなあと思ったら、『ブルー・マーズ』の方がどっちの作品よりも早い刊行だった。
この時代の歴史観が解説されているのだけど、資本主義経済は、民主制と封建制とがまだ混ざり合っていて協同組合経済への移行で、いよいよ封建制から民主制へ移行したんだみたいな
それから、水星はターミネーターという移動都市ができていると、実はキム・スタンリー・ロビンスン『2312 太陽系動乱』 - logical cypher scapeと同一の世界観っぽいことが書かれている
ゾーは、ジャッキイの意向を密かに伝えるために、水星などほかの惑星へ行く使節へ混ざっている。ジャッキイの意向というのは、要するに火星側につかないとひどいことになるぞという脅し
ゾーがそうやって他の星へ行っていることを知ったサックスが、アンを連れていってくれと頼んで、何故かゾーとアンが天王星の衛星に行くことになる
その後、火星に戻ってきたゾーはバードスーツで飛んでる最中に事故死する

第十二部 進むのが速すぎる

マヤを中心として、「最初の百人」の老年期の問題が語られる
かつて、トランスナショナルが火星を温暖化させるために使ったレンズによって掘られた跡がそのまま北半球の海からヘラス海をつなぐ大運河となっている。
前半は、その大運河をヘラス海へとさかのぼっていく話
それはミシェルに言われて、マヤがヘラス海のオデッサに戻る旅であると同時に、ジャッキィ率いる自由火星党と対抗する緑の党との選挙戦の旅でもあり、マヤは緑の党のアドバイザー的立場となる
自由火星党は移民反対の立場で人気を集め、レッズとも接近する。マヤと緑の党は、移民は受け入れなければならないという点で主張が一致する。
このあたりの、移民問題の話は今読んでもアクチュアリティがある部分だったりする。
緑の党はあまり頼りない党ではあるんだけど、マヤがピーターを読んできたりして、ジャッキィの男性関係に揺さぶりをかけることで、ジャッキィは自滅していく。まあ、ここはマヤ自身と似ているからこそ、というところかもしれない。
ただ、マヤは、長寿処置によっていつまでも若い見た目を維持しているジャッキィの中に老いを見出してしまい、自分の老いについても意識せざるをえない。
オデッサへの帰還は、悪いことではないけれど、ある意味で、人生2週目みたいな感覚をあたえる
マヤは、デジャヴュやジャメヴュやプレスクヴュなどの症状に悩まされており、ミシェルはそれで気を病んでいる。「最初の百人」はみなそれぞれの形で記憶障害にさいなまれていて、マヤの場合は、デジャヴュやジャメヴュ。
オデッサでは、かつてと同様水文関係の仕事につきつつ、劇団で照明の仕事も始める。オデッサでは政治劇が盛んで、演劇の形で政治にかかわることにマヤは意味を見出していくようになる。
一方、長寿処置を受けてきた「最初の百人」にも、死の波が訪れ始める。突発性崩壊と呼ばれる、突然の死。スペンサーが亡くなり、イェーリが亡くなる。
イェーリの葬儀の後、ナディアやサックスを連れて家に戻ったマヤは、台所に貼ってあったフランクの写真を見たのに、それがフランクであることに気づかない。

第十三部 実験的手順

ジャッキィが太陽系外へと旅だつ
この章は、サックス視点で、サックスが主に記憶の研究を行うという話
突発性崩壊を防ぐために記憶が重要だと考えが至ったため
あと、サックス自身も、一時的に短期記憶が飛ぶ記憶障害を抱えている
第十二部の最後と一部重複していて、イェーリの葬儀の後、マヤがフランクの写真がフランクであると気づかなかったシーンをサックス側から描ている。第十二部ではそのあと一人で散歩に出かけたマヤがプレスクヴュによる幸福感に浸っているところで終わっているのだが、まさにマヤが1人散歩中の時間に、ミシェルが突発性崩壊によって亡くなってしまっていたということがわかる。マヤがフランクのことを忘れてしまっていたことに、ミシェルの方がショックを受けてしまった、と。
時代としては、22世紀末から23世紀初頭になろうかという時期に入っているのだけど、記憶についてはまだ一向に明らかになっていないという状況らしい。
現実の2017年の神経科学研究を見ていると、記憶の書き換えとか新しい記憶を植え付けるとかいったことが動物実験で可能になっていて、さすがに22世紀末までにはもっとメカニズムが分かっているようになっているのではないかなーと思う。このあたりを読んでいると、やっぱりこの20年くらいで(つまり本作の執筆時から現在まで)神経科学はかなり発展したのかなあと思ったりした。
サックス、あろうことか、量子脳理論の方にいっちゃうし。神経細胞ではなくてもっと小さな単位である微小管こそが記憶をになっているのだ! って感じで。
この章には、しかし、めちゃくちゃいいシーンがあって、本作のクライマックスシーンといってもよく、この作品がすべて象徴されているようなシーンがある。
サックスは、オデッサでマヤと夕方の散歩をするというのが日課になる時期がある。
この時、2人で空の色に名前をつけていくということに没頭していく。
サックスは、かつて植物の研究をしていた時に、カラーチャートのプログラムを自分のリストパッドに入れていた。
一方、マヤは演劇の照明をやっていたりして、元々、色についてはセンスをもっていた。
それで、2人であれは何色だろうという話をしているうちに名前がまだついていない色がたくさんあることに気づいて、そういうのには自分たちで名前をつけるようになる。
ある時、赤と緑の混合色があるのかという話になって、サックスは政治的にも、赤と緑の折衷が必要ではという話をするが、マヤには鼻で笑われる(今のフリー・マーズはすでにレッズと手を組んでいる)。
そして、ある日、2人は思わぬ色を見る

すべてが青だった。空の青、地球の空の青、ほとんど一時間のあいだ、すべてが青に染まり、二人の網膜と脳への神経回路にあふれた。間違いない、長いあいだ、まさにこの色に飢えていたのだ。永久に捨てた故郷の色。(p.447)

赤でも緑でもなく青に至るのだ、というマーズ三部作の到達点


記憶の研究の中で、ゼイクも出てくる
彼、初登場時ですでに老人だったはずだが、まだ生きている。そして超絶的な記憶力の持ち主ですべてを覚えていて、聞き取り調査がなされている。
サックスが訪れたとき、ちょうど、ジョン・ブーン暗殺の夜の時の話で、そこで、サックスがもしかしたら暗殺犯の顔を見ていたかもしれないとその夜に見かけた男の相貌を口にする。
ずっと忘れていた暗殺の夜のことを思い出して、ジョンは自分にとって兄のような存在だったと思い出すサックス
実際、この当時、サックスは惑星緑化のためにトランスナショナルと接近していた時期で、他の「最初の百人」とは距離を置いていたけれど、ジョンだけは結構サックスと頻繁に会っていたりしたんだよなーと思い出したりした。『レッド・マーズ』だとジョン視点からのみ描かれていて、サックス視点の章はなかったはずだけど


サックスは記憶についての治療法を発見し、それを自分で試すことにする。
この方法を試すにあたって、本人にとってなじみ深い場所でやると、より効果的なのではないかと考える。昔住んでいた場所に帰ると、突然記憶がよみがえってくるという現象はまま起きたりする。
それで、生き残った「最初の百人」に片っ端から連絡をして、全員でアンダーヒルへ集合することになった。
そこで記憶両方をマヤ以外の全員で試すと、みんな過去の記憶を一気に思い出していく。
その中で、サックスとアンが、じつは火星に来る前の南極での訓練のときに、両想いでお互いに告白しようとしたのだけれど、両方ともコミュ障っぽいところがあるので、相手の反応を勘違いして、嫌われると思って結局何も言えずじまいだった、みたいなことが判明する。
その後、アンダーヒルで、緑化をめぐって2人は歴史に残る論争をして、それがレッズとグリーンの対立へとつながっていくわけだが。
え、それのきっかけってそういうことだったの、みたいなオチw
で、サックスとアンは付き合い始めて、二人でヨットデートとかする。めでたしめでたし。

第十四部 鳳凰の湖(うみ)

エピローグ

メモ

マーズ三部作全体に言える話だが、前2作のブログ記事書く際にメモしきれてない点について

地図について

各巻、冒頭に火星の地図がついている。都度都度この地図を確認しながら読んでいくことになる。時々、本文中に、舞台となっている街周辺の詳細図が挿入されていることもある。
火星全体の地図についてだいぶ見慣れたためか、この画像(https://twitter.com/NHM_London/status/923226396717191168/photo/1)を見たとき、見覚えのある感じを覚えるまでになっていたw
オリンポス山、エリシウム山地、へレス盆地は少なくとも今後も覚えているだろう(オリンポス山はさすがに前から知っているけれど、場所も含めて)。
『ブルー・マーズ』の地図は、開いた瞬間、思わず「おおっ」と唸った。北半球に大洋ができている! 
ところで極地の氷、H2OだけでなくCO2の氷もあるはずだから、それ解かして海にしていたとしたら、二酸化炭素の量、べらぼうに増えてしまっているのでは?

『レッド・マーズ』『グリーン・マーズ』『ブルー・マーズ』は日本語訳の刊行時期がそれぞれ異なるから、フォントがそれぞれ違っている。地図の作りなんかも、レッド、グリーンとブルーとで違うし。

火星の伝説

言わずもがなの話ではあるが、本作の火星独立運動は、アメリ独立運動と類比して語られてもいる。
火星独立運動をする人たちの中に、アメリカと類比的に語ろうとする人たちもいれば、火星とアメリカは違う(生存のための環境が人工的である点で)ということを主張する人たちもいる。
また、それだけでなく、『レッド・マーズ』から書かれているのだが、ジョニー・アップルシードの伝説が一部持ち込まれていて、ビッグ・マンの伝説というのが火星土着の神話・伝説となっている。
コヨーテは、『グリーン・マーズ』以降は普通の登場人物として描かれるのだが、『レッド・マーズ』ではそもそも密航者であることもあって正体を隠しており、火星の一部の地域では、伝説の一部に取り込まれたりしている。
そうした火星で生じた伝説の中には、小人伝説もあり、それは「カ」と呼ばれている。
言語・地名に関わる話もわりと言及が多くて、各国語による火星の呼び名が、スーフィやヒロコが興した宗教(火星浄福)の儀式の中に取り込まれたりしている。
その中で「カ」という音が、多くの言語の火星の呼び名の中に使われているという話が出てくる。
その中の1つが日本語の「火星」であり、火星生まれ第2世代の1人である「カセイ」の名前の由来は「火星」である。カセイのこと、火星とは違うアクセントで読んでいたのでこの名前に由来に全く気付かず、知った時にはちょっと驚いたというか、さすがにその名前はちょっと……という気分になったw
『グリーン・マーズ』では、「火の旋風(カ・カゼ)」という名前の過激派組織ができている。
あと、「カ」というのが、色々な感嘆表現として使われるようになっているらしくて、「なんだって!」とか「そんなばかな」とか「くそっ」とか、そういうニュアンスのセリフに、「カ」とルビが振られていたり、単に「カ」というセリフが出てきたりする。
ここまであまりメモに残していなかったけど、ミシェルという精神科医が主要登場人物の中の1人にいることもあって、精神分析関係の話も時々出てくる。
ラッセル視点だと、エセ科学だと批判的なコメントがつくのだけど、ミシェルによる精神分析理論の説明は結構がっつり書かれていたりする。

ラッセル、『ブルー』では量子脳理論にいくのでなんだかなってところもあるけど、まあ仕方ないのか

スイス人の国民性

本作では、スイス人がよく出てくる。個人として登場するというよりは、几帳面に物事を進める人たちという役割を振られているような感じ
おそらく、スイス人の国民性を前提にした描かれ方がされているのだろうけど、考えてみると、自分はスイス人に対して特定のイメージをほとんど持っていないので、何故やたらとスイス人が出てくるのかがよく分からなかった。
マーズ三部作で出てくるスイス人のイメージは、なんとなくドイツ人に近いものを感じる(時間通りに物事を進めていくのが得意とかそういうところ)。
しかし、これドイツ人ではなくてスイス人であることにおそらくポイントがあって、独立の気概みたいなものが強いというイメージも重ねられているのではないかな、と思った。
火星に大量に入植していて、なおかつ、独立運動の中である一定の存在感を持ったグループとして「スイス人」が登場してくるので。
独立運動を担う人々は、複数のグループに分かれていて、「レッズ」とか「火星自由党(フリーマーズ)」とか名前がつけられているのだけど、その中で、民族集団の名前で呼ばれているのが「スイス人」と「アラブ人」だったりする。
スイス人とアラブ人の組合せ、それこそ『レッド・マーズ』の一番最初の章から出てくるのだけど、アラブ人はわかるとして、何故他ならぬスイス人なのかというのは、個人的にはなかなかわかりにくかったなあと思う。
『ブルー・マーズ』では、スイスのアルプスを訪れたニルガルが、アルプスの風景に地球の中の火星を見出すシーンがあったりして、何故スイス人が作中によく登場してくるのかの意味はなんとなく掴めてくるんだけど。
山の中で独立を守って生きていくスイス人の暮らしが、火星という土地にあうのではないかという見立てが、欧米人だとすっと共有できるのだろうか。
アラブ人だと、砂漠の遊牧民というイメージから、火星という砂漠での生活にあう、みたいなのは(偏見混じりだとしても)分かりやすい。

マーズファースト

『レッド・マーズ』から出てくる、おそらくマーズ三部作火星史の中で、最も古くからある独立派政党なんだけど、2017年の日本で目にすると、ちょっと苦笑してしまうネーミングになってしまったのがさみしい
日本語だと火星第一主義党