そのタイトルどおり、まんが史の本。いわゆるコマ割りマンガの起源として、ホガースとテプフェールを取り上げ、その両者の差異を見ていく。
内在的な特徴だけでなく、印刷技術や「単行本書き下ろし」といった外在的な面についても注目している
キャラクターの話やアニメーションとの比較なども
佐々木果はササキバラゴウの本名
100ページくらいの本で薄いな、と思ったら、判型がめちゃ大きかった。図版が豊富で、サイズも大きく載っている。『線が顔になるとき』にも載ってたホガースの奴とかが1ページまるまる載っていたりした
序 ストーリーまんがの源流
- 紙の量について
- 手筭治虫と赤本
- ストーリーとコマ
- コマ割りまんがの父・テプフェール
- コマ割りまんがはどこから来たか
第1章 ストーリー・ページ・コマ
- 1.コマ割り表現の歴史
- 絵はいかに区切られたか
- 『ライモンドゥス・ルルス小約言』挿画
- 「時間性コマ配置」と「関係コマ配置」
- 2.ホガースとその時代
- 「絵を見ること」の大衆化
- ホガース『ことの前後』
- 3.テプフェールと線
- 蛇行する線
- 「と」としての線
- テプフェールの時代と視覚の変容
- まんがとアニメにとっての1820年代
- テプフェールの線はどこから来たか
第2章 絵・キャラクター・線
第3章 触覚的・通過・運動
- 1.視覚的と触覚的
- 映画における触覚的な受容
- 建築としてのストーリーまんが
- パサージュから都市へ
- 2.テプフェール以後の展開
- パリでの反響
- 雑誌・新聞の時代と単行本
- 児童向けの絵本
- ブッシュと動きの表現
- 3.雑誌から単行本へ
- 4.近代メディアとまんが
- アニメーションの出現とウィンザー・マッケイ
- 動きとキャラクター
- トーキー時代のまんが
- 日本のアニメーションとストーリーまんが
- ふたたび『新寶島』
序 ストーリーまんがの源流
ある程度以上のストーリーを書くためには、ある程度の紙の量が必要だ、という指摘から始まる。
例えば、手塚治虫『新寶島』を可能にしたのは、紙の量であり、それは赤本という「単行本書き下ろし」の形式によるものだ。
「単行本書き下ろし」はいつかあるのか遡ると、江戸時代の草双紙まで遡るが、これらはまだあまりまんがっぽくはない。現代の我々がまんがっぽく感じるとしたら、それは「コマ割り」のだろう。
では、「コマ割り」はいつからあるのか遡ってみると、これは明治のポンチ本となるが、これはどうも欧米からの影響をうけている。
で、その欧米の方を遡ってみると、アメリカであろうと、イギリスであろうと、フランスであろうと、ある人物の描いた本の海賊版へと辿り着く。
それこそが、スイスのロドルフ・テプフェールである。
テプフェールは、コマ割りマンガの父として知られ、研究されている人物である。
コマ割りマンガは、単行本書き下ろしという形式の中で生まれた。
第1章 ストーリー・ページ・コマ
コマ割り表現の歴史について考えるにあたって、まずは「絵が複数描かれていること」に着目し、その上で注目されるのが、ヨーロッパ中世のミニアチュールである。
「複数のコマが物語の時間順に並んでいく」「複数のコマを通じて明らかに同一の人物が登場している」「セリフが口から発せられている」といった特徴が見られる。
さらに、そのなかで『ライモンドゥス・ルルスの小約言』から、二種類のコマ配置を見出す。「時間性コマ配置」と「関係性コマ配置」である。ただし、「関係性コマ配置」は少ない。
関係性コマ配置、関係性のナラティブを用いた人として、ホガースを取り上げる
ホガースは、絵画鑑賞が一般大衆の娯楽になってきたロンドンで、連作版画を作った(1730年代〜)。ジャーナリズム的に「諷刺版画」を描いたホガースを、欧米のまんが史研究の本は、まんがの祖と見ていることが多い。
本書は、ホガースが物語を描こうとしたことに注目する。ホガース自身が、自分のことを「画家」ではなく「著者Author」を名乗っている。例えば、「ことの前後」に「関係性」を読み取る。
「ことの前後」は、いくつかバージョンがあり、「発展」しているのだが、ホガースは「連続性」の効果より、一枚一枚の「情報量」をあげることを選んだ。これは、一枚一枚の「情報量」を増やした方が、商品価値があがるからだが、コマの連続で読み取らせるという効果は薄まる。また、ホガース以後の諷刺画家もその傾向がある。
ここで、19世紀に登場したテプフェールが、決定的に異なることがわかる。
テプフェールの絵は、線が細くて、一枚一枚の絵の密度が低い。下手すると、1つの絵を見るだけでは意味が分からないくらいに*1。
それを一本の線で区切っている。この線を、筆者は「と(and)としての線」と呼ぶ。線を一本引くことで、「行き当たりばったりに」「未決定の未来」へ、「と」「と」とつないでいく
また、クレーリーを引いて、この時代の「視覚の変容」に注目する(また、アニメーションの基本原理が同時代(1820〜30年代)に発見され広まっていくことも指摘)。視覚の身体性、見る者の生産性である。
ひとつひとつの絵をしっかり描かないことで、絵と絵との関係性を読者に読み取らせる(生産性)。それがコマ割り表現に必要な前提だった。
テプフェールは、そういう省略的な線をわざと描いている。
第2章 絵・キャラクター・線
ホガースとテプフェールのあいだに起きた「カリカチュア革命」について
ホガースは、「カリカチュア」と呼ばれることを拒み、それに対立するものとして「キャラクター」を提示している
キャラクターとは何か
語源的には、ギリシア語で「刻みつけるもの」を意味し、性格や特徴を意味するようになる。テオプラストスが『性格論』ないし『人さまざま』と訳される本を書いており、それが後世に再評価され、17世紀イギリスでは、「キャラクター文学」というものが書かれるようになる。
人間の内面的な性格を外面的な特徴から読み取る、観相学的な考え方
17世紀後半人間の情動がいかに顔にあらわれるかという観点から絵のあり方を検討している、ルブランから、「絵の問題」ともなっていく。
また、同じく17世紀後半、「登場人物」という意味でキャラクターが使われるようになる
それから、印刷技術の向上
木版画(凸版)から銅版画(凹版)に変わることで、細かいところまで描写できるようになり、ルブラン、観相学的な、細密な表現ができるようになる
観相学的なアイデアでの性格表現
絵による物語表現
銅版画の技術
これらを兼ね備えていたのが、ホガース
人物の内面が表情としてあらわれているように描いている。これが、ホガースのいう「カリカチュア」ではなく「キャラクター」ということ
しかし、筆者は、ホガースの絵は、登場人物の同一性がわかりにくいと指摘する。他の絵に出てくるそれぞれの人物が同じ人物かどうか判別しにくい。「まんがらしくない」
ここで、ホガースが拒んだ「カリカチュア」について考える必要がある。
カリカチュアは、戯画、諷刺画と訳されることが多いが、時代によって意味が変わっていく言葉なので、「カリカチュア」とカタカナで記す
カリカチュアはもともと、人物表現における誇張や歪曲といった、技法・画風を指す言葉(16世紀末に出現、17世紀末にはイギリスへ)
→プロよりはアマチュアの画家が取り入れる(18世紀半ば)
→18世紀の諷刺版画では、アマチュアの力が大きかった
→諷刺版画自体をカリカチュアと呼ぶように
初期カリカチュアで重要な点
(1)本来は写実性を求める肖像画を前提にした画法
→ゴンブリッチの指摘「似ていることと等価であることの違いの発見」(その人に似ていなくても、その人の絵になるということ)
(2)版画による肖像画の技術的問題
→写実表現よりカリカチュアの方が版画向き
(3)版画による肖像画の必要性
→ジャーナリズムになったから(道徳とか宗教とかを描く絵と違って、誰か特定の人を描く必要性)
(4)似ていることからの逸脱
→写真やテレビがないから、本当に似ているか確かめようがない→モダン・カリカチュア(現代日本的な意味での「キャラクター化」)
(5)絵から絵を描くこと
写真とかないから、他の絵を見て絵を描く
(6)観相学から描画学へ
人間の性格をどのように描くか、から、どのように描けばどのような性格に見えるか、へ
(7)印刷法の変化
銅版画からエッチングへ
ローランドソンの「シンタックス博士」
フィクションの登場人物を描くカリカチュア。キャラクターグッズの展開も。
テプフェール『観相学試論』
絵の技術や「美」を追求しない。線の解釈を重視する。
自分で直接描いた線を印刷できる、転写紙を用いたリトグラフという印刷技術
第3章 触覚的・通過・運動
ベンヤミンの「視覚的」と「触覚的」の区分
ベンヤミンは「触覚的」を建築で説明する。中を歩きまわる、使用する、慣れる、くつろぐ、気散じ的
映画も「触覚的」は「ショック作用」による。一つ一つのショットでは意味をもたず、モンタージュされることで受け止め方が定まることをさして、「ショック」と呼ぶ
ベンヤミンが映画について語ることは、テプフェールにこそよく当てはまる
ホガース=視覚的・滞留的=注意深く細部まで見る
テプフェール=触覚的・通過的
いわゆる諷刺漫画、一コマ漫画は、視覚的・滞留的
テプフェールの意義は、「触覚的・通過的」な作品を世に問うたこと
また、そのような作品を作るためには「本」、紙の量が必要だった
テプフェール以後
海賊版が各地で作られ広まる→単行本書き下ろしスタイルの作品が刊行される
1850年代以降、単行本書き下ろしスタイルは減り、新聞や雑誌になり、「視覚的」になっていく
(テプフェール的な作品をかくためには、画家というだけでなく物語を作る才能が必要で、この点でホガースとテプフェールは特異)
単行本書き下ろしスタイルは、児童向け絵本の世界に
ヴィルヘルム・ブッシュ
『マックスとモーリッツ』が有名
「触覚的」「ショック的」な面をおしすすすめる。雑誌でも「触覚的」な作品。文字を減らして、動きを描く。「ナンセンスまんが」的
19世紀後半
雑誌の看板になるようなキャラクターの登場
キャラクター・マーチャンダイジングの契機としての「イエロー・キッド」
ただし、コミック・ストリップの祖と見なされがちだが、イエロー・キッドはむしろ一枚絵で、またコマ割り表現はイエロー・キッド以前にも見られた。
「カートゥーン」という言葉についても、カリカチュアと同様、意味の変遷がある。
もともとは、フレスコ画などのための下絵。それを諷刺した絵が「パンチ」で描かれたことをきっかけに、諷刺画を意味するようになる。ドラマ性を重視した作品が20世紀のアメリカで流行した後、「コミック」という言葉が出てくる
カートゥーンは、アニメーションについても使われ、「まんが的な画風」をさすことで使われることも多い。
19世紀後半から、雑誌連載が単行本化へということが増え始める。
日本、やはり19世紀後半から20世紀初頭に単行本のまんがが出てくる。日本は、同時代の欧米と比べて「単行本書き下ろし」がとても多い
アニメーションとまんが
カートゥニスト(早描きをする漫談芸を行う)による初期のアニメーション
『リトル・ニモ』のウィンザー・マッケイ
映画以前に、動きを描こうとしていたブッシュ
やはり、動きを描き、触覚的な方向をもさくしたマッケイ
初期において、物語性よりも、アトラクション、パフォーマンスであることが重視されたため
「動き」がキャラクターの個性となる。「動き」によって、インクのしみではなく自立性をえる
トーキー化、せりふを加えることから、物語の方向へ向かうようになる
(トーキーの普及に前後してオノマトペが増えている)
日本のアニメーションとまんがの関係は?
追記
ブクマコメントで
id:ja_bra_af_cu
ベンヤミンの「ショック」ってそういうことなのかな
とあったので、該当箇所を引用しときますね
この「ショック作用」の意味について、ベンヤミンはダダイズムの作品を例にして述べている
(省略*2 )
映画の気散じ的な要素も同時に、まず第一に触覚的といえる要素なのだから。この要素は、つぎからつぎへと観衆に襲いかかってくる場面の転換・ショットの転換にもとづいている。
(省略)
(「複製技術時代の芸術作品」103頁)ショックだとか、弾丸だとか、襲いかかってくるだとかの語感からは、強烈で鮮明で刺激的なものという印象を受けるが、実際にはそれは気散じ的であり、くつろいで受容されるもののことである。
(中略)
田中純はこの天について、以下のように述べている。ここではダダの作品や、それが目指した効果を新しい技術によって実現した映画の作用が〈触覚的〉とされているのだが、同じ作用は〈ショック効果〉とも言われている。(中略)ある刺激が外傷的になるのは知覚と同時ではなく、それがささいで無意味なものと受け取られたのちであり、つねに事後的である。ベンヤミンがいう触覚とは、意識的な視覚の外部にあり、決してそれがとらええられない無意味な何か、構造的につねに見落としてしまう何かの受容として〈視覚的無意識〉に関わっている。
(中略)
(田中純「美術史の曖昧な対象 衰退期について『残像のなかの建築 モダニズムの〈終わり〉に』未來社、1995年、31頁)(中略)
映画のワンショットは、観客にとって、それだけでは受け止め方が定まらず、他のショットとモンタージュされることで、受け止め方が定まるのだ。ひとつひとつのショットは、単なるイメージの刺激、つまり「ショック」にすぎず、無意識に漠然と受け止められるにすぎない。ベンヤミンは、このような受容のされ方に、近代に特徴的な知覚形式を見ている。
テプフェールの一コマ一コマの絵は、その意味で「ショック」であるということができるだろう。
(『まんが史の基礎問題』62頁)
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