桑野隆『20世紀ロシア思想史 宗教・革命・言語』

20世紀のロシアにおける哲学や思想に一体どんなものがあるのか、概略をつかむのにちょうどよい入門書ないしハンドブック
かなり広範に扱っているが、ページ数は手頃な長さにおさまっている。その点、個々の思想について説明が少なくなってしまっているところはあるものの、「そもそも20世紀ロシア思想全然分からん」という身としては「こんなのがあるのか、こんなのもあるのか」と見ていくのには程よい分量であった。また、筆者自身、深彫りするというよりは、様々な思想があったことの紹介を目指しているようである。
20世紀のロシアといえば、やはりソ連の存在感が圧倒的だが、本書では、革命前から革命初期までにあった、宗教哲学ロシア・フォルマリズムロシア・アヴァンギャルド、あるいはフォルマリズム以降の言語学記号論構造主義について多くページが割かれており、それらがソ連、特にスターリン時代に抑圧された後、復活してきた思想についても紹介されている。
もちろん、レーニントロツキーなどの革命家の思想も紹介されているが、彼らについては、革命思想よりも「哲学」の側面に絞って紹介されている。


それにしても、何故突然ロシア思想の本を、という話だがいくつか理由はある。

  • 宇宙主義(コスミズム)への興味

コスミズムって最近時々名前を聞くけど、一体何なんだというのが気になっていた。
もともとは山形浩生のブログがきっかけだったかと思う。
セミョーノヴァ『ロシアの宇宙精神』:変態だー!! 「屍者の帝国」ディープな読者必読! - 山形浩生の「経済のトリセツ」
ロシア未来派とコスミズム - 山形浩生の「経済のトリセツ」
次いで、『ロシア宇宙開発史』をちょっと眺め、美術手帖SFMの木澤連載でも見かけていた。
冨田信之『ロシア宇宙開発史』(一部) - logical cypher scape2
『美術手帖2019年10月号』 - logical cypher scape2
『SFマガジン』2021年6月号 - logical cypher scape2

  • ロシア現代思想の流行あるいは世間的な関心の高まり

2017年に『ゲンロン』が「ロシア現代思想」の特集を組むなど、ロシア現代思想というのが一種の流行というか、世間的な注目を集めている様子がある。
また、ロシアのクリミア侵攻(2014)、ウクライナ侵攻(2022)などを受けて、プーチンの思想的背景としてネオ・ユーラシア主義という言葉も昨今にわかに目にする機会が増えてきていると思う。
(この本を手に取るきっかけとして)そういう世相からの影響も無論ある。

2020年にちくま新書から『世界哲学史』シリーズというのが刊行されていた
伊藤邦武・山内志朗・中島隆博・納富信留編著『世界哲学史8』 - logical cypher scape2など
ところで、このシリーズにはロシア哲学は含まれていなかった。恥ずかしながらそのことに自分は全然気付いていなかったのだが、それを指摘するツイートを見かけて「確かにないな」と思ったのだった*1。そして、そのツイートで本書も紹介されていたのだったと思う。

最後にこれはおまけみたいなものだが、最近立て続けに以下のものを読んで、ロシア・アヴァンギャルドへの関心が再度出てきていたところだった。
五十殿利治『日本のアヴァンギャルド芸術――〈マヴォ〉とその時代』 - logical cypher scape2
『SFマガジン2022年2月号』 - logical cypher scape2
本書をこのタイミングで読むことにしたのは、改めて目次を見てみたら、ロシア・アヴァンギャルドも含まれていることに気付いたから。
なお、SFマガジンに掲載されていた坂永雄一「〈不死なるレーニン〉の肖像を描いた女」はロシア・アヴァンギャルドを扱った作品だが、ボグダーノフも登場している。もちろんボグダーノフも本書に登場している。

はじめに――二〇世紀の「ロシア思想」

第1章 バフチン―― 「ロシア哲学」の外の思想
1 対話
2 カーニヴァル
3 バフチン・サークル

第2章 実証主義を超えて
1 実証主義批判
2 全一性の哲学――ソロヴィヨフとその後継者たち
3 道標派  
4 建神主義  
5 ロシア・コスミズム  

第3章 「ポスト宗教」思想  
1 芸術の自律――ロシア・フォルマリズム
2 精神の自由――前期ロシア・アヴァンギャルド
3 アナーキズム

第4章 言語思想――フィロソフィーとフィロロジー
1 言葉への関心の高まり
2 存在論的言語論
3 名とあだ名
4 シペートの哲学と内的形式
5 ヴィゴツキー――思考とことば
6 フォルマリズムから構造主義

第5章 革命思想
1 初期ロシア・マルクス主義
2 ボグダノフ、レーニントロツキー
3 ユーラシア主義
4 芸術を生活のなかへ――後期ロシア・アヴァンギャルド

第6章 ソヴィエト哲学の確立
1 哲学のボリシェヴィキ化 
2 社会主義リアリズム 
3 マールとスターリン言語学  
4 禁じられた宗教哲学――亡命知識人らの思想

第7章 雪解け時代の新潮流
1 記号論構造主義――モスクワ・タルトゥ学派
2 民族主義とリベラル――一九七〇―八五年の文化状況
3 文化のエコロジー――リハチョフ
4 異論派

第8章 ポストソ連思想
1 束縛を解かれた文化 
2 ポストモダニズムの登場
3 ママルダシヴィリと「余白の哲学」
4 文化の精神分析  

おわりに

あとがき
文献一覧

はじめに――二〇世紀の「ロシア思想」

ロシアでは、「哲学」という言葉より「哲学すること」という言葉の方がよく使われるという。
哲学を専門とする狭義の哲学者より、専門外の学者が「哲学する」ことが圧倒的に多いためらしい。このために、広範な分野で哲学が見られるし、あるいは逆に「ロシアに哲学はない」とも言われることになる。
本書でも、文学や言語学、芸術思想といったものを取り上げていて、というわけで、「ロシア哲学史」ではなく「ロシア思想史」ということになる。
また、本書は基本的に時系列順に構成されているが、バフチンだけ別立てとなっていることへの注意書きがなされている。
バフチンは、ロシア以外でも広く知られているだけでなく、本人の思想自体も広がりがあってどこか特定の位置に入れ込むことができなかったためとされている。実際、バフチンは他の章にも度々顔をだす。

第1章 バフチン―― 「ロシア哲学」の外の思想

バフチンというと、ドストエフスキー論(ポリフォニー論)やラブレー論(カーニヴァル論)が有名だが、初期には哲学や美学の著作もあり、独自の対話原理を様々な領域に適用した多面的な人物。
全体像を把握するのが難しく、思想史の中でどこに位置づけるかという評価も定まっていない、とのこと。
対話原理において、他者であることということを重視する。自分の姿というのも、自分自身では分からなくて、鏡とか外から見ることで分かるように、文化というのは、中にいても分からなくて外から見ることで理解できるようになる、という
プラトンの対話とか弁証法とかには批判的(最終的にモノローグ化するから)
また、民衆の笑いや非公式文化に注目するのがカーニヴァル
言語論や記号論についても論じている。

第2章 実証主義を超えて

第2章は、20世紀初頭から1910年代を扱う
ロシアでも西欧と時を同じくして実証主義批判の思想、具体的には宗教哲学などが出てくる

  • 2 全一性の哲学――ソロヴィヨフとその後継者たち

ロシアの宗教哲学に大きな影響を及ぼしたのが、19世紀の哲学者であるソロヴィヨフ
「全一性」「神人」「ソフィア」などがキーワード
ソロヴィヨフに影響を受けた者としてここでは、ブルガコフ、セルゲイ・トルベツコイとエヴゲニー・トルベツコイの兄弟、エールン、カルサヴィン、フロレンスキーが挙げられている。
ブルガコフは、マルクス主義宗教哲学を両立させていた珍しい人
カルサヴィンは、世界全体が階層的統一体をなすシンフォニー的人格論を唱えた
「ロシアのプラトン」とされるソロヴィヨフに対して、フロレンスキーは「ロシアのレオナルド・ダ・ヴィンチ」と呼ばれた
また、トルベツコイ兄弟のところで「ソボールノスチ」「ソボール性」という言葉が出てきたが、これは今後別のところでも出てくるキーワード。ロシア宗教哲学の伝統的理念で、「キリストとむすばれた人々のあいだの自由な連合ないし共同体的一体性」

  • 3 道標派  

1902年『観念論の諸問題』、1909年『道標』という論集が出されて、そこに集った人々
ベルジャエフやブルガコフ
カデット(立憲民主党)の穏健派で、急進派で無宗教的なインテリゲンツァを批判した。
逆に、道標派は、ゴーリキーレーニンなど各方面から批判された

  • 4 建神主義  

ルナチャルスキー、バザーロフ、ゴーリキーら初期ボリシェヴィキによる神なき宗教論
ルナチャルスキーは、マルクス主義こそ「神なき宗教」であると考え、神とは、完璧な社会主義的人類のことだと唱えた。いまだ人類は完全な存在にいたっていないが、いずれ進化して、理性によって全宇宙を支配するようになると考えた。
また、集団としての不死を唱えて、こうした不死論はゴーリキー『懺悔』の中にも書かれているという。
なお、ルナチャルスキーは途中からレーニンと対立しトロツキーと行動を共にしている。また、バザーロフはのちにメンシェヴィキへ近づき、最後は獄死している

  • 5 ロシア・コスミズム  

宗教哲学思想と自然科学思想における一潮流を「ロシア・コスミズム」と呼ぶようになったのは1970年代から
コスミズムは19世紀から形成され始め、その際の宇宙は、キリスト教的宇宙のことだったが、20世紀コスミズムでは世俗的宇宙も含むようになる
宇宙が人間の倫理的な自己決定の根拠となるという宇宙中心主義や、不死や死者の復活あるいは宇宙開発などの特徴をもつ
コスミズムへの関心は、ソ連解体前後に高まった。
代表的な論者としてここでは、フョードロフ、ツォオルコフスキー、ヴェルナツキーが挙げられている。
フョードロフは、全一性を自覚した人類による「共同事業」を論じ、その中に死者の復活もある、また、全世代が復活すると一つの惑星には収まりきらないので、宇宙開発を提案し、そのための肉体改造も考えた。
ツィオルコフスキーは、宇宙は感覚や精神を有する不滅の原子で構成されているという「宇宙汎神論」ないし「汎心論」を唱え、また宇宙の進化の中心に人間をおく「人間宇宙主義」や、独自の「宇宙倫理学」を持っていた。
ヴェルナツキーは、宇宙が「地質圏」「生物圏」「精神圏」から成り立ち、精神圏へと発達していくと考えた。
最後に、性と宗教について論じた異色の思想家ローザノフという人物が紹介されている

第3章 「ポスト宗教」思想

第3章は、「ポスト宗教」として文学・芸術の世俗化ならびにアナーキズムを取り上げる。
第2章では、20世紀初頭のロシアで宗教思想が強かったことを見たが、1910年代から芸術の分野では世俗化が進み、ロシア・フォルマリズムなどの合理主義的な(ロシア的な伝統からは離れた)思想が出てくる。


ロシア・フォルマリズムは、1916年にペテルブルクに設立されたオポヤズ(詩的言語研究会)と、1915年に設立されたモスクワ言語学サークルを中心とした詩学運動。
前者は文学研究者のシクロフスキーなど、後者は言語学者ヤコブソンなどがいる。
構造主義の先駆ともされる。
ヤコブソンは1926年にプラハ言語学サークルを結成し、1929年に「構造主義宣言」を発表している。レヴィ=ストロースプラハ言語学サークルにおける音韻論の誕生を重視していて、そこで言語学者ニコライ・トルベツコイ(セルゲイの息子)を引用している。
ロシア・フォルマリズムは、実用言語とは別に詩的言語を区別し、主に未来派の詩を分析した。未来派の理論的裏付けを果たしていた。
シトロフスキーの「異化」(ブレヒトの異化とは異なり社会性に欠くと言われるが、日常生活批判としてのものであった)


一方の未来派について
ロシア未来派は、イタリア未来派と違って一つのまとまったグループではなく、攻撃性やパフォーマンスなどもイタリア未来派に比べてると徹底していなかった(なので、マリネッティから批判されたりもしていた)
また、イタリア未来派と違って、テクノロジーに批判的で、機械よりむしろ自然や有機性を重んじた
一方、ヤコブソンは、イタリア未来派による表現の更新はルポルタージュ領域のもので詩的言語の領域ではないとして、ロシア未来派の方が芸術的にはラディカルだとした。
政治からは距離を置いていたロシア未来派だが、十月革命前後では、アナルコ・フトゥリズムが出てくる。マレーヴィチ、ロトチェンコ、タトリンなど。
十月革命前後の未来派にはアナーキストボリシェビキがいたのだが、最終的にはアナーキー党は壊滅。未来派は精神の革命をボリシェヴィキに期待していたが、1922年頃までにはアヴァンギャルド自体が潰える。
最後に、ロシア・アヴァンギャルドの中心人物である演出家のメイエルホリドについて、少し詳しく紹介されている
自然主義演劇」に対して「演劇的な演劇」を目指し、パブロフの条件反射理論に依拠した演技システムを考え、一方で民衆演劇ともつながっていた。また、悲劇と喜劇など相対立するものを包括したグロテスクを特徴としている
スタニスラフスキーは、メイエルホリドを高く評価しつつも、グロテスク論には批判的だった。
また、エイゼンシュテインは、メイエルホリドの弟子


最後に、アナーキズムについて
まず、アナーキズムには「古典的アナーキズム」と「ポスト古典的アナーキズム」があるとした上で、
前者はさらに「初期アナーキズム」と「後期アナーキズム」(アナルコ・コミュニズムキリスト教アナーキズム)に分けられ、
後者にはさらに、アナルコ・サンディカリズムや神秘的アナーキズムなどがある。
ここでは、アナルコ・コミュニズムクロポトキンキリスト教アナーキズムトルストイ、神秘的アナーキズムが紹介されている
トルストイについて、「ポスト宗教」の章で取り上げるのは本来不適切だが、アナーキズムとしてあえてここで紹介するとしている。トルストイ自身はアナーキストを名乗ったことはないが、徹底的な非暴力主義を貫いた結果、国家と財産の廃止を唱えた
神秘的アナーキズムとして、ベルジャエフ、チュルコフが挙げられている。チュルコフは、社会的な側面だけでなく精神的な側面での権力も廃絶するためには神秘主義だ、と論じた。

第4章 言語思想――フィロソフィーとフィロロジー

1910~20年代、ロシアでも言語への関心が高まる。
ロシアはもともと19世紀に、クルトネやフォルトゥナトフという優れた言語学者がおり、前者はソシュールに先駆けてソシュール言語学に近い見解を出していた。ロシア・フォルマリズムオポヤズには、このクルトネの弟子筋がいる。
一方、19世紀ロシアの言語学者としては、ポテブニャが広く後世に影響を与えており、「内的形式」という概念が、ポテブニャ、もしくはポテブニャを介してフンボルトから由来して、広がっていた。
本章では例えば、フロレンスキー、バフチン、シペートの内的形式論が紹介されている。


カフカスの修道士をきっかけとして「讃名」論争というのが起きている。中世の普遍論争にも似ていて、「神の名は神である」かという論争で、宗教哲学者の間で「名の哲学」が展開された。
フロレンスキーは、言語や名にエネルゲイア性を見ている


バフチンは、名とあだ名を対照させている。名は永久化と結びつくが、あだ名は現在と結びついている。バフチンは無論、後者の側に立つ


心理学者ヴィゴツキーの言語論・記号論も紹介されている。
人間の行動を制御する心理的道具としての記号


ヤコブソンは、ロシアの精神的伝統として反実証主義と反因果律をあげ、マルクス主義とフォルマリズムもこの伝統に連なるとしている。構造主義自体は国際的現象だが、その発達にあたってロシアの精神的伝統が寄与した、と。
さて、ヤコブソンと同様プラハに来ていたボガトゥイリョフは、機能構造主義記号論を展開する
ボガトゥイリョフの民族衣装論は、「機能構造の機能+情緒的ニュアンス」が「われわれの衣装」であるとし、言語や文化にも適用可能だといい、民衆演劇論にも記号論的アプローチを適用する
最後に、プロップ『昔話の形態学』も紹介されている。

第5章 革命思想

まず、19世紀後半から初期のロシア・マルクス主義者として、プレハノフがいて、そのプレハノフを、ボグダノフやバザーロフ、ルナチャルスキーが批判していく。
さらにその後、レーニントロツキーが出てくる。


まず、プレハノフだが、「物質的実体」だけが実在するとし、物自体が感覚世界という現象を生み出すと考えた。カントの不可知論には批判的で、物質的実体=物自体は、直接的には認識できないが、記号を介して認識することができるとした。
プレハノフはマッハに批判的だったが、彼より若い世代のボグダノフらはむしろマッハ寄りの考えで、現象と物自体という区別を否定し、プレハノフを不可知論だと批判した。ボグダノフは、客観性は(物自体という実体によってではなく)「集団的」な経験によって正当化されると考えた。
ボグダノフの経験一元論は、「組織化」というのがキーワードで、例えば、物理現象と心理現象の区別は、経験が集団的に組織化されているか個人的に組織化されているかの違い。
この組織化を文化にも適用し、「プロレタリア文化」の形成を目指し、プロレトクリト(プロレタリア文化協会)を結成した。
しかし、レーニンは、ボグダノフの組織化論を警戒(文化だけでなく政治面で党とは異なる勢力を作るのではないかという警戒)し、経験一元論を不可知論・主観主義として批判した。
(プレハノフはカントの不可知論を批判し、ボグダノフはプレハノフを不可知論だと批判し、レーニンはボグダノフを不可知論だと批判し、とここまで一貫して、不可知論が先行の論者を批判するワードになっているのがちょっと面白い)
一方、トロツキーは、科学と哲学を区別しつつも、科学を重視し、メンデレーエフダーウィン、パブロフ、フロイトの理論を取り込もうとしていた。
また、トロツキーは、社会主義が成り立てばプロレタリアートは存在しなくなるのだから、プロレタリア文化は存在しないとしたが、アヴァンギャルドやフォルマリズムへの立場は複雑。多くのマルクス主義者がすでにこれらに否定的だった時期において、一定の評価をしていたという点で異色だった。しかし、トロツキーの芸術観は保守的なものであり、フォルマリストやアヴァンギャルドとは一致しなかった。

  • ユーラシア主義

亡命ロシア人の間で出てきた政治思想
言語学者ニコライ・トルベツコイ、地理学者のサヴィツキー、宗教哲学者カルサヴィンらが貢献
ロシアのアイデンティティを「キエフ・ルーシ」ではなく、「ユーラシア」という概念に求める。
キエフ・ルーシへロシアの起源を求めるのは西欧主義的で、ヨーロッパでもアジアでもない「ユーラシア」概念を打ち出す。なお、この「ユーラシア」概念は地理的にはロシア帝国の版図を指していて、(ヨーロッパや東アジアを含む)ユーラシア大陸とは異なる。
また、汎スラブ主義にも批判的
「ユーラシア」の起源を、チンギス・ハンのモンゴル帝国に求めていた。
イデーによる支配や、ソボールノスチに似ているが違うシンフォニー的人格という概念をもとにした、反個人主義的なヒエラルキーを特徴とした国家構想を持っていた。これは、ソヴィエトの権力体制を利用しつつイデオロギー共産主義からユーラシア主義へと置き換えるというもの。
国家社会主義的・反個人主義的・イデオロギー独裁的なこの国家観が、他の亡命ロシア人から批判を浴び、分裂した。
本書には書かれていないが、最近、ネオ・ユーラシア主義というものが登場し、プーチンの思想的背景ともなっているといわれている。

後期未来派=レフ
トレチヤコフらは〈事実の文学〉運動を行う
これには、ベンヤミンも注目していた。
その名の通り、フィクションを否定し、新聞をモデルに脱個人化した文学を目指す。
アルヴァトフは、芸術によりモノの世界の変革を目指した

第6章 ソヴィエト哲学の確立

主にスターリン時代の思想・哲学について
本書は基本的に思想の内容を説明する形で進み、その思想家の略歴や政治・社会状況についてはあまり触れていない(この点については「おわりに」で述べられている)が、本章はさすがにそういうわけにもいかない。
スターリンに翻弄された学者たち、という感じである。
もともとマルクス主義と相容れない宗教哲学者たちはともかく、我こそマルクス主義的○○学を名乗りスターリンにも当初承認されていたのに、手のひら返しされている人たちの哀れ
いかにもソ連という感じがする。

1920年代初頭、マルクス主義哲学者内部でも対立が生じる。
ミーニンの「機械論」派と、デボーリンの「弁証論」派。
前者は、哲学は科学から独立していないという立場。ミーニンは特に極端で、科学さえあれば宗教だけでなく哲学も不要になるという立場
後者は、科学の認識論を成り立たせているのは哲学で、哲学なくして科学もないという立場
当初、デボーリン路線こそが正当な解釈とみなされたが、1930年にはデボーリンも断罪され、1931年、党はどちらにも支持を与えないことを決める。
1930年代以降、「スターリン哲学」が指針となっていく。

1934年、第1回ソヴィエト作家大会で「社会主義リアリズム」の定義が正式に定まる
この方針からはずれた作家は抹殺されていく。作家だけでも200名。この大会には600名近くの作家が参加したが、250名以上が粛清されていく。
革命期は「ユートピア的」というのが肯定的な形容だったが、ソヴィエト期にはむしろ否定的なニュアンスに変わる。
安定期に入り、今の現実こそが理想的状態である、ということから、「美しい現実」を描くこととされた。

マールという言語学者がいて、多様な言語がいずれ統一されていくという考えをしていた。彼は自分こそマルクス主義的な言語学をやっているという自負があり、実際、スターリンからも承認され、一時期はソ連ではマール言語学であらずんば言語学にあらずというような感じだったらしいが、スターリンの手のひら返しにあう。
マールは、階級的な言語観を持っていて、民族を超えて言語が統一されていくという考えだったが、スターリンはむしろ「民族」をベースとした考え方をもっていたので、ある時期からマール言語学と相容れなくなる。
ところで、そもそもマールの言語学自体、あまり証拠もなく、トンデモ気味の主張だったようだ。

  

  • 4 禁じられた宗教哲学――亡命知識人らの思想

宗教哲学者などは国外追放・亡命で国外へ行っており、特に、1922年の9月と11月に多くの哲学者が船で国外追放され、これらは「哲学者の船」と呼ばれている。
本書では、国外で活動をつづけた者のうち、ベルジャエフ、フランク、ロスキー、イリイン、シェストフが紹介されている。
ベルジャエフは、マルクス主義が反宗教的でありながらも宗教的色合いを帯びていることを見て取っていた。反平等、自由の哲学を主張した。
フランクやロスキーは、ソロヴィヨフ哲学に大きな影響を受けていた。
イリインはボリシェヴィキ政権を評論活動で攻撃しつづけ、死刑を宣告されたこともある。霊性を重要視した。将来のロシアの国家体制として君主制をもっとも望ましいものと考えていた。
なお、本書には書かれていないが、イリインでググると、プーチンに影響を与えた思想家とされている。
シェストフは、哲学者の船以前に亡命していた。反合理主義で、人格にとって宗教経験を重要視した。自らの思想をユダヤキリスト教哲学や、キルケゴールの実存哲学の系譜に位置づけた。

第7章 雪解け時代の新潮流

フルシチョフによるスターリン批判(1956)以後、文学や言語学を中心にいわゆる雪解けと言われる状況が訪れる。この状況は、1966年のシニャフスキー=ダニエル裁判で終わるとされる。

1960年前後には「モスクワ・タルトゥ学派」というロシアの記号論が活動を開始。
本書では特に、タルトゥのロートマンとモスクワのイヴァノフが紹介されている
イヴァノフは、20世紀初頭のロシアの作家・思想家など(バフチンヴィゴツキーエイゼンシュテインアヴァンギャルド)を再評価する道筋を作った。

  • 2 民族主義とリベラル――一九七〇―八五年の文化状況

1968年プラハの春以降、締め付けが厳しくなる
タムイズダート(国外出版)の代表格としてシニャフスキーがいる
一方で、復古主義民族主義的な文学批評も台頭し、コスモポリタニズム批判や反ユダヤ主義へとつながっていく。彼らは「農村派」作家を評価した。
他方で、リベラルな批評家たちもいた。彼らは多様で、単一の傾向はなかったが、彼らもまた「農村派」作家に関心を持っていた

中世ロシア文学の泰斗であるリハチョフは、文化遺産の保護を課題とする「文化のエコロジー」、そして、〈記憶〉の詩学を展開する。
当時のソ連では〈記憶〉という言葉が色々な響きを持っていたらしい(地下出版雑誌の誌名となったり、排他的民族主義グループがそう名乗ったり)
ペレストロイカ前後から、環境保全への関心も高まる。

  • 4 異論派

ここではソルジェニーツィン、物理学者のサハロフ、歴史家のロイ・メドヴェジェフの3人が紹介されている。
特にソルジェニーツィンとサハロフは、反体制の闘士とされることが多いが、2人の思想は大きく異なっていた。
ソルジェニーツィンは、民族主義的保守派で民主主義を批判しているのに対して、サハロフは民主主義の発達こそ好ましい道と考えていた。

第8章 ポストソ連思想

ソ連崩壊以後、「イデオロギーの空白」が訪れる。
宗教哲学が次々と復刊され、宗教哲学ブームが起こる。
一方でエプシテインなどにより「文化学」という新しい学問も登場する
また、ポストモダニズムも登場する。
ポストモダニズムはまず、イリヤ・カバコフなど造形芸術で使われた。
また、ポストモダニズム批評もあらわれ、コンセプチュアリズムを否定神学的と論ずるエプシテインや、論文ともエッセイとも創作ともつかないスタイルをとるゲニスなどがいた
一方で、カージンなどポストモダニズム批判も早々に現れる。
ママルダシヴィリは、「意識」に関心をもつ哲学者で、彼の弟子たちは「余白の哲学」シリーズを刊行した。「文学中心主義」批判や「言語中心主義」批判を行った。
1990年代には文化に対する精神分析的アプローチも増える。
エトキンド、ゾロトノフ、スミルノフなど
また、グロイスは、ロシアをヨーロッパの下意識として捉えた。


ポストモダニズムとか精神分析とか、西欧由来の思想が入ってきて、ロシアに限定されない思想をやるぞという方向と、いやしかし、やっぱりロシアにはロシアの特殊性があってという方向の両方が混ざっているということなのかなと理解した。

おわりに

ロシアの思想や哲学は、少なくとも20世紀初頭などはかなり多様な感じもあるが、一方で「ロシアの運命」を論じるという統一性があるという指摘もある。つまり、みんなロシアの特殊性を論じるのが好き、という話。
これについて筆者は、両義的なことを述べている。
まず一方で、「ロシアの運命」的な枠組み、つまり権力との関係で読んでしまうことの危険性を述べている。例えばバフチンヴィゴツキーなど、既にロシアという枠組みにとどまらない読み方をされている思想家がいるように、他にもそのような読み方が可能な思想家がいるのに、その可能性を見逃してしまうという危険性である。
しかし他方で、ロシアの思想家はみな権力との関係を抜きに読むことができないというのも事実である、と。
本書は、紙幅の都合もあり、思想家の経歴にはほとんど触れていないが、本書に登場する思想家のほとんどに、逮捕、投獄、弾圧などの経験がある。
あまりにも当然の話なので全然触れてないけど、その点は忘れてはならないという念押しがされている。

*1:ただし、その後に出た「別巻」には、未読なので詳しくは知らないがロシア現代哲学の章が立てられている