藤川直也『名前に何の意味があるのか 固有名の哲学』

固有名について、それがどのように指示を行っているかの哲学的説明と、「その意味は指示対象に尽きる」というミル的な立場から、ミル説への反論として持ち出される問題について解決を図る本。
固有名の哲学というと、ラッセルの記述説とクリプキの直接指示説ないし指示の因果説の対立を知っている人は多いと思うが、その後、固有名の哲学についての研究がどのように進展しているかが分かる。21世紀になってもなお、新しい研究が進んでいることも分かる。
本書では、空名の問題、つまりフィクションのキャラクターの名前のように、指示対象を欠く名前についても扱っており、その中でキャラクターの文化的抽象物説も紹介されている。自分がこれを読もうと思った最初のきっかけはこれ。
それから、エヴァンズについても説明されているので、それも目的だったが、実際に読んでみると、これら以外にも、意味論的内容と真理条件的内容の関係や語用論との関わりなどの話が面白かった。また、同名現象は多義性や指標性かなど、文脈によって意味が変わるということについて、どのような考え方ができるかが整理されている。


以下の記事が、簡潔な内容紹介になっていて参考になる。
藤川直也『名前に何の意味があるのか: 固有名の哲学』 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
http://mercbeinp.hatenablog.com/entry/2014/05/28/214402

第1章 記述説と歴史的・社会的説明
 1.1 はじめに
 1.2 記述説とそれへの反論
 1.3 歴史的・社会的説明とそれへの反論
 1.4 記述説と歴史的・社会的説明から何を学ぶべきか

第2章 固有名・対象ファイル・情報ネットワーク
 2.1 はじめに
 2.2 エヴァンズの固有名指示論
 2.3 対象ファイルと情報ネットワーク
 2.4 結論

第3章 固有名と言語的規約
 3.1 はじめに
 3.2 同名現象は多義性か指標性か
 3.3 意味論と前意味論の区別
 3.4 固有名は言語の一部か
 3.5 結論

第4章 真理条件的語用論とミル説
 4.1 はじめに
 4.2 意味論的内容
 4.3 真理条件的内容の語用論
 4.4 改訂版ミル説
 4.5 結論

第5章 単文のパズル
 5.1 はじめに
 5.2 ムーアの理論
 5.3 メトニミーの語用論
 5.4 表意による解決を擁護する
 5.5 結論

第6章 空名の問題
 6.1 はじめに
 6.2 キャラクター指示説の基本的主張
 6.3 キャラクターの存在論とキャラクター指示説
 6.4 CRT+CATに基づく空名の理論の問題点
 6.5 CRT+MNGに基づく空名の理論の問題点
 6.6 結論

結論
参考文献
あとがき
索引

第1章 記述説と歴史的・社会的説明

固有名がどのようにしてその指示対象と結びついているのかについての2つの立場を解説する。
1つは記述説、もう1つは指示の因果説(ただし、ここでは「歴史的・社会的説明」とよばれている)
記述説については、サールの理論にもとづいて紹介する。
記述説とは、「固有名の指示を、こうした記述を用いた一致による対象同定によって説明する理論である」(p.6)
クリプキによる反論:話し手の無知に関する事例、話し手のミスリーディングな信念に関する事例
歴史的・社会的説明命名者による直示的な同定と名前の受け渡し
エヴァンズによる批判:指示の変化の問題、コミュニケーションにおける名前の受け渡しのない名前使用の問題
→歴史的・社会的説明において問題が生じるところを、記述によるガイドという考え方によって補う

第2章 固有名・対象ファイル・情報ネットワーク

エヴァンズが指摘した問題とそれに対応するための説明をもとに、固有名がどのようにしてその指示対象と結びついているのかについての、筆者自身の説が説明される。
ここでは、記述説と歴史的・社会的説明がいわば折衷される形になっている。固有名が社会的であることを述べつつも、心理学的な説明でもあるのが面白い。
エヴァンズが指摘した問題というのは、「マダガスカル」を例とした、指示の変化の問題で、これ自体は自分も以前読んだことがあった。
クリプキが自分の説明を「因果「説」」とは呼ばずにあくまでも「見取り図」と呼んだのに対して、エヴァンズがこれを「因果説」までに練り上げた的なことが教科書的な説明だったかと認識しているのだけれど、ここではむしろ、エヴァンズの説明が、記述説と因果説との折衷的なものであることをが指摘されていて面白い。


対象ファイル:一つの対象について結びついている情報をひとまとめにしておく心的ファイル。1970年代以降、言語哲学認知科学言語学で用いられるようになった道具立て。


エヴァンズによる説明
クリプキの説明では、命名者だけが指示に関わる。だが、これでは指示の変化を説明できない。その固有名を使う(命名者以外の)話し手も指示決定に関わると考える
1973年のエヴァンズ説
指示の変化を、対象ファイルの支配的源泉の変化によって説明する
1982年のエヴァンズ説8
生産者と消費者とを区別し、変化に関わるのは生産者のみとした(名前の指示対象と直接の知覚体験を有している者を生産者、そうでもないものを消費者と呼ぶ)


さらに筆者は、名前を用いたやり取りによって生じる対象ファイル間の情報ネットワークが、固有名使用習慣の基礎にあるとして、同名の問題などの説明を行う

第3章 固有名と言語的規約

同名の問題を取り上げながら、固有名についての規則が言語的規約か非言語的規約なのか論じる。
同名の問題とは、「エヴァンズ」が哲学者の名前であると同時に政治家の名前でもあり、文脈に応じてどちらを指示しているかが変わる問題。
これを、多義語として説明するか、指標詞として説明するかで対立がある。
固有名の指示決定規則を意味論的な言語規約とみなす場合、固有名の文脈依存性は、前意味論的になる。つまり、まず、「エヴァンズ」という言葉の意味がどの規約(哲学者を指すという規約か政治家を指すという規約か)が選ばれ、それ以後は同じ対象を指示する。
これに対して、指標性説は、文脈依存性が意味論的だとする。「私」という、言葉の意味としては、発話者を指すという規約があって、文脈によって指示対象が変わる指標詞のようにである。
前者は主にカプラン、後者は主にレカナティの論が紹介され、前者に軍配が上がる。
固有名の指標性説は、そもそもあまり「確かにそうだね」と思えるところがなかったので、批判もまあ順当としか思えなかったのだが、この区別自体は面白いなあと思った。



第4章 真理条件的語用論とミル説

後半では、「固有名の意味論的内容は指示対象に尽きる」などからなるミル的見解が擁護される。
ミル的見解は、上にあげたものの他に、固有名を含む文の発話についての、意味論的内容と心理条件的内容についての主張であるが、それらは、固有名かどうかというのとはあまり関係なく、「発話の意味論的内容は(真偽の評価が可能であるという意味での)命題である」と「文の発話の真理条件的内容は文の意味論的内容である」という、かなり一般的な主張である。
これに対して、命題の意味論的内容と真理条件的内容とを区別する修正を加える。
意味論とは、話し手の意図とは独立に特定される内容を扱う。
語用論とは、意味論的内容とそれに加えて発話の文脈を考慮して、話し手が意図した内容を扱う。
グライスは、文の意味論的内容と心理条件的内容が一致すると想定したが、実際は、必ずしも一致しない。
バック、カーストン、レカナティらは、以下の2点を主張。
意味論的内容だけでは、真偽を特定できるという意味での命題にはなっていないことがある。
命題になっていたとしても、主張的内容と一致しないことがある。

「意味論的内容は命題である」を「意味論的内容は命題、または命題基部である」と修正する



第5章 単文のパズル

ミル的見解に対する反例としてあげられる「単文のパズル」*1
単文のパズルとは、同一指示の異なる表現を変えたときに真理値が変わる文に関する問題である。似たものに、信念報告文の問題があるが、信念報告文のような内包的な文でなくとも、同様の問題が起きることが指摘されている。
例文としては、「クラーク・ケントが入った電話ボックスからスーパーマンが出てきた。」と「クラーク・ケントが入った電話ボックスからクラーク・ケントが出てきた。」がある。
クラーク・ケントとスーパーマンは、同一対象を指示するが、この2つの文は真理値が異なるように思われる。
単文のパズルを検討したソ―ルは、そのような真理値直観が正しいとする意味論的解決と、真理値直観は間違っているという語用論的解決の二つの解決法があると考えたが、
筆者は、意味論的・語用論的という区別は誤りで、3つの解決法があるとする。
そのうちここでは、ムーアによる解決策が擁護される。
それは、表意(意味論的内容から肉付けされたことによって得られる主張−真理条件的内容)による解決で、真理値直観は正しく、どちらの固有名が現れるかによって、文の意味内容は変わらないが、表意が変わるとする。
関連性理論や、メトニミーの語用論の解説がなされ、ムーアによる指示のシフトが擁護される。
ムーアによれば、同一個体を指示する二つの固有名の指示が、アスペクトへの指示へとシフトされるという
アスペクトとは、「ケント/スーパーマン」個体の「ケントアスペクト」や「スーパーマンアスペクト」といった存在者


第6章 空名の問題

「固有名の意味内容はその指示対象に尽きる」というミル的な立場では、指示対象を持たないような固有名が問題となる。
具体的には、「シャーロック・ホームズ」のようなフィクションのキャラクターの名前や、「惑星ヴァルカン」のような誤った科学理論に現れる名前である。
本章では、このような名前は実は指示対象を持っているという、キャラクター指示説(CRT)について検討している。
結論からいうと、このことについては問題を残したまま終わることになる。
キャラクター指示説は、さらに2つに分けられる。
文化的人工物説とマイノング主義である。
文化的人工物説は、キャラクターとは人工物であると考える立場である。この立場では、「シャーロック・ホームズは、コナン・ドイルによって創造された。」などの文が正しいという直観によって支持される。
この場合、キャラクターは人工物であって、人ではないので、「作者によって創造された」「200年以上存在している」などの性質をもつが、「探偵である」「ロンドンに住んでいる」などの性質はもたない。しかし、「〜の物語において」というフィクション内文脈で使われる場合には、その限りではない(キャラクターという人工物を用いたごっこ遊びということになるだろう)。
問題となるのは、「シャーロック・ホームズは存在しない。」といった存在を否定する命題で、これは普通に考えれば、真となるように思われる。
しかし、文化的人工物説によれば、「シャーロック・ホームズ」という固有名は、キャラクターという人工物を指示しており、そのような人工物は現実に存在しているので、この命題は偽となる。
これに対して、メタ言語的解決(トマソン)、語用論的解決(サモン)、文脈主義的解決(Predelli)がある
例えば文脈主義的解決、文脈に応じて「存在する」の範囲が制限されると考える。この命題は「(人としての)シャーロック・ホームズは存在しない。」と、存在量化子の範囲を限定していると解釈するのであれば、文化的人工物説の立場をとっても、真となる。
文化的人工物説は、キャラクターの存在論にとってかなり有効な立場であるように思える。
シャーロック・ホームズは人ではない(人工物である)。」というとちょっとギョッとするが、例えば「初音ミクは人ではない(人工物である)。」というと(ミクがそもそも虚構的にも人ではなくボーカロイドであるという設定があることを抜きにしても)直観的にも納得しやすいのではないか。
キャラクターは、可能的に存在しているとか、虚構世界内に存在しているとか、非存在として存在しているとかいうのもいいのだが、初音ミクのように、虚構世界内よりはむしろ現実世界において何か色々しているように思えるキャラクターがいる以上、現実世界に人工物として存在していると考えておくと何かと都合がよい気がする。
あくまで話をフィクションのキャラクターについて限定すると、人工物説はなかなかよいように思われるのだが、筆者は問題点を指摘している。
つまり、一般化が難しいという点。
「ヴァルカン」のような誤った科学理論に出てくる固有名の指示対象も、文化的人工物なのか。
サモンは、神話的対象と呼び、誤った科学理論に出てくる固有名についても、人工物説を推すが、筆者は、もしそうであれば、正しい科学理論においても同様に文化的人工物が作られてしまい、実在する対象と人工物を両方指示することになってしまうが、これはおかしいと指摘している。
マイノング主義は、存在することと指示とを切り離す立場である。
存在しないとしても指示対象となる。
元々のマイノング主義では、特徴づけ原理というものがあるが、これが問題視されて批判されてきた。
これに対する修正として、特徴づけ原理が適用される性質を限定するパーソンズ理論(核性質と核外性質とを区別する奴)と
特徴づけ理論を、可能世界だけでなく不可能世界も含めて相対化するプリースト理論とがある。
フィクション内的文脈や存在否定言明について、このふたつは区別がないが、フィクション外的文脈での、たとえば「ホームズは探偵だ。」といった命題に対しては、パーソンズ理論では真、プリースト理論では偽となる。
問題点として、可能世界から特定の個体を選び出せるのかという話が出てきて、プリーストの原初的志向性の議論が批判されている。
原初的志向性は、あまりにもミステリアスだし、明らかに原初的志向性では選び出せないような事例(高速で位置を入れ替えるコップ!)があって、プリーストの想定と異なる。

おまけ

同名の話で、哲学者の「ルイス」(C.I.ルイスとデイヴィッド・ルイスがいる)の他に、「サモン」が例に挙げられていたのだけど、サモンが2人いるって知らなかったー!
ウェスリー・サモンとネイサン・サモンがいて、科学哲学と言語哲学らしい。
情報ネットワークの話題において、同名で異なる対象を指す名前が、どのように対象ファイルのネットワークに結びつけられていくか、ということを説明する中で出てきた

*1:なお、ここでいう「単文」は、単文・複文・重文の単文ではなく、この話題にだけ用いられるテクニカルタームである旨注釈されていた