グレゴリー・カリー『フィクションの本性』("THE NATURE OF FICTION")第4章

グレゴリー・カリー『フィクションの性質』("THE NATURE OF FICTION")第1章 - logical cypher scape
グレゴリー・カリー『フィクションの性質』("THE NATURE OF FICTION")第2章 - logical cypher scape
グレゴリー・カリー『フィクションの性質』("THE NATURE OF FICTION")第3章 - logical cypher scapeの続き
タイトルを『フィクションの性質』とするか『フィクションの本性』とするか迷いつつも、これまで『性質』にしていたのだけど、清塚邦彦『フィクションの哲学』をパラパラしてたら『本性』で訳されてたから、そっちにそろえることにした

Chapter4. The Characters of Fiction
4.1. Fictional names and proper names
4.2. Existent and nonexisetent things
4.3. Reference fixing and descriptive names
4.4. Transworld identity and counterpart theory
4.5. Diagonal propsitions
4.6. The content of make-believe
4.7. In defense of the fictional author
4.8. The metafictive use of fictional names
4.9. Accidental reference and aboutness
4.10. Fictional names and singular propositions
4.11. Roles
4.12.

第4章は、みなさんお待ちかね、かどうかは分からないけど、フィクションの意味論・存在論
正直むずい
意味論むずい
分からなかった多めなので、かなり省略気味で書く


フィクション名(「ホームズ」とか)はそもそも固有名なのか
固有名だとして、指示対象がいないので空名になってしまうけどどうすればいいのか
指示対象がないことについて、指示対象を探すか、指示対象をないことを認めつつテキストが有意味になるように説明するか
カリーの立場は後者だけど、まずは前者の立場をいくつか紹介する


マイノング主義
存在していないものも指示できるという立場
1ページでさらっと紹介されて、さらっと否定されている。
(ホームズは存在していないは真だし、ホームズ自身は自分が存在していると考えているのも真で云々みたいな批判)


記述による指示の固定
現実世界に存在している存在と、現実世界には存在していないが他の可能世界には存在している存在とを区別する。
フィクション名は、後者を指示している固有名だと考える
(ちなみに、この場合、ホームズは自分が現実世界に存在していると考えているは真になるけれど、ここでの「現実世界に」は指標詞なので上述の問題は起きない、とのこと)
現実世界には存在しない存在を、どうやって指示するのか
エヴァンズの「記述名」:記述によって意味は与えられないが、指示は固定されるような名前
もし、同じ記述があてはまる存在が、世界1と世界2にそれぞれいるとしたら、指示対象はどっちなのか。恣意的でない方法で決められるのか、という批判


ルイス説(対応者理論)
可能世界ごとに、よく似た対応者がいる、という考え。世界ごとに違う。
記述を最も満たしている個体が、指示対象
→これだとちょっと厳しいので、条件を緩めて、acquaintanceで対応者を決める
→個人ごとに違う対象を指示することになる→コミュニティのacquaintance
ホームズの様相はどうなるか、という問題もある


スタルネイカーの対角線命題
これは、スタルネイカーの考えをカリーがフィクションに応用している、ところか?
同じ命題でも、どの世界にいるかで真理値が違う。発話者は自分がどの世界にいるのかわかっていない。その時の命題が、命題の真理値を世界ごとにプロットした表の対角線として表される。
フィクションの文は、現実世界で発話された場合はどの世界でも命題をもたないけれど、他の世界で発話された場合は真理値をおのおのの世界ごとに持つ
フィクション名が空名であることを認めつつも、有意味な命題として理解可能


フィクション名の3つの用法
カリーは、フィクション名が使われる用法の違いによって、それぞれ説明する
フィクティブな用法
作品内での使用。小説の中に書かれている文など
メタフィクティブな用法
作品外での用法。「ホームズは喫煙者だ。」などと、ドイルの小説の中ではなくて、他の人が言ったりするときなど
トランスフィクティブな用法
貫虚構的な用法。「ホームズのやり方とポワロのやり方は違う。」とか「ホームズだったら警察よりもあの事件(実際に起きた事件)を早く解決しただろう。」とか。別の作品のキャラクターや現実世界と比較したりする用法


フィクティブな用法
フィクション名は、量化の束縛変数
このあと、個体を特定するにあたって、フィクショナルな作者が必要になるということが論じられているのだが、ここらへんいまいちよくわかってない


メタフィクティブな用法
虚構オペレーターの中で、フィクション名は省略された確定記述
確定記述だと、偶然、記述が一致する実在人物を指示してまうことがないか→aboutとofの違いをはっきりさせることで、この批判を退ける
「「ホームズ」はホームズの固有名だ。」とか「ホームズはストーリーに書かれたようなことはしなかったかもしれない。」とかそういう文について。カリーは、直観に反してこれらは命題を持たない、とする。
ただし、「「「ホームズ」はホームズの固有名だ。」は真である。」や「「ホームズはストーリーに書かれたようなことはしなかったかもしれない。」は真である。」は命題を表現していて、現実世界では偽、ホームズのストーリー世界では真になる。
メタフィクティブな用法もごっこ遊びだとするエヴァンスへのカリーのコメント


トランスフィクティブな用法
ホームズとポワロは同じ話じゃないから、虚構オペレーター使えない
キャラクターを人ではなく関数とみなす。この関数(世界から個体への関数)をカリーは「役割」と呼ぶ。
ヴァンインワーゲンの、理論的対象説の発展形
1つのキャラクターは1人の人間でなくていい(群衆とか、メレオロジカルな和)
ホメロスが書いたトロイア戦争のヘレンと、エウリピデスが書いたトロイア戦争のヘレンは同じキャラクターか。キャラクターが人物を指すなら違うけど、「役割」を指すのであれば同じ


The Nature of Fiction

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