グレゴリー・カリー『フィクションの本性』("THE NATURE OF FICTION")第5章

フィクションとは、作者が読者にごっこ遊びさせる意図で作られたものであり、フィクションの内容を解釈するとは虚構的な作者の信念を解釈することである、というカリーの主張をもとにしたフィクションの哲学の本
5章で最後となる。


グレゴリー・カリー『フィクションの性質』("THE NATURE OF FICTION")第1章 - logical cypher scape
第1章はフィクションの概念
ウォルトンのごっこ遊び説とグライスのコミュニケーション理論を組み合わせた、カリーによるフィクションの定義を検討


グレゴリー・カリー『フィクションの性質』("THE NATURE OF FICTION")第2章 - logical cypher scape
第2章は、フィクションにおける真理について
ルイスによる可能世界を用いたフィクションの真理の分析を検討した後、それに対して、フィクショナルな真理とフィクショナルな作者の信念とを結びつけるカリー説が展開される。


グレゴリー・カリー『フィクションの性質』("THE NATURE OF FICTION")第3章 - logical cypher scape
第3章は、第2章をさらに展開させて、フィクションの解釈について
解釈の相関主義や意図の誤謬、物語と文体の関係など


グレゴリー・カリー『フィクションの本性』("THE NATURE OF FICTION")第4章 - logical cypher scape
4章は、フィクションの意味論と存在論
ホームズなどのフィクション名について、それが何かを指示するという考えたを退け、空名のまま有意味に解釈する方向を探す
フィクション名について3つの用法――フィクティブな用法、メタフィクティブな用法、トランスフィクティブな用法にわけて、それぞれ異なる解釈をとる。それぞれ、量化の束縛変数、省略された確定記述、関数である。


第5章は、いわゆるフィクションのパラドックスについて
フィクションに対して読者が抱く感情・反応を、カリーは文字通りの感情ではなく、フィクション特有の擬感情と考える。

Chapter5. Emotion and The Response to Fiction
5.1. Finding the problem
5.2. The options
5.3. A theory of emotion
5.4. A solution
5.6. Objections and revisions
5.7. Alternatives
5.8. Emotional congruence
5.9. Psychological kinds


ラドフォード「アンナ・カレーニナの運命にどのようにして心動かされることができるのか」
アンナは実在していないということを知っているのに、どうして感情を動かされるのか。
感情の認知主義が前提になっている
認知主義=感情は信念を持つことを必要とする
認知主義を捨てずに解決する方法として、カリーは、フィクションに対して抱く感情を擬感情quasi-emotionと考える。
ちなみに、quasi-emotionという言葉はウォルトンも使っているが、ウォルトンのいう擬感情とカリーのいう擬感情はちょっと違う。ウォルトンのは身体的反応のこと、カリーはフィクションに対していただく感情のこと


この問題への誤解
対象の不在が問題なのではない
幻覚も対象は不在。フィクションの場合、存在しているという信念がない
状況についての信念を欠いている
別の誤解
この問題は、「どのように感動するか」ではなく「どのように合理的に感動するか」である


フィクションのパラドックス
(1)われわれは、フィクションのキャラクターの状況について感情を抱く
(2)誰かの状況についての感情を抱くためには、われわれはその状況を記述した命題を信じている必要がある
(3)われわれは、そのフィクションのキャラクターの状況を記述した命題を信じていない


感情の理論
感情emotionsというのは、単に情動feelingというわけではない。判断や評価を行うもの。命題的態度も必要。
しかし、感情にとって、情動も命題的態度も必要条件だけど十分条件ではない。
命題的態度と情動との結合が感情


感情と行為は似ている
行為=信念+欲求+振る舞い
感情=信念+欲求+情動


擬感情
擬感情は、ごっこ遊び的信念とごっこ遊び的欲求と情動によって構成される
行動傾向に結びつかない欲求


ウォルトンとの違い
ウォルトンはごっこ遊び的オペレータ、カリーはごっこ遊び的態度において情動が引き起こされると考えている


感情と擬感情と区別されるものなのか?
一般的な用法、広い意味では区別されないかもしれない。これは用語法の問題。
両方を指す場合は「広義の感情」、信念・欲求とセットになっているのを「規範的感情」、ごっこ遊び的信念・ごっこ遊び的欲求とセットになっているのを「擬感情」と呼ぶことにする


フィクションに対して抱く感情の適切性
アンナの死に悲しむのは適切だし、怒るのは不適切
逆に、作品によっては笑うことの方が適切な場合もある
フィクショナルな作者の反応と一致するかどうかが、適切さの基準になる


気分や恐怖症といったものは、信念をもたない心理的状態
ここでは、こういうものを感情とは呼ばないけれど、一般的に感情という時にはこういうものも含む。
将来的に、感情の理論はこういうものにも拡張されるだろうけど、このカリーの議論は生き残るだろう、と。


感想

この章自体は読みやすいし、色々と整理されていて分かりやすかったんだけど
フィクションのパラドックスって、この解決法読む限りだと、結局なんだったんだって感じがする
なんか、哲学者が勝手に問題を作って、勝手に新しい概念を作って、勝手に解決した感じがしてしまう……

The Nature of Fiction

The Nature of Fiction