吉村貴之『アルメニア近現代史』

http://kousyou.cc/archives/6140を読んで、じゃあ黒海周辺の歴史の本とか読んでみようかなーと思って読んでみた本。
伊東・井内・中井編『ポーランド・ウクライナ・バルト史』 - logical cypher scapeがメインで、あとコーカサス関係何かないかなーと探してて、とりあえず見つかったのがこの本と前田弘毅『グルジア現代史』 - logical cypher scapeだったので手に取ってみた。
山川から出てる地域史だと、『ポーランドウクライナ・バルト史』の隣は『中央ユーラシア史』でこれだとモンゴルとかトルキスタンとかで、カスピ海の東側までしかカバーしてないっぽかった。山川の地域史で読むとしたら、カフカスは『ロシア史』なんだろうか


さて、アルメニア
正直、場所以外は全く知らない国だった
といういか、民族が離散していて、思った以上に複雑な内情を抱えているところだった
まず、アルメニア人というのは、キリスト教アルメニア教会を信仰し、アルメニア語、アルメニア文字を持っていると説明される。とはいえ、現在において、必ずしも皆が皆信仰に篤いわけでもなく、またアルメニアを離れた者たちの中にはアルメニア語を話せなくなっている者もいる。
では、アルメニア人とは一体どういうアイデンティティを持った集団なのか、というのもアルメニア史の中で説明されていくことになる。


近現代史なので、20世紀初頭くらいから始まるのだけど、それ以前の歴史も触れられていて、元々アナトリア東部あたりにいたみたいで、アララト山が(今はトルコ領だが)アルメニア人にとってはシンボル的な存在らしい。
で、20世紀初頭あたりだと、アルメニア人が住んでいるところは、ロシア領とオスマン・トルコ領に分かれていて、話は、ロシアのアルメニア人グループとトルコのアルメニア人とに分かれて進んでいく。と、最初からややこしい。
かたやロシア経由、かたやトルコ経由で、ヨーロッパの民主主義・ナショナリズムの思想に触れて、民族自決・独立への道を模索しはじめるのだけど、ロシアとトルコという大国に挟まれているし、さらにアルメニア人の中でも様々に対立していて一筋縄でいかないところがある。独立を目指すか、帝国内の自治かとか。
ロシアで武力闘争をしてたダシュナク党は、トルコの方では、「統一と進歩(青年トルコ党)」と歩調をあわせて自治を模索していたんだけど、次第に「統一と進歩」がアルメニアを疑いはじめて、ドイツ人軍事顧問団からなんか言われて*1アルメニア人虐殺と追放が行われる。
アルメニア人は先にも述べたようにキリスト教徒なので、「ムスリムからの弾圧」として彼らには記憶されるようになった、と。アルメニア人のアイデンティティとは何か、という先の問いにたいして、この本では、このトルコにおけるアルメニア人虐殺を悲劇として共有していることを挙げている。
ロシアの方では、ロシア革命と同時期に、ダシュナク党などのアルメニア民族ソヴィエトが、アルメニア共和国として独立する(のちに第一共和国と呼ばれる)。
一方、同じ年に、オスマン帝国からヨーロッパへと拠点を移していた、オスマンアルメニア人エリート層(民主自由党)が、パリで独立を宣言する。
ダシュナク党率いるアルメニア代表と、民主自由党率いるアルメニア代表が、共にパリ講和会議に参加しようとする。互いに互いのことをあまり信頼していないような状態だったのだけど、一応統一代表団を作る。
ロシア革命の情勢を窺っている連合国側は、アルメニアの独立にあまり関心がなく、彼らの独立が認められるのは20年1月のロンドン会議
一方、露土関係が変化する。敗戦国となったトルコと共産主義政権となったロシアは接近を始める。
で、アルメニアはトルコと赤軍の両方と戦闘状態に陥る羽目になり、トルコか赤軍かどちらかへの従属という二択を強いられる。トルコのアルメニア人虐殺の記憶もあることから、赤軍を選び、ソヴィエト・アルメニアが誕生する。これが20年の12月のことである。
ソヴィエト・アルメニアになって、ダシュナク党は次第に国外へと移っていく。アルメニア本国は共産党が政権を握り、一方、在外アルメニア人コミュニティでは民主自由党とダシュナク党がヘゲモニー争いをする。経済的に疲弊していたソヴィエト・アルメニアは在外アルメニア人にも援助を頼み、ソヴィエトと民主自由党は席巻し、ダシュナク党は孤立していく。
また、領土問題として、ロシアがトルコと友好的な関係を結ぶ中で、トルコ側のアルメニア領土はトルコへと割譲される。
それから、アゼルバイジャンの中でアルメニア人の多いナゴルノ・カラバフが問題となる。アゼルバイジャンがトルコ系なので対立していた。これはなんか、クレムリン共産党のなんやかやでアゼルバイジャン領になってしまったらしい。あと、アルメニアがバクーからの石油に経済的に頼っていたことも関係していたらしい。
ペレストロイカ期に再び問題化する。
ソ連崩壊と共に、カラバフが独立を宣言して、アルメニアアゼルバイジャンが戦争に突入。民族浄化を伴う激しい戦争だったらしい。
戦闘の結果としては、アルメニアが勝つのだが、その後、バクーからの石油ルートとしてグルジアルートが採用されてしまい、アルメニアは経済的に困窮。経済支援を条件に、カラバフのアゼルバイジャン領を認める。
独立以来、反アゼルバイジャン・反トルコ感情を煽ったので、外交的に孤立しがち
あと、グルジアとロシアが険悪なのも、アルメニアにとっては死活問題。もともとロシアと友好的なのだが、経済的にはグルジアに頼っているため。

アルメニア近現代史―民族自決の果てに (ユーラシア・ブックレット)

アルメニア近現代史―民族自決の果てに (ユーラシア・ブックレット)

*1:どっちが主体的に進めたのかはまだよくわかってないらしいが