八木沢敬『分析哲学入門』

『名指しと必然性』の訳者による、初めての日本語による著書。
トピック毎に分かれた章立てになっているが、特に従来の分析哲学入門と比べると*1クリプキに割かれている部分が多いのが特徴的ではないかと思う。
かなり八木沢流に噛み砕いて書かれている感じがする。そこを読みやすいと思うか、読みにくいと思うかは人それぞれかなと思う。様々な具体例(?)を出してくるのは分析哲学ではよくあることなので、具体例を出しながら説明するのは普通と言えば普通だけれど、「「真夜中の静寂」という展覧会で出品したU子が「丑三つ賞」を受賞する」とか、多少独特な感じはある。
それから、訳語などが定訳からは離れているところがある。冒頭で人名などについては触れられているが(「クォーク」を「クワーク」と書くのはすごく違和感があるが、分析哲学者のあいだではそのような発音が定着しているらしい)、本や論文のタイトルも定訳とは違っているものが結構混ざっている。
各章ともに、最後に「分析哲学史的な補足」がついてきている。
分析哲学の入門書は今までにもたくさんあって、またなるべく専門用語などを使わず、話し言葉に近い書き方をするのも普通によくみられるものだけれど、形而上学の分量が多く、また数学の哲学についても触れているという点は珍しいと思う。心の哲学の入門書ってのも数多いけど、分析哲学入門の中で形而上学と隣り合わせてっていうのも珍しいと思う。
というわけで、わりとお薦めかも。

第1章 分析哲学をしよう

分析哲学の道具は理屈である。ところで、「理屈ではこうだが現実はそうじゃない」という言い回しがあるが、この言い回しも実際には理屈であって、理屈からは逃れられないんだということが述べられている。
この章では、概念分析とはどのような方法論なのかということが述べられている。

第2章 「ある」とはどういうことか

「最良の説明への推論」を用いながら、どのような存在論にコミットすればいいのかということが論じられている

第3章 「知っている」とはどういうことか

ゲティアケースについての説明(上に述べた「丑三つ賞」はここで出てくる)と
「水槽の中の脳」について
分析哲学史的補足では、ゴールドマンによる「知識の因果説」、ドレツキによる「頼りになる方法」理論について簡単に触れられている。

第4章 「言っていること」とは何か

文と命題の区別。真理条件について。「私」や「ここ」といった語を含む文の分析。私的言語の不可能性についてはパトナムの楡とブナの話を例にして説明。あと、タルスキ(本書ではタースキー)。
ここは改めて勉強になった。というか、ようやくタルスキの定式が何を言っているのが腑に落ちたような気がした。

第5章 心あるもの

「心がある」とはどういうことか、まず「ぼた餅がある」というような意味での「ある」なのか(実体としてあるのか)、「熱がある」というような意味での「ある」なのか(状態としてあるのか)がそれぞれ検討されたあとで、機能主義の話がされる。そして最後に、感情やクオリア(本書では一貫して「感じ」と訳される)は機能化できないという話がされる。
心の哲学の本を2冊読んだあとで読んだのでそう思うのかもしれないけど、うまく整理されているなーと感じた。
通史的に色々な主義を解説するか、ロボットは心を持てるかみたいなテーマを掲げて説明するというのがこの手のだと多い気がするが、そのどちらでもなく、限られたページで一貫した流れがあった。喩えが、餅とか熱とか、機能主義でも会社に喩えるとかは、心の話をする上で、哲学的な道具だけで(他の科学の話を持ち出さずに)こういう風にやれるんだということを示しているような気がする*2
それから、クオリアの議論も、機能化できないものとして扱われているので、クオリアを持ち出すことでどういう論争ができるのかっていうのが分かりやすいかな、と思う。逆転クオリアの話をすることで何を論証しようとしているのかというと、機能主義を退けようとしているんだな、と。
あと、クオリアの話をする前に感情について言及されているのもいい。意外と、心の哲学は感情はまだあんまりという感じがする。
そういえば、さりげなく法則性が前提されていた気がする。もしかして、この本って全体的に見てもデイヴィドソンには全然触れていないのか。

第6章 「かもしれなかった」とはどういうことか

反事実的条件文の真理条件の話から始まる。ここも改めて勉強になった気がする。この分析について「可能世界」が用いられる。
次いで可能世界について。世界について、もの主義、こと主義、命題主義の3つの立場が説明される(章末の補足によれば。もの主義は様相実在論のことでルイスと八木沢の立場、こと主義はプランティンガ、命題主義はアダムスの立場のことである)。こと主義と命題主義は、現実世界を他の可能世界から区別された特別な地位をもつものと考えるが、もの主義は現実世界を特別視しない。「現実世界」と「ここ」を類比的に扱う。ルイスの様相実在論では対蹠というのが出てくるが、八木沢の様相実在論では、各可能世界を部分と考える(時間的部分を考えるように、可能世界的部分を考える?)。
可能世界の定義について、こと主義と命題主義は循環に陥っている、として八木沢はこの2つを退け、以後ではもの主義のみを扱うとする。ここは「え、いいの?」と思ってしまったw 
あと、こと主義と命題主義の違いがいまいち掴めなかった(その後の論の進め方がこの2つは同じようにされるので、立場の違いによって結論にどのような違いが生じるのかが分からなかった)。
最後に、物理的可能性と論理的可能性の区別の話がされて、双子地球が論理的可能性の例として出される。

第7章 「同じもの」とはどういうことか

ここでは、クリプキの『名指しと必然性』における同一性の議論がほぼそのまま展開される。名前は変わっているが、「ゲーデル」がどうのこうののくだりだと思う。

第8章 心ふたたび

こちらは第7章の続きで、やはり同じく『名指しと必然性』でクリプキが心脳同一説を批判したくだりについて。『名指しと必然性』読んだ時、ここの部分が何言っているのかよく分かってなかったので、そういうこと言っていたのかーと。
アプリオリと必然的を区別して、同一性の必然性から心脳同一説を批判する。これは心脳同一説の立場の人たちが、同一性の必然性について見誤っていたということなので、そこを受け入れれば再び心脳同一説を主張することは一応できる。
7章と8章では、最後の補足まで固定指示って言葉は出てこないけれど、固定指示ってどういうものかということが説明されている。固定指示と必然性と本質は強く結びついている、というのが分かる。
最後に、心脳同一説への批判として、チャルマーズ(本書ではチャーマース)の哲学的ゾンビの話も出てくる。ここでは、考慮に値する可能世界の範囲について本質から考えることが述べられる。
補足では、クリプキ本人以上にクリプキのアイデアを発展させたクリプキ主義者としてサーモンが紹介されている。

第9章 「物」とは何か

時間に応じて少しずつ構成要素が変化していく物の同一性や、時空間に広がる物の曖昧さについて論じられている。
補足では、同一性と変化についての最初の著作として、ウィギンス『同一性と実体』、ノージック『哲学的説明』があげられている。
また、四次元主義について論じているものとして、D・ルイス『世界の複数性について』(本書では『複数の世界について』)やヘラー、サイダーが挙げられている。

第10章 数とは何か

数の存在論と、フレーゲ-ラッセルによる整数の概念分析。
整数を集合使って定義する奴。集合についての定義も。
集合っていうのは、物理的に何かが集まっているわけではなく、また同一性についての必要十分条件も分かっているのだが、どうにもプラトニックである、としめられている。

追記(20120217)

同じく分析哲学の入門書として、青山拓央『分析哲学講義』もオススメ。


分析哲学入門 (講談社選書メチエ)

分析哲学入門 (講談社選書メチエ)

*1:といって自分はそこまで色々な入門書を読んでいるわけではないが

*2:『物理世界の中の心』『心の哲学翻訳編』と続けて読んで、やっぱり心の哲学は、心の科学ではなく哲学なんだなあと思った