『シリーズ心の哲学3 翻訳編』

超長いこと、積ん読になってた本。
しかも何故か1と2は読んでないのに3だけ持っていたという謎具合。
5つの論文が収録されていて、そのうち1番目に入っていたキム論文が難解だったため(後述するが訳語が悪い)、挫折していた。どうせ、論文集なのだから最初から読まずに他の物から読めばよかったのだが、何となくずるずると読まずにきていた。
ジェグォン・キム『物理世界のなかの心』 - logical cypher scapeを読んだ勢いで、ようやく読むことができた。

随伴的かつ付随的な因果 ジェグオン・キム

随伴的がエピフェノメナリズムの方で、付随的がスーパーヴィーニエンスの方。
この2つの区別がよくわかってない時点で、これを読もうとすると頭が混乱してやばい。
『物理世界のなかの心』では、どちらもカタカナのまま訳されていて、その点読みやすかった。
ここでの議論は、のちに『物理世界のなかの心』で批判されるような議論が展開されている。
スーパーヴィーニエンス論法がまだなくて、スーパーヴィーニエンスで心的因果が説明できるんじゃないかということが言われている。
ところで、訳者による解題によるとキムへの反論として、デイヴィドソンが因果関係は出来事トークンの関係だから性質は関係なくね、みたいなことを言っているらしくて、これって『物理世界のなかの心』の訳者解説の中で柴田正良の論として紹介されていた奴と通じてるのかな、と思った。

バイオセマンティクス ルース・ギャレット・ミリカン

表象の話をずっとしていて、確かに例としてビーバーだのミツバチだのが出てくるけれど、やっぱり哲学の論文だなーと思う。
この論文だけだと、ミリカンの哲学のほんの一部しか見えないけれど。
表象を生成ではなく消費の観点から捉えることと「通常の条件」によって捉えることを重要な論点として挙げていることが面白かった。
これ、なんかウォルトンのフィクション論っぽい感じがして。
だから、生物学的観点がどれくらい必要なのかどうかってこれだけだとよくわからないなー。まあ、ここでいう表象は、心的表象なので生物学絡むだろjkってのはわかるけど。表象っていう話全般にも通じるならそれはそれで。

経験の内在的質 ギルバート・ハーマン

クオリアの話。クオリアを持ち出す機能主義批判に対する機能主義からの反論。
論点は3つ。1,内在的な質は機能化できない。2,知識論法。3,クオリア反転。
1についていうと、クオリアは経験における内在的な特徴ではなくて志向的な特徴であるとして反論する(志向性なら機能化できる、はず)。
ここでハーマンは、心に思い浮かべることと絵を比較していて面白い。ユニコーンの絵の話とか不老の泉を探し求める話とか。
実在しないものについて心に思い浮かべているものは、内在的なんじゃないかって話(感覚与件とか観念とか)あるけど、そうじゃなくて志向的対象なんじゃないの、と。
この議論自体は面白かったんだけど(ユニコーンを想像することはユニコーンの絵を想像することではない、あるいはユニコーンの絵はユニコーンの観念を描いているのではないとか)、じゃあその志向的対象って何なのよって話は全くされていない。
知識論法への反論は、盲人は色についての知識を持ってないでしょというもの。
クオリア反転は、結局1の論点に繋がるので省略。

消去的唯物論と命題的態度 ポール・M・チャーチランド

あーそうか、命題的態度ってラッセルかーとか思いつつ
素朴心理学は理論であり、またいわゆるラカトシュが言うところの停滞したリサーチ・プログラムなんだという。
それからもうひとつ、機能主義批判があって、これは面白かった。機能主義は、実は古くて誤った理論を温存させるためのものなんだ、ということを、錬金術の機能主義ということを思考実験的に考えてみることで論じている。
最後に、じゃあ素朴心理学が消去されたらどうなるのかちょっと考えてみようってなっていて、ここは完全にSFで面白かったw 「超文」とかちょっとテッド・チャンっぽくない?

個体主義と心的なもの タイラー・バージ

どうも外在主義の話らしい。
これは途中で読むのやめてしまいました。


あと、なんかやけにフォーダーが論敵として登場してくる回数が多いなあと思った。
ので、最後に索引見てみたら、人名で登場してくる回数は確かに一番多そうだったが、そのほとんどがミリカンとチャーチランドに集中していたw


シリーズ心の哲学〈3〉翻訳篇

シリーズ心の哲学〈3〉翻訳篇