『東京ゴッドファーザーズ』

今敏監督追悼ということで、まだ見ていなかった本作を見た*1
とはいうものの、「今監督が亡くなったのでまだ見ていない作品を見ようと思い立つ」→「本作を借りる」→「実際に見る」の間がそれぞれわりとあいてしまい、「返却期限考えるともう見ないと!」みたいな感じで見たので、実際に見るときは今監督追悼ということをほとんど意識していなかった。
しかし、それは結果的によかった。人の生き死にを含めた人生の様々な事件がユーモラスに描かれていく作品で、思う存分笑って笑って楽しみながら見れたからだ。
今敏作品というと、夢と現が入り乱れてイメージが乱舞という印象が強いのだが、これはそういう意味では今作品っぽくはない。というかむしろ、実写映画でありそうな映画である。良質な、笑いと涙のエンターテイメントという感じ。


クリスマスの夜、三人のホームレスが捨てられた赤ん坊を拾い、その子を本当の親の元へと返すという物語。
借金で妻と娘と離ればなれになってしまったギンさん、元ドラァグ・クイーンで自らも捨て子であったハナ、そして父親との諍いの果てに家出してきた少女ミユキ。と、それぞれに親子関係に色々あり、「本当の親」に対して複雑な思いを抱えている。
クリスマスから大晦日までのほんの数日間、赤ん坊の本当の親を捜して奔走する三人に、次から次へと様々な出来事がふりかかる。この映画は、奇跡から始まり、次から次へと奇跡が起こり、奇跡で終わるような作品で、これを今監督は企画書兼制作ノートのタイトルとして「意味ある偶然の一致にあふれた世界」と記している*2
ヤクザのドンパチに巻き込まれ、あげくはホームレス狩りする少年達にボコられるギンさんは「俺たちぁ、アクション映画の主人公じゃねぇんだ」と嘯くが、最後には何があっても不死身な「アクション映画の主人公」ばりの活躍を見せてくれたりする。
とかく、そのあまりにもタイミングよく事件が飛び込んでくること自体が、結構笑いどころだったりもするw


主人公たちがホームレスなわけだが、ホームレスの描き方もよい。捨て子にしろホームレスにしろ社会問題なわけだが、そういう社会問題を押し出すわけでもなく、かといって美化するわけでもない。彼らは聖者でも愚者でもない。
まあもっとも、作中で唯一死ぬこととなるホームレスのじいさんだけは、ちょっと聖性をまとっているかもしれない。いや、とことん駄目な感じのじいさんではあるのだが。3回くらい最後のお願いを頼むという、「繰り返しはギャグの基本」というのを地でいくベタベタなことをしてくれるのだが、非常にあっさりと軽やかに死んでいく。あのじいさんのさ最期のセリフは、(見ているときは全く忘れていたけれど)今監督の「じゃ、お先に。」*3を思い起こさないこともない*4


冒頭、街の看板にスタッフの名前が表示されるところとかは今監督っぽいなあと思って、テンションあがったw
そういえば、『千年女優』のポスターがどっかに貼ってあったな。
クリスマスに乗るタクシーのナンバーが1225とか。
とかまあそういう細かいところを見てニヤニヤしつつ、別にそんなディテールを気にせずとも笑って楽しめる作品である。
きよしこの夜から始まって第九で終わる、って考えてみればすごく時期はずれなので、今度はちゃんとその時期に見てみたくもある。


*1:今作品は、『パーフェクトブルー』をビデオで、『パプリカ』を劇場で、『千年女優』はメディア芸術祭関係か何かで再上映されたのを見た。『妄想代理人』はまだ見ていない。これに「オハヨウ」という短編作品を加えると、監督作品は全てということになる。一つ一つが濃密なので物足りないとは言うまい。しかし、やはり少ない

*2:http://konstone.s-kon.net/modules/tgf/index.php/content0002.html

*3:NOTEBOOK >>NOTEBOO>> ブログアーカイブ >> さようなら - KON’S TONE

*4:もちろん、今監督の最期が本当はどのようなだったかなどはわかるべくもないのだが、そのようなことはここでは重要ではない