伊勢田哲治『動物からの倫理学入門』

動物倫理を手がかりに、英米倫理学について概観する入門書。
様々な立場を紹介し、それぞれの立場について、動物倫理においては具体的にどのような立場をとるか見ることで、それぞれの立場の長所と短所を見ていく。
そういう意味で、終章で倫理学的理論の検討方法として紹介されている反省的均衡(本書では往復均衡)の方法がとられているともいえる。
英米系哲学というか分析哲学の方法論というのは、理論の論理的整合性をとにかくひたすら目指すという代物なので、ある意味でパズルになりがちである。これは倫理学だけではなく、分析系全般にあてはまるところだと思う。それ故にはまると面白いのだが、はまれないと何とも得体の知れない営みにしか見えない*1
この本における倫理学が要請するような、論理的一貫性や普遍性*2はどこまで要求されるものなんだろうか。確かに理論としてそれは必要だが、具体的実践においてはどうなるのか。
動物倫理に関していうと、主要な論点は種差別にあると思う。
論理的一貫性や普遍性を持とうとすると、人間と動物との間で扱いに差を設けることは種差別となってしまう。動物解放論の論拠はここにある。
倫理学的理論としては理解できるが、実際の社会や人間は、そんな一貫性や普遍性では動いていないだろう、というのが僕の違和感で、ある種のルールや倫理というものは、どうしたって恣意的なパワーによって制定される。種差別は、その恣意的なパワーによって正当化されてしまうだろう。
動物に権利や配慮を認めるのか、というのは、メンバーシップの問題だろう。メンバーシップは、理論的に決定できるのか。
もちろん、そうした恣意的なパワーに抵抗するのが、理論であるという返答はできるし、それが倫理学を(あるいは学という営み全般を)支えているのは間違いない。


シーシェパードの船が日本の船と衝突したということがニュースになっている。
シーシェパードやこの事故については、よく知らないので、特に書くことはないのだが、
捕鯨問題一般について考えるとき、この本は役に立つのではないのかなあと。
議論の前提が欧米と日本とでは違うのではないか、ということが、この本でも指摘されている。
欧米の捕鯨反対の理由が、「知能の高い鯨の肉を食うなんて野蛮だ」というのは知られていると思うけれども、それは単に「鯨カワイソス」ってことではなくて「鯨に対する種差別だ」って理屈が後ろにあるってことは知られていないような気がする*3 *4
もちろん、「かわいそうだ」ということで反対している人たちも多いのだろうけれど、例えば現在の動物解放運動の火付け役ともなったシンガーは、この本に紹介されているエピソードによれば、動物好きでもなければかわいそうと思っているわけでもないようだ。
というわけで、捕鯨は日本の伝統であるとか、環境や生態系に配慮しているとか、そういった反論は、実は何の反論にもなっていない。というか、相手が依拠している理論と噛み合ってないのである。*5
捕鯨に関して言えば、野生動物の捕獲なので、さらに野生動物についてどう考えるか、単に動物倫理だけではなく環境倫理の問題も出てきて、この環境倫理に関しても色々な立場があるようだ。これは立場によっては、捕鯨okって結論が出てくる理論もあると思うのだが、その理論が他の動物倫理の理論とどう整合するのかって問題がまたあると思う。
個人的には、捕鯨にそこまで目くじらたてなくてもいいんじゃないのって思ったりもするのだけれど、功利主義的に考えたとき、捕鯨によって増加する幸福の総量って別にそんなに多くもないだろうなあとも思うので、積極的に捕鯨に賛成する理由もないなあと思ってしまう


この本は、シンガーやヘアの考えが主に紹介されているが、他にも、ロールズノージックやセンやマッキンタイアや進化生物学や厚生経済学の考えが紹介されており、本当に色々な立場を概観できる入門書となっている。
リベラリズムリバタリアニズムコミュニタリアニズム功利主義を、倫理学から捉えることができると思う。

序章 倫理学へのけものみち
0-1 動物についてちょっと考えてみる
0-2 倫理学は何をする学問か
0-3 メタ倫理学・規範倫理学・応用倫理学
コラム0 倫理的相対主義
第一部 基礎編
第一章 動物解放論とは何か
1-1 動物愛護から動物の権利へ
1-1-1 18世紀までの人と動物のかかわり
1-1-2 18世紀からの動物愛護運動
1-1-3 20世紀の動物福利と動物の権利運動
1-2 功利主義
1-2-1 結果に着もする考え方
1-2-2 功利主義という考え方
1-2-3 幸福ってなんだろう
1-2-4 功利主義の魅力
1-2-5 功利主義の問題点
1-3 義務論
1-3-1 義務論の基本的考え方
1-3-2 カント流の義務論
1-3-3 ロスの「一見自明の義務」論
1-3-4 権利
1-3-5 義務論の難点
14 義務論の要素を入れた功利主義
1-4-1 行為功利主義と規則功利主義
1-4-2 二層理論
1-5 二つの倫理学理論と動物
1-5-1 功利主義と動物
1-5-2 カントと動物
1-5-3 動物の権利を認める義務論
1-5-4 動物解放論
コラム1 「生き物を殺してはならない」というルールは存在するか
第二章 種差別は擁護できるか
2-1 事実を見ればわかるという系統の議論
2-2 事実と価値のかかわり
2-2-1 ヒュームの法則
2-2-2 自然主義的誤謬
2-2-3 形而上学自然主義
2-3 能力差に訴える議論
2-3-1 「生物学手に実体のある差」をもういちど考える
2-3-2 動物に心はあるか
2-3-3 言語を持たないものは利害を持つか
2-3-4 動物は言語能力を持たないか
2-3-5 限界事例の問題
(*限界事例とは、乳幼児や認知症患者、知的障害者など、いわば心的・知的能力において動物とそれほど変わらない人たちのこと。〜〜という能力を持っていないから動物には権利がない、と論ずると、同じようにその能力を持っていない限界事例の人々にも権利はないのかと反論される)
2-3-6 道徳的論争のパターン
2-4 メタ倫理学のさまざまな立場
2-4-1 ムーアの直観主義と「道徳的直観」
2-4-2 非認知主義その1:情動主義
2-4-3 非認知主義その2:普遍的指令主義
2-4-4 普遍化可能性テストと動物
2-4-5 自然主義の復活と外在主義
2-4-6 ヒュームの法則ふたたび
コラム2 自然主義的誤謬にまつわる誤謬
第三章 倫理は「人と人の間のもの」か
3-1 契約として倫理を見る
3-1-1 古典的な契約説
3-1-2 ロールズの正義論
3-1-3 手続的正義
3-2 契約説と動物
3-2-1 動物は社会契約の当事者になることができるか
3-2-2 限界事例を契約説はどう扱うか
   (1)代表者による契約
   (2)周囲の人との関わり
   (3)自分がそうなる可能性の有無
   (4)滑りやすい坂道の論法
   (5)社会の安定性
   (6)実は限界事例の人々にも権利はない
3-2-3 反動物解放論からの反撃
   (1)快楽の質と最悪回避原理
   (2)スライディング・スケール・モデル
3-3 ロールズ以後の契約説と動物の権利論
3-3-1 ロールズ理論の政治的含意
3-3-2 平等主義からの批判
3-3-3 功利主義的契約説
3-3-4 ロールズの開き直り
3-3-5 ノージック自然権
3-3-6 ノージックと動物
3-3-7 まとめ
コラム3 カントのメタ倫理学と契約説
第四章 倫理なんてしょせん作りごとなのか
4-1 道徳の理由と利己主義
4-1-1 利己主義とは何かはっきりさせるのは難しい
4-1-2 道徳の理由とはどういう問いか
4-1-3 サンクション
4-1-4 ホッブズの回答
4-1-5 人間における社会的感情
4-2 道徳の起源と進化論
4-2-1 ダーウィン進化論と動物倫理
4-2-2 社会ダーウィニズム
4-2-3 生物学的利他行動
4-2-4 ゲーム理論と進化生物学
4-2-5 他人を思いやる動物
4-3 再び道徳の理由について考える
4-3-1 動物の進化生物学から人間の進化生物学へ
4-3-2 道徳の起源から道徳の理由へ
4-3-3 ゲーム理論から道徳の理由について何が言えるか
4-3-4 結局道徳の個人的理由はどうなるのか
コラム4 共通先祖説と滑りやすい坂道
第二部 発展編
第五章 人間と動物にとって福利とは何か
5-1 動物実験
5-1-1 動物実験をめぐる問題の歴史
5-1-2 動物実験の現状
5-1-3 動物実験をめぐるさまざまな立場
5-1-4 動物実験に特有の論点
   (1)動物実験の有用性
   (2)代替法の十分さ
   (3)得られる知見と残酷さの比較考量
5-2 福利論
5-2-1 価値論のさまざまなタイプ
5-2-2 主観主義的福利論
   (1)快楽説
   (2)選好充足説
5-2-3 客観主義的福利論
   (1)ロールズの基本財の理論
   (2)センの潜在能力説
5-3 動物の福利への福利論の応用
5-3-1 主観主義的福利論の応用
   (1)快楽説と環境エンリッチメント
   (2)選好充足説と選好テスト
5-3-2 客観主義的福利論の応用
5-3-3 主観主義と客観主義の統合
コラム5 自由の価値
第六章 肉食は幸福の量を増やすか
6-1 菜食主義
6-1-1 動物実験と菜食主義
6-1-2 菜食主義のさまざまな形態
   ・ベジタリアンラクトオボ・ベジタリアン):卵と乳製品ok
   ・ベーガン:植物性食品だけ
   ・フルータリアン:果物だけ
   ・ペスコ・ベジタリアン:魚はok
   ・デミベジタリアンないしセミベジタリアン:少量しか摂取しない(人道    的に屠殺されたものしか食べないなど)
   (1)宗教的理由
   (2)動物倫理的理由
   (3)健康上の理由
   (4)安全上の理由
   (5)環境倫理的理由
6-1-3 工場畜産をめぐる攻防
6-2 功利主義のさまざまなバージョン
6-2-1 平均功利主義と総量功利主義
6-2-2 先行存在説
6-3 厚生経済学
6-3-1 幸福の個人間比較と種間比較
6-3-2 多数決は解決になるか
6-3-3 厚生経済学の歴史
6-3-4 アローの一般可能性定理
6-3-5 センの「パレート派リベラルの不可能性」
6-3-6 厚生経済学は何を意味するか
コラム6 マイナス功利主義
第七章 柔らかい倫理から動物はどう見えるか
7-1 野生動物の倫理
7-1-1 野生動物をめぐる問題
7-1-2 動物倫理と野生動物
7-2 環境倫理学のさまざまな立場
7-2-1 生命中心主義
7-2-2 生態中心主義
7-3 徳倫理学
7-3-1 徳倫理学の基本的な考え方
7-3-2 徳のいろいろ
7-3-3 ケアの倫理
7-3-4 徳と共同体
7-4 徳倫理学と環境と動物
7-4-1 徳倫理学の適用
7-4-2 ケアの倫理と動物と環境
7-4-3 共同体主義と動物と環境
7-4-4 徳倫理学アプローチへの批判
コラム7 徳倫理学とメタ倫理学
終章 動物は結局どう扱えばいいのか
終-1 本書の内容を振り返る
終-1-1 倫理学に関する内容
    (1)倫理学の前提条件
       ・倫理学の全体像(序章)
       ・相対主義(コラム0)
       ・利己主義と道徳の理由(4-1、4-3)
       ・進化論を利用した道徳の起源の考察(4-2、4-3)
       ・倫理学的理論の評価方法(終-2)
    (2)メタ倫理学
       ・ヒュームの法則と自然主義的誤謬(2-2、コラム2)
       ・認知主義と非認知主義(2-4)
       ・カントの普遍法則テスト(コラム3)
       ・マクダウェルの徳倫理学的な新しい認知主義の立場(コラム7)
       ・社会契約のさまざまなイメージ(3-1)
       ・契約説を批判する共同体主義の人間観(7-3)
    (3)規範倫理学
    (3-1)功利主義
       ・功利主義の定式化(1-2)
       ・規則功利主義と二層理論(1-4)
       ・ハーサニーの契約説的功利主義(3-3)
       ・功利主義のバックにある価値論としての快楽説と選好充足説(5-2、コラム5)
       ・合理的選好充足説(5-3)
       ・功利計算のやり方(総量説・平均説・先行存在説・マイナス功利主義)(6-2、コラム6)
    (3-2)義務論・権利論
       ・カント主義(1-3、コラム3)
       ・一見自明な義務の理論(3-2、6-2)
       ・ロールズ主義(3-2、6-2)
       ・ロックの立場(3-2)
       ・ノージックリバタリアニズム(3-3)
       ・ドウォーキンの平等主義(3-3)
       ・センやヌスバウムの潜在能力説(5-2、5-3、コラム5)
       ・新厚生経済学功利主義でも徳倫理学でもないので強いていうならば義務論の一種)(6-3)
    (3-3)徳倫理学
       ・徳倫理学、ケアの倫理、共同体主義(7-2、7-3)
    (4)応用倫理学
終-1-2 動物倫理に関する内容
    (1)動物倫理の背景説明
    (2)動物やその利害に内在的価値を認める側の理論的立場
       シンガー、レーガンノージック、レイチェルズ、ヌスバウム、ハーストハウス、ノディングズ、環境フェミニズム
    (3)認めない側の理論的立場
       カント、ホッブズ、ロック、ナーヴソン、カーラザース、スクラトン、動物は扱えないとするロールズ
    (4)理論的な論争点
    (4-1)反動物解放論の論拠
    (4-2)限界事例をめぐる議論
    (4-3)極限的選択における人間の優先
    (4-4)進化論からの滑りやすい坂道
    (5)動物解放をめぐる各論
    (5-1)動物実験をめぐる問題
    (5-2)動物福利と環境エンリッチメント
    (5-3)菜食主義と工場畜産
    (5-4)野生動物問題
終-2 対立する倫理学理論の使い方
終-2-1 倫理学理論を比較検討する視点
    (1)内的整合性
    (2)他の知見との整合性
    (3)実践的有用性
    (4)統一性
終-2-2 往復均衡法
終ー3 結局動物とどう接すればよいのか
文献案内もかねた文献表

(多岐にわたるが、パッと見た感じでは、シンガー、ヘア、ロールズ、センが多いかなという感じがする。あと、本文中ではほとんど言及されていないが、パーフィットもちらほら。ゲーム理論の応用に関しては、メイナード=スミスやゴーチェ。徳倫理学共同体主義に関しては、マッキンタイアとか。)  


動物からの倫理学入門

動物からの倫理学入門

*1:ところで、分析形而上学とか分析美学とかはいうのに、分析倫理学という呼び方は聞いたことがないなあ。それに対応しているのは、メタ倫理学かなと思うけど、一方で、メタも規範もひっくるめて英米倫理学ともいったりする。じゃあオーストラリアのシンガーはどうなる?→森岡正博さんからメンションもらった「Analytic ethicsって言うよ。メタエシックスのほうが多いけど。」https://twitter.com/Sukuitohananika/status/340839512487907329

*2:もっとも徳倫理学はその点がちょっと違うが

*3:少なくとも自分は知らなかった

*4:っていうか、アメリカでは菜食主義者になるかどうかが哲学に関わる者にとっては一度は真剣に考えなければいけないトピックになっているとか全然知らなかったし、結構カルチャーショックではある。そういえば、スーザン・ブラックモア『「意識」を語る』 - logical cypher scapeにもそういうシーンがあったな

*5:伝統や生態系への配慮が、差別を正当化する要件たりうるのか、と反論されるだろう。これへの再反論はかなり難しい。というか、ほとんどできない。欧米の倫理学者でも、動物解放運動へ否定的な人たちもいるのだが、論争の末に彼らの多くも意見を変えているらしい