ニコラス・ハンフリー『赤を見る』

ちょっと装丁がかっこいい、心理学と心の哲学の本。
著者のハンフリーは、イギリスの心理学者だが、現在は哲学の教授もやっているらしく、この本も心理学者の本というよりは哲学者の本という感じに出来上がっている。
というのは、この本は、心理学の実験結果を単に並べているだけでなく、感覚や意識という概念についての分析を行っているからである。もっともこういう場合、どこまでが心理学者のどこからが哲学者の仕事であるべきかという区別は、本来たてようもないものだろうから、この本が心理学の本か哲学の本かというのも、それほど重要な違いではないだろう*1


『赤を見る』というタイトルの通り、この本で注目されるのは「赤を見る」ことといった、視覚的な感覚である。そして、そのことを通して意識についての考察を深める。
まずは、盲視や変視症、感覚代行といった具体例を挙げながら、感覚と知覚が違うということが述べられる。
盲視とは、ハンフリーがチンパンジーの観察によって発見した事例である。「見えていない」のにもかかわらず、目の前にあるものが一体何であるか分かるというのが盲視である。
変視症は、盲視に似ているが、「見えていない」のではなく、幻覚のように歪んだり揺らいだ像として見えている。そしてそれにも関わらず、やはり目の前にあるものが一体何であるかはちゃんと分かるのである。
感覚代行というのは、例えば目の不自由な人が空間を音に変えて伝える装置を装着しているときに起こる。彼らは聴覚を使って周囲を「見る」のだ。
ここでハンフリーは、「見る」という感覚と見えているものが何か「分かる」という知覚を区別する。
普通は、物体→目→感覚→知覚といったルートによってものを見ていると考えられているが、ハンフリーはそうではないという仮説を立てている。すなわち、物体→目→知覚と物体→目→感覚という2つの異なるルートがあるというのである。
知覚と感覚というのは、進化の途上において異なる段階で獲得された、それぞれ別の機能だということである。
さて、この本におけるターゲットは意識である。意識において重要なのは、感覚の方だ。
感覚というのは、感覚器への刺激に対するフィードバックだ、というのがハンフリーの考えだ。そして、そのフィードバックループが、次第に短くなっていってある一カ所、つまり脳内で潜在化する。それこそが意識である。


意識とはどのようなものか、あるいは感覚とは一体どのようなものか。
それに対して、そもそもどのような形式で答えればいいのか、とハンフリーは問う。
これは重要な問いだと思う。
そもそも一体どのような答えであれば、先の問いに答えたということになるのか、そのことが分かっていなければ、問いに答えようとしても、あるいは答えたと言ったとしても無駄である。
また逆に、そのことが分かれば、答えそのものがどのようなものになるかは自ずと限られてくる。
もし心の科学が、決定的に何かに対して答え損ねているとしたら*2、それはこの点にあるのではないだろうか。
ハンフリーは、感覚や意識と似たものを探すことで、それに答えようとする。
まずは、感覚という概念を分析することでそのことに迫ろうとする。
すなわち感覚には以下の5つの特徴がある。「所有権」「身体的所在」「現在性」「質的様相」「現象的即時性」だ。そして、同じくこの5つの特徴を持ち合わせるものとして、行為/身体表現があるという。感覚と身体表現は似ている。感覚を身体表現のようなものとして捉えることは、感覚とは何かという問いに対する答えにならないだろうか。
あるいは、意識が持っている時間の厚みに着目する。意識にとって「現在」とは点的なものではなく、ある一定の広がりを持っているものだ。例えばこのことは、フッサール現象学においても分析されていることだが、ハンフリーはそれと共にモネを例に出す。モネの絵画というのは、一瞬の出来事を描こうとしたというよりは、意識の持っている厚みのある時間を描こうとしているのではないだろうか。そしてそうであるならば、モネの絵画は意識に似ているということになる。
ここでハンフリーが挙げているのは、あくまでも意識と似たものである。すなわち、それはアナロジーに過ぎず、何の説明にもなっていないと言えるのかもしれない。
しかしそう言ってしまうと、ではどのように答えれば意識の説明になるというのだろうかという問いに答えることは益々難しくなるだろう。
この本が、哲学の本でもあると思えるのは、問いへの答えだけではなく、問いと答えの形式に対する考察も含んでいるからである。


さて、ハンフリーは、問いそのものに対しても結論を用意している。
意識とは何なのか、そもそも意識は何故こんなにも謎めいているのか、重要なのか。
それは、謎めいていること、重要であることが意識の機能だからである。

意識が重要なのは、重要であることこそがその機能だからだ。
(中略)
私たちには自己が備わっており、それは現象的な厚みと実体を持っているということだ。そして、自己があるというのは、自己がない場合に比べて格段の進歩と言える。
(中略)
私が思うに、人類の祖先は進化の過程で、自らの意識を、通常の時空を超越した所に存在する形而上の驚異と考えるようになり、自己を持つ者としての自覚をいっそう強めたのではないだろうか。意識が謎めいた超自然的な性質を帯びるほどに、自己の意義はますます深まる。
(中略)
意識を謎めいた不可思議な存在にしていると思われるその性質こそが、意識が自然淘汰の過程の圧倒的勝者になる契機たりえただろうことは、容易に想像できる。

意識とは何か。
意識とは謎である。
それが果たして本当に答たりえているのかどうかは、まだ僕にはよく分からない。

赤を見る―感覚の進化と意識の存在理由

赤を見る―感覚の進化と意識の存在理由

*1:あえて指摘するとするならば、作中彼がもっとも親しみをこめてあげている名前が、アメリカの哲学者、ダニエル・デネットであるということだろうか。もちろん、心理学者が哲学者に対して親しみをもってはいけないわけではないが

*2:例えばクオリアとか?