古川日出男『聖家族』

東北に隠された「記憶」を担う狗塚きょうだいとその歴史を浮かび上がらせる、「最大最長最高傑作二千枚」。
これはもう明らかに、『ベルカ、吠えないの?』以来の大傑作。この長さや分厚さをものともせずに読み進めることのできる面白さ。
もうどこからどう見ても紛れもなく古川日出男の小説なわけだけど、しかしどこかに舞城王太郎っぽさであるとか、西尾維新っぽさであるとか、そういったものも感じさせる。
西尾維新作品の登場人物が持っている過剰なキャラっぽさ(?)を、聖家族の登場人物たちもまとっている。狗塚夫妻とか双子の冠木姉妹とか。
いやいや、しかしもちろん、『聖家族』はキャラクター小説であったりするわけではない。
日本に対する「東北」に対して、偽史を立ち上げていく。かつて、人間に対する「イヌ」の歴史が立ち上げられていったように。しかし、この東北の偽史の担い手は、東北に住まう人々だけでなく、犬、鳥、馬、鉄、天狗、鳥居といった様々な種族・種類に及ぶ。
「記録」と「記憶」のあわいに浮かんだり沈んだりする「東北」。
もちろん文体は、古川日出男。本当か嘘か分からない歴史や地理についての記述を大量に織り交ぜながら、しかし高速で進行していく。そして、ところどころに飛び込んでくる東北弁。東北の、一体どこの方言なのかは分からないが、東北の言葉が紛れ込んでくる。
そして、時間。全くもってノンリニアに時間が流れる。「現在」という時間もまた、あちこちへと移動していく。あるいは、時間を超越した、時間の無い時間すらも全く当然のようにして現れる。いや、その無時間こそが物語を動かす。その無時間こそがあらゆる時間を繋げてドライブさせる。デッドエンド、ターミナル、ターニングと呼ばれる、その無時間。あるいは独房、鳥居、山、子宮。


最後に、「この『聖家族』は流亡のメガノベルだ。」として、初出一覧が載っているが、それによれば『聖家族』は、「すばる」「小説すばる」「青春と読書」「WB」web「古川日出男と聖家族」web「RENZABURO」に掲載されたものと、さらに書き下ろしも加えて構成されている。
それらが5つの扉にわけられて、すなわち5部構成になっている。

扉一

狗塚らいてうによる「おばあちゃんの歴史」

この作品の主人公である狗塚きょうだいは、狗塚牛一郎、狗塚羊二郎、狗塚カナリアの二人の兄と一人の妹である。
牛一郎は半ば人ならざる存在となっており、羊二郎は死刑囚で仙台の拘置支所にいて、カナリア福島県で母親となっている。
そしてこの3人を育てたのが、彼らの祖母であるらいてうで、彼女は青森のヤシャガシマにいる。
羊二郎は、牛一郎と妄想の会話をしたり、らいてうと手紙や面会を通じて会話をしたりする。そしてここでは、らいてうによって狗塚家の歴史が語られることになる。
つまり、まずはらいてうと軍人として戦地に赴くこととなったらいてうの夫龍大との歴史。あるいは、明治期を生きた、らいてうの祖母、はくてうの歴史。あるいは、さらにその祖母、狗塚家のウラを作り上げた、しらきじの歴史。
さらには、室町時代、青森の十三湊で、東北の人々と明、朝鮮、アイヌの人々が貿易していた時代。室町時代に明から十三湊へと渡ってきた武人、劉の歴史。
そして、三兄妹の歴史もまた。
狗塚兄弟は、とある拳術を習得している。鎧わずに鎧う、劉のそれ。牛一郎は羊二郎にそれを教え込む。カナリアは、ランドセルにいれた精霊と話す。

扉二

ここでは、「聖兄弟」と「地獄の図書館」が交互に進行していく。
「聖兄弟」は、青森から福島を目指して東北を縦断する、狗塚牛一郎・羊二郎兄弟の旅が描かれる。
「地獄の図書館」は、東北の各所に現れる、狗塚三兄妹の両親である、狗塚真大・有里夫妻の旅が描かれる。
実を言えば、ここが一番面白かったと思う。

聖兄弟・1

二人は山形県に入る。トレーニングをしたり、ラーメンの会話をしたりしている。
彼らは移動労働者である。それぞれ職を得る。

地獄の図書館・白石

宮城県、白石。
ここは「平成の城下町」を謳ったテーマパーク的な観光の街。平成元年で時が止まっているという演出がなされている。
そこのツアーガイド、タクシー運転手、ツアーガイドの弟でバイクが好きな高校生と、その彼女、彼女はタクシー運転手の娘である。
白石を訪れた狗塚夫妻は、この4人と出会い、この4人の「記録」を「整理」する。

聖兄弟・2

山形市。牛一郎は、消費者金融の事務員として、羊二郎は、ガソリンスタンドのバイトをしている。
山形市の我らと狗塚の彼らが関わり始める。牛一郎は、消費者金融の取り立て役として抜擢され、ヤクザの裏金を盗む。羊二郎は、実戦訓練と称して暴走族やチンピラと喧嘩していたのだが、誤って警官をボコボコにしてしまう。
ヤクザと警察から終われることになった狗塚兄弟は、山形のラーメンを食べ損ねる。

地獄の図書館・大潟

秋田県、大潟。
八郎潟干拓してできた巨大な農村。
互いに一方通行のテレパシーで繋がった4人の小学生。彼らは、大潟を山手線のループに見立てて、自分たちだけの秘密の東京をそこに見出していた。
大潟を訪れた狗塚夫妻は、この4人と出会い、この4人の「記録」を「整理」する。

聖兄弟・3

山形と福島の境界で、兄弟は境界を喪失する。
二人は、霧に囲まれたどこでもない場所で、ビートルズについて、修験道について語る。

地獄の図書館・郡山

福島県、郡山。
ビッグアイに見つめられた郡山市には、羽生爺坐洲が率いる新興宗教教団があり、その息子が、東京から郡山へと帰ってくる。特殊な一夫多妻制を敷く羽生教団の中に、現在の正妻とその娘がいる。
郡山を訪れた狗塚夫妻は、やはり「記録」を「整理」する。

聖兄弟・4

兄弟は福島県にいる。妹であるカナリアのいる福島県に。
郡山のハチランシャマで、狗塚カナリアから冠木カナリアになったカナリアは、二人に兄に手紙を送る。一人目の子供を身ごもっているカナリアは、その子供が見る夢を見ながら、どこにいるか分からない兄に手紙を送る。
警察とヤクザに追われる兄弟の、福島県すごろくが始まる。
会津若松、白河、ラーメンを食べながら、福島県すごろく。
そして、ついに茨城県の県境で、羊二郎は警察に捕まり、牛一郎は。

扉三

「見えない大学」付属図書館

「見えない大学」で教授職についている狗塚真大による、東北の歴史。
例えば、鉄。
盛岡藩の製鉄は、幕末のペリー来航と共に一気に栄える。
例えば、馬。
岩手は馬の産地として古くから軍馬を供給してきたが、近代化以降、洋馬との雑種を作りながら大日本帝国の為の軍馬を産み出し続ける。しかしそれも、第二次大戦までのこと。
牛一郎が、その図書館に「らいかん」する。
白い犬と共に。そしてそこで、東北について調べはじめる。なまはげや軍用犬のこと。
一方で、真大と龍大親子の物語が展開される。真大と有里の物語が。「殺されるな」と父、龍大に命じられた真大の個人史。
そして、大陸に動員された、ある歩兵と軍馬の記憶。
戦国時代、馬、忍び。
羅刹である牛一郎。

扉四

ここでは、「記録シリーズ」と「聖兄妹」が交互に進行する。

記録シリーズ・鳥居

冠木カナリアの息子、冠木夏が彷徨いこむ、鳥居の向こう側、神社。

聖兄妹・1

郡山の羽生教団は、爺坐洲の力が弱まり、分裂の危機に立たされている。爺坐洲への信仰に身を投じる来栖冬子は、爺坐洲を殺し、その生まれ変わりになるはずの幼子を捜して、東北第二位の「郡山都市圏」から東北第一位の「仙台都市圏」へと向かう。
一方、東北には二人のラッパー、ダズーと彦、一人のDJ、シャッフルがいる。三人は、仙台から世界を目指している。
そして仙台には、三人目を宿したカナリアと、5歳の兄、冠木夏、2歳の妹、冠木秋がいる。

記録シリーズ・天狗

天狗と神隠しと秘された拳術と忍びと異界。

聖兄妹・2

仙台で、来栖冬子、夏と秋の兄妹、ダズーと彦、シャッフルが邂逅する。
冬子は秋を選ばれた幼子として攫おうとして、夏は秋を守ろうとして、ダズーと彦、シャッフルの三人はその幼い兄妹を助けようとして、結局猟銃を持った冬子の人質となる。

記録シリーズ・学府

教授が、日露戦争徳川埋蔵金白河関、そして「見えない大学」について語る。
そして体育学部、冠木十三の講義。

聖兄妹・3

来栖冬子、冠木夏、冠木秋、ダズー、彦、シャッフルの6人と、羽生爺坐洲の遺体を乗せたバンは、どこでもないいつでもない異界へと迷い込む。
その異界で、彼らは将棋の駒、鏡、船を見る。
そして、兄妹の父親、冠木十三が夏と秋を迎えに来る。

記録シリーズ・DJ

DJ・シャッフルは、「凶器」を使って音楽をつくり出す。
記憶、記録、音楽。
耳、手、声。

扉五

狗塚カナリアによる「三きょうだいの歴史」

カナリアは三人目を腹の中に宿している。次男。福島県、郡山のハチランシャマで。
戦国時代末期、天狗のもとで暮らしてたクキ丸は人の里の子供、クキ丸と仲良くなり、自らも父や兄から習っている拳術を人の子へと教えていた。しかし、ある時、人の子を殺してしまう。彼は、山の子であることをやめ、人の子のクキ丸として人里へと降りる。神隠しにあったといって。
クキ丸は、陸奥戦国大名蘆名氏へと奉公する。時代は、信長、秀吉、家康と移り変わり、クキ丸も奉公先を変え、最後には会津にて亡くなる。秘伝である拳術を子孫に残して。
カナリアは、羊二郎に手紙をだし、冠木家の伝統料理を習う。
綱吉時代の会津。シゲ政は、犬の三きょうだいを拾う。シゲ政の兄は、拳よりも剣といって剣の道に進むが、シゲ政は拳の道に進み、家を継ぐ。一方、姉は凄腕の剣士との婚約を終えていた。ところが、国の外からやってきた男が、姉の許嫁を倒してしまう。そしてまた、シゲ政の兄も。シゲ政は兄と姉の敵とその男を、拳によって倒すが、会津を出奔する。そこで天狗に出会い、再び戻ってくると家を再興し、傾木というかばねを名乗り始める。
カナリアは、羊二郎と夢が通じ合っていたことを知り、義理の伯母である冠木家の双子の姉妹に伝統料理を習う。
幕末、豪商音屋に生まれたハナ雪。幕末、会津と日本の歴史が大きく揺れ動く時代に、音屋の三姉妹は、冠木家の三兄弟とそれぞれ夫婦となる。ハナ雪は冠木家の嫁となり、また冠木家の次男は会津藩京都守護職となったことにより京都へと赴き、また冠木家の三男は音屋の若旦那となった。
そして、そして、そして。


とりあえず、長い話で、色々な話が織り交ぜられているので、せめて自分用にとあらすじをまとめようと思ったけど、ほとんどまとまらなかった。
上にメモした以外にも色々な要素が各エピソードの間で呼応しあっていたりするのだが、東北の各地の地名や時代、拳、天狗、犬、馬、鳥居といった様々なキーワードが複雑に呼応しあっていて、読み進めば読み進むほどにエピソードが有機的に絡まり合ってくる。


ちょっと追記。
ブクマしてた記事から少し引用。

全体の印象としては、むちゃくちゃ強い意志で書かれてるな、って感じもある。たとえば、作中で何度も繰り返される、中央vs周縁、みたいなシンプルな構図であっても、いままであちこちで繰り返し描かれてきたであろう定番ちっくな物語には絶対にならない。とにかく予定調和にはしない、って心意気が貫かれているよう。

http://d.hatena.ne.jp/hayamonogurai/20081019/1224347939

リチャード・パワーズの『われらが歌う時』を読んだ上で『聖家族』を読むと、この二つの巨大な作品がとてもよく似ていることに気づき、さらに面白くなる。『聖家族』における牛一郎、羊二郎、カナリアの三兄弟(妹)が、みごとに『われらが〜』のジョナ、ジョゼフ、ルースに重なるのは、さまざまな付合のうちの一つでしかない。牛一郎とジョナはともに「天才」(前者は音楽の、後者は戦闘の)であり、羊二郎とジョゼフは兄の天才性を物語る「語り部」的な立場にいる。もっともこのあたりはサリンジャーのグラース家サーガにおける長兄シーモアと弟バディの関係の反復でもあり、いわばアメリカン・ファミリー・ロマンスの常道かもしれない(舞城王太郎奈津川家サーガも同様)。

『われらが〜』のシュトロム家がユダヤ人と黒人の混血家族(であるがゆえに、その子どもたちはみな「黒人」とされる)であることで、アメリカ史において負の刻印を押されているように、『聖家族』における狗塚家もまた、「東北=丑寅=みちのく」に出自をもつ、日本史における負の存在である。

両作のさらなる共通点は、純粋種ではなく「雑種」こそが真の強さをもつということを、ファミリー・ロマンスのかたちを借りたアンチ・ナショナル・ヒストリーとして描き出していることだ。国家がいかに閉鎖系的なシステムであろうとしても、家族というシステムは、不可避的に開放系である。男系の歴史がいかに「閉鎖系システム」を僭称しても、女系の歴史がつねにその嘘を突き崩す。
(中略)
パワーズの小説では、兄弟の父デイヴィッドは「物理学」という理知の世界に住んでいる。古川日出男の小説でも、兄弟の父・真大はやはり、「図書館」という純粋な知の世界の住人である。二人の「父」の共通点は、身体性の欠如、つまり小説において「インストルメント」として機能しない、という点であり、その徹底した記号性において、むしろ昨今小説の登場人物についていわれる「キャラ」に近い。

(中略)
*2:よく読むと、『聖家族』には「白」と「黒」の対位法という側面もある。「白雉」「はくてう」という名をもつ女たちが「光」としての白であるのに対し、龍大、真大、そして牛一郎、羊二郎の三代にわたる男たちは、いわば「影」の存在としての黒である。
http://d.hatena.ne.jp/solar/20081012#p1

あちこちに、色々なモチーフやら何やらが落ちているからなあ。

聖家族

聖家族