90年代から現在にかけて活躍している評論家について語った作品。
ところで、評論・批評とは何だろうか。はっきりとした定義はできないが、永江は「批評性」と「文章の芸」を持っていることを条件に上げる。この二つの条件を満たすには、広い知識と教養が必要となる。料理家になるより料理評論家になる方が難しいのではないか、後者の方がもしかしたら偉いのかもしれない、と永江は言う。
実作者と評論家のどちらが偉いか、というのは一概には言えないと思うが、しかし少なくともその二つは対等なものだと僕は思う。
評論・批評というのは、対象作品に対してメタ的なものでもないし、あるいは付属的なものでもない。「考えて研究した成果」が批評である、と永江は言うけれども、評論・批評もまた一個の独立した作品(成果)なのだ。評論や批評は、対象作品の解説をしているのではなく(しているのだけど)、それ自体が単独で成立している作品と考えるべきだと思う。永江が、評論の条件として「文章の芸」を上げているのはそのためだろう。
この本は、単純に読み物として面白い。
それぞれの評論家に対して、永江が思うところを思いつくままにただ書いていく、というスタイルで、これを読んだだけでその対象となっている評論家のことがよく分かる、というものではないけれど、名前は知っているけどよく知らない人なんかはイメージを作るきっかけとして丁度よかった。
それと、どうも好き嫌いが永江と近かったようで、その点でも読みやすかった。
とはいえ何もかもが近いというわけではない。永江はどうもオタクに対して偏見を持っているようで、話がオタクの方にいくとちょっとどうかなと思わないわけでもない。2001年に書かれた本なので、オタクに興味も関心もない人のオタク認識はその程度なのかもしれない。あと、2001年に書かれた本なので、それ以降の仕事には触れられていないのだが、文庫になるにあたって付記が数行付け加えられている。それにしても、東浩紀のところで、『存在論的、郵便的』と『過視的な世界』についてのみ述べられているのは2001年当時は仕方ないとして、文庫版付記でも「波状言論」には触れているのに『動物化するポストモダン』は一言も言及がなかったあたり、本当にオタクの方には関心がないようだ。
しかし、それでもこの本で言及されている評論家の幅はそれなりに広い。社会批評や文芸評論をやっている人たちが主だが、カメラ評論、自動車評論、化粧評論といったジャンルの人も紹介されているのだ。一般に評論と聞いて思い浮かべるジャンルではないが、そうしたジャンルを取り上げることで評論とは何か、ということを掘り下げようとしている。
内容に関しては、例えばその人の本のどれか一冊を取り上げて解説することもあれば、その人と実際に会ったときに感じた人となりを語ることもあれば、その人の交友関係を取り上げていったりもする。
場合によっては深く考察されていることもあるが、基本的には永江が思いついたことを書き付けていったという感じなので、やはり単純に面白い読み物というのがこの本のスタンスだろう。
それぞれ似顔絵が添えられているのが、これ微妙に似ていないのが難点かも。
取り上げられている評論家44人(登場順)
宮台真司、宮崎哲弥、上野俊哉、山形浩生、田中康夫、小林よしのり、山田昌弘、森永卓郎、日垣隆、大塚英志、岡田斗司夫、切通理作、武田徹、春日武彦、斎藤環、鷲田清一、中島義道、東浩紀、椹木野衣、港千尋、佐々木敦・阿部和重・中原昌也、樋口泰人・安井豊、小沼純一、五十嵐太郎、伏見憲明、松沢呉一、リリー・フランキー、夏目房之介、近田春夫、柳下毅一郎、田中長徳、下野康史、斎藤薫・かつぎれいこ、福田和也、斎藤美奈子、小谷真理、小谷野敦、豊崎由美、石川忠司、坪内祐三
- 作者: 永江朗
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2004/09/09
- メディア: 文庫
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