『芽むしり仔撃ち』大江健三郎

大江健三郎初挑戦
難しそうで読まず嫌いしていたけど、この作品は読みやすく面白かった
以前大塚英志が『バトルロワイヤル』を批評する時にこの作品と比較していたのを読んでいたので、どうしてもバトロワと繋がるところを探す読みになったが、
むしろ映画『誰も知らない』に似ている、と思った。*1
現実/社会の悪意が引き起こす暴力/死に対して、子供たちは「無邪気に」スモールパラダイスを作ってやり過ごそうとする
とでもまとめておけばよいのだろうか
不可避の暴力/死を如何にコントロールしていくか、ということが人間が集団を形成する際に重要になっていく部分だと思う
現実の悪意によって不意にそんな暴力/死に晒された子供たちは、普通の社会とは別の形でそれを成し遂げようとする。かっこよくまとめるならば、脱社会的存在(宮台)によるオルタナティブな社会の姿とでもいえばいいだろうか。
『芽むしり仔撃ち』に出てくる村人たちは、オルタナティブを決して許さない。彼らには、子供たちは反社会的存在としてしか見えていない。だが、子供たちは村人たちを「許す/許さない」の軸では捉えていない。子供たちは決して社会に反抗しているわけではなく、別種の社会を模索しようとしているにすぎないからだ。
しかし、かようなオルタナティブはかすかな希望を残して潰える。
その「かすか希望」である“僕”が「死」にまとわれていたのも当然、というより“僕”は「死」にまとわれていたからこそ最後に「かすかな希望」となりえた。

芽むしり仔撃ち (新潮文庫)

芽むしり仔撃ち (新潮文庫)

*1:『誰も知らない』について書いた文章はこちら