『文学+』03号

「凡庸の会」*1が発行している文芸批評と文学研究の雑誌『文学+』の第3号
以前、創刊号を少し読んだことがある。
『文学+01』 - logical cypher scape2
第3号の宣伝が回ってきたとき、大正文学史というのが見えて、最近立て続けに大正史を読んでいた(筒井清忠編『大正史講義』 - logical cypher scape2筒井清忠編『大正史講義』【文化篇】 - logical cypher scape2
山口輝臣・福家崇洋編『思想史講義【大正篇】』 - logical cypher scape2
ので、手にとってみることにした。
冒頭に座談会が3本連続で載っており、大正文学、大江健三郎、そして現代文学と時代を下っていくことができるのがよかった。

【シリーズ座談会 大正篇】 大正文学史批判(荒木優太×小谷瑛輔×竹田志保×多田蔵人 司会・大石將朝)
【座談会】 大江健三郎論のために(高橋由貴×村上克尚×山本昭宏×梶尾文武)
【特集・政治と文学】
いま「政治と文学」から考えられること(木村朗子×倉数茂×矢野利裕 司会・中沢忠之)
<物語>に向き合う必要性―現代日本文学における非-社会性(矢野利裕)
いま、生身の作家に出会うことー仁川における二〇一九年の日中韓青年作家会議「私にとって文学とは?」を回想して(南相旭)
【論文】
フェミニスト読者の誕生と韓国文学の再構成(金銀河、訳・李智賢)
構造を背負う――マゾヒスムとモダニズム、あるいは作者と読者の間に(梅田径)
知覚世界と想像力――円城塔「良い夜を待っている」論(岡本健太)
徳富蘇峰の出発――愛の帝国(木村洋)
くずし字の翻字と日本近現代文学研究(出口智之)
コミュニケーションのなかの風景描写(中沢忠之)
〈喪失〉の喪失――格差社会におけるロスジェネと文学(樋口康一郎)


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【シリーズ座談会 大正篇】 大正文学史批判(荒木優太×小谷瑛輔×竹田志保×多田蔵人 司会・大石將朝)

個人的には、ちくま新書の『大正史講義』といい、最近、大正きてるなーという感じなのだが、この座談会自体は、『文学+』02号で明治篇の座談会をやっていて、そのシリーズにあたるものなので、完全に偶々である。
唐木順三による大正教養主義、ならびに『批評空間』における大正文学についての座談会を参照枠組みとしつつ、それぞれが研究対象としている作家の話をベースに座談会は進んでいく。
具体的には、荒木は有島武郎、小谷は芥川龍之介、竹田は吉屋信子、多田は永井荷風を研究対象としている。
明治の修養=「型」のようなものがなくなって、バラバラになった、あるいは非歴史的になった。あるいは、普遍的なものへの志向があり、そのことで逆に個別の差異が溶けていくというようなものとして、大正がいったんは特徴づけられていく
その中で、じゃあ何故その作家を研究対象に選んでいるのかというところから、「修養」から「教養」へという単純なストーリーじゃなくて大正期にも「修養」は残っていたんだとか、普遍とも個とも「種」の問題があるんじゃないかとか、色々な話がなされていく。


最後のほうで中沢さんも指摘しているが、大正と現代に似ているところがあって、互いに照らし合わせることができるのかなあと思いながら読んだ


竹田さん、筒井康忠編『昭和史講義【戦前文化人篇】』 - logical cypher scape2吉屋信子の章を担当しているのにあとで気付いた。

【座談会】 大江健三郎論のために(高橋由貴×村上克尚×山本昭宏×梶尾文武)

大江健三郎がどのように論じられてきたかということを、年代順に検討していく座談会。。
大江って『芽むしり仔撃ち』大江健三郎 - logical cypher scape2
大江健三郎『万延元年のフットボール』 - logical cypher scape2は読んだけど、それ以外は結局読んでいないので、勉強になる。
1960年代
実存主義的に読まれていて、大江の同時代の伴走者とも言うべき批評家もいた時代。「政治と文学」の図式の踏襲、第三世界への注目なども
1970年代
単著での大江論は書かれなくなる。構造主義に転換していき、読者や批評家が次第についていけなくなる。『ピンチランナー調書』『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』『同時代ゲーム
沖縄と関わるようになり『沖縄経験』という同人誌を刊行するも、失敗
また、『同時代ゲーム』は偽史的想像力もあり大江のサブカル的な時期だったのではないかという指摘。SFとの関わり。終末論と核への恐怖
万延元年のフットボール』について
1980年代
蓮実重彦による『大江健三郎論』や他に書誌的研究が整備される
ポストモダン小説へ。時代の伴走者的な存在がいなくなり、独自の道を歩みはじめる
『「雨の木」を聴く女たち』『新しい人よ眼ざめよ』は、短編連作という形式だが、この時代、古井由吉津島佑子中上健次も同様の形式を手がけている
1990年代
いわゆる「レイト・ワーク」。この時代については研究も比較的多い。宗教の問題が入ってくる。また時代とつながり始めた時期
海外でどのように読まれているか
大江の書く評論と小説の関係について

いま「政治と文学」から考えられること(木村朗子×倉数茂×矢野利裕 司会・中沢忠之)

後述する矢野発表を受けての座談会
2010年代前半くらいまで、保坂スクール的な作家が多かったけれど、もっと主題を重視した方がいいのではないか、そして実際2010年代後半から主題を重視した作品がでてきたのではないか、という矢野の問題提起
物語批判、物語解体ではなく物語を構築すること
社会の広がりを描くこと

<物語>に向き合う必要性―現代日本文学における非-社会性(矢野利裕)

2019年の日中韓青年作家会議での矢野発表原稿

いま、生身の作家に出会うことー仁川における二〇一九年の日中韓青年作家会議「私にとって文学とは?」を回想して(南相旭)

2019年の日中韓青年会議において、日本人作家コーディネーターを担当した南による回想エッセイ
会議の実施決定から、日本人作家を招聘するにあたっての苦労話と当日の話
苦労話というか「日本人作家は忙しいから、半年前のオファーで受けてくれるだろうか」という心配をすごくしていたという話

知覚世界と想像力――円城塔「良い夜を待っている」論(岡本健太)

「良い夜を待っている」について、その元ネタになった、ロシアの心理学者ルリヤによる『偉大な記憶力の物語』との参照・比較をしながら論じている。
円城の読書メーターから、円城が執筆にあたって参考にした本を確認しているのが面白かった。
超記憶をもつ「父」の知覚世界の奇妙さを描きつつ、家族の再会にあたっては普通の記憶しか持たない「わたし」の方が重要で、普通の知覚にも奇妙さがあることを示した、と論じている

徳富蘇峰の出発――愛の帝国(木村洋)

徳富蘇峰の人民主義やそこでの文学の立ち位置を、福沢諭吉と比較しながら論じる。
蘇峰と福沢は、いずれも人民を重視した点で似ているが、実学を重視し文学を軽視していた福沢に対して、蘇峰は文学の役割を重視していた。
蘇峰は、新島襄やブラントンの影響を受けており、キリスト教を重視している。宗教を統治のための手段としかみていなかった福沢に対して、宗教からくる精神性を根本に置いている。例えば「愛」という言葉を多用するなど。
また、知識人が無知なる人民を啓蒙するという立場の福沢に対して、蘇峰は知識人は人民に対して奉仕するという立場をとる。

コミュニケーションのなかの風景描写(中沢忠之)

読み進めると、乗代雄介「旅する練習」論だということがわかる。
言葉には、記述的側面と解釈的側面があり、小説における描写というのは記述的側面として扱われてきたけれど、解釈的側面から捉え直そうという論
柄谷、大塚、東の議論をまとめ直しながら、大塚と東の間に切断線をひく。

〈喪失〉の喪失――格差社会におけるロスジェネと文学(樋口康一郎)

helplineこと樋口さん*2のロスジェネ文学論
ロスジェネ世代とされる作家の作品を広く検討するものになっていて、なかなかの大作
世代論として書くことによって単純化してしまっていないかというところもなくはないが、おおむね2000年代以降の作品ガイドとしても読んでいくこともできる。
このあたり、名前は知っていて気になっているが読めていない作家が多いところもあって、その点個人的には興味深く読めた。
最初に、1970年代生まれの作家リストがあって、さらにその前後の世代の作家についても代表的な作家名が羅列されており、ここらへんは資料としてよい
新自由主義・自己責任論を内面化した世代としてのロスジェネ世代
まず、連帯の不可能性として、伊藤たかみ「八月の路上に捨てる」津村記久子「ポトスライムの舟」山崎ナオコーラ「この世は二人組ではできあがらない」が論じられている
それから「弱者男性」と異世界転生ものについて
身体の破壊・変容を描いた作品として、小山田浩子「穴」、村田沙耶香コンビニ人間
さらに、社会変革への実践運動に関わる作家として坂口恭平と木村友祐が取り上げられる。坂口作品にはいくつかの系列があって、幻想文学的な系列もあるとか。
「引きこもり」作家としての田中慎弥についても詳しく論じられている。
最後に、喪失を認識していたロスジェネ世代に対して、喪失したことすら認識できていないポスト・ロスジェネ世代として、朝井リョウ古市憲寿が取り上げられている。

*1:凡庸の会って不思議な名前だなあと思っていたのだが、磯崎憲一郎『鳥獣戯画/我が人生最悪の時』 - logical cypher scape2のテーマが凡庸だったりするし、結構、文学的にはキーワードなのか?

*2:古くから相互フォローの関係