文芸評論

瞬間と記憶と『サン・ラザール駅裏』とベルクソンと『ダブルブリッド』

テレビ東京の『美の巨人たち』で、『サン・ラザール駅裏』という写真が取り上げられた。 その写真を撮ったのは、アンリ・カルティエ=ブレッソンという。 彼は、決定的瞬間の巨匠と呼ばれた。 しかし彼の撮る写真の、何が決定的瞬間なのか。 彼の写真に写っ…

小説トリッパー春号

特集「ネットから遠く離れて」 大塚英志インタビュー 以前聞いた大塚英志の講演会と内容はほぼ同じ。要約はおおよそ以下の通り。 現在は、完全な近代である。この完全な近代化にネットによってもたらされた。ただし、それは量的な問題であって、質的には明治…

時間と無時間

『仮想化しきれない残余』、「小説の環境」(ファウスト vol.6 SIDE―B (講談社 Mook))『偶然性・アイロニー・連帯―リベラル・ユートピアの可能性』『大学受験のための小説講義 (ちくま新書)』を読んでいて、最近考え始めたキーワード(各著作に関してはまた…

小説トリッパー斎藤環

セカイ系作品とそれに対する批評の分析を試みる、今回の記事。 要するに、セカイでは成長が不可能である、ということなのだ あるいはコミュニケーションは出来ても、理解不可能な他者、決して変化しない「キャラ」(伊藤剛)を表現しているのである。 そして…

今日の更新(「社会学っぽい話」「物語・記述を越えるものとしての偶然性」)

「社会学っぽい話」 「物語・記述を越えるものとしての偶然性」 という二つの文章をupしました blogで書いてもいいんだけど、webサイトの方がなんか落ち着くので。 「社会学っぽい話」は、『カーニヴァル化する社会』だったりisedだったりを読んで、頭が社会…