松下哲也「ビアズリーの挿絵はマンガの形式に影響をおよぼしたのか?」(『ユリイカ2019年3月臨時増刊号』)


以前、このツイートを見かけて気になっていたのだが、昨日ちょうど以下の記事を読んだので、その勢いでこれも読んだ
とにかく「様式」については、下記の松永さんの9bitがとてもよくまとまっているので必読
松下さんの「ビアズリーの挿絵は~」は、形式の話であって様式の話ではない。
9bit.99ing.net
togetter.com



松下哲也「ビアズリーの挿絵はマンガの形式に影響をおよぼしたのか?」

なお、松下のいう「形式」というのは「芸術形式」のこと、でよいと思う。
一般的に、芸術形式というのは、小説、詩、絵画、彫刻、映画、マンガ、音楽などのことを指す。松下のいう「形式」も大体そのことを言っていると思う。
(「『パタリロ』はマンガという芸術形式の作品だ」とかそんな使い方でよいと思う)
一方で様式というのは、例えば「村上春樹風の文体」とか「バロック様式」とか「70年代少女マンガっぽい絵柄」とかなんかそんな感じのもののこと、でよいと思う。
で、この松下論文は、芸術作品について、AがBに影響を与えたという時、それにはいくつかのレベルがあるよ、というところから始まる
つまり、(1)引用レベル(2)様式レベル(3)形式レベル
で、(1)や(2)の影響関係についていえば、ざっくり言ってしまえば、作品の見た目を比べれば言うことができる
しかし、(3)レベルの影響関係は、作品だけ見てても分からなくて、その背後にある理論や教育のことまで調べないということができないよ、というのが趣旨
その上で、19世紀イギリスの挿絵(ないし19世紀西洋美術)という芸術形式と日本のマンガという芸術形式の間に影響関係はあるのか、ということを、前者の背景理論である観相学がキャラクター造形に使われていたことから見出そうとするという試みで、このあたりは松下の著作がより詳しい。
また、日本の明治期の美術教育においても観相学が用いられていたようだ、というあたりで、日本のマンガへの接続が論じられるのではないか、という見込みでしめられている。
sakstyle.hatenadiary.jp

その他

せっかくなので、他の論考もいくつか読んでみたが、これらは流し読み

  • 高田敦史「謎と陰謀としての世界 広義ミステリとしての『パタリロ!』」
  • 三浦知史「型で遊ぶ スヌーピーパタリロ
  • 伊藤剛パタリロのすまう「場所」 マリネラ国埼玉県霧のロンドン空港」
  • 平松和久「デコレーション!のマンガ 魔夜峰央のマンガ空間」
  • 島村マサリ「これはやはり「ディス」なのだ 2019年の「翔んで埼玉」論」

この中では、平松の、コマ空間・物語空間・場面空間・解釈空間という4空間論(?)を用いて、心象空間や装飾ということについて論じているものが気になった。