『パースの宇宙論』伊藤邦武

パースというと、まずはプラグマティズム、そして記号論記号論理学が思い浮かぶが、実はとても興味深い宇宙論(cosmology)を展開していた哲学者でもある。

第一章エマソンスフィンクス

パースの宇宙論そのものの解説に入る前に、パースに到るまでの哲学史が紹介される。
パース以前、それは19世紀前半のアメリカ・ルネサンスと呼ばれる時代であり、その代表的思想家がエマソンである。彼は、パースそしてパースに連なるジェームズ、デューイに影響を与えたのみならず、かのニーチェにも大きな影響を与えた*1とされ、また日本では福沢諭吉、北村透谷、鈴木大拙らが影響を受けているという。
エマソンがパースに与えたものは「スフィンクスの謎」である。
この「スフィンクスの謎」は、パースの父などアメリカの思想界にとってキーワードのようになっている。
つまりは、「哲学的な宇宙に関する問題」とでもパラフレーズすればよいのだが、それを詩人でもあるエマソンは「スフィンクスの謎」と呼んだのである。
第一章では、スフィンクスという語が一体どのようなイメージを持っているのか、が説明される*2

第二章一、二、三

パース以前のアメリカの思想は、ケンブリッジプラトニズムと呼ばれる。パース自身もまたここに連なるわけだが、パースは自らを新プラトン主義ならぬ新ピュタゴラス主義と呼んだ。
というのも、例えばエマソンは哲学者である以上に詩人であり、神秘的な言葉で宇宙について語るが、パースはむしろ数学、論理学をもって宇宙の謎へと迫ろうとしたからである。そういう意味でパースは、ライプニッツ的でもある。本人も自分がもっとも似ている哲学者はライプニッツだと思っていたようだ。
さて、「一、二、三」とはパース思想のもっとも基本的な考え方である。それはつまり、全てが一、二、三にカテゴライズされるというカテゴリー論である。
具体的にはそれらは、偶然性と習慣化と規則性である。
ありとあらゆるもの全ては、偶然的である。一方で、規則的でもある。そして、偶然から規則へと導いていく働きが習慣化である。彼の宇宙論は、偶然的な宇宙から規則的な宇宙へと習慣化していく、進化論的宇宙論なのである。
パースには「謎への推量」というテキストがあり、未完成ではあるがそこにパースの哲学体系が見て取れる。
第一章一、二、三 第二章推論における三項性、第三章形而上学における三項性 第四章心理学における三項性 第五章生理学における三項性 第六章生物学における三項性 第七章物理学における三項性 第八章社会学における三項性 第九章神学における三項性
彼は、ありとあらゆる学問をこのように、一、二、三というカテゴリー論を基礎として論じようとしたのである。
では何故、そのカテゴリー論は三つなのか。
三つのカテゴリーで必要十分であることを、パースはトポロジーグラフ理論を用いて証明してみせるのである。

第三章連続性とアガペー

彼の宇宙論には三つの主義がある。
すわなち、「偶然主義」「連続主義」「アガペー主義」である。
「偶然主義」は宇宙の誕生について、「連続主義」は宇宙の進化について、「アガペー主義」は宇宙の進化と終焉についてである。
彼の「偶然主義」の考え方は、確率統計あるいはカオス論的である。つまり、偶然の中から次第に秩序が形成されていく、というものだ。
原初の不確定性の中から、何らかの「閃光」が起こり、そしてそれに次いでもう一度「閃光」が起こる。このようにして、最初の「閃光」と次の「閃光」の前後関係が生じることによって時間(宇宙)が誕生した、というのがパースの宇宙論である。「閃光」と「閃光」は最初、混ざり合うこともあるが、次第に確固たるものとなって別の「閃光」とは混ざらなくなることで一つの宇宙となる。別の「閃光」は別の宇宙を形成する、という多宇宙論でもある。
「連続主義」は、彼の連続体に関する考察から生まれた考えである。パースは、連続体の問題を自由意志の問題と並ぶ哲学での最重要課題と位置づけていた。
連続体の問題とは、線とは点を構成したものなのか、という問題である。つまり、離散的な点から連続的な線が導かれるとは一体どういうことか、ということである。
この問題を解くのに先鞭をつけたのがカントール集合論である。いわく無限集合の濃度が云々という奴だ。
パースはカントール集合論をさらに発展させることで、連続性こそが本性であることを突き止める。
連続体とは、その中に可能な点を不確定的に無尽蔵に包含しているのである。
この連続体という数学的な問題を、彼は存在論へと拡張する。
つまり、この宇宙というのは連続体なのである。
質というものの連続性について論じている。私たちは通常、質を離散的なものだと考えている。つまり、赤、青、黄といった色などである。しかし実際には、このような質は全て連続的なものであり、私たちがそれを離散的だと感じるのは、感覚器官が必要に応じてこの連続的な質から切り取っているからなのである。
これは質の世界の連続性だが、これを精神の世界、物質の世界にも拡張していく。
感覚器官が世界を切り取っている、という考え方はアフォーダンス的かと思った。
そして何より、この連続体の考え方は、実にベルグソンによく似ているような感じがした。ベルグソンもほぼ同時期に活動しており、当時の自然科学の知識から哲学を再構成しようと試み、進化論的宇宙論を唱えていた。
さて、精神の世界への拡張はいいとして、物質の世界へと拡張するときに面白いのがアメーバの例である。精神的な「感じ」と物質との関わりをアメーバに見るのである。精神が物質的な動きに現れているというのである。一、二、三のカテゴリー論でいえば、精神は偶然性に、物質は規則性に属しているわけだが、そこをつなぐものとしてアメーバ的な原形質というものが用いられているのである。
パースの宇宙論は、その当時の生物学における進化論とも大きく関係している。偶然主義や進化という考え方は、ダーウィンの進化論とよく似ているし、パース自身もダーウィンの進化論を評価している。
一方で、いわゆる社会的ダーウィニズムに対してパースは批判的であり、適者生存、功利主義的な考え方を「貪欲の福音」と呼んで批判する。しかし、パースの実生活はまさにこの「貪欲の福音」を地でいっていたというのが皮肉なところである。よく知られているように、彼の人生はとても困窮したものであったが、彼自身の性格によるところが大きいと言われている。ジェームズの援助なしには生活できなかったにもかかわらず、ジェームズら協力者を「自分のことを理解できていない」と批判したり、また一攫千金を夢見た投機なども行っていたようだ。
さて、彼のアガペー主義は、スウェーデンボルグ主義とも連なる、やや神秘的な思想の系譜に属する。
スウェーデンボルグとは18世紀のスウェーデンで活躍した、科学者であり神秘思想家である。彼は、エマソンやジェームズ(父)に影響を与えた。
通常、創造的な愛としては、憎に対する愛(エロース)が挙げられるのだが、パースは創造的な愛として、エロースではなくアガペーを取り上げるのである。エロースを取り上げるのは、古代ギリシア哲学者たちであり、アガペーを持ち上げるのは、ヨハネ福音書である。このヨハネの思想を18,19世紀に再び取り上げたのが、スウェーデンボルグでありジェームズ(父)なのである。
アガペーは、憎をも取り込む愛なのである。
パースの宇宙論は、偶然性から規則性へと進行する。これは、無から無への進行でもある。最初の無は、全てがあまりにも偶然的すぎる故に無であり、最後の無は全てがあまりにも規則的すぎる故に無なのである。これは、偶然性の消滅を意味している。
アガペーは、憎を含む愛である。このとき、憎とは不完全であることを意味し、愛(アガペー)は完全を意味する。アガペーは、完全を生むだけなく不完全も生むのである。そしてアガペーは、この不完全に完全に戻ろうとする意志も与える。これを「贖罪」と呼ぶ。
アガペーは、自らを完全なものから不完全なものへと変えていく、アガペーの創造は自らの消滅でもあるのである。

第四章誕生の時

ここでは、多宇宙論と宇宙創成について再び検証する。
可能な多世界を、パースは嗅覚と洞窟の比喩によって説明する。視覚ではない感覚を用いることによって、トポロジカルな空間感覚を想起させ、可能な多世界との連続性を示してみせるのである。
また、彼の多宇宙論と宇宙創成は、カントのアンチノミーに対する反論でもあった。カントは、宇宙が有限であるか無限であるかはどちらでも矛盾を生じると証明し、宇宙論を哲学で議論することを禁じた。パースは、有限と無限を現実性と潜在性に結びつけることで、宇宙の有限と無限の両方を肯定し、カントのアンチノミーを脱する。
また、この章では、パースの「閃光」という無からの創造という考えが、ビッグバン宇宙論量子論宇宙論(真空エネルギーのゆらぎ)とも相通じるものがあるのではないか、と指摘している。
しかし、それでも、(偶然的、不確定的、あるいは潜在的なものとしての)無から有が生まれたのは一体どのようにしてか、というシェリング的な問題を、パースは完全に解決できたわけではない。
時間の誕生や質の世界については既に述べたところだが、時間に先立って論理が生じたはずでこの時間と論理を如何に結びつけるか、という問題がある。
パースは、時間とは様相の一変種であるとする。そして、論理は様相から生じるという前提をおく。通常、様相は通常の論理(演繹や帰納、仮説形成)を拡張したものとされるが、パースはむしろ様相によって通常の論理関係や集合論が基礎づけられると考えていた。この「様相説」はのちに、パトナムがパースとは独立に創案する。
また、不確定性から確定性が生まれる際には「縮減」という作用が生じるとしている。これはもともとスコラ哲学の用語で、「普遍」から「個物」へと「縮減」するという考え方によるが、パースは潜在性から現実性への「縮減」と捉えた。
しかしそれでも、無から有の誕生そのものが扱えているわけではない。パース自身もこれを証明できないことを認めている。ただ、やはりここでもアガペーの自己否定的な創造の力がキーとなっている。

エピローグ素晴らしい円環

パースの生涯最後の論文である「驚くべき迷路」が紹介される。これは、円環算術、モジュラー算術と呼ばれる算術についての論文であり、未完で終わる。この算術は、特殊な方法と考えられてきたが、パースはこの算術が包括的な算術システムになりうるのではないかと考えていたらしい。
今ではそれが明確になりつつある。また、現代ではこの算術は、量子コンピュータによる暗号解読に大きな力を発揮しているらしい。
「驚くべき迷路」amazing mazesのmazeには回転動作という意味もあり、これは「素晴らしい円環」と訳すことも可能である。


参照:http://d.hatena.ne.jp/sakstyle/20070604/1180967813


パースの宇宙論

パースの宇宙論

*1:「喜ばしい知識」「ツァラトゥストラ」という言葉はそもそもエマソンが使っていたようだ。また「超人」という概念のイメージソースがエマソンの「大霊」にあるという

*2:例えばケルビムとの関係