『スローターハウス5』カート・ヴォネガット・ジュニア

これって戦争小説だったのか。
全く何の前提もなく読んだから、その点で面食らった。
円城読んだときに「ヴォネガットの筆致」とか書いてあったから、そろそろヴォネガット読まなきゃだめか、と思って、一番有名だからとりあえずこの本を手に取ったのだけど。
面白いのか、つまらないのか、さっぱりわからなかった!
読み終わったあとに感想が特に出てこないというのは、基本的にはつまらなかった、ということなんだけど、読んでいる最中はするすると読めて「そういうものだ。」が出てくるたびに楽しくなったり悲しくなったりして読んでいたのは、必ずしもつまらなかったともいえないような気もする。
トラファマドール星人の思想とかも、面白かったし。
ドレスデン爆撃という悲劇を語るには、このように分断した形でしかできなかったのだ、的な解説があった気がするけれど、それはもちろんそのとおりとして、それよりもさらに何か他のもの(人生とか?)を語るにしたって、こうするしかないような、というよりも、こういう形をすることによってしか語ることのできない何かがあるような気がするのだけれども、別にそんなものはなかったような気もする。
トラファマドール星人的なものを示そうとしているのならそれはそれでむしろ読むのは楽で、ビリーは決してトラファマドール聖人的な四次元的な見方をできているわけではない。ある意味ではビリーは全く地球人的、つまり、単線的で不可逆な時間線を、他の地球人とは全く違う形ではあるものの、背負っているから、多分。でもよくわからない。
あと、「わたし」っていうのが何だったのかも、結局のところよくわからない。
そういうものだ。
そういうものか。