『エドワード・サイードOUT OF PLACE』完成記念上映会+大江健三郎講演会〜マリアム・サイードを迎えて〜

タイトル長いなぁ。
うちの親がちょうど東京に来ていたので、おごってもらった。
イードの住んでいたところを辿りながら、サイードの思想とパレスチナ/イスラエルの現況を伝えるドキュメンタリー
イード家って金持ちだったんだなぁという印象からスタートする。
で、パレスチナ側にしろイスラエル側にしろ(というかイスラエル側で特にその印象が強いのだけど)、クラスアイデンティティが本当に複雑
土地への帰属、民族的帰属、宗教的帰属、あるいは実生活上の振舞といったものが、多重的に絡み合っている。
あの地域には、単純にユダヤ人とパレスチナ人がいるわけではなく、〜系ユダヤ人とか〜系アラブ人とか多種多様な人々が暮らしていることがわかる。
幼いころに過ごしただけの土地の文化に対する強い帰属意識などは、自分にはなかなか想像しがたいものだった。
しかし一方で、そこから逆に見えてくるのは「故郷喪失(exile)」というサイードの概念である。サイード自身は常に余所者であり、また戻るべき故郷を持たない人であった。そして、パレスチナ/イスラエルに暮らす、多くの人々もまた、その雑種性(アイデンティティが複雑に絡み合ってる)ゆえに多かれ少なかれ同様の状況にある。
ホームがない、というところから、世界を見る、ということに、共感しうるところがあるかもしれない。
話変わって。
作中で出てくる言葉は、英語、アラビア語ヘブライ語アラビア語ヘブライ語はおそらく二人以上の通訳が間に挟まっているみたい。
英語は時々わかる部分があるけれど、それ(自分の理解)と字幕の翻訳との微妙な差があった。
だから何だという話は特にないけれど、大学入ってから外国語やら翻訳やらにも意識が向くようになった。
途中ヘブライ文字が出てきたりしたが、それがまたあまり見ることのない形でそれがまた面白かった。
上映終了後、サイード夫人、マリアム・サイードによる挨拶。
エドワードが一体活動をしていたのか、特にダレンボイムという音楽家と行ったプロジェクトに関しての話。
聞き取りやすい英語だったけど、2〜3割しか聞き取れない自分の聞き取り能力。とはいえ、英語と日本語を交互に聞く作業はそれほど苦ではなかった。
その後、大江健三郎による講演。
話のイントロや合間に笑いを誘うエピソードを挟んだりして、難しいに違いないという先入観は杞憂に終わる(笑)
色々な話をしていてここに概略を書くのは結構大変なので、一点だけ。
エドワード・サイードというのは、楽観主義的な物の考え方をする人で、事態がどんなに絶望的に見えても長期的には必ずよくなる、という強い信念を持っていたらしい。
現在のパレスチナ問題の雲行きや、サイードの言葉にも出てくる「長期的」という言葉を考えると、「よくなる」というのは現段階では夢物語のようにも聞こえるが、だからこそ楽観主義でいられるということはすごいことだろう。
大江はこのサイードの楽観主義に励まされて(?)きたみたい(例えば伊丹が自殺したときとか)。
その他。
イードが音楽に深く関わっていた、というのは今まで知らなかった。
ほかにも、サイードというとオリエンタリズム〜くらいしか知らなかったので、どんな人なのか、とかいうあたりは初めて知った。