『惑星ソラリス』

何とも形容しがたい映画。
2001年宇宙の旅』が何言ってんだかよく分からないように、これもまた何言ってんだかよく分からない。
しかし、2001年はそれなりにSFをちゃんとやってるけど、こっちはSF的な部分はそんなにちゃんとやってない。一応、主な舞台は宇宙ステーション内なんだけど。
SF的といえば、70年代のロシア人にとっては同時代の東京というのが未来的風景だったんだな、ということが分かる。前半、東京の道路が延々と映し出されるシーンがある*1
非常に大雑把にまとめると、夢や記憶と現実が混ざっていく、というのこの映画の中心。
主人公のクリスは、惑星ソラリスの軌道上にある宇宙ステーションへと調査に赴く。この宇宙ステーションには3人の科学者が常駐しているのだけど、(地球から見て)研究の進行が芳しくないので、クリスは査察役を仰せつかっているという設定。
で、ソラリスにある海は、人の記憶の中からイメージを実体化させるという働きを持っている。
ソラリス(の軌道上の宇宙ステーション)に着いたクリスは、10年前自殺した妻、ハリーに出会う。このハリーは、ソラリスの海が、クリスの記憶を元に創り出した、いわば偽ハリーである。しかし、ハリーはこの偽ハリーを愛するようになる。
この偽ハリー、明らかに人間じゃないということは分かるので、違う問題ではあるけれど、ちょっと双子地球との同一性の問題なんかと近いのかと思ったりした。つまり、ある人物Aと限りなく近いクローンA'がいたとしたら、AとA'はどのように見分ければいいのか、という話。
ハリーが自殺した原因は、どうもクリスがハリーのことをちゃんと愛していなかったことにあって、クリスはそれに悩まされていて、そんな時ハリーと名乗るハリーそっくりの女のことをハリーだと同定して愛することは、果たして一体適切な行いなんだろうか。
クリスはもう地球には帰らない、とか言い出すし。
そんなわけで、この作品は愛についての思弁的な作品などとも呼ばれている。


あと、この作品の中では、家族というものが分かりにくい。
クリスは最初両親と娘と暮らしているのだと思うけれど、はっきり続柄が分かるのは父だけで、あとの2人が本当にクリスの母とクリスの娘なのかどうかはよく分からない。そもそもその女の子がなんでいるのかもよく分からない。
で、ソラリスでは、基本的にずっとクリスとハリーの話なのだけれど、終わりの方になってハリーが去って、夢の中に母親が出てきて、地球に戻ってきて父親と感動の再会を果たした、と思ったらまだソラリスの上。という一連の流れは、結局どういうことなんだろうなあ。


この作品、真っ直ぐにはストーリーやテーマには触れさせてくれない。
映像の作り自体に困惑させられる。
凄く意味ありげに挿入されたショットやシークエンスが、結局どういう意味だったのか分からない。
ロングショットのシークエンスが時々ある。
レンズの歪みがやけにかかっているような気がした(セットの丸みなのかレンズの歪みなのかよくわからなかった)。
変なカメラワークがある(クリスの顔を次第にアップにしていき、ついには耳だけになる、とか)。
フィルムに何かフィルターをかけている。時々白黒っぽくなったり、青みがかったりする(現実がカラー、夢が白黒とかいう単純なものでは決してない)。
というわけで、ストーリーを追うのも結構大変*2
でも、前半、クリスが両親と暮らしている小屋周辺のシーンや、ソラリスの海の造形とかがよかった。きれい、とか見やすい、という形容詞を使うと誤解を招きそうだけど、きれいだと思った。
冒頭にある雨と、最後のシーンで家の中に降る雨は、非常に安っぽくて意味も全く分からないけど、印象に残った。
それから、クリスがスナウトとハリーの両脇から抱えられて、逆光になっているシーンとか。
印象に残る、といえば、やっぱりハリーで、人間じゃない得体の知れない不気味な存在、というのがよく演じられていたと思う。


とにかく、映像の作りがよく分からなくて、全体的にも雲を掴むような作品。


惑星ソラリス [DVD]

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*1:wikipediaによると、ホントは大阪の万博会場が撮りたかったらしいが、都合がつかなくて東京になったそうだけど

*2:あと眠くなる