『嫌われ松子の一生』

見てないとわからない感想を書いています。内容にも触れています。ご注意ください。


最も愚かなる者は、最も聖なる者である
って言葉があるかどうかわからないが、見ていてそんな言葉がよぎった。
龍が松子を神と呼ぶシーンが一番ぐっときた。


ささやかなディスコミュニケーションがくるくると回りだしていく。
龍と松子もそうだけど、笙と明日香にもディスコミュニケーションがあって、それをウズベキスタンって表現しちゃうのがすごい。
あの段階では笙は明日香の言っていることを全く気にしていないのに、松子の一生を通じて、遅れて届く。龍の元にも、松子の愛は遅れて届く。
父の愛が松子の下に届くのも遅れる。
遅れちゃだめなところで、遅れてしまう。


「人生が終わったと思いました」「私は幸福でした」
それが何度となく繰り返される。
人生最後の恋にも二度目は訪れる。
つまりそういうことなんだ、としか言いようがないが、それをこんなエンターテイメントに仕立て上げたのはやはりすごいことだ。
ジョゼ虎を見て以来、恋愛ものはその破局を描いてこそ、と思っているのだけれど、嫌われ松子はさしずめその人生ドラマ版とでもいうべきなのか。
終わりだと思っていても、それは全然終わりではなかったのだ、という感覚*1は大事にしたい。
刑務所の長い長い塀。
川べりの長い長い土手。
あるいは果ての見えない道。
そして川そのもの。
始まりと終わりの見えない、長いものが頻繁に映されていた、と思う。


全編に渡ってかかっている、ファンタジー化フィルターは、見事。
この映画の映画たるゆえんは、一人の人生を見事にファンタジーとして描きあげたところにある。
あと、時間軸の処理とか、伏線の処理とかがうまい。
ファンタジー化を見事に担っているのは、画面の随所に撒き散らされていた花。


しかし、このファンタジー化、主観化(客観的には悲惨だが、主観的には幸福)ってのは、社会的にはどうかな、って思わなくもないわけではなかった。
暗く辛くても、テキトーに幸福見つけて生きてけよ、みたいなディストピア
主観的には幸福なんだからいいだろ、みたいな。
ただこういう突っかかり方をこの作品にするのは、妙な言いがかりのような気もするのでやめておく。


もうちょっと、まとまな突っかかり(?)をしておくと
最後に「おかえり」を言うのが、妹なのは切なかった。
つまり、龍との関係があるのに、最終的には家族に回収されてしまうのか、というのがちょっと残念だった。
演出面では、松子による回想カットバックが気になった。
観客に対して「今までのおさらい」をやらせているような感じがして、冗長だった。


小さいこと。
松子の弟、笙の父親が、死を知らせる人という役割だけ負わせられていたのが、ちょっと面白かった。
全部で3回の登場シーン全てで、笙もしくは松子に肉親の死を告げていた。


嫌われ松子の一生 通常版 [DVD]

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*1:恋愛で言えば、永遠だと思っていてもそれは全然永遠ではなかった、という感覚