メールマガジン「αシノドス」

シノドスは月に2回送られてくるし、それをいちいちレポートするのはちょっと大変すぎるな、と思ったので、ブログに書いていなかったのだが、Vol.4の編集後記で、お前らちょっとはブログとかに書けよって書いてあったので、ちょっと書く。

Vol.1

座談会は鈴木謙介前編。
やばい、あんまり内容を覚えていない!
ポストモダンとレイトモダンの区別とか。
再帰性の高まりとかって、別に現代だけじゃないよね、みたいなことを芹沢一也が言っていたような気がする。

Vol.2

芹沢一也の巻頭コラムで、フーコー的方法が現代では困難になっていることが述べられている。つまり、ただ事態を記述しただけでは、何の批判にもならないし、政治的にも何も動かないということ。


座談会鈴木謙介後編は面白かった。少年犯罪厳罰化問題とか死刑問題とか、鈴木の行ったアンケート調査の結果とか、刑務所のコストの問題とかの話をしている。普段、こういう個別的な話というのにはあまり興味がないのだけど、今回はあまり見ない観点だったような気がして、面白かった。


マーサ・ヌスバウムインタビューは面白かったといえば面白かったけれど、かなり個別の議論すぎて、よく分からなかった。


山本貴光の連載が面白い。シノドスの中で一番楽しみにしているかも。思想誌についてやるという連載なのだけど、まだ思想誌の話にはなっていなくて、思想という言葉について色々と辞書を調べている。

Vol.3

座談会橋本努前編
ネオリベラリズム批判批判? ネオリベ批判やってても、現況の批判としてうまく機能しないよ、ということかな。
幸福の神義論の話とか、今の自分にとっては、すごくクリティカルな感じする。
後編で、鈴木謙介も参加してくるのだが、『カーニバル化する社会』と表裏一体の関係にある。
自分の幸福の偶然性に対して、どのように手当するか。


大谷能生インタビューは、学問と批評の話。学問をやめて批評をしているという大谷の話。面白かった。

Vol.4

座談会橋本努後編は、鈴木謙介荻上チキも参加*1
ところで、芹沢の巻頭コラムになんかまとめがあるので転載。

かくして、ネオリベラリズムポストモダンとの幸福な結婚というヴィジョンが、あるいは設計主義的な自生化主義という特異な構想が現われる。ここにはたしかに、現代思想のフロンティアのひとつがある。
一方にはアウトノミア運動を源泉のひとつとし、グローバル資本のロジックから自律的な社会空間を切り開こうとする廣瀬純(『闘争の最小回路』)さんや酒井隆史(『自由論』)さんの構想がある。そして他方には、生権力に社会工学的な解釈を施すことで、環境管理型権力による功利主義的な統治を構想する東浩紀さん(不活性化した人的資本が、東さんいうところの「動物」だろう)や、あるいは安藤馨(『統治と功利』)さんの構想がある。橋本さんの構想は、両者の構想をいわば超克しようとするような位置にあるといってよい。

よくわからんが、そういう布置になっているらしい。

楽観的な橋本と悲観的な鈴木、この差は世代差? みたいな話をしている。


政治学シャンタル・ムフへのインタビュー
ネグリ、ハートへの痛烈な批判。
政治とは敵対的なものであるというカール・シュミットの考えを前提としながらも*2、多元的民主主義はいかにして可能かを探るというムフ。
現在は、民主主義において合意形成ばかりが重視されるが、むしろ対立を重視した闘技的民主主義があった方が、オルタナティブなものが出てきてよいのではないか。
読んでいて、ムフをムフフと空目したのはどうでもいいですね。


山本貴光の連載。
思想という言葉が、中国語の中でどのように使われていたか。また、日本で英語から翻訳されるとき、どのように翻訳されたのか。
思想という言葉が、脳の機能としても捉えられていたというのは、すごい驚き。thoughtの訳語なので、ありえる話ではあるけれど。
感覚(feeling)、意思(will)、思想(thought)という分類。

Vol.5

シノドスセミナー仲俣暁生
仲俣の批評についての考え方は、共感する。
つまり、それは散文なのである。小説とか読んだりして考えたり思ったりしたことを書くもので、本当は小説とか詩とかで書きたいんだけど、うまく書けない不器用な人が書くもの。
そういうふうに考えたら、「批評やる奴は上から目線で偉そうで嫌だな」という感じもしなくなるんじゃないの、という仲俣の提案もいい。
保坂和志とか、本当に小説なのか何なのかよく分からない文章を書くし。
自分の中にある何かをアウトプットする方法というのには色々あって、小説も詩も書けないし音楽も絵画も出来ないという場合に、批評というか散文というかそういうものがあるんじゃないかと。

*1:多分、前編にもいたんだろうけど

*2:カール・シュミットをおさえないで政治について語るのはありえないよな、っていう感じだった