宮内悠介『あとは野となれ大和撫子』

中央アジアの架空の国アラルスタンを舞台に、若き女性たちが一夜にして臨時政府を樹立せざるを得なくなった顛末を描く物語
アラルスタンの設定がよくできていて、それで勝ったも同然という感じ
物語も一気に読み進めることができて、終始面白かった
前半と後半に大きく分かれていて、前半は、大統領暗殺からゲリラとの首都攻防戦が巻き起こる怒濤の一晩を描き、後半は、預言者生誕祭の日のために行われる歌劇が行われるまでが描かれる。
中央アジアが舞台でお芝居をするというあたりに、耳刈ネルリみを感じた

あとは野となれ大和撫子

あとは野となれ大和撫子


アラルスタン――かつてアラル海と呼ばれた場所
ソ連崩壊前後の混乱期に、最初の七人と呼ばれる人々によって樹立された小国家
自由主義の島”と“ユーラシア遊牧主義”を標榜し独立を維持しているが、カザフスタンウズベキスタンという中央アジアにおける大国にはさまれ、国防はCISの平和維持軍頼み。
そもそも、水資源自体を、多くは輸入に頼っている、というギリギリのバランスの上に保たれている国である。
この国には、後宮(ハレム)があり、初代大統領の時代には文字通り大統領の側室たちが囲われると同時に、枢密院という大統領の政治諮問機関としても機能していた。
これを、2代目大統領アリーは、側室を囲うことには興味がなかったため、女性向けの教育機関として作り替える。結果として、テロや内戦などにより行き所をなくした少女たちが集まる学舎となっていた。
主人公のナツキは日本人だが、父親が技術者としてアラルスタンに赴任することになったため、家族3人でアラルスタンで生活していた。しかし、2000年、ナツキが5歳の時に、首都でテロが発生したため両親を亡くし、以後、後宮に引き取られる。


物語が始まるのは2015年。
2代目大統領のアリーが演説中に暗殺される。
その隙に乗じて、イスラム原理主義ゲリラであるAIMが首都を目指して動き始めたという情報が入る。
ところが、大統領の代行をすべき副大統領も、議員たちも我先にと逃亡してしまい、国軍を出動させるにせよ、CISの平和維持軍を頼るにせよ、命令するべき「男たち」がいなくなってしまう。
このような危機的状況の中で、後宮の若き女性たちのリーダー的存在であるアイシャが、自ら臨時大統領となることを決意する。
彼女は、ナツキの8つ年上で、政治コースに所属し、成績優秀で、卒業後は外務省への入省が予定されていた。出自はチェチェン難民である。
物語は、ナツキとアイシャ、そしてジャミラの3人を中心にして進んでいく。
ジャミラは、アフリカ系でナツキの姉的な存在。後宮に入ったばかりのナツキと一番最初に親しくなった。臨時政府では文化相を担当することになる。
ナツキとジャミラは、いわゆるアイシャグループとはあまりそりがあわないが、アイシャ本人とは親しい。


元々ナツキは、父親が技術者だったこともあり、後宮では技術コースに所属し、将来は緑化に関わる技術者になろうとしていた。
ところが、臨時政府の樹立の際、アイシャが国軍幹部たちからの協力を取り付けるべく演説を行うところ、ただの付き添いだったはずなのに、ナツキ自身がアイシャの代わりに演説を行う羽目になってしまう。その上、台本を忘れてしまい、協力を請うはずが、逆に啖呵を切ってしまったのである。
しかし、これが功を奏して、むしろ軍幹部であるアフマドフ大佐に気に入られ、そのまま、国防相就任とあいなってしまうのである。
AIMのバイク部隊が、刻一刻と首都へと迫る。
事前に動きを読んでいた大佐はこれを迎撃するが、ゲリラ側は思いも寄らぬ方法で空爆の手段を得ていた。技術者であるナツキは、高精度爆撃を可能にしているのが、建物の灯りとWi-Fiの位置情報であることに気付き、市民にこれらのオフにすることを放送を通じて呼びかけるも、不安に駆られた市民たちはこれに応じない。
そうこうするうち、前線にいたナツキと大佐はゲリラの捕虜となり、若きゲリラであるナジャフと出会うことになる。


という感じで、前半は、大統領暗殺から臨時政府樹立とゲリラとの首都攻防戦に至るまで、アラルスタンにとって一番長い日とでもいうべき1日の動きを追い掛ける展開となっている。


うーん、ここまで書いてきて改めて思ったのは、設定の厚みが深くて、物語のあらすじをまとめるのが結構大変ということ。


主要登場人物として、ナツキ、アイシャ、ジャミラのほか
アフマドフ大佐
優秀な軍人であるが、それゆえに上層部からは疎まれている
ナジャフ
ゲリラの若き幹部。やはり、優秀ではあるが上層部から疎まれるタイプ。ゲリラではあるものの、その理想に徹しており、また眉目秀麗でもあるため、市井からの(後宮からも)人気も高い
イーゴリ
吟遊詩人を名乗る神出鬼没の男なのだが、武器商人でもあり、得体が知れない。詩吟を交えた饒舌で人を煙に巻く。
ウズマ
枢密院の議長。初代大統領の時代に後宮に入った女性たちのリーダー。後宮は、学はないものの政治に精通したウズマら年長世代と、学業において優秀であるもののまだ若く人を知らない年少世代とに分かれており、対立構造にある。特にウズマはアイシャを嫌っている。


ゲリラをおさえこんだのもつかの間、ウズベキスタンが南部の油田へと侵攻してくる。
アイシャたちは、ゲリラとウズベキスタンという内憂外患に対処しつつ、後宮内の世代対立に足を引っ張られないように注意しながら、一方で、到底信用することのできない武器商人をうまく利用しながら、政権を維持していかなければならないのである。
後半は、しかし、後宮の少女達が毎年預言者生誕祭に演し物としていた歌劇へと焦点が集まっていく。
19世紀の帝政ロシア中央アジアを舞台に、3人のミカエルを主人公にした歌劇である。
この歌劇は、望まずにして臨時政府の為政者とならざるをえなくなった彼女達がこれまでの日常を維持するための営みでもあるし、一方で、対外的には政治的メッセージを発信することになるパフォーマンスともなることになる。


しかし、またその一方で、
アリー大統領を暗殺したのは一体誰なのか
そもそも、最初の七人とは一体誰で何をした人たちだったのか
ソビエト中央アジアに残した影とは
20世紀最大の環境破壊といわれるアラル海の灌漑であるが、環境への操作の影響と善悪はどれだけ問うことができるのか
といったことが、次々と展開されていくことになる。
ナツキは、技術者となってアラル海を再び甦らせることができないかという考えを抱いているが、彼女の壮大な気象操作プランでは、アラビア半島ベドウィンの生活やウズベクの綿花栽培に取り返しのつかない影響を与えてしまうことが分かっている。(人工降雨とチェルノブイリの関係と、チェルノブイリと某登場人物の話とかも面白い)
一方、旧ソ連による灌漑は確かにアラル海を干上がらせたが、それはウズベクに綿花をもたらしたし、ひいては(結果的にではあるが)アラルスタン誕生へと繋がった。
カラシニコフを超えたいと語る悪魔的テロリストと、ナツキは対峙することになるが、世界に後戻りできない影響を与えようとしている時点で同類ではないかと言われてしまう。
こうしたナツキと、件のテロリストとの対比も面白いが
死者という過去を代表するのだというゲリラのナジャフと、七代先という未来のために政治を行うのだというアイシャの対比も面白い。また、この七代先というのは、チェチェンの言葉から来ている。


この話、コミカルなところも多く、
例えば、マグリスラード・バッドボーイズという男性アイドルグループが出てきたりする。もう中年に差し掛かりお腹も出てきているのだが、根強い人気があり、アイシャたちもバッドボーイズ派である。
一方で、審判の日というデスメタルバンドがいて、近年では若者たちの人気を集めている。
また、各章末にコラムが挿入されているのだが、これが日本人観光客によるブログ記事の体裁になっている。自転車1台で貧乏旅行をしている学生で、アラルスタンを訪れるのだが、運悪く大統領暗殺事件からのごたごたに巻き込まれていく。物語にはあまり出てこないが、アラルスタンにとっては重要な存在である遊牧民側の動きを描くものとなっていて、本筋とは全く別に展開されていくが、時折、本編にも顔を出している。
歌劇の時は、わりとドタバタ感はある。


途中から、ジャミラを『プリンセス・プリンシパル』のドロシーで脳内再生していた。アフリカ系なので、見た目は異なるだろうけど。


ジーラについては、もう少しエピソードを膨らませた方が歌劇での活躍に感情移入しやすかったかもしれない。


最終章レインメーカーでは、1年後、安定を取り戻してきて議員達が戻ってきたことで、アイシャの弾劾裁判が行われる
レインメーカーという言葉が、色々な全然異なる意味の語に次々とルビとして現れていくのが面白かった。