著作権と「キャラ」

mixiニュースで何やら著作権の話が出ていて、それに反応したマイミクの日記に対する自分のコメントを抜粋。
元のニュースとはもはや関係がないので、元のニュースのソースは割愛。

「創作としての模倣」の話は、創作論としては全くもってその通りだと思うけど、それは著作権の話とはずれているのではないか、という違和感。
「創作は模倣から始まる」というのは、そもそもはクリエイター=天才、という“神話”を脱するために出てきた話であって、著作権云々の話とはあまり関係ないのではないか、と思った。
大塚英志の『キャラクター小説の作り方』とか読むと、如何に模倣すればよいのか、ということが書いてある。この本の要点は、創作とは一部の天才にのみできることではなくて、訓練すれば誰にでもできることだ、ということ)
そして、創作において模倣となる対象というのは、「アイデア」だと思う。
そしてこの「アイデア」というのは、著作権の保護の対象にはなっていない。

最後に完全な思いつきでしかない話を。
「表現」は保護対象になるけれど、「アイデア」は保護対象にならない、というのが著作権法
「表現」とも「アイデア」ともいえないものがあるのではないだろうか。
伊藤剛がいうところの「キャラ」だ。
「キャラ」は図像なので「表現」だけれども、しかし伊藤剛のいうところの「キャラ」の特徴って「アイデア」にも近いところがあるのではないだろうか。
いや、わかんないけど。
もし仮に「キャラ」は「アイデア」であると捉えることが可能ならば、ほとんどの同人誌は著作権法的には何の問題もなくなる気がする。(現段階ではアウトなんだけどね)
はてさて。

個人的には、今まで著作権の問題は、結局作品の流通と広告に関する問題だと捉えていた*1ので、そもそも何が著作権の対象になっているのか、ということにはそれほど興味がなかった。
あと、このコメント欄で他にこういうコメントもした。

著作権法というのは、模倣を禁じているわけではなくて、複製を禁じているのだと思う。
今回の問題は、複製とは何か、ということだと思う。
どこからどこまでが複製で、どこからどこまでが模倣となるのか、そこが問題。
同一物を増やすのが複製、異なるものになるのが模倣。だから、作品の同一性とは何か、と言い換えることも出来ると思う。

こんなことも正直今まで考えたこともなかったが、単純な複製はともかくとして、映画化、漫画化などメディアの変わるタイプの複製の場合、作品の同一性とはどうなるのだろうか。
以前のエントリで書いた、現象主義=一世界説の問題とも絡んでくる気がする。
「キャラ」がそもそも「アイデア」かもしれないのではないか、というふうに思ったのは、「キャラ」がdere同定のための「このもの」性かもしれないから。「このもの」性というのは、一切の特徴(現象)を全て無くした後も残る「何か」のこと。「アイデア」ではないかもしれないが、一切の特徴を伴っていないので「表現」でもないような気がする。

*1:純粋な作品創作以外のコストをどう処理するかという問題