藤野可織『青木きららのちょっとした冒険』

フェミニズムに出会ったミルハウザーみたいな短編集
藤野作品は以前からミルハウザーっぽいなあと思っていたけれど、本作もアイデアは結構ミルハウザーっぽいところがある
それからもう一つ藤野作品の特徴としては、フェミニズム、女性の生きにくさを扱っている点があり、本作品集は特にこれが前面に出てきている感じがする。
すべての作品に「青木きらら」が出てくるが、同姓同名の別人、というか、この短編集の各作品をつなぐ象徴的な記号のようなもの。
背表紙には「きららはあなたかもしれない。(...)どんな彼女たちの名前も、青木きらら。8人のきららの人生を通して、私たちの痛みを掬い上げ、ともに生きる力をくれる芥川賞作家による傑作エンパワーメント小説」という紹介文が書かれている。「青木きらら」はいわば「私たち」の名前なので、各作品にそれぞれ青木きららという名前の登場人物が存在するのである。
そして、この奇想とフェミニズムは、分かちがたく結びついている。
例えば、フェミニズム的なメッセージには目をつむって奇想だけ楽しみますね、ということはちょっとできない(逆もまた然り)。そもそも、各作品に、同姓同名の別人がでてくるという仕掛けの面白さ自体、両方の要素を含んでいるからこそだろう。


奇想としてミルハウザーみが特に強いのは「トーチカ」「スカート・デンタータ」
短編としてよかったのは「消滅」とか「幸せな女たち」とか
とはいえ、どれも面白く読んだ。
一方、男性としては、読んでいて居たたまれなさを感じる部分もあるのは確かである。だが、だからといって完全に女性向けの作品というわけでも決してない。
確かに、この短編集では男性は加害者・抑圧者として描かれていることが多く、また「青木きらら」という名の下にくくられる「私たち」は女性たちのことであって、そこに男性は含まれていないだろう。
しかし、例えば「花束」や「消滅」で、主人公は亡くなった青木きららを悼む立場だが、男性であってもまた立場に立つことができる*1。あるいは明らかに男性を加害者として描く「スカート・デンタータ」や「幸せな女たち」であっても、男性に敵対している作品ではない。むしろ、男性へ問いかけてくるような作品だともいえる。
じゃあ「この作品は男性も女性も分け隔てなく対象としています」とまで言ってしまうとやっぱりそこは欺瞞で、一義的には女性のための女性をエンパワメントする作品であるわけだが、藤野の描く奇想世界を楽しむのに男性も女性もないんだよなあ、というか、そこはまあ普通に両立するわけで、それは本当は当たり前すぎてわざわざ注釈するようなことではないんじゃないだろうかとも思うのだけど……。

トーチカ

次第に巨大化していって街そのものと化していく「放送局」という、ミルハウザー作品にあってもおかしくないような設定の話。実際「放送局」の内部にショッピングモールがあったり、病院ができたり、集合住宅ができたりしていく様子は、ミルハウザー作品を読んでいるような感じがした。
一方、主人公の近子は、派遣社員として「放送局」の警備員をやることになった女性で、ミルハウザー作品ではあまり出てこないタイプの人物だろう。
近子は芸能人全般にはあまり興味がないが、モデルの「青木きらら」には崇拝に近い念を抱いている。そして彼女はある日、青木きららの偽物を見つける。
青木きららの偽物を見つけ出すべく、近子は警備の仕事へとのめりこんでいくが、そのために離婚することになる。
「放送局」はある種の管理社会のメタファーみたいな世界でもあり、青木きららの偽物は、管理から逃れた存在ともいえる。
近子は、青木きららの偽物と知り合いになる。青木きららの偽物は、会うたびに姿を変えている(見た目の性別すらも変えていて、本当の名前・年齢・性別は分からない)が、近子は青木きららの偽物を遠子と呼ぶようになる。
離婚後の近子は、「放送局」の各所にある警備員控室を仮寓として、「放送局」内で完結する生活を送る(そしてそういう人は他にもいる)


まるで覚えてなかったけど、群像2020年1月号 - logical cypher scape2で読んでた。

積み重なる密室

ライターの青木きららは、とあるミステリ作家へのインタビュー取材のために、新幹線に乗って鄙びた温泉街へとやってくる。
タクシーの運転手やホテルのフロント係から、熱烈な歓迎をうけるがどこか様子がおかしい。
ホテルの女性専用フロアに部屋をとってもらう。ほかのフロアは満室だというのだが、夜に外から見てみると他のフロアに一切明かりがついていない。
取材相手の作家は、約束の喫茶店に姿を現さない。
この町で見かけるのは女性だけ……


取材先のミステリ作家が過去に書いていた作品が、醜い女性が被害者になったり笑いものになったりする作品だったことが、ライターの青木自身の価値観形成にも影響していることが書かれている。殺されないためには美しくないといけない、と。

スカート・デンタータ

この作品は、(なんと)痴漢が主人公
ある日、電車で痴漢をしていた男の手首が切断され消滅するという出来事が起きる。主人公は、たまたま同じ車両に乗り合わせていた。
痴漢されていた女子高生のスカートに歯が生えて、痴漢の手を食べてしまったのである。その日から、他のスカートにも次々と歯が生えるようになり、同様の出来事が続く。
この最初の女子高生の名前が「青木きらら」なのだが、ネット炎上が起きてしまい、その後、女性たちが連帯をしめすためにみな、「青木きらら」と書かれたタグを持つようになったりする。
スカートを履くことがある意味文字通りの「武装」となり、女性たちが抑圧から解放されていく様子が、痴漢側から描かれていく。痴漢側としては、そうした様子はむしろ自分たちへの「攻撃」に思えるのであるが。
スカートに歯が生えるという異常事態と、しかしそれが(最初は若干戸惑われつつも)まるで自然なことのように社会へと広がっていく、という展開の仕方は、やはりミルハウザーっぽさがある。
また、ミルハウザーとは使い方が異なるが、一人称複数形が時々用いられるのは、もしかしたらミルハウザーからの影響もあるのかもしれない(スティーヴン・ミルハウザー『ナイフ投げ師』(柴田元幸・訳) - logical cypher scape2に寄せた解説で、藤野は「私たち」という人称にも着目している)


この記事の冒頭で「男性へ問いかけてくるような作品だともいえる」と書いた。
この作品は、唯一主人公が男性という作品である。
といって、痴漢なので、その点、別に主人公に共感したりするところはないし、(歯の生えた)スカートを履く女性が増えていったり「青木きらら」タグをつけて連帯していくところは痛快に感じるし、主人公の理屈は身勝手だと思う。
つまり、主人公が男性だから男性読者にとっての物語に(も)なるというわけではない。
しかし、最後、主人公が渋々引き受けていくことになる変容は、「俺は別に痴漢ではないし」という男性でも、少し自分とつながりうるものとして読みうるだろう。

花束

主人公の女子高生が、ニュースに映っていた花束であふれる川原へと、高速バスに乗って向かう。家族には黙って。花屋で花束を買おうとすると、花が意外と高くて驚くなど。
目的地である川原に近づくと、ほかにも多くの人たちが集まっている。川原で亡くなった少女「青木きらら」をみなで悼んでいるのだ。
死亡推定時刻である深夜までみなずっと残っており、炊き出ししてたりして、そこにちょっとしたコミュニティみたいなものが形成されている。

消滅

学生時代の友人たちとの年に1回の飲み会へと出かける主人公
その途中、コンビニの脇に、捨てられたビニール傘が自分の背丈よりも高く堆積しているのを見かける。
ラオス料理屋で、なじみのない料理と酒に舌鼓を打ちながら、選択的夫婦別姓の話や香港のデモと推しのインスタの話、学生時代の思い出や、さっきコンビニで見かけた傘の話など、おしゃべりに興じる3人。
みな結婚して、学生時代から姓が変わっている。
主人公は学生時代、子供が生まれたら「青木きらら」と名付けたいと友人たちに話していた。今は大久保になっていて青木ではない。青木ではないのなら、きららとも名付けない。夫は当然のように自分の姓のままで、青木姓を維持しようと思ったら戦わないといけなかった。
そして、友人たちに話そうとして話せなかったことが一つ。彼女のお腹の中には、死産した子がいる。その子の名前は「青木きらら」。産まれてこれないことがわかってはじめて、密かにつけられた名前。
主人公は、帰り道、傘をコンビニ脇の傘の地層に押し込んで帰る。翌日、傘は消え去っている。
この作品は、この捨てられた傘たちと産まれてこれなかった子どもというモチーフの使い方がよかった。
それはそれとして、男性は改姓を意識しなくてもよい、というのはその通りで……

幸せな女たち

主人公はカメラマンの青木きらら。元々、結婚式のカメラマンとしてキャリアを開始した。
結婚式をターゲットにした無差別フェミサイド事件が起きたことで、結婚式が減り、独立
「ハッピリーエバーアフター」を始める。
それはおとぎ話のクリシェ「いつまでも幸せに暮らしました」だが、日常のシーンを撮影するサービスだった
結婚式が、人生で一番幸せな日と称されたりするが、主人公はそのことに疑問をもっていた。結婚式以外も幸せである、と。それは、女性が一番幸せな日だから結婚式を襲ったというフェミサイド犯に対するプロテストでもあった。
「ハッピリーエバーアフター」には、生前にSNSなどへの死亡報告用写真を撮影するというサービスもあって、それがヒットして会社が大きくなる。後半は、経営者になりつつも現場仕事を続ける青木きららと、少し年上(70代)の女性客との会話が中心
青木は、脅迫状を写真に撮り続けている。女性に向けられる悪意へ、カメラを使って抵抗し続ける。


この作品は、途中でぽんと時間がとぶのがなかなかいい。主人公の若い頃から話が始まるのだけど、老境になってから(しかしまだ現役として働いている)のシーンがメインで、それを短編というサイズに盛り込んでいるのがうまい
そしてこの「ハッピリーエバーアフター」というサービス自体が魅力的である。

美しい死

昼休憩にはいった青木きららが、後輩の男性社員から、青木さんも「江付山ロスっすか」と尋ねられ、それに対して反論というか、長文レスしはじめる(というか、正確には、本当はこういうことを言いたいけど、実際には言ってないというもの)。
「江付山」というのは、結婚を発表した中年の男性芸能人
青木きららが語るのは、クリスマスケーキ理論。つまり、25歳はいきおくれというアレだが、青木自身もこの説を信じているのだという。ただし、男女逆で。
そして推しに対して、25歳までに死んでほしいと思っている。ただし、推しに抱く感情は、自分も男の子になりたいというもの。
自分も美しく猛々しい男の子になって、美しい死を死にたいのだ、と青木は思っているのである。
そういうことを内心でまくしたてているのだが、実際にはそんなことには後輩には伝えずに終わる。

愛情

青木きららのママは専業主婦なので離婚できない。大人になったきららは共働きとなるが、子供を産んだあとワンオペ育児を強いられる。
という、それらは「寮」において見せられる夢
子供は生まれると「寮」で育てられている。
現実だと思っていたのが実は夢で、夢から覚めるとそこはディストピアだった、という、よくあるフレームを使って、いやしかし寝ても覚めてもどっちの世界もアレだね、っていう話だったかと思う。

トーチカ2

「トーチカ」のつづき。近子は、派遣切りにあう。再就職するためには「放送局」内の住所が必要で、そのために、ある種の偽装結婚をする。
青木きららの自殺
近子は、夫の正体は遠子ではないのかと思うが、そうではなかった。
「放送局」内の郊外にある団地で、ラジオの海賊放送が流れる。近子はそれを聞きに行く。青木きららがどこかから放送しているラジオだった。

私たちは勝ちの目のないこの戦いを共にすべく組まされたペアで、私がこうする以外どうしたらいいのかわからなかったと同じく、この人もきっとこうする以外どうしたらいいのかわからなかったんだ。夫の親指が気遣うように近子の手の甲を撫でた。近子はいっそう力をこめて夫の手を握りしめた。(中略)今、『放送局』の翼の下で震えるよるべない隷属者として立っている近子は、同時に特権を行使する冷酷な共犯者だった。遠子。でも私は、ただそこそこ安心してそこそこの暮らしをしていきたかっただけなのに。
「えーと、ハロー、聞いてる人、いますか? 青木きららです。(中略)あいかわらず最悪ですか?こっちは……こっちはこっちでまあまあ最悪かな!」

この「トーチカ2」のラストは結構複雑というか
近子と遠子は、ピエタとトランジのようなシスターフッド的な関係もありえたと思うのだけど、近子と遠子の道は決別してしまう。まあ、誰もがピエタとトランジ、あるいは遠子のようには生きられない。
というか、本短編集、男性から女性への加害や抑圧に対する様々な形の抵抗を描いてきたのだけれど、「トーチカ2」での近子は、結局生活のために夫婦関係を選ばざるを得なかったところが描かれている。ただ、「消滅」や「愛情」に描かれていたような夫婦関係とも少し違うことが示唆されている。
青木きららは「私たち」であるが「私たち」は青木きららではない、とでもいうべきジレンマがそこにはあるように思う。
ただ、それって諦めとか絶望とかなのかというと、最後に青木きららが「こっちはこっちでまあまあ最悪かな!」と言ってのけてくれることに救いのようなものがある。

解説 谷澤紗和子

谷澤は、美術家で、これまで藤野とは何度も作品制作のコラボをしてきたことがある人だという。
度々コラボをしているので、ユニットを組もうという話になり、最近「青木きらら」というユニット名で活動し始めたのだとか。

これまで読んだ藤野可織作品

藤野可織『おはなしして子ちゃん』 - logical cypher scape2
藤野可織『いやしい鳥』 - logical cypher scape2
藤野可織『来世の記憶』 - logical cypher scape2
藤野可織『ピエタとトランジ』 - logical cypher scape2
未読は『パトロネ』『爪と目』『ファイナルガール』『ドレス』
全部で9冊刊行されているうちの5冊まで読んだのか。
『私は幽霊を見ない』はエッセイか。あとは絵本もあるみたいだけど。
(なお、Wikipediaで確認したので、抜けはあるかも)

*1:むろん「消滅」の主人公は死産している点で、男性が彼女と全く同じ立場に立つことは不可能ではあるが、それを言い出せば、どのような物語でも主人公と読者が全く同じということはありえない