マリオ・バルガス=リョサ『緑の家』(木村榮一・訳)

ペルーを舞台にした群像劇的小説、では何の説明にもなってないが、一言でまとめるのが難しい。
ペルーの中でも、海岸近くの町の貧しい地区と密林の中の集落の2カ所が主な舞台となっており、まあ、インディオを搾取してる白人がいたり、盗賊まがいのことをしてる日系人がいたり、女ぶん殴ってる軍曹がいたり、キリスト教道徳を頑として固持する聖職者がいたり、男たちに翻弄され次々と夫が変わっていきながらも強かに生き延びる女がいたり、怪しい過去を持ちながらも何となく愛されおじさんやってるハープ弾きがいたり……とそういう人たちの複雑な人間関係と人生模様を描いた作品である、多分。


バルガス=リョサはこれまで以下の2作品を読んだ。
マリオ・バルガス=リョサ『世界終末戦争』(旦敬介訳) - logical cypher scape2
マリオ・バルガス=リョサ『楽園への道』(田村さと子・訳) - logical cypher scape2
どちらも面白い作品で、バルガス=リョサは他にも読みたいなあと思い続けていたのだ。
しかし、代表作である『緑の家』はなんか難しそうだなあと思っていたところがあったが、今年、バルガス=リョサも亡くなってしまったことだし、いよいよ読まないとな、と思って読んだ。


難解とか複雑とか評されることもある作品だとは思うのだが、内容そのものは決して難解ではない。書き方が複雑で読みにくくできている。
小説において、例えば回想シーンと作中での現在のシーンとが交互に出てきて話が進んでいくという技法自体は、珍しいものでもなんでもなく、小説を読む人なら誰もが馴染んでいるものだろう。
しかし、本作の場合、それの数が極端に多くて、6つくらいの時間軸が同時並行的に進行していくことになる。
その上、それらがお互いにどのような前後関係にあるのかは最初判然としないし、また同じ時間軸上でも順序が前後して語られる。
このために、読み進めながら、今、いつどこの話をしているのかを把握するのがなかなか骨が折れるのである。
普段、小説を読みながらメモをとるということをほとんどしていないのだが、本作を読むにあたっては、途中からメモをとって読むことにした。
しかし、これ以外にも技巧が凝らされているところがある。
複数の時系列が同時に走っている、というのは、技法そのものとしては珍しくはない。本作は、同時に走っている時系列の数が多すぎるだけで。
それに対して、他ではほとんど見られない技法で、本作を読むのをちょっと大変なものにしているのは、一つのパートの中で、回想が何の目印もなく混ざり込んでいるところだろう。
普通、回想というのは、一行空けだったり台詞によってだったりして、どこからどこまでが回想かわかるようになっているものだが、本書はそうではないことが多い。
パッと見、AとBとCとDの4人の人が会話しているように見えるのだが、よく読んでみると話がかみ合っておらず、CとDの会話は、AとBの会話の中で回想されている過去の会話のようだ、みたいになっていたりする。
ただ、この技法は、読みにくくもある一方で、なんというか映像作品的なところがあって、これを小説でやるんだなあという面白さがあり、読んでいて楽しめる部分だったりもする(あ、切り替わった、みたいな)
他に読みにくさを感じた箇所としては、例えば「ドン・フリオが、○○だ。」みたいな文で書かれているのだが、「○○だ」の部分がフリオの台詞だったりする。カギ括弧もなければ、「と言った。」みたいな文末もないので、結構戸惑う。例えば「ドン・フリオが、馬鹿だな。」と書いてあったら、普通は、ドン・フリオという人が馬鹿なのだと思いそうになるけど、この場合、ドン・フリオが「馬鹿だな」と言った、ということなので、ドン・フリオは馬鹿じゃなくて、別の人が馬鹿だ、というの正解だったりする。こっちは、ただ読みにくいんだよなあ……。

  • 複数の時系列が同時並行に走ってる技法
  • 現在と回想とを明示的な目印なく混ぜる技法
  • 「言った」を省略する技法

この3つが本作を読みにくくしている。
上では、時系列複数あるのは珍しくはないよねと言ったものの、しかし、この作品を読むのに一番面倒なのは、やはり複数時系列か。メモを常にとっていく必要があるので。
これと、回想混ざる技法が組み合わさることで、大分しっちゃかめっちゃかになっていく感はある。
最後に「言った」省略は、読んでるうちに慣れるといえば慣れる。
あ、あと、これは技法といっていいのかどうかわからないけれど、同一人物の呼び方が複数あり(名前と肩書きなど)、あえて呼び方を変えることで誰が誰だかわかりにくくするとか、逆に、別人なんだけど、名前が同じだったり苗字が同じだったりするせいで、同一人物と錯覚させられるとか、そういうのもある。


読んだバルガス=リョサ作品の面白かったランキングつけると、1位『世界終末戦争』2位『楽園への道』3位『緑の家』だなあ。
この作品はどうしても、読みながら「ここは、あのパートの続きか。あ、そこがここにつながるのか。いや、っていうとこれは一体どういうこと。この人はあの人と同一人物?」ということを考えるのが主で、物語そのものの面白さが、つかみにくいところがある。
っていうか、ウラクサの「二人組」って結局何者だったの? マクガフィンだったの?*1
最後までよくわからないままで終わってしまった感じがある。
あと、パンターチャが拷問された際に、白人たちが血の川に、みたいなことを口走っていた気がするんだけど、あれも結局何だったんだろう
いくつかの時系列がそれぞれ並列で進んでいく展開なのはいいとして、それが最後に全部集まってきて、色々すっきりするのかな、と思うと、まあ一応そういう展開ではあるんだけど、しかし、上のように結局よくわからなかったところもチラホラあり
というか、そもそもこんな風に複雑に分割する必要があったんだろうか、とは思ってしまった。
とまあちょっとネガティブな感じの感想になってしまっているが、読んでいて決してつまらないわけではない
『緑の家』は、1966年、バルガス=リョサにとっては2作目の長編小説
対して『世界終末戦争』は1988年、『楽園への道』は2003年の作品で、だいぶあとになってからの作品なので、それらと比較すると、というところはあるかもしれない。


冒頭で述べたとおり、海岸近くの町の貧しい地区と密林の中の集落の2カ所が主な舞台
前者が、ピウラのマンガチェリーア地区
後者が、サンタ・マリーア・デ・ニエバ
正直、ピウラとマンガチェリーアの位置関係も読んでいて度々よくわからなくなることがあったのだが、ピウラという町の中のマンガチェリーア地区ということらしい。ただ、「ピウラ」と「マンガチェリーア」とを区別するような言い方もよくされている(マンガチェリーアの人たちが「ピウラに行ってくる」みたいな)。
イキーテスという都会と、フシーアの島とかも出てくるが、いずれも、サンタ・マリーア・デ・ニエバ篇の中のサブの舞台という位置づけでよいと思う。
マンガチェリーア篇は、年長世代と若者世代の話が並行的に語られていき、最終的に合流する感じ。
サンタ・マリーア・デ・ニエバ篇は、フシーアを中心にしたパート、軍曹を中心にしたパート、フリア・レアテギを中心にしたパートくらいに分けておくといいのか。ちょっと、どういう分け方が適切かわからんけど。


自分なりに再構成してみる。

主な登場人物

登場人物が多すぎるので、重要な人物には☆をつけておく。

マンガチェリーア篇とサンタ・マリーア・デ・ニエバ篇の両方に登場する
  • ボニファシア☆
  • リトゥーマ軍曹☆
マンガチェリーア篇
  • アンセルモ☆
  • ガルシーア神父☆
  • セバーリョス医師☆
  • アンヘリカ・メルセーデス☆
  • アントニア☆
  • フアナ・バウラ
  • チャピロ・セミナリオ
  • エウセビオ・ロメーロ
  • ラ・チュンガ・チュンギータ☆
  • エル・ホーベン・アレハンドロ
  • ボーラス
  • リトゥーマ(軍曹)☆
  • ホセフィノ・ローハス☆
  • ホセ(レオン兄弟)
  • エル・モノ(レオン兄弟)
  • リーラ
  • ラ・セルバティカ(ボニファシア)☆
サンタ・マリーア・デ・ニエバ篇
  • アドリアンニエベス(船頭)☆
  • ボニファシア☆
  • シスター・アンヘリカ☆
  • 尼僧院長
  • シスター・グリセルダ
  • 軍曹(リトゥーマ)☆
  • 〈デブ〉〈チビ〉〈金髪〉〈クロ〉
  • シプリアーノ中尉
  • フシーア☆
  • アキリーノ☆
  • ラリータ☆
  • パンターチャ☆
  • フリオ・レアテギ☆
  • ファビオ
  • フム☆
  • ロベルト・デルガト伍長
  • アルテミオ・キローガ大尉
  • ペドロ・エスカビーノ/マヌエル・アギラ/アレバロ・ベンサス

ピウラ・マンガチェリーア篇

マンガチェリーアは、ピウラの中でも貧しい地区らしく、物語の後半でピウラが近代化していく中でマンガチェリーアが取り残されている、という描写もある。
物語の中で一番古いのはおそらく、ピウラにアンセルモという男がやってきたところ。
アンセルモは、ピウラに来る前何をしていたのか不明なのだが(脱獄囚という噂も。密林出身らしい)、あっという間にピウラに溶けこみ、ピウラの住人たちと親しくなる
かと思うと、郊外の砂漠地帯に突然土地を買い、そこに「緑の家」という娼館を建築する。
ガルシーア神父は、悪魔の家だといって糾弾するが、ピウラの人々はよく通うようになる。
キローガ夫妻が、女の子の赤ちゃんを拾い、アントニアと名付けて育てる。が、その後、キローガ夫妻が強盗にあい死亡。アントニアだけが奇跡的に助けられるが、盲目となり言葉も発せなくなる。キローガ夫妻のもとで洗濯婦をしていた老婆がアントニアの世話をするようになる。
で、アンセルモがアントニアを見初めて拉致ってきて、緑の家に軟禁して、孕ませて死なせてしまう。
アントニアの葬列においてガルシーア神父率いる人々が半ば暴徒化し、ついには、ガルシーア神父が緑の家に火をつけて、緑の家は焼失する。
このアントニアの葬列から緑の家焼失は、物語中盤の盛り上がりどころである。
なお、緑の家が焼失すること自体は、物語の前半から予告されていた。
一方、アントニアが何故死んだのかとか、アンセルモとアントニアの関係とかについては、終盤に明かされることになる。
アントニアが話せないのをいいことに、自分たちはお互いに愛し合っているのだとアンセルモが勝手に思い込んでいた感じがある。アンセルモの主観では、アントニアを大切に扱っているのだが、客観的な拉致ってレイプしてんだよな、と。大切に、というのは、緑の家という娼館に連れてきているんだけど、客の目につかない部屋にいれてるとかまあそういうとこ。ほかの娼婦もアントニアに気を遣っていたようなところはある。
で、緑の家が焼けた際に、緑の家で働いていた(娼婦ではなく調理とか下働きとか)アンヘリカ・メルセーデスという娘が、赤ん坊を助け出している。
この赤ん坊というのは、アンセルモとアントニアの間の娘で、ラ・チュンガという。アンセルモが居候していたパトロニシア・ナーヤのもとで育てられる。
ラ・チュンガは居酒屋(?)で働きはじめて、そこの店主の座を奪って自分の店にしてしまう。このラ・チュンガの店が、後に「緑の家」と呼ばれるようになる。
若者世代は、アンセルモが建てた娼館である緑の家のことは、伝説上の存在としてしか知らない。
アンセルモはマンガチェリーアに移り住み、荒れた生活を送るが、音楽を通して復活する。元々ハープが弾けて、かつての緑の家でも演奏していた。
エル・ホーベン・アレハンドロというちょっとインテリな若いギタリスト、ボーラスというトラック運転手とともに楽団を組み、ちょっとした人気を博すようになり、ラ・チュンガの店と契約を結ぶ。
さて、ここから若者世代の話。
ホセフィノ・ローハス、リトゥーマ、リトゥーマの従兄弟にあたるレオン兄弟(ホセとエル・モノ)は、番長を名乗って遊び暮らしている。
なお、ホセフィノの父親と子供時代のホセフィノが、アンセルモがピウラにきてぶいぶい言わせてた頃の話の中に登場している。
リトゥーマは、リーラという女性と結婚直前までいくが、治安警備隊の軍曹として密林に行くことになり破談となる。
リトゥーマが軍曹になっている間の話は、サンタ・マリーア・デ・ニエバ篇で
リトゥーマはボニファシオと結婚してピウラに帰ってくる。ピウラでリトゥーマは完全にDV夫となり、ホセフィノがボニファシオに色目を使うようになる。
で、ラ・チュンガの店で飲んでいたら、リトゥーマとセミナリオという男が喧嘩になって、ロシアンルーレットすることになる。ちなみに、セミナリオは、チャピオ・セミナリオという富豪の甥で、チャピオとアンセルモは緑の家時代に親しかった。
で、リトゥーマはリマで服役することになり、リトゥーマ不在時に、ホセフィノとボニファシオができる。
が、リトゥーマがピウラに戻ってきたところで、リトゥーマとレオン兄弟によってホセフィノは追放される。
実はこの、リトゥーマの帰還とホセフィノ追放が、作中では第一部にあたるので、なんでこの二人が対立することになったのか、というのが、ピウラ・若者世代篇の物語を進める軸になっている、と思う。
ボニファシオは、ラ・チュンガの店である緑の家で働いていて、そこではラ・セルバティカを名乗っている。リトゥーマとホセフィノが、ラ・セルバティカを巡ってなんかあった、というのは最初からわかっている。
リトゥーマ=軍曹、というのは、物語の中盤過ぎるまでわからなかったはず。
ボニファシオ=ラ・セルバティカは、途中でわかるらしいが、自分は結構終盤になるまで気づいていなかった。
最後は、アンセルモの臨終を、ピウラの町をずっと見てきたガルシーア神父とセバーリョス医師が看取り、ラ・チュンガの店で葬式が行われるところで終わる。
アンセルモとアントニアの関係は、アンセルモの今際の際の回想として語られる。
アンセルモはおそらく、アントニアの死を後悔しており、それをずっと抱えたまま誰にも話さずに生きていたのだと思われる。彼の後半生は、楽団のハープ弾きのおじさんとして、荒れた生活からも立ち直り、楽団の二人からは師匠と呼ばれ、番長たち若者にも親しまれて生きていて、貧しくも幸せな人生だったように見える。
その実、内心ではずっと誰にも話すことのできない苦しみを抱え続けてきた、ともいえるが、誰にも話さないことで罪を罪として償わずにのうのうと生きてきた、ともいえる。
ガルシーア神父とセバーリョス医師は、アントニアやラ・チュンガのことを知っていて(アントニアの出産の際に呼ばれた)、アンセルモを看取った後、二人でそのことについて話している。
セバーリョス医師は、本当に相思相愛だったのかもしれないじゃないかとアンセルモを擁護するが、ガルシーア神父は、アンセルモを断罪し続ける。
ガルシーア神父が言ってることの方が、まともかなあとは思う。


サンタ・マリーア・デ・ニエバ篇

ピウラ・マンガチェリーア篇は、時系列がシャッフルされているだけなので、ピウラの年代記として再構成することが比較的容易なのだが、サンタ・マリーア・デ・ニエバ篇(あるいは密林篇と呼ぶべきか)は、時間幅としては、ピウラ・マンガチェリーア篇よりも短い期間なのだが、さらに同時並行的にいくつかの場所が走っている感じなので、把握が難しい。
正直、こっちは結構よくわからない。


フリア・レアテギというイキートスの実業家がおり、彼がサンタ・マリーア・デ・ニエバの行政官をしていた頃、というのが時系列的には一番古い時期だと思う。
なお、フリアはのちに、行政官の地位をドン・ファビオに譲っている。
最初読んでいると、章によって、行政官がフリアだったりファビオだったりして混乱するのだが、慣れてくると、行政官が誰かでなんとなく時期が推定できるようになる。
サンタ・マリーア・デ・ニエバ篇というか密林篇の重要人物というか主人公といって人物としてフシーアとアキリーノがいる。
物語のワンシーンとして描かれてはいないが、会話の中で、フシーアとアキリーノの出会いから遡って語られるところがあり、ここも時系列としては古いところだと思う。
フシーアというのは日系ブラジル人らしい。初登場時に「日本人」と呼ばれているのだが、その後、それについて何の説明もなくよくわからなかった。
訳者解説によると、実際にいた人物がモデルになっているらしい。
フシーアは以前イキートスにいたこともあって、その時は、フリア・レアテギのもとで働いていた。そこでラリータという少女と出会う。
フシーアは、ラリータのことをフリア・レアテギに売り渡そうともするのだが、結局、フリア・レアテギの金を持ち逃げし、それにラリータもついてくる形になる。
フシーアとラリータは逃亡の末、密林の川の中に浮かぶ島へとたどり着く。
この島でフシーアは、インディオと親しくなりつつ、盗賊みたいになって、インディオから盗んできたものを売り払うみたいなことをする。
アキリーノは、盗品を運ぶ手伝いとかをしていたっぽい。
また、フシーアは、インディオの娘を次々手込めにしていく。
アキリーノは、ヤク中になっていたパンターチャという男を助ける。
ラリータが息子を出産するが、それを取り上げたのがアキリーノで、ラリータは息子にアキリーノと名付ける。
アキリーノが二人いて、読んでいて最初は混乱させられるのだが、片方がラリータの息子で、フシーアと一緒にいるアキリーノじいさんとは別人だということは、わりとすぐに判明する。


フリア・レアテギは、お仲間と一緒に、インディオからゴムを不当に安く入手してそれを密輸する稼業をしているのだが、あるとき、インディオの集落であるウルクサにやってきた白人二人組が、おまえら搾取されてるからボスにゴム渡すのはやめた方がいい的なことをインディオたちに伝える。
それで、ウルクサにやってきた軍人であるデルガト伍長や船頭のニエベスらが、インディオたちに襲われるという事件が起きる。
ニエベスは逃亡し、フシーアの島へと辿り着く。
ウルクサにはフムというインディオがいて、このフムっていう人があちこちに顔出してるんだけど、このフムの行動の時系列を全く把握できなかった……
白人と交渉しようとしているんだけど、逆に吊られたりしているんだよな……


フシーアの島では、フシーアとラリータはすっかり仲が険悪になっている
フシーアは病気で脚がだめになって、それを隠そうとしているという事情もあるっぽいが、まあラリータに対して罵詈雑言を吐きまくるし、インディオの娘に次から次に手を出しているからな
そこにニエベスがやってきて、ニエベスとラリータが親しくなっていて、二人は島から逃げ出す。


一方
サンタ・マリーア・デ・ニエバには、伝道所があって、ここではインディオの娘たちを教育している。
まあ、教育しているというか、異教徒で野蛮人たるインディオたちをキリスト教徒の文明人にするのが我々の勤め、みたいに考えていて、無理矢理連れてきて、寄宿舎に住まわせて教化している。
ただ、教育を受けた後どうなるかというと、どこか白人の使用人になるしかない。
ボニファシアはかつて、フリア・レアテギのところに行かされるところだったのが、これを拒んで、伝道所で働き続けている。
しかし、そのボニファシアが、やはり無理矢理連れてこられてきたインディオの娘二人を逃がそうとして、寄宿舎の生徒みんなを逃がしてしまう失態をする。
で、逃げ出した娘たちの捜索に、治安警備隊のリトゥーマ軍曹たちが駆り出される。
一方のボニファシアは、ニエベス・ラリータ夫妻のもとへ
ラリータは軍曹をえらく気に入っていて、ボニファシアと軍曹をくっつけようと画策し、そしてそれは実際に功を奏して、二人は結婚することになる。
二人の結婚式も、クライマックス的なシーンの一つ
ボニファシアと尼僧院のシスター・アンヘリカとの会話が特に。
シスター・アンヘリカは、ボニファシアが生徒たちを逃がした時にボニファシアのことを手ひどく叱っている。一方、ボニファシアはキリスト教徒としての信心はおそらくあまり持ち合わせていないが、シスター・アンヘリカを慕っている気持ちはある。


フシーアは、アキリーノに連れられて島を出ることになる。
アキリーノが、フシーアのためを思って、イキートスの対岸にあるサン・パブロへ連れていくことにしたのである。フシーアとしては不本意なのだが。
フシーアについての話はほぼ全て、フシーアとアキリーノの会話による回想という形をとっているのだが、どうもアキリーノがフシーアを島から連れ出した時になされている会話らしい。
フシーアパートは、フシーアによる回想シーンが、アキリーノとフシーアの会話シーンとシームレスにつながっている。例えば、アキリーノの質問に対して、フシーアの回想の中にいる人物が答えているかのような書き方がされているところが多々ある。映像作品だとなくもない演出だと思うが、小説でやるとは、という感じ。
いつの出来事の話をしているのかわかりにくくて混乱もするのだが、読んでいて面白いところでもある。
アキリーノじいさんは、本当にいい人で、病気で脚が動かなくなったフシーアのことを定期的にお見舞いしにいっている。フシーアは、アキリーノが見舞いに来てくれる頻度が少ないと文句言いまくりなのだが、放り込んで終わりじゃなくて、親友のような仲とはいえ家族でもないのにちゃんとお見舞いきてくれるの人格者すぎる。


新任の中尉が、フリア・レアテギの肝いりで盗賊(つまりフシーア)を捕まえるため、フシーアの島へ踏み込む。
が、その時、フシーアはすでにいない。パンチャータは残っていて、捕まえて拷問する。


ニエベスは、以前フシーアにいたことがばれて逮捕されることになる。
軍曹はニエベスのことを逃がそうとするのだが、残りの人生を逃亡に明け暮れたくはないといって、ニエベスは逮捕されることを選ぶ。


その後、軍曹はボニファシアとともにピウラの町へと戻ることになる。
ニエベス逮捕後のラリータは、なんと治安警備隊員の〈デブ〉と一緒になり子どももできる。ラリータの故郷であり、息子のアキリーノがいるイキートスへ、〈デブ〉とともに引っ越す。
ちなみに、アキリーノじいさんがフシーアを見舞いに行ったとき、ラリータと治安警備隊員の間に子供ができていると報告している。
また、ラリータと〈デブ〉がイキートスに渡った時に、ニエベスがもう釈放されてブラジルへ行ったという話もされている。


『緑の家』 (岩波文庫)M.バルガス=リョサ (著), 木村 榮一 (翻訳) 登場人物の多さ、関係や時系列把握するの上巻では困難、それくらい複雑極まりない大作ですが、それだけに読み切った時の満足感、大き|原 正樹
『緑の家』マリオ・バルガス=リョサ(1966) - 隠し階段、踊り場
今年、バルガス=リョサが亡くなったからか、自分が読んでるブログでも『緑の家』の感想を見かけた。
自分の感想としては、後者の方が近い
バルガス=リョサ “緑の家” - three million cheers.
あと、ググってたら、LJUさんの記事も見つけた。メモがめちゃくちゃすごい
自分の再構成は色々抜け落ちているところがあると思うので、内容についてはこれらの記事も参照されたし。


訳者解説によると
バルガス=リョサは、9歳の頃にピウラの町に引っ越しており、そこで「緑の家」とマンガチェリーア地区を目にしている。1年後にはリマへ引っ越しているが、16歳の頃に、再びピウラを訪れていて、その際に、3人の楽団、とりわけその中のハープ弾きの老人が印象に残ったそうである。
これらの思い出をもとに、一度、ピウラの町を舞台にした小説を書き上げたらしいが、これは一度お蔵入りとなっている。
文学部の助手として働き始めたころ、ひょうんなことから、人類学者の密林調査に同行する。バルガス=リョサにとって初めての密林訪問だったのだが、そこでサンタ・マリーア・デ・ニエバの伝道所やインディオの集落を見る。人から聞いた話として、第二次大戦中にトゥシーアという日本人がブラジルから逃れてきたという。また、ボニファシアのモデルとなる女性からも話を聞いている。
『都会と犬ども』の発表後、次の小説として、ピウラを舞台とした小説と密林を舞台とした小説の両方を平行して書いているうちに、両者がまじりあって、本作『緑の家』ができたということである。

*1:白人二人組の正体がいずれ分かるんだろう、もしかしてフシーアなのでは、と思いながら読んでいくのだけど、最終的に、まったく知らん名前が出てくる。これが実は誰かと同一人物だったりするのでは、と思うのだがそれも特にない。この二人組は結局読者の前には姿を現さずに終わってしまったはず