『フランケンシュタイン』

ギレルモ・デル・トロ監督作品
フランケンシュタイン』は原作も未読だし、ほかの映像作品も見たことがなかった。廣野由美子『批評理論入門』を通じて、どんな作りなのかはなんとなく知っている。
150分程の作品を家で3回に分けて見たのだけど、映画館で一気に見たらもう少し面白かったかなあとも思う。


自分はデル・トロ作品もティム・バートン作品も大して見たことないのだが、なんとなく見ててティム・バートンを少し想起した。ちなみに「デル・トロ ティム・バートン」で検索すると、Redditで二人を比較するスレッドがヒットするので、連想として大きく外してはないみたい。まあ、ゴシックという点で共通しているというくらいかもしれないけれど。
そして、フランケンシュタイン家は、ゴシックっていうよりロココ的な貴族の家だけど。しかし、葬列に並ぶ人々のモノクロ感はゴシック感あるかもしれない。
映像的には、フランケンシュタイン家が一番印象的かな。
塔の氷室とかもなかなかよかった気がするけど。


3回に分けて見て、そのたびごとにメモをとっていたので、以下、それをもとにしたもの。


デンマークの北極探検船
怪物、強すぎ。銃効かないのはまあいいとして(よくない)、1人で船体を傾けられるって。
ヴィクター、めっちゃいいとこのボンボンだな。母とフランス語で会話してたようだし、召使もフランス風な感じがしたが。
弟出産により母が死に、父への復讐も込めて死を克服する研究へ没頭。
弟の婚約者の叔父からの資金援助を得る。あと、人体のリンパの標本を提供してこれがヒントになる。
弟の婚約者が、虫愛づる姫君ならぬ虫愛づる元修道女で、ヴィクターは惹かれていく。いや、弟の婚約者にちょっかい出すな。
というか、弟、ヴィクターのための研究所の施工管理(?)してくれて、できた弟すぎる。弟は弟で金融で成功しているらしい。
ヴィクターの実験、すごく肉体労働だな。遺体の継ぎ接ぎ。パーツ取りしたあとの遺体の廃棄作業など全部一人でやってるので。
エリザベスの叔父死亡。梅毒だったので新しい身体になりたかったらしいが、そのことでヴィクターと揉め事故死。
それはいわない約束だが、この研究「塔」の設備謎っちゃ謎。雷を避雷針で受けてその電流を死体に流し込む装置なわけだが、だとすると、周囲のでっかい電池は何だったの、と。あの避雷針を動かすために使ってたのか?
怪物誕生直後、できたあとのことを考えてなかったってぼそっとつぶやくヴィクターに、笑えないけど笑ってしまった。そういうとこやぞ、としか言いようがない。
怪物とエリザベスの交流、デルトロっぽいといえばデルトロっぽい?
その後の老人との交流の方が重要そう。いきなり本読めるようになるし。
冒頭に出てきた北極探検船の中でヴィクターが船長に語るという枠だが、そこに怪物が乗り込んできて、物語は怪物の章へと移る。怪物来るの早っ、と思ったけど、怪物の話も聞かないといけないしな。
自分が創られた存在だったと知る。
おじいさん、狼に襲われ死亡。「いい人間で、私の友達だ」と怪物に伝える。
怪物、自分が死ねない身体だと知る。
ヴィクターの元へ行って伴侶求める。
急にアクションシーン←ヴィクターをぶん投げると、投げられたヴィクターが天蓋付きベッドの柱を突き破って飛んでいく。天蓋付きベッドの柱が折れるっていうの初めて見たかも。
結婚式当日で花嫁衣装のエリザベスと会う。ヴィクターがエリザベスを誤射。
弟、巻き添え食らって死ぬし、瀕死の花嫁は怪物に連れて行かれるしで、ほんと不憫。
(唯一、怪物が殺したのって弟だけか? それすら偶発的なものだけど。
 エリザベスの叔父→事故死→ヴィクターがあいつがやったと弟にいう。
 小屋のおじいさん→狼に食い殺される→あとから来た家族が怪物がやったと誤解
 エリザベス→ヴィクターによる誤射→ヴィクターはあいつがやったという
 濡れ衣ばっかりきせられてる)
そして2人は北極へ??
怪物が逃げてヴィクターが追いかける(怪物がヴィクターを追いかけさせている?)というのも、北極についたら逆に怪物がヴィクターに襲いかかっているのも、なんでそういうことになるのかがうまく把握できなかった。
あとフィクションに対しては野暮なツッコミなのだが、怪物がなんで不死でなんであんなヤバい膂力あるのかよく分からんし、ヴィクターはヴィクターでよく単独で北極圏まで行けたな、というそういうところが気にかかってしまった。
遺体を継ぎ接ぎしてできた身体のリンパに雷の電気を流した結果、命を得て、怪物は誕生するのだけど、どんな致命傷負っても回復したり、狼を素手でぶち折ったり、帆船を一人で押して動かしたりといった生命力は一体どこから……。
怪物は、今まで創造主(my master)と呼んでいたのだが、ヴィクターの最期に際して、父上(my father)と呼ぶ。ヴィクターを赦す怪物、というラスト
ここも怪物の心の動きがうまく追えなかった。


見る前に読んでた記事
映画『フランケンシュタイン』:古典回帰主義から逸脱できない凡庸なゴシックホラー - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ
>ミア・ゴスの出演は喜ばしいが、彼女と「怪物」との関係性の描写にも説得力に欠ける
これは思った。
ミア・ゴスが演じるエリザベスは、昆虫が好きなのだが、怪物に対しても何かを見いだしていて、最後、怪物のもとで死ねてよかったみたいなことを言って死ぬのだが、これもまあよくわからなかった。

ケアリング・ファーザーの失望と希望ーーギレルモ・デル・トロ『フランケンシュタイン』(2025年、Netflix)|海老原豊
こちらは、原作との相違点を指摘して、父親はケアする存在にはなれないのか、というテーマを見いだしている。
ヴィクターが、父親との関係を怪物との間に繰り返している、というのは容易に見て取れるところ(なので、最後の怪物との和解は、ヴィクターにとって亡き父との和解でもあり、ヴィクター視点でいうと、最期に人生のわだかまりが解けてよかったね、とはなる)。
上の記事では、その指摘にとどまらず、エリザベスや老人が、怪物に知性を与えることができたのは、彼らが「ケアする存在」だったから、と解釈している。
読んだときは、なるほどそういう話なんだーと思ったけど、実際見てみると、うーんとなった。
海老原さんの解釈がよくない、というよりは、そうだとすると、エリザベスと老人とに分けてしまったことで、話がピンボケしてない? ということ。
上にもあったけど、エリザベスと怪物の関係の描写がなんか物足りない。老人の方にも結構な尺をさいているせいでは、という気もする。
一方、老人に友達と呼ばれて、怪物はかなり感じ入っている様子でどう考えても重要なのだが、しかし、それも物語の中でどう効いていたのかいまいちわからんし。


とまあ、かなりネガティブな方向で感想を書いてしまった。
最初の方にでてきた、ヴィクターがプレゼンに使ってた、ボールを投げるとキャッチする上半身とか、ヴィクターが遺体をぎこぎこ切ったりなんだりしてるとことか、グロテスクだけどグロテスク一歩手前くらいのところでとどまっている感じとかは、わりと見ていて楽しかったと思う。
地下に拘束しながらも、なんとか言葉を教え込もうとするヴィクターと怪物の描写とかも、こういっていいのかどうかよくわからんけど、デル・トロっぽい映像かもなあと思う。