酉島伝法『奏で手のヌフレツン』

凹面世界に暮らす人々を2世代に渡って描く物語
そもそもタイトルの意味が、一見しただけではわからないと思うが、ヌフレツンは人名である。奏で手は、この世界における職業の一つ。
酉島作品というと、漢字を用いた独特の造語による世界観が特徴的だが、本作もそれが全開であり、人名もかなり独特である。また、太陽を巨体化した人々が担いで歩くというこれもまた独特の設定が中心に据えられている。
一瞬、とっつきにくそうではあるが、読んでみると、意外なまでにその世界に入り込むことができる。出てくる固有名詞を覚えるのはやや大変かもしれないが、描かれる社会の文化、風習、生活の様子が登場人物たちの視点から丁寧に描かれており、実は結構読みやすい。ある種のファンタジー小説として読むことができると思う。
一番大枠のSF設定は、実は古典的なものかもしれない。
独特な造語や世界観に読み始めは眩惑されるけれども、実は結構ベタなエンターテイメントSF(あるいはファンタジー世界お仕事小説)として読むことができる、というか、プロットはそういうふうにできている。
ただ、それを単にベタに見せないためにこの世界観があり、それぞれが両軸となって、うまくかみ合っている作品だったと思う。


読んだことのある酉島作品
以下にあるとおり、年刊SF傑作選またはアンソロジーでは読んでいて、並べているとそこそこの本数既読だったことに自分でも驚いた。
初めて読んだ頃はちょっと苦手かなという感じがあったのだが、次第になじんでいったというか、面白く読めるようになっていき、そろそろちゃんと読んでみようか、と思っていたところだった。
大森望・日下三蔵編『年刊日本SF傑作選さよならの儀式』 - logical cypher scape2
大森望・日下三蔵『折り紙衛星の伝説 年刊日本SF傑作選』 - logical cypher scape2
大森望・日下三蔵編『年刊日本SF傑作選 アステロイド・ツリーの彼方へ』 - logical cypher scape2
『BLAME! THE ANTHOLOGY』 - logical cypher scape2
大森望・日下三蔵編『行き先は特異点 年刊日本SF傑作選』 - logical cypher scape2
大森望・日下三蔵編『プロジェクト:シャーロック 年刊日本SF傑作選』 - logical cypher scape2
宙を数える 書き下ろし宇宙SFアンソロジー - logical cypher scape2
高山羽根子・酉島伝法・倉田タカシ『旅書簡集 ゆきあってしあさって』 - logical cypher scape2]


今まで短編ばかり読んでいて、酉島の長編を読むのは初めて
上述したとおり、酉島というとその独特な世界観や登場人物が地球人類ではないことなどが特徴としてあげられるが、長編を読んでみると、なかなかストーリーも面白い。
物語は二部構成になっていて、第一部が「解き手のジラァンゼ」、第二部が「奏で手のヌフレツン」というタイトルだが、親子2代に渡る物語になっている(もっというと、リナニツェ→ジラァンゼ→ヌフレツン→ヌグレミの4代ではあるのだが)。
第一部では、この社会の生活や風習などをじっくり描きつつ、この世界に少しずつ危機が近づいてきていることを匂わせ、第二部では、その危機に対して、ヌフレツンを中心とした奮闘が描かれる。タイトルに奏で手とある通り、その奮闘の手段として音楽がある。
第二部のヌフレツンを、陰に陽に助けてくれるのが、ジラァンゼの友人たちであったりする。彼らの社会は、基本的に伝統や言い伝えに対して保守的であるのだが、危機の迫る時代において、ジラァンゼ世代の中で少しずつ変化が生じている。
第二部、特にその後半において、いわゆる伏線回収というか、第一部の登場人物たちが重要な人物として再登場してきたり、あるいは、思わせぶりに話されていたものごとの意味がわかってきたりしていく。
後半は、手に汗握る展開というか、冒険行があったりなんだりで、単純に面白い。いや、どんどん大変なことになっていくのだけど、それへの解決もあり、最後には大団円を迎える。
設定面では、あれって結局どういうことだったんだろうというところがないわけではないのだけれど、物語的には満足できた。



球地(たまつち)という球体の内部空間が舞台となっている。スペースコロニーのような感じで、遠くを見ると地平線ではなく垂直面が見える。また、中心には毬森という無重力となっている場所がある(この世界では「裁定者」というのが信仰の対象となっているのだが、重力のことが「裁定力」と呼ばれている)。
いくつかの黄道があって、4つの太陽がその道を歩いている。黄道ぞいに聚楽(じゅらく)があって人々はそこで暮らしている(聚楽=集落、ということだろう)。
球地には8つの聚楽があって、その中の、叙の聚楽が主な舞台となっている。
人々、と書いたが、この世界では落人(おちうど)と呼ばれている。挿絵がなく、本文中でもどのような姿をしているのかの記述はないが、性別はないようである。また、乳歯の脱落や散髪でかなりの痛みが走るらしい(聚楽では、痛みを感じることが功徳を積むこととされている)。
単為生殖で形成される家族と、職種ごとに徒弟制のように形成されている房が、社会の単位。子供は照子屋(てらこや)で初等教育を受け、房で手習いとなって働き始める。基本的には代々同じ職業に就いているようだが、一応、職業選択の自由はある(罪人だけがなる、陽採り手という職種もある)。
性別がなく、親のことは「親さ(やさ)」、きょうだいのことは「同胞」とよび、兄ないし姉は「先胞(さきがら)」(呼びかけるときは「先胞(まあ)さ」)、弟ないし妹は「後胞(あとがら)」と呼ぶ。
なお、一人称は「吾(わ)ぁ」や「己(な)」で、会話を読んでいるとどことなく昔話っぽさもあり(集落に寺子屋なので、そのあたりも含めて)、独特な言葉を使っているのだが、馴染みやすいところもある。
子供の頃は、戻生の力があって、体の一部が切られてもトカゲの尻尾のようにまた生えてくる。大人になるにつれてこの力はなくなる。
単為生殖により受陽する(妊娠する)。聚楽には療治処という病院があるが、出産は療治処にはいかず、産まれそうになるとそのへんにうずくまって出産している。単為生殖なので片親だけで働きながら育てることになるが、育み処という保育所が整備されていたりする。
(特定の他人と親しくなること(番になること)は下等生物の行いと忌避されている)
で、ここからが特殊で異様なところだが、ある程度年配になった落人の中から、定期的に「聖人」が選ばれる。体に突然、印が浮かび上がってくる。その後、身体が巨大化していく。そして「聖人式」により列聖する。すなわち、彼らは太陽の脚になる。太陽に上半身がめり込む形になり、みぞおちまで裂けた脚が太陽からにょきっと突き出た感じになる。常時、54人の聖がいて108本の脚が太陽を運び続けている。聖人式で何人かずつ交代していく。
幼児は「お陽様しょいたい、しょいたいなー」という童謡を歌っており、聖となるのは大変名誉なこととされてはいるのだが、まあなかなかにグロテスクといえばグロテスクな設定ではある。
あと、この世界には月や星という謎の生き物のようなのがいる。
月は、太陽のあとをついて歩いていて、太陽がこぼす陽だまりを食べる、だけでなく、人を食べることもある。立待月は、立って人が通りかかるのを待っている月、とか。
星は、馬のように使役されているっぽい。彗星が荷車を引いてたりする。隕星は、鞠森にあがるためのリフトのような働きをしている。
一方、夜這い星といって、夜に人に襲いかかってくる星もいる。
太陽も生き物のような存在で、老いて死ぬことがある。子どもの太陽が、環海(わだつみ)から産まれてくる。


物語は二部構成になっていて、第一部が「解き手のジラァンゼ」、第二部が「奏で手のヌフレツン」である。
第一部は、ジラァンゼがまだ照子屋に通っている子供時代、親さのリナニツェに聖人式の日から始まる。
リナニツェはもともと、霜の聚楽出身だが、霜の聚楽では蝕が起きて太陽を死なせてしまう(蝕は文字通り月に食べられてしまうこと)。霜の聚楽から逃れてきた人々は不吉な存在扱いされていて、ほかの聚楽はなかなか受け入れない。リナニツェはかろうじて叙の聚楽まで逃げてきて、煩悩蟹の解き手としての職を得ていたが、それでも、疎まれたり陰口を言われたりしてきた。
煩悩蟹の解き手って何かというと、この世界には煩悩蟹という蟹がいて、それを文字通りほぐしている。で、それが食材や建材に使われている。
蟹とはいうが、地球の蟹とはかなり違う生き物で、おそらく鋏はなくて、惨斬(ざんきり)という、おそらく角のような部位があって、これが解体作業するにあたってはかなり危険。
なんで煩悩蟹というかというと、人々の煩悩が封じ込められているというふうにいわれていて、内臓の名前が、嫉臓、悔臓、惛臓、忿臓などといった感じで、単に蟹の殻剥きをやっているというだけでなく、貯められてきた煩悩を浄化していくという文化的・精神的意味合いも付与されている。
で、この煩悩蟹の解体作業について、かなり細かく記述されている。ジラァンゼが手習いから見習いとなり、見習いを卒業し、さらには師範へ出世していく中で、どのような作業工程があって、どのように熟練していくのかが描かれていて、全く架空の職業だというのに、すごくリアリティがある。
この作品、世界観や固有名詞だけ取り出すととっつきにくそうな感じがあるが、実際に読んでみるとすらすらと馴染んでいけるのは、こういう生活感みたいなものが描かれているからではないか、と思う。
SF的な理屈の説明とかではなくて、茹でられた蟹は素手で持つには熱いので見習いは手袋をするのだが手袋をはめると上手く作業できないとか、模型を使って何度も練習してきたが実際に殻を割ってみると内臓の配置が異なっているとか、そういうディテールの描写にページが割かれている。


第一部は、そうしたジラァンゼの職人としての人生が描かれていくわけだが、仕事の話だけでなく家族や友人たちの話が物語を動かしていく。
ジラァンゼには、先胞(さきがら/兄もしくは姉にあたる存在)が3人いる。そのうち、上の2人はやはり解き手となるのだが、3番目のヨドンツァはある種の「奇人」であり、家族の悩みの種でもある。
ヨドンツァは、太陽からつくられる食べもの輝晶を受け入れられない特殊な体質であり、そのため、幼い頃から虫にたかられやすく、虫除けが欠かせなかった。そこから、ヨドンツァは薬に興味を持ち、薬手の道を選ぶ。ところが、薬手としても異端児で、房主の方針に逆らい、自分独自の調合を行うようになる。
そもそもヨドンツァは、この社会における裁定者信仰を全く信じておらず、苦痛を味わうことは功徳を積むことではないし、聖になることも名誉ではなく刑罰だという。
苦痛=功徳とされるこの社会では作られてこなかった痛み止め(宥痛剤)を作り、ジラァンゼにこっそりと渡す。ジラァンゼは罪悪感にかられながらもこれを使う。そして、ひっそりと周囲の友人にも渡すようになる。ジラァンゼが大人になる頃には、すっかり痛み止めの使用が一般化していくという社会の変化が描かれたりしているのも、またなかなか面白かったりするのだが。
とにかく、ヨドンツァは聚楽の人々からは不信心な不届き者だと思われているし、家族からすると厄介者ではある。
一方で、読者からすると、ヨドンツァの話が、この世界の設定に関わることを話しているんだろうなあということがわかってくるし、それは後半になるにつれて、よりはっきりしていく。
ヨドンツァを通して、この物語の主人公(ジァランゼとヌフレツン)と読者は少しずつこの世界の謎へと接近していく。
ヨドンツァは結局、叙の聚楽を離れて鞠森で薬手となるが、時々、叙の聚楽にも降りてくることになる


一方、ジァランゼの物語でもう一人の重要人物は、照子屋時代の友人ラナオモンである。
ラナオモンは、楽器を作る鳴り物工房の子であるが、奏で手になることを夢見て、実際にその夢を叶えることになる。
奏で手というのは文字通り、楽器奏者のことだが、この社会で音楽は娯楽ではなく、太陽の歩みを支援するもののようである。この聚楽社会において、ある種の知識人階級のような存在にも思える。
ところがこのラナオモンは、肺病を患った結果、あんなにも憧れていた奏で手を辞めることになる。
しかしそれでも、浮流筒(ふるとう)を弾きたい一心で、罪人でもないのに陽採り手となったのだ。
陽採り手は、太陽からこぼれ落ちる陽だまりを拾い集める者たちだが、陽だまりは、太陽の後を追いかける月も群がってくるし、陽だまりそのものも非常に熱いため、命を落とす危険が高い職業である。
ただ、陽だまりをもとに、輝晶やお陽練り(おひねり)などが作られる。特別な食べ物でもあり、また燃料としても使用される、貴重な資源である。
輝晶は、家庭内で定期的に行われる賜陽の儀の時だけ食べることができる特別な食べ物で、体内の陽のめぐりをよくする。甘いらしくて子どもも好んで食べる。
何故、奏で手であるラナオモンが陽採り手になったかというと、陽採り手の中には、楽器を奏でることで月の接近を阻む役割を持つ宥め役がいて、宥め役になることで浮流筒(ふるとう)を弾き続けられることになったのである。
奏で手は決して演奏しようとしない、肯楽という譜を奏でる。
ところでラナオモンは、ジァランゼが時々口ずさむことのある節がとても気に入っていた。それはかつて、霜の聚楽では奏で手であったリナニツェが口ずさんでいたもので……ということで、叙の聚楽には伝わっていないが、霜の聚楽には残されていた譜の存在、というのがずっと物語の背景にあって、これが後半の展開に結びついていく。


ラナオモン以外に、ジァランゼの友人として、布繰り手のマヤイコフ、奏で手のディアルマ
漁り手のゾモーゼフやルソミミ、あるいは、解き手の房でのライバルであり一つ上の先輩であったイェムロガといった人々がいて、第一部では若者から中堅世代だった彼らが、第二部では社会のリーダー層となっていく*1


第二部は、ジァランゼの第二子であるヌフレツンが主役となる。
親さと先胞が同時に聖となってしまい、ヌフレツンが家族の中で最年長となるが、まだ親仕(やし(親が亡くなったりすると同胞の年長者が親仕という親権者になる))になれる年齢ではなかった。
そこに、鞠森からヨドンツァが降りてきて親仕となる。
さて、ヌフレツンはもともと、何をするにも不器用な子であったが、奏で手になろうとしていた。ただ、ラナオモンのこともあって、ジァランゼはヌフレツンを奏で手にするには消極的で、解き手にさせようとしていた。
第一部の後半は、子を思うあまり子の希望する進路を妨げてしまう親と、親の心子知らずの子の親子物語だったりする。最終的にジァランゼはヌフレツンが奏で手になることを応援することを決めるのだが、直接伝えられないままに終わってしまう。
ヌフレツンは、若くして、ジァランゼの聖人式での奏者に大抜擢されるのだが、ジァラゼンのことを心配して席を離れてしまい、謹慎を命じられる。
第二部は、ヌフレツンの謹慎から始まる。
そして、ヌフレツンは奏で手ではなく、陽採り手の宥め役になる道を選ぶのである。
第二部の後半では、太陽の歩みが遅くなり、月に追いつかれそうになり、蝕が起こりそうになるのを必死に食い止めようとする
そして、霜の聚楽に譜を探しに行くための遠征が行われ、最後には、失われた譜である〈虹(ぬじ)〉の大合奏が実行されることになる。
このあたりの一連の流れは、非常にエンタメしていると思う。映像で見たい。
月を必死に食い止めるあたりは、補給の少ない殿部隊が頑張って抑えているが、じりじりとおされていく、みたいな雰囲気で
遠征は旅の仲間感がある。前段で一緒に戦った陽採り手・奏で手と、ヌフレツンの従胞(いとがら)、つまり同じリナニツェの孫も加わって、道なき道を寒さに震えながら、霜の聚楽へと向かう。その途中、夜這い星に襲われながらも、と。


蝕となって歩みを止めてしまい、そのまま少しずつ大きくなっていく太陽(昼も夜もなくなり、次第に家が飲み込まれていく)
これに対して〈虹〉の大合奏が行われ、禁じられていた聚唱(合唱)が行われ、譜の指示通り、鞠森から噫茗が撒かれる。すると、それにひかれて工虫がやってくる……
最終的な結末として、
蝕になった太陽の中にいた聖たちは、聖になった時点で個としての意識は消えて集合意識化しているのだけど、虹の合奏によって、玉地の外へ脱して、宇宙空間へと飛び出して生命体が生まれうる惑星を探す旅に出た、ということらしい。
一方、玉地の中では、地面を歩むのではなく、空を飛ぶという全く新しい太陽が誕生し、めでたしめでたし、ということになる。
この新しい太陽は、あーなるほど、鳥が好きだったものねーという納得もありつつ、いやいやそうなっちゃうのという感じもありつつ、ではあるが。


玉地というのは、おそらく何らかの人工的な天体で、しかし、落人たちというのはそのことを忘却してしまった民なのだろう、みたいなことはわかる。
とはいえ、結局のところ、一体何だったのかというのは、どうもはっきりわからない。
この世界が始まった頃からの生き残りである堕務者というのが出てきて、一応、色々語っているのだが、聞き手であるヨドンツァが判じ物めいているという通り、堕務者の語りは筋道がたっておらず、結局なんだったのかがわからない(まあ、読み直したらわかるのかもしれないけど)。
ヨドンツァは堕務者の語りから、落人は何らかの罰を科せられていて、この玉地はいずれ崩壊するんだ、みたいな認識をもっていたっぽいけれど、そこらへんは必ずしも正しくはなかったように思う。まあ、空に浮かぶ太陽ができたことで、空のない世界に空ができる話、だったのか? 
あと、落人は散髪すら痛みになる、とかは、なぜそんな仕組みになったのか、結局謎だし。
最後に聖たちの意識が宇宙に行くの、新しい惑星へ向かうための仕組みとかなんだろうし、それもある意味では玉地世界が仮初めのものなのだろう、と思わせるけど、そのための聖人システムも意味がよくわからないしな。
人工的なものというよりも、玉地全体が、自然淘汰によって作り上げていったシステムなんだろうか
そういう意味では、聖人になる基準とかもよくわからないままだった。
なので、ヌグレミが最後に選ばれた理由もわからない。
そもそも、ヨドンツァが、夜見る夢の中で、青空を見る(つまり、玉地のような凹面世界ではなく、普通の地球のような惑星表面の世界を夢で見ていた)人だったのだけど、ヨドンツァやヌグレミは、あの世界の中で特別な人・特別な血縁だったのか、そういう特別性はなく、偶然そういう事象が起きていただけだったのか、とかも、考えてみるとちょっと気になってくるところではある。
ここらへんは、まあそもそもそういう世界なんだな、と思って読んでいる分にはあまり気にならない。ただ、この世界って、ナウシカ的な人為的に作られた世界なんかなとか考える始めると、ちょっと気になってくる。

人物

  • 主人公の家族

第一世代:リナニツェ
リナニツェの子:リノモエラ、ロムホルツ、ヨドンツァ、ジァランゼ
リナニツェの孫:リマルモ(リノモエラの子)、ロムイソ(ロムホルツの子)、トバイノ(ジァランゼの子)、ヌフレツン(ジァランゼの子)、ラダムンミ(ジァランゼの子)
リナニツェのひ孫:ンモサ(トバイノの子)、ヌグレミ(ヌフレツンの子)
ここまでで、ヨドンツァとヌフレツン以外は全員解き手である。
ジァランゼは、房主にはなれなかったが、リナニツェがなれなかった師範まで出世することができた。
ロムホルツは負傷がもとで亡くなっている。リノモエラは次第に病気がちになっていった。
リマルモとロムイソは、のちにヌフレツンの遠征に同行した。
トバイノは生まれたときから大柄で食欲旺盛だった。
ラダムンミは寝癖の子、だったかな。
ンモサは幼少期から薬に興味をもち、脚を失ったことがきっかけでヨドンツァに引き取られて、鞠森へ。
ヌグレミは鳥が好き

  • その他

セノウモン:ラナオモンの先胞
死に急ぎのグクタイラ:陽採り手。まだ若かった頃にラナオモンのことを知っていて、ベテランになってからはヌフレツンとともに働く
イノニンカ、ノースヲイ、ゼンササ
奏で手時代のヌフレツンの友人。師
イノニンカは檀師の地位に就いたが、蝕の際、ヌフレツンとともに宥め役となり遠征にも同行した。
ノースヲイは、阜易が夜這い星に効くことを発見し、この発見が、のちの遠征で役に立った
ゼンササは、ヌフレツンが抜擢された後に友人になったが、ヌフレツンが謹慎中、解き手の手伝いをしていると解き手の仕事への蔑視をあらわにし、ヌフレツンが宥め役となると離れていった。伝統保守派となり〈虹〉の合奏に抵抗し続けた。

用語

ここでは、日本語のもじりになっているようなものを主にあげる

  • 焙音璃(ばいおんり)、靡音喇(びおんら)、千詠轤(ちえいろ)、万洞輪(まんどうりん)、浮流筒(ふるとう)、往咆詠(おうほうえい)などなど

他にもあるのだけど、書き写すのが大変なのでこのへんで。
読み方から想像される楽器と、ほぼ同じ形態の楽器だと思われる。
演奏される音楽については、阜易楽や月易楽、聖楽、肯楽などのジャンル(?)があるっぽい

  • 陽臓(ひぞう)

あと、火偏に亢で「かん」とよませて「かんぞう」も
どちらも人の臓器。

  • 噫茗(あめい)

鞠森にある植物から作られる甘い食べ物

環海(わだつみ)でとられる魚で、お祝い事などの際に食べられる。墨は書き物に使われる

  • 熾燃薯(しねんじょ)、何々鶏(かかけい)、瘤芋(こぶいも)、腫芋(はれいも)、胡乱粉(うろんこ)

おおよそ、読み方ないし漢字から想像されるような食べ物なのだと思われる。

  • 段堕螺(だんだら)、唾脂(つばきあぶら)
  • 癒葉(ゆば)

貼って使う医療用具
薬を浸み込ませた包帯?

  • 革包

この世界における鞄

  • 爛蛋(らんたん)

これはランタンのことだったはず

  • 羽蜘(はち)

この世界、いろんな虫がいるのだけど、大体は我々の世界にはない名前の虫だけど、例外的に「はち」がいる。ほかは、工虫とか死出蟲とか如飛虫とか奪衣羽とか。あ、もじり系だと眠々蝉がいた。頭が眠気覚ましになる。

読み方はよもぎだけど、漢字の通り樹木っぽい

  • 割刳魚(かっこう)

読み方はかっこうだけど、漢字の通り魚。確かなんか攻撃的な奴で食用ではなかったはず。

  • 務者(むしゃ)

聖人に選ばれ、巨体化すると「務者」と呼ばれるようになる。
単に体が大きくなるだけでなく、内臓が変化して普通の食べ物は食べられなくなり、顎の肥大化で言葉がうまくしゃべれなくなる。

  • 堕務者(おちむしゃ)

子どもを怖がらせる怪談に出てくる存在だが、実は実在している。

  • 閻浮堤(えんぶだい)

玉地(たまつち)より以前にあった世界のことを指している?
普通の落人たちの閻浮堤についての認識と、ヨドンツァの閻浮堤についての認識が違った気がするので、ちゃんとはわからない。

*1:ルソミミとジァランゼは第一部の最後で聖となるので第二部には出てこないが