中川裕『ゴールデンカムイ 絵から学ぶアイヌ文化』(一部)

マンガ『ゴールデンカムイ』でアイヌ語監修を担当した筆者による、アイヌ文化解説の本。
同様の本としては既に『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』があり、それの続編、という位置づけでもある。
何故、続編の方を読んだかというと、こちらの方には、アイヌだけでなくニヴフ、ウイルタについての解説もある、と知ったから。
そういう動機で手に取ったので、そこをメインで読んだ。
アイヌ文化についての解説書となっているが、かなり『ゴールデンカムイ』ファンブック的な要素があるというか、『ゴールデンカムイ』考察みたいなところがちょいちょいある(筆者自身が「考察」といっている)。


今年読んだアイヌ・北方民族関係の本
リチャード・シドル『アイヌ通史 蝦夷から先住民族へ』(マーク・ウィンチェスター訳) - logical cypher scape2
菊池俊彦『オホーツクの古代史』 - logical cypher scape2
『ロシア極東・シベリアを知るための70章 (エリア・スタディーズ)』(一部) - logical cypher scape2
2冊目の本は、オホーツク文化とサハリンのニヴフを結びつけて論じている。

第1章 アイヌの精神文化/第2章 コタンの生活風景/第3章 道具たちの織り成す世界/第4章 アイヌの一年

いくつかのトピックのみ

  • 入れ墨

アイヌの特徴として入れ墨があるが、入れ墨を入れている民族はアイヌに限らない。琉球でも入れ墨の風習があり、太平洋地域に広く見られる風習である。また、魏志倭人伝を見れば、倭人も入れ墨を入れていたことが分かる。
筆者は、アイヌは何故入れ墨を入れるのか、ではなく、和人は何故入れ墨をいれない(いれなくなった)のか、と問うた方がいいという。
そしてその理由は、大陸からの影響だろう、と。大陸では、入れ墨は刑罰の一種とされていたため

  • 文様

アイヌの民族衣装にみられる文様について
魔除け説があるが、北原モコットゥナシによると、これは根拠がないという。
筆者は、入れ墨同様、アイヌ以外のことも見た方がいいという。実際、似た文様は北東アジアで広く見られる、とのことである。
ところで、アイヌにとって、文様入りの衣装はいわば晴れ着であって、普段は無地の服を着ていた、と。マンガでは、アイヌの登場人物は文様入りの衣装を常に着ているが、あれはアイヌであることを分かりやすくするためのマンガ的表現だ、と。

  • 鹿・鮭

アイヌはあらゆるものをカムイと呼ぶが、鹿や鮭のことはカムイと呼ばない。
あれは、鹿をまくカムイとか鮭をまくカムイとかが、まいてくれる食糧
鹿や鮭というのは、アイヌにとって空気や水のような存在だったのではないか、と。
また、筆者は、鹿や鮭は群れで動いており、個体の意志を感じられない点でカムイと呼ばれなかったのではないか、という解釈も述べている。

第5章 極寒の地に住む人々―樺太アイヌニヴフ、ウイルタ

樺太アイヌについて北原モコットゥナシ、ニヴフについて白石英才、ウイルタについて山田祥子が解説を寄せており、それに筆者の中川が補足している、という構成になっている。みな、『ゴールデンカムイ』の監修者でもある

まず、樺太という島について、その名前の由来やどのような人たちが暮らしている(た)か、日本とロシアの間での領土交換の歴史などが説明される。
アイヌにも北海道アイヌ樺太アイヌがいて(本書には出てこないが千島アイヌもいる)、同じアイヌなので共通することも多いが、違いなどが説明されている。例えば、言葉の面とか。
単にカムイとだけ言う時、北海道アイヌの場合、ヒグマをさすが、樺太西海岸ではトド、樺太東海岸ではアザラシをさすらしい。
それだけ、トドやアザラシが生活において重要な位置を占めている。防寒具とかにもなるし。
マンガの中にも出てくるが、夏の家と冬の家とがある。冬の家(トイチセ(土の家))は、半地下の竪穴式住居


以下は、中川による解説部分。
トンコリについて
アイヌの伝統的な弦楽器として有名なトンコリだが、これは樺太の楽器らしい。
ただ本書では、北海道でも作られていたという話をしている。いつから北海道で作られていたかは分からないのだが、実は思われていたより古いかも、というような話がされている。
あと、キロランケの持ってるトンコリが、普通のトンコリとペグの位置が違っていて、中川は不思議に思っていたのだが、後日、同じデザインのトンコリの写真を見つけて、これを参考にしていたのか、と分かった話とか。
あと、北海道にはなくて樺太に特有の物として犬橇とか。
それから、トイチセ(竪穴式住居)とコロポックルの関係について
コロポックルというのは「フキの下の人」という意味だが、アイヌ語文法的に少し変らしい。また、北海道のフキはでかいので、フキの下にいるからといって小人のイメージにならないのでは、と疑問を呈し、むしろ、竪穴式住居と関連付けている。
北海道東部に竪穴式住居の遺跡が残っていて、アイヌの人たちは、自分たちの前にいた人たちの住居だと考えた。フキの下というのは、その住居がフキの生い茂ってたところの下にあったから、ではないか、と。
マンガではコケモモという意味のエノノカという名前の少女が出てくるが、樺太アイヌの食文化としてのコケモモの話や、チエトイ(珪藻土)の話も。
珪藻土って食べれるんだ……

文化の継承について
ニヴフ語は使われなくなっていて、若い人はもうニヴフ語が分からないが、一方で、料理は継承されていて、夕食の中に一品、ニヴフの伝統料理があったり、ということはある。筆者(白石)もニヴフ料理を振る舞ってもらったことがある、と。
ニヴフの食文化にとって、ベリーはとても重要。デザートではなく主食という位置づけ。コケモモをはじめ様々なベリーが食べられている。
また、モスという料理があり、鮭の皮のゼリー(煮こごり)にベリーを混ぜたもの
お菓子だが、精神世界との結びつきも強く、子どもの頃海で怪我した際に母親がモスを作って海に捧げていた、という話も。刃物で切り分けてはいけないというタブーとか。
なお、かつてギリヤークと呼ばれたがこれは民族他称で、今は民族自称のニヴフで呼ばれる。

  • ウイルタ

非常に人口が少なく、統計史上、人口が1000人を超えたことがないという。
20世紀前半で500人程度(ただし、遊牧民なので当時の日本政府ならびにロシア政府が補足しきれなかった可能性はある)。戦後は300~400人で推移しているという。現在はサハリンのポロナイスク周辺やワール周辺に多く住んでいる。
そんなに少なかったのか……。
樺太が日本領だった関係で、北海道移住者もいた(代表的な人物としてダーヒンニェニ・ゲンダーヌ(北川源太郎)さんがいる)。ただ、この次の世代はウイルタを名乗っておらず、現在日本におけるウイルタ人口は0である。
ウイルタも、樺太アイヌニヴフと同様に漁労や狩猟採集を行うが、彼らと大きく異なるのがトナカイ遊牧である。
日本語、アイヌ語ニヴフ語が孤立言語なのに対して、ウイルタ語はツングース諸語である。
アリというトナカイの乳で作るバターを食すが、これはエヴェンキから伝わったもので、アリもエヴェンキ語からの借用語
エヴェンキについては遅子建『アルグン川の右岸』(竹内良雄、土屋肇枝・訳) - logical cypher scape2で読んだことがある。
やはり、冬の家と夏の家がある。冬の家は、トナカイの革などを利用したテント。夏の家は、漁労生活時に使っていて、冬の家が本来の家、夏の家は作業小屋という感覚らしい。
1920年代、日本政府により敷香(ポロナイスク)に集住させられ、子どもを学校に通わせるために定住するにより、文化が急激に衰退した。
ウイルタUiltaについては、ウィルタと表記されることもあるが、ウィではなくウイという発音の方が近い、と。また、かつてはオロッコなどと呼ばれていたが、これも民族他称。
また、ウイルタ語はそもそもカタカナ語表記するのが難しく、マンガの中でのウイルタ語のカタカナは監修者として頑張って作ったところがある、と。


以下、中川により書かれた部分。
まず、中川自身はニヴフやウイルタの研究者ではないことを断った上で、1990年のサハリン島への国際調査に同行した際の話が書かれている。
ソ連時代、ほとんど現地調査というのはできず、1990年に許可が下りて、国際的な調査団が派遣されたという。
彼らは、日本人以上の魚食民族だという。
日本人は醤油をつけて食べるが、彼らは魚にそういった味付けを施さないという。魚臭くて食べれないという人もいたが、真に魚の味を味わっている、とも。

第6章 世界史の中の「ゴールデンカムイ

文字や土人学校について
土人学校では日本語のみで教育されアイヌ語で教育されなかったから、アイヌ語が廃れたと言われているが、中川は、学校教育を過大視しすぎでしょ、と指摘。そもそも、学校に通っていなかった者も多い。
アイヌは文字をもたないという点について、中川は、今のアイヌは文字を持っているのだという。
カタカナによるアイヌ語表記のため、元々のカタカナにはなかった、小さな文字が作られたりしている。これは、アイヌ語が文字をもったといってよいのだと。
もしカタカナは日本語だからアイヌ語にはやはり文字がないのだ、というなら、英語やフランス語やドイツ語も文字はないことになる、と。元のカタカナにはなかった小さな文字の発明は、アクサン記号の発明と同様なのだ、と。


ウイルクの設定について
中川は『ゴールデンカムイ』に対して、アイヌ語監修という立場で関わっており、物語や設定には基本的に関与していないが、ウイルクがポーランド人とのハーフであるという設定は、実は中川が提案したものだという裏話を明かしている。
元々、野田は、ウイルクをツングース少数民族として考えていて、どの民族がいいかということで中川に相談があったという。しかし、ツングース系はみな和人と変わらぬ見た目をしており、青い目の民族はいない。それで、極東にいてもおかしくない青い目の民族は、ということで思いついたのが、ポーランド人だった、と。


キロランケはタタール人で、曾祖母が借金のかたでアムール川流域に連行された樺太アイヌ、という設定
この借金のかたで連れてこられた、というのは実際にあったことらしく、江戸時代、樺太アイヌアムール川流域の山丹人と、毛皮と絹を交換する山丹交易を行っていたが、毛皮が獲れなかったときに、アイヌが連れ去られたという記録があるらしい。


第5章と同様、ソフィア・ゴールデンハンドについては熊野谷葉子*1が解説を書いており、中川も追加的に書いている。

ソフィア・ゴールデンハンドには、モデルとなった実在の人物が2人いて、それが、革命家のソフィア・ペロフスカヤと女盗賊のソフィア・ブリュヴシュテインである。
本章では、フィクションの人物であるゴールデンハンドについても解説した後、実在の人物2人についても解説している。
ソフィア・ペロフスカヤは貴族出身だが、ナロードニキ運動の中で庶民の中で生活し、最後は、アレクサンダー二世暗殺事件の首謀者とされて27歳で処刑された人物。
もう一方のソフィアは、ソーニカ・ザラダーヤ・ルーチカ(ソフィア・ゴールデンハンド)という愛称で呼ばれた女泥棒で、本名はソフィア・ブリュヴシュテインだとされている。
ワルシャワ近郊のユダヤ人家庭に生まれ何不自由なく育ったが、ある時家出をして、15歳頃から泥棒稼業を始めたといわれる。泥棒ないし詐欺師みたいなことをやっていて、脱獄も繰り返していたらしいが、いわゆる「義賊」的な人だと思われていて、ロシアでは映画やドラマによくなっているらしい。最後は、サハリンの亜港監獄に収監されている。
チェーホフがサハリンにいって会っているらしい。
最後に、中川からの補足で(熊野谷が見つけてきた話らしいが)、石川啄木の歌の中に5歳の子をソニヤという名前で呼んでやったら喜んだという旨の歌があるのだが、このソニヤが、どうもソフィア・ペロフスカヤのことをさすらしい、と。啄木は社会主義運動に傾倒していたので、ソフィアに憧れていた可能性がある、と
啄木は『ゴールデンカムイ』にも登場しており、作中のソフィアとはニアミスしている。

第8章 「ゴールデンカムイ」のアイヌ語せりふ解説

中川が、作中のアイヌ語せりふをどのように作ったか、ということが解説されている。
架空の方言というか、色々な創意工夫がなされていたことがわかる。
アイヌ語は方言が多くて、例えば「父」を表す言葉も地域で結構違うらしい。『ゴールデンカムイ』では「アチャ」と呼ばれていたが、多くの地域ではむしろ叔父をさす言葉らしい
ただし、知里真志保の辞典で、アチャが父親という意味で使っている地域があることが書かれていて、架空の小樽方言として採用された、と。
アニメ化に際して、じゃあアクセントはどうなっているのか、となった時には結構悩まされたらしい(これも地域によって、アにアクセントがある場合と、チャにアクセントがある場合がある)

*1:編集部が二人のソフィアについて説明を依頼した人