ウクライナの事例を紹介しながら、「戦争後の法」について概説する本
具体的には、戦争犯罪の裁判や、捕虜や遺体の返還、賠償などについてである。
これらのテーマ自体、あまりよく知られていないことだと思うので、それ自体が面白い。
また、ウクライナの具体例にそって進むので、戦争犯罪裁判に限らないウクライナの司法事情が見えてくるのが面白い(オンライン化、データベース化がかなり進められているのが分かる)。
そもそも、ウクライナは現在もロシアと戦争中であるが、一方で、戦後処理ともいえる戦争犯罪裁判を、開戦直後から始めていて、既に100件以上行われているということを全然知らなかったので、それも面白かった。
また、賠償制度などが、近年になって整備が進んでいる、というのも興味深かった。
越智萌『だれが戦争の後片付けをするのか』(ちくま新書) 7点 : 山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期で知った。
この書評を読んだ際に、そういえばと思い出したのが、上杉勇司『紛争地の歩き方―現場で考える和解への道』 - logical cypher scape2のことで、今回、あわせて読んだ。
これはあわせて読むと結構面白いと思う。
『紛争地の歩き方』では、応報的正義と修復的正義とを対比させていたが、本書では、修復的正義をさらに批判的に発展させた変革的正義という概念もあることが紹介されている。
『紛争地の歩き方』で主題であった和解は、本書では、さらりと触れられているだけだが、理論的な観点から位置づけが整理されていると思った。
はじめに
第1章 戦争犯罪捜査
第2章 戦争犯罪裁判
第3章 ICCによる逮捕状
第4章 兵士の帰還
第5章 被害者に対する賠償と和解
第6章 ユス・ポスト・ベルム(戦争後の法)
おわりに
あとがき
読書案内
第1章 戦争犯罪捜査
戦争犯罪であっても、通常の犯罪と同じようにまずは捜査が行われる。
ウクライナの戦争では、開戦直後から捜査が始まってて、検察が現地にいって証拠保全をしてきたらしい。
電子化が結構進んでいる話、市民からの情報提供アプリや、国際的に証拠を共有するデータベースが整備されていることなど(普通、捜査情報は国外と共有しないが、難民が国外にいっていてそこで証言を集めたりするケースがあるので)
ジュネーブ条約には、締結国には戦争犯罪を捜査する義務があることが定められている、
第2章 戦争犯罪裁判
ウクライナで実際に行われてきた裁判の事例が紹介されている。
というか、ウクライナの戦争、まだ戦争中であるわけだが、既に多くの裁判が行われ判決も出ているということを知らなくて、驚いた。
(初の戦争犯罪裁判が終わったのが2022年5月、2025年3月14日段階で103件の裁判が終結)
ロシア兵を被告としてウクライナの裁判所で行われている裁判である。東京裁判で喩えるとB級戦犯にあたるもの。
戦争犯罪、ではあるが、裁判官、検察官、弁護士はウクライナ国内の普通の裁判を担ってきた人たちがやっていて、裁判のプロセスも普通の裁判同様のようだ
戦争においては、武力紛争法という国際法があるが、ウクライナの法曹関係者は急遽これを勉強することになった
どちらかというと、ウクライナの裁判のデジタル化の方に驚く。
2010年代から司法改革が行われていて、司法記録の電子化・データベース化がすすんでいたり、証人喚問のビデオ化も行われていて、被害者が何度も同じ話をしなくてもいい、加害者などと直接対面しなくてもいい、という。ただし一方で、弁護側が質問できない、という問題もある、と。
武力紛争法では、上官からの命令という抗弁が認められている。
シシマリン軍曹が民間人を殺害し終身刑判決がでた事件で、この抗弁は退けられている。また、この事件で被害者が軍に通報していた場合、殺害するほかなく、事情が異なってくる、と武力紛争法の専門家から批判されている
とはいえ、全体的には手続き的な人権保障がかなりなされている、と筆者は評価している
また、すべての被告人に国選弁護人と通訳をつけ、原則としてすべての公判が公開され、オンラインでストリーミング公開までされている、という
戦争犯罪裁判は、軍事法廷で非公開で行われることが一般的であるため、ウクライナのケースは画期的である、と。
ただし最近では(第4章にでてくる捕虜交換もあって)、被告人であるロシア兵が、ロシアに帰還していて欠席裁判になるケースも多い。
欠席裁判は特例措置であり、毎回、審査した上で行われているが、ここが裁判の質にとって問題になりうる、と筆者の指摘がある。
戦争犯罪裁判を行うことで、被害者や加害者の声が公になり、国際的にも発信されたことが重要で、意義があるとまとめられている。
第3章 ICCによる逮捕状
国際刑事裁判所(ICC)とはどのような組織なのか、というところから、ICCが逮捕状を発行する際の実務などが説明されている。
ウクライナ戦争では、プーチンに対して、子どもの連れ去りの罪状で逮捕状が発行されている。
ところで、筆者はICCでインターンをしていたことがあるらしく、その頃の話もしている。当時、まだ電子化がなされていなかったので、印刷物にサインを直接もらいに行く必要があって、週末になるとインターンが印刷室の前でまちかまえる、というのがよく見られる光景だったらしい。
ICCの逮捕状がどのように請求されたのか、逮捕状が発行されたとして、それに実効性はあるのか
国際的な刑事裁判所において「公的資格無関係の原則」というのがあって、大統領であっても訴追される。
ところで、ICC自体には捜査官がいないので、各国に逮捕状を送付して各国の捜査官が逮捕することになる。そこでのプレッシャーは当然ありうる。また、国際法では、大統領などは身体不可侵の原則があり、外国の大統領を逮捕することは国際法違反になる可能性がある。
ICCは、これはICCに身柄を引き渡すための拘束であるので国際法違反には当たらないと説明しているが、実際にはかなり慎重な判断が必要になるのではないか、と
結局、ICCが逮捕状を出したとしても、実際に逮捕されるかどうかは、それぞれの国次第になってしまうのであまり意味がないという批判もあるが、しかし、ICCが逮捕状を出すことによって様々な制約が生じるのであり、効果はあるのだと筆者は述べている。
もし実際に逮捕された裁判が始まった場合、まず本人確認から始まるらしいが、 スーダンの内戦にかかわる裁判で、連れてこられた被告人が自分はこの人物ではないと訴えたケースがあったらしい(実際は本人であることが確認された)
ICCは、補完性の原則というものがある。
これは、国による訴追義務が果たされていない場合、ICCが対応する、というもの
国が訴追している場合は、すでに裁判が終わっている場合、ICCは訴追できない
これは、後ろ向きなものではなく、「訴追しなければICCが介入するぞ」という圧を国家にかけるものでもある、という
また、ICCの初代検察官から、この補完性の原則について、ICCにとって訴追件数が増えることではなくてICCでの裁判がなくなることこそが成功なのだ、ということが言われていたらしい
この補完性の原則は、ICCのリソースが限られていることに起因しているという面ももちろんある。
第4章 兵士の帰還
アンリ・デュナンによる国際赤十字の立ち上げ、ジュネーブ条約の始まりなどから書かれている。
ところで、デュナンは国際赤十字の構想を、ナイチンゲールに手紙で話しているのだが、ナイチンゲールは批判的だったらしい(傷病者の救助は本来国家の義務であって、それを第三者機関が肩代わりすべきじゃない、と)
捕虜の交換、というのは、国際法上は定めがないらしいが、実際には行われているし、ウクライナとロシア間でも既に何度も行われている。
これ、捕虜を交換することで、兵力を回復する、という側面があって、そのためにロシア兵を結構帰還させてて、欠席裁判になったり、有罪だけど処罰されなかったりしている
筆者は、「正義なしに平和なし」を訴えてきたウクライナにとって、正当性*1などを損なうのではないかとしている。
一方、ロシア側にいたっては、捕虜交換するために捕虜にしたりしている(これは人質をとることを禁止する国際法違反)
また、帰国を望まないロシア兵をどう取り扱うのか、という問題もある。
遺体について
ドッグタグは、普墺戦争後の条約改定により、死者の身元を確認すべきという内容が盛り込まれ、これに対応するために作られたらしい。
遺体の埋葬方法や墓地の維持管理についても国際法上の定めがある。
埋葬した国は墓地を管理しなければならないが、本国へ送還を求める権利もある、など
ウクライナでは、遺体の回収をしているボランティアたちがいる。
ウクライナ人の遺体もロシア人の遺体も回収している。
遺体にはブービートラップが仕掛けられていることもあり危険な作業だし、遺体の損壊や腐敗も激しい。
法医学チームが鑑定し、戦争犯罪の証拠としても使われる。
ボランティア参加者は、遺体が尊厳をもって扱われることに安心する、と語っているという。
また、ロシア兵の遺体については、冷凍貨車に保存されている。遺体の交換も行われていて、冷蔵室同士を交換している、とのこと。
傷病兵、捕虜、遺体の取扱いについては、色々細かくルールが定められているのだな、ということが分かった。
第5章 被害者に対する賠償と和解
賠償について、もともと国際法は国家間の法的枠組みなので、被害をうけた個人に対しての賠償を可能とする枠組みがなかった。
湾岸戦争では、戦後、国連補償委員会が設置され、イラクは524億ドルの賠償を求められ、2021年に支払いが完了したとのこと
イラクって30年かけて賠償金支払っていたのか、と。
さて、イラクの支払い完了で国連補償委員会の仕事も終わりかと思われたのも束の間、ロシアによるウクライナへの侵攻が起きた、と
では、ロシアに賠償させることはできるのか、という問題がある
カナダでは、ロシアの凍結資産を没収できる法律が制定されたらしいが、国際法上合法なのかの懸念がある、と
EUでは、凍結資産を没収するのではなく運用して、ウクライナ復興にあてる案が検討されているとのこと
また、ウクライナの被害を記録しデジタル化するシステムも構築されている、と
ほかに、国際司法裁判所が賠償を命令した例もある(ウガンダからコンゴ民主共和国への賠償)
上記の例は、国家間の賠償
それが被害を受けた個人にまでいきわたるかは別問題
国際法は、国家間の関係を規定しているというのが基本枠組み
ただ、世界人権宣言では、個人が受けた被害は国内裁判所が救済する仕組みを有するとあり、これを根拠に様々な人権条約が、国家が個人を救済することを定めている
また、ハーグ条約やジュネーブ条約には国家の賠償責任を規定する条文があるが、実は、誰に対して賠償金を支払うのか、というあて先は明記されていないという。
そこで実は、個人への支払いと読めるか、という解釈についての争いがあった、と。
実際、第二次世界大戦にかんして、日本やドイツを相手取った賠償訴訟はなんどもあったが、これらは個人が国家に対して賠償請求はできないとして却下されてきた。
これに対して、2005年が契機となる。
ライデン大学のフリッツ・カルスホーフェン名誉教授が代表となる赤十字国際委員会による研究で、ハーグ条約の起草過程で、被害者の救済を目的としていという再解釈が提示され、
また、国連総会で採択されたガイドラインにおいて、戦争犯罪等の被害者に対して、賠償を含む救済をすべきと明示された。
こうして、国際規範の新解釈が広まり定着した、のだが、実はこの新解釈がいかにして国連総会決議にまで至ったのか、というのはよくわかっていないのだという。
カルスホーフェンの考え自体は、以前から研究者の間では知られていたらしいが、それが一学者の解釈というところを超えて国際社会にどのように定着したか、というと、それのキーパーソンや決定的瞬間は実は特定しがたい。これをどのように説明するか、ということを、色々研究者たちが試みているらしい。
現代の論点は、「個人に賠償金を払うべきか」から「どのようにして支払うか」に変わった、と
実際、ウクライナでは、裁判で賠償命令が下ったケースで、しかし被告人が捕虜交換で帰国してしまい、この賠償金は支払われなくなったまま、というのがある
ICCでは「被害者信託基金」という制度を作り始めている。
これは、被害から賠償金支払いまでのタイムラグを減らすためのもの。
ICCはこれまで戦争犯罪について5件の賠償命令を出している
このうち、コンゴ民主共和国での民間人襲撃事件は支払いが完了し、マリのトンブクトゥ破壊事件でも賠償金などは確定している
一方、残り3件は履行方法などが未定のまま
一つは、子ども兵に対する賠償のため、金銭ではなく身体的・精神的リハビリや社会経済環境の改善が求められている。また、被害規模が大きく、非常に多額の賠償金となっている事件もある。
処罰や賠償という西欧的な刑事司法に対して、「代替的な正義の形態」と言われるものがあり、具体的には、恩赦と真実委員会が挙げられている。
刑事司法については、紛争解決に対してのデメリット(紛争の再発や独裁者が政権に固執してしまうなど)も挙げられているが、なおメリットがあるという議論もあり、最近では、これら(刑事司法、恩赦、真実委員会)をどのように組み合わせるか、どのようなタイミングで実施していくか、というアプローチも行われている、と
また、刑事司法の意義について、処罰だけでなく、真実確定が重要であると近年指摘されるようになっている、と
集団的記憶を形成し、歴史の修正主義を阻み、復興を促進する、と。
従来、和解は、刑事司法と相反する免責と同義であるともされてきたが、刑事司法も和解もとちらも真実解明という意義をもつものだともいえる
第6章 ユス・ポスト・ベルム(戦争後の法)
国際法には、戦争前、戦争中、戦争後の3段階がある、という理論的な話
戦争前の法というのは、国連憲章にあるように、武力行使を禁ずるもの(戦争は違法行為)
しかし、違法ながらも戦争が始まってしまった場合は、その戦争を律するための法もある(武力紛争法)
で、これらの2つに対して、戦争後の法というのは長らくなかった
というか、そもそも「戦争後の法」という概念すらなくて、この概念が生まれたのは21世紀になってから。
戦争後の後処理というのは、政治マターであると長らく考えられてきたため。
たいてい、講和会議とかで非公開の交渉の席で行われるものだったから。
こうした状況に異を唱えて「戦争後の法」という概念を押し出していったのが、筆者の留学先(ライデン大学)でのボスだったらしい。
ここでは、「戦争後の法」概念を巡る法学者同士の論争も簡単に紹介されている。
ライデン大学のスタン教授のプロジェクトでは、メタ規範や、さらには実定法まで引き出しうる法体系として理解しようとするもの
それに対して、戦争後の法は道徳的な原則にとどまり、拘束力ある法規則ではないという反論や、既存の法規範が不十分ということはなく戦争後の法という概念時代の必要性を疑う批判もある。
リベラルな平和主義は、ともすれば、トップダウンでの「平和の押し付け」を行うという批判があり、事実、アフガニスタンでの暫定政権は挫折を余儀なくされた
ボトムアップ型の平和構築とそのための法規範が必要とされる
また、様々な国際機関が参与してくるが、これまであまりに国際機関の性善説が信じられてきた。国際機関の職員は人格的にも優れて誠実であるという思い込み。そこでの汚職や搾取、差別の問題がある。
また、国際法が想定してこなかったNGOなどのアクターがおり、規範形成が必要
戦争後の法は、これまで法規範があった領域だけでなく、地雷や不発弾の処理、都市やインフラの復興、環境汚染の除去・森林などの回復、兵士のトラウマケア・社会復帰など、これまで法規範がなかった領域も対象とする
1980年代から、ニューヨーク大学のタイテル教授による「移行期正義」「移行期の法」という概念はすでにあった
近年、これをさらに補完するアプローチとして「変革的正義」という概念が生まれてきている
変革的正義はまた、修復的正義(司法)への批判でもある
修復的正義は、和解を目的として、地域慣習的な手続きや真実委員会が手段として用いられる。
修復的正義は称賛もされたが、十分ではないという批判もうけた
戦争で破壊された戦争前の社会を修復する、という試みだが、そもそも戦争前の社会に問題があってそれが暴力を生んだのではないか。戦争前の社会を修復するのではなく、暴力を生んだ社会構造を変革することこそ必要なのではないか、という考え
社会変革については、法的エンパワメントが重要なインフラになると考えられている
法的エンパワメントとは、人々が「法律を知り、使用し、形作る」ための運動
ICCによる、ウガンダでの実践例がある
ブルガリア出身のトレンダフィロヴァ裁判官の提案で、トレンダフィロヴァ裁判官は筆者がICCでインターンをしていたときの直属のボスでもあったという。ICCが成功するためには、当事者がICCがしていることを知っていなければ意味がない、と考えていた。
現地の言葉には法的な概念をあらわす用語がない。「賠償」をあらわす言葉もなく、一番近い言葉も、家畜の交換といった意味を伴ってしまう。
ワークショップを実施して、制度の説明を行い、被害申請を行うため、被害をお互いに語り合う場がつくられ、現地の若者がそこにボランティアとして参加するなどの取り組みがなされている、と
おわりに
ウクライナの捜査官が戦争犯罪の証拠を集めているところを見たとき、防護服とマスクをつけて被害者の遺体を掘り起こすボランティアを見たときなど、社会への信頼を育む瞬間、専門家や有志による戦後の後処理がなされるところを見ることが、戦争報道を見るときの心の安らぎであったと筆者は語り、そうした切り口から本書を書いた、と
確かに、抽象的な法制度について解説する本であるが、そのために、具体的にどういった人たちがどういう働きをしているのか、ということもまた垣間見える本で、その具体性が面白いところでもあった
社会への信頼みたいなワードは他でも出てきたように思う。
一度失われた社会への信頼を取り戻すための枠組みとしての法、そしてそれに取り組む人々の実践。良い本だった。
*1:本文中「正統性」とあるが「正当性」では?
