現代ロシアを読み解く際のキーワードとなりつつある「ネオ・ユーラシア主義」について、何人かの論客を通して解説する新書
ただし、本書を読んでわかるのは、ネオ・ユーラシア主義という確固たる思想があるわけではないし、また、プーチンがネオ・ユーラシア主義思想に基づいて行動しているわけではない、ということである。
もっとも、ネオ・ユーラシア主義なるものが全く幻というわけでもなく、確かに現代ロシアを読み解く上での一定のヒントを与えるものではある。ただ、これで全てがわかるマジックワードでもない、ということである。
ユーラシア主義ないしネオ・ユーラシア主義については、以下の本で多少読んだことがあって、少々気になっていた。
桑野隆『20世紀ロシア思想史 宗教・革命・言語』 - logical cypher scape2
木澤佐登志『闇の精神史』 - logical cypher scape2
また、以下の本を読んだ時に、以下のようなことがあった
本書は、中露の動きを警戒しつつも、しかし「新世界秩序」の代替になるような新たな法秩序を示し得ていないことをもって、必ずしも秩序が移行しつつあるとは捉えていないようである。
オーナ・ハサウェイ、スコット・シャピーロ『逆転の大戦争史』(野中香方子・訳) - logical cypher scape2
ネオ・ユーラシア主義は、代替となる世界観なのではないかということが気にかかったというのもある。
しかし、本書を読んで、いわゆる「新世界秩序」にかわるような国際的な法秩序を構想しているような思想ではなさそうだな、ということは分かった。
とはいえ、部分的には代替するような考えがある、とも言えそうである。
(本書によれば、ネオ・ユーラシア主義は必ずしも膨張主義的な思想ではない。とはいえ、一方で民族自決的な考えには批判的なところがある)
本書は、ドゥーギン、パナーリンにそれぞれ一章ずつをさき、また、実務家(外交官や政治家)であるコルトゥノフ、チタレンコ、グラジエフらについてまとめて一章を使っている。
この中でちゃんとした思想家と言えるのはパナーリンだけかもしれない。
ドゥーギンは日本でも有名だし、自分もこの中ではドゥーギンだけは名前を知っているが、本書でのドゥーギン評価は結構手厳しい。
ドゥーギンは難解な思想の人物ともされるが、本書によれば、彼の思想はパッチワーク的であり、それゆえに一貫性がなくあちこち矛盾している(受け取る側がそれを勝手に「難解」と言っているだけ)と。また、ビッグマウスなところがあり、あたかも自分がプーチンの陰のメンターであるかのように振る舞っているが、それは自己演出に過ぎず、彼にそのような政治的影響力はないだろう、というのが本書の述べるところである。
一方、政治的影響力という意味では、実務家陣の方があるわけだが、彼らはその向いてる方向についてある程度の類似性はあるとはいえ、実務家なのでがっつりと体系的な思想があるわけではない。
ただ、一部の外交関係の実務家たちが「ユーラシア」というキーワードを、自分たちの政策のブランディングに使っている、ということのようである(「理念の供給」という言い方がされているところがあって、面白い言い回しだなと思った)。
ネオ・ユーラシア主義と一言で言ってもその内部には幅があり、人によって主張は異なるところがある。
が、おおよそは、ソ連崩壊後のロシアのアイデンティティ・クライシスの中で、反グローバリズム・反リベラル・デモクラシーすなわちアメリカ的な価値観はロシアには受け入れられない、という点が共通点となる。
「西側」とは異なる価値観でロシアはやってくのだ、となる。
興味深いのは「西側」という言葉で、これはもちろん東西冷戦における西側に由来するが、ソ連崩壊後、特にネオ・ユーラシア主義者にとって、グローバリズムやアメリカの介入主義などを指す言葉になっている。東西冷戦の西よりも広い意味合いでもある一方、彼らは「西側」と「ヨーロッパ」を区別しているらしく、その点でもちょっと独特である。
彼らのヨーロッパとの距離感は人それぞれであるが、思想的にはヨーロッパの思想家からの影響が抜き難くあるし、「ユーラシア」も「ヨーロッパでもありアジアでもある」という意味合いがある。
第一章 ネオ・ユーラシア主義誕生の背景
- 大戦間期の古典的ユーラシア主義について
ロシア革命で亡命したロシア人たちのアイデンティティ・クライシスの中から生まれた
ロシアにおける「アジア性」の肯定的評価(従来は、ロシアにおけるアジアの影響は「タタールのくびき」など否定的に捉えられていた)に特徴がある。
ただし、多民族主義、文化相対主義を主張しつつも、ロシア文化の優位性、ロシア正教の重視などもしていて矛盾していた面もある。
また、経済的には交易ではなく自給自足の孤立主義。政治的には「理念統治」を標榜する。
古典的ユーラシア主義は短命で、1930年代には分裂、雲散霧消していった
- レフ・グミリョーフ(1912-1992)
最後の古典的ユーラシア主義者とも、ネオ・ユーラシア主義の嚆矢とも。
- ネオ・ユーラシア主義の特徴
(1)「西側」の普遍主義に抗する
(2)ロシアを「西側」と異なる「ユーラシア」と定義
(3)ゆくゆくは「西側」に対抗する「極」に
古典的ユーラシア主義からの影響
(1)ヨーロッパ中心主義批判と文化相対主義をアメリカ一極化批判に読み替え
(2)戦間期の文明論や地政学用語の借用
(3)アイデンティティ・クライシスの思索の重ね合わせ
ロシアにおける90年代の混乱が背景にある。
ソ連崩壊後、強制的に資本主義的自由経済になり、かつてのエリートや一部の強者だけが富豪化(オリガルヒ)し、貧富の差が拡大。言論や表現の自由は、過激なグロテスク表現やポルノなどを増長し、犯罪なども増加した。
ただし、筆者は90年代が全て暗黒の時代だったわけではなく、よい面も本来あったという。しかし、プーチン政権以降、「苦境からの脱却」という物語に回収されてしまい、ひたすら苦しい時代だったと描かれがちである、と。
第二章 最右翼―アレクサンドル・ドゥーギン
1980年代:ユジンスキー・サークルに所属
フランスのゲノン、イタリアのエヴォラの「伝統主義」、神秘主義、ナチズム、オカルト
「ヒュペルボレイオス」、ドイツ保守革命(ハイデガーなど)といった、ソ連ではタブー視された思想で「遊んで」いたサークル
89年~93年:フランスのブノワらヨーロッパ新右翼との接触
「有機的共同体」「有機的民主主義」
ファシズムへの肯定(ただし、ナチズムとは区別して、ナチズムではないという主張をしている)
ただ、ドイツ思想を好んでいたものの、ドゥーギンとドイツ極右との関係構築は2010年代と遅かった、と。2000年代は、トルコ、ギリシア、ハンガリー、アメリカのオルタナ右翼とのネットワーク構築
1999年、ロシア正教・古儀式派への入信
1997年、『地政学の基礎』の著者として注目
ソ連時代にタブー視されてきたものをリヴァイバルさせた
執筆活動、ラジオ出演、SNSなどで精力的に言論活動を行った。
政治活動も行うが、政治的キャリアのピークは1998年頃
2000年プーチン政権発足以降は傍流
2008年、モスクワ国立大学の教職に就くが、2014年、問題発言で解雇されている。
オリガルヒであるマロフェーエフがパトロンとなり、彼のネット・チャンネルで働く。
「大西洋主義」vs「ユーラシア主義」というのが、大きな枠組み
リベラル・デモクラシーを普遍的とみなすのが「大西洋主義」で、アメリカの覇権主義やメシアニズムに支えられているとする。
一方、それと異なる価値観・統治原理を持つロシアを中心とする「ユーラシア主義」は、個人よりも民族共同体、市場よりも国家を重視するパターナリズム経済、ジェンダー規範は伝統的・保守的なもので、その背景には、ロシア正教への信仰や、ロシア人は「ヒュペルボレイオス」の末裔というオカルトがある。
地政学については、マッキンダーとハウスホーファーからの借用(ランドパワーvsシーパワー)
わりとトンデモな議論を展開していて、その代表が、モスクワ-ベルリン-テヘラン-東京枢軸同盟論
神秘主義を根拠に置く「スピリチュアル地政学」と筆者は評している。
他民族「帝国」としての多民族主義を標榜しているが、「よいイスラーム」と「悪いイスラーム」の区別をしていたり、また、人種主義を否定しているものの、アーリア主義的な表現をよく使うなど矛盾がある。
シュミットの「大地のノモス」と帝国を結びつけて論じている。
難解、といよりはパッチワークで一貫性がないために不可解
- ドゥーギンの政治的影響力
ドゥーギンは、「プーチンの陰のメンター」などと言われることがあるが、本人の自己演出によるものであって、実際の政治的影響力については疑われている。
元ロスコスモスの社長で政治的に有力者であるロゴージンとの対立関係など、ドゥーギンの政治的影響力が疑われる事実がいくつも指摘されている。
第三章 思想界のインフルエンサー―アレクサンドル・パナーリン
1940年生まれ2003年没
ロシア科学アカデミー哲学研究所所属、モスクワ国立大学哲学部で政治哲学講座教授
ウクライナ・ドネツク出身
1980年代は、ペレストロイカに期待し改革を支持、社会民主主義に傾倒していたが
90年代以降、リベラリズムから保守主義へ思想的転換
カザフスタンのナザルバエフ元大統領と親しい。グラジエフ、ロゴージン、ミローノフらとの関係もある。
→政治的影響力はドゥーギンよりはるかにある。ただし「陰のメンター」というわけではなく、結果的に政治的中枢に近い人たちとの関係があった、というもの
- (1)政治思想研究者として
『政治学』『政治哲学』といった教科書の著者
彼の政治学の教科書は二部構成となっており、前半で、「西」の政治原理についての解説と批判(リベラリズム批判、ただし共産主義も「西」のものとして同様に批判)
後半で、オルタナティブとしての「東」を示す(中国の儒教、仏教への着目)。
読者は、ロシアを「西」と「東」の両方の伝統をもつものとして理解するようになる、という書き方になっている。
- (2)グローバリズム批判と文明論の論客として
パナーリンのグローバリズム批判=フランシス・フクヤマ「歴史の終わり」への応答
(パナーリン『歴史の復讐』)
グローバリズムや個人主義への批判。アメリカや西側が「正しい」から「勝った」という考えへの反発
西側の政治システムはロシアにはあわない。リベラル・エリート批判
「人民資本主義」(オリガルヒの支配から人民への再分配へ)のために、強い国家が必要
→ロシアには権威主義体制が必要
「「西側」の二重基準」への批判
「西側」は、「内」において多元主義的だが「外」に対して排他的、というダブルスタンダードだと批判
具体例として、文化の商業化
何より、「人権」による介入を批判する。ロシア人にとって、コソヴォ空爆は衝撃的な出来事だったらしい。プーチンも演説で度々言及しているとか。
90年代にロシアがアメリカの指示により無理な経済改革を強いられた、ということが、パナーリンの思想的転換点であり、それが「多元主義」といいつつ「西側」的な価値観しか認めない「二重基準」に見えた、と。
これの克服が、パナーリンのネオ・ユーラシア主義
文明論
ハンティントン『文明の衝突』
これに対して、パナーリンは、文明は必ず対立するものではない、と(ロシア自体が複数の文明からなる)(ただし、文化は閉じたもので相互影響しないという(ロシア文化をアメリカ文化から守るための主張))
文明間の違いに優劣はない。水平的な差異にすぎない。
他民族・他宗教文明としてのロシア文明
「民族自決」は否定。それは、多民族国家のロシア、中国、インドを陥れるアメリカの戦略
パナーリンは、地理的要素を考慮するという意味で「地政学的アプローチ」という言葉は使うが、地政学そのものは論じていない
- (3)予言者として
「東方シフト」予言
ソ連崩壊後、ロシアが中国に接近するようになった外交政策の変化を「東方シフト」と呼ぶが、実際に始まる前からこれを予見していたような記述がある。
「新たな世界大戦」
冷戦終焉後から「新たな世界大戦」が始まっている、と述べている(アメリカ・グローバリズムによる侵略と考えていた)。その後のロシア外交の展開を予期していたみたいなことが書かれている。
また、プーチンが後継者指名された際、「彼は独裁者となって戻ってくる」旨書いている。
アメリカは「民主主義」イデオロギーによる世界支配をしようとする。このグローバリズムに吞まれないようにするためには、宗教・愛国心という理念によって強い国家を作ること。
ロシア・ウクライナ対立について
旧ソ連構成国をロシアが再統合することに失敗した場合に、彼らがロシアを帝国主義的と非難しつつ、自国の少数民族を抑圧し「ナショナリズム独裁」が起きると書いている。
筆者は、パナーリンは2003年に亡くなっており、オレンジ革命すら見ていなかったことを強調する。
ドゥーギンを、パッチワーク的で矛盾が多く、訳分からんこと言ってる人的に描き出しているのに対して、パナーリンに関しては、かなり見識のあった人であるように描いているように思う。
個人的に、パナーリンの政治思想そのものには首肯しないものの、西側のダブスタ批判には一定の共感を覚えてしまった。コソボ紛争のことだけでなく、アメリカのアフガン戦争・イラク戦争のことがある。
パナーリンは「人権」を理念として信じておらず、「西側」が振り回す道具だと考えており、その点については自分は同意しないが、2000年代のアメリカによる「対テロ戦争」には反対だったので、その点においてはちょっと通じてしまうな、と思ってしまったところがある。
ところで、この時期、プーチン・ロシアはむしろアメリカと親しかった時期であり、アメリカの「対テロ戦争」に協力的であった。これには、自分たちがチェチェンと戦っていたから、という背景がある。ネオ・ユーラシア主義的には、この時期のプーチンはどうなのよ、というところらしい。
多民族性のあたりは結構難しい。
本書を読んでいると、ユーラシア主義は古典的なそれもネオの方も、多民族性に着目しつつもロシアを優位に置こうともするので、そこをどう整合性とるか(あるいはとらないか)で、綻びがでてそう
民族自決は多民族国家を陥れるアメリカの戦略っていう発想は、興味深いといえば興味深いが、アメリカも多民族国家なのでは……(まあ、内部に独立しようとする民族運動がない、という意味では、アメリカは中露とは違うとはいえるが)
第四章 主流化―実務家たち
- セルゲイ・コルトゥノフ(1956~2010)
外交官兼研究者
ロシアとイスラームとの同盟を模索し、その際に「ユーラシア」という概念に着目した
- ミハイル・チタレンコ(1934~2016)
中国思想史研究者
もともと、中ソ国境付近の出身で、中国に対して親近感を覚えていた人で、ソ連時代から中国に留学して中国思想の研究者だった人。1961年、ソ連に戻り外務省へ入省。
ソ連崩壊後は中露の関係改善、「戦略的パートナーシップ」実現にに貢献した人物。
グミリョーフやトベルツコイを援用しながら、ロシアを「ユーラシアの国家」と表現し、中国との関係強化を主張した。
アジア太平洋地域には「西側タイプ」の国と「中国タイプ」の国があるとし、ロシアや中国などの諸国で「西側」とは異なる極を作り、多極的世界の実現を目指す。
「西側」を相対化するのはユーラシア主義に共通した考えだが、ここまでロシアと中国の近似性を主張している人はまれ、と
また、極東・シベリア地域の開発についても進言していた。
なお、ロシアをユーラシアの国と考えるのはロシアでも少数派で、ロシア人はロシアを「ヨーロッパの国」だと考えている。だからこそ、極東・シベリアは周縁化されるのだが。
で、「ユーラシア」が対中・対アジア外交政策のブランディングとして用いられている(なお、中国は「シルクロード」をブランディングに用いるので、競合しない)
ところで、筆者は、しかしこうした外交実務家たちも、ヨーロッパから経済的に切り離されることは考えておらず、ヨーロッパと関係悪化したからアジアに向かう、というのではないく、ヨーロッパとアジアの「橋」となる、というのが理念としてある、と述べている
また、外への膨張という意図もない、としている。
- ユーラシア地域統合
ユーラシア経済同盟という地域統合の動きがある。
ユーラシアという名が冠せられている。筆者は「たかが名称」であるが「名は体を表す」とも述べる。理念の供給を主導したのは、カザフスタンのナザルバエフ元大統領だが、ロシア側のカウンターパートとして、セルゲイ・グラジエフ(1961~)がいる。
グラジエフはもとは経済学者だが1992年から政界入り。もとはエリツィン政権で市場原理の導入にかかわったが、のち、中道左派的な経済政策をとるようになった
彼はあくまでも政治家であって、思想家ではないが、たびたびトルベツコイに言及している。ロゴージンと近しかった時期があり、ロゴージンを介してパナーリンとの関係があり、そこからユーラシア主義を吸収した可能性がある、と。
ユーラシア経済同盟に理念を充てんする役割を果たした
ルーシの民と中央アジアの遊牧民の相互交流の歴史を復活させるものと位置づける
トルベツコイを援用しながら多民族国家は再統合に向かうものだとし、また、強い国が弱い国を助けて「再分配する」機構だと、グラジエフは考えているのではないかという
ただ、あくまで経済・貿易面での協力を目指すものであり、政治的な統合には慎重(ソ連復活への警戒をされるため)
そもそも「橋」でありつつ「極」であることはできるのか、という問題
ユーラシア地域統合にかかわる政治家・実務家はいろいろあり、プラグマティックなものと捉えている者もいる
第五章 政界・思想潮流における現在地
アンドレイ・ツィガンコフは、90年代のロシア政治思想を「西欧派」「ナショナルな民主派」「国家主義(中道右派)」「ナショナルな共産主義(右派)」「膨張主義(極右)*1」の理念型に分類
これに当てはめると、ドゥーギンは「膨張主義」、パナーリンは「ナショナルな民主派」と「国家主義、部分的に「膨張主義」にまたがる。チタレンコは「国家主義」、グラジエフは「ナショナルな共産主義」と「国家主義」をあわせもつ
つまり、ネオ・ユーラシア主義は、中道左派、中道右派、右派、極右にまたがる広がりを持ち、また同じ人物の中にも揺れ動きがある、と
最後に、プーチンのロシア・ウクライナ戦争のイデオロギーを分析し、ネオ・ユーラシア主義との関係を論じている。
言っていることがよく似ていることは確かであるが、筆者は、プーチンの思想・イデオロギーの「幹」は、反リベラリズムであり、それに愛国主義の「蔦」が絡まり、それ以外は「枝」であると見る
「ユーラシア」はあくまでも数ある「枝」の一つに過ぎない、と
確かによく似ているところはあるが、影響関係があるものではないだろう、としている。
