テラフォーミングそのものにそこまで強い関心があるわけではないものの、まあでも『現代思想』で特集組むなら読んどくか、くらいの感じで手に取った。
っていうか、テラフォーミング特集でどんな記事集まってくるかは、普通に気になるよね。
テラフォーミングっていうと火星のイメージがあるけれど、金星の話も思いのほかちょくちょくでてきたのが面白かった(そもそも、カール・セーガンが金星テラフォーミングの話をしてるので)
前半、宇宙科学系で、そのあと、倫理学・法学系が続いて、段々「現代思想」っぽくなっていく感じの目次。後半で宇宙人類学や天文民俗学といったジャンルも出てくる。
面白かったのは、伊勢田・山敷対談、岡本論文(倫理学)、吉良論文(倫理学)、石井論文(宇宙法)、福永論文(環境倫理)、米田論文(科学哲学・思想史)、木村論文(宇宙人類学)、中野論文(天文民俗学)、高橋論文(現代音楽)とか
【討議】 いつか地球に住めなくなる日の前に / 伊勢田哲治+山敷庸亮
対談、ではあるけれど、わりと伊勢田さんが山敷さんにインタビューしているような感じになっている。2人とも京大の宇宙総合学研究ユニットにいた(同ユニットは既に解散)
山敷さん、もともと地球の研究者だったのだけど、東日本大震災で福島の調査に参加し、放射線災害を目の当たりにして、テラフォーミングを考えるようになったらしい。
金星の大気圏かー
HAVOC計画という、金星の高度50kmに飛行船を浮かべる、というのがあるらしい
金星がいい理由は重力と大気、あと地球からの近さ
火星がいいのは自転周期が地球とほぼ同じこと
火星を全面的にテラフォーミングするのは難しい。部分的に行うテラウィンドウ
宇宙を編むコケ――生物科学から考えるテラフォーミングとプラネタリズム / 藤田知道
植物学の観点から、コケについて、過酷な環境にも耐えられるし、土壌を必要としない
テラフォーミングの研究は、地球環境について知ることにつながり、砂漠の緑化などに応用されている、と。
未来は奴らの手の中――権威主義的リバタリアニズムとSF的未来像がもたらすもの / 木澤佐登志
まず、ストロスによる批判(2023)を追いながら、テックビリオネアに影響を与えたSFの世界観やTESCREALなどを概観してく
特に代表的なのが、マーク・アンドリーセン「テクノ楽観主義者宣言」(2023)=ある種の右派加速主義=権威主義的リバタリアニズム(本来、反対であったはずの権威主義とリバタリアニズムの奇妙な一致)
トマス・M・ディッシュの講演「SFの気恥ずかしさ」(1976)
テックビリオネアがいう「未来は俺らの手の中」の「俺ら」に私たちは含まれていない、と筆者は指摘する・問題は、火星の植民地化であると同時に「未来」の植民地化
フレデリック・ジェイムソン『未来の考古学』→SFの使命は未来を提示することではなく現代を逆照射すること。
コリイ・ドクトロウによる、SFとラッダイトを同一視する指摘
開拓すべきフロンティアか、保存すべき大自然か――イーロン・マスクの火星植民計画とその倫理的根拠 / 岡本慎平
マスク(2017)で示された火星のテラフォーミングは倫理的に正当化できるか。
そもそも実現可能かという点での課題があることを指摘しつつ、ここでは、そうした課題はクリアできるという楽観的な立場にたったうえで、なお倫理的に問題があるかを検討する。
マスクによる論理は以下の通り
前提1:人類の滅亡は回避すべきでる
前提2:人類の将来は、地球にとどまるか他の惑星に進出するかのいずれかである
前提3:人類が地球にとどまり続けた場合、滅亡は不可避
結論:ゆえに、人類は他の惑星に進出し多惑星種族になるべきである。
これについて、論証は妥当であり、また前提も受け入れられることが確認される。
が、だからといって、即座に正当化されるわけではない、と。
前提1は、特に長期主義的な主張だが、長期主義の立場にたったとしても、火星植民計画にリソースを投入した結果、地球上の問題解決がおろそかになり、火星への移住前に人類が滅亡する、となってしまっては、火星植民は正当化できない。
また、火星植民をする前に、火星をどう考えるかは色々検討する必要がある。これは保全主義ともされる立場で、開拓の前に研究が必要だろうとか、環境そのものの価値とかが論じられる。
長期主義にたった場合でも、即座に正当化できるわけではない。
長期主義にたたない場合、なおさら、ということになる。
ただし筆者は、火星テラフォーミングが、SFではなく、現実的な課題として検討にあがってきたという点で、マスクの活動の意義を認めている。
長期主義は人類の地球外存続を支持するか? / 吉良貴之
長期主義は、悪魔化されていることもあるが、元々の定式化は、意思決定における時間中立性の主張のみを指す、と。
長期主義の提唱者であるマッカスキルが功利主義者・効果的利他主義者でもあるので、功利主義と結びつけて語られがちだが、独立した立場。
つまり、功利主義・効果的利他主義から必然的に長期主義が導かれるわけでもないし、長期主義が必然的に功利主義・効果的利他主義を含意するわけでもない、とする。
長期主義+何か(例えば功利主義)の組み合わせで、倫理的な主張が出てくるので、何か問題となるような主張が出てくるとすれば、その問題は元々「何か」の方に含まれていたものだ、と。
また、長期主義は、組み合わせ次第では、人類絶滅を導出することもありうる、と。
テラフォーミングと宇宙における国際法 / 石井由梨佳
テラフォーミング自体は、法政策の議論にのっかってきてはいないが、月・火星の開発については議論されている。法政策上の課題は地続きのものであると考え、論点を整理している。
宇宙法の特殊性がいくつか挙げられているが、「領域性がない」という宇宙ならではの特徴がある。ただしこれは、衛星軌道の話で、陸地や海と違って、同じ空間を複数の国が利用して国ごとに領域をわけることがそもそも不可能である、という特殊性をさしている。
月などの天体は、そういう意味ではちゃんと領域性があるわけだが、現状の宇宙条約をはじめとする宇宙関連の国際法が、領域性がない前提で作られていて、天体の扱いが曖昧
現状、有効に機能しそうなのが宇宙条約しかないので(月条約は締結国が少なすぎ。また、新たな法的枠組みを作るのは難しそう)、そこから引き出してくるしかない。
宇宙は引き返すに値するほど美しい / 藤原辰史
例えばスペイン帝国によるインカ征服にみられるような植民地主義による破壊 (モノカルチャー化とか)であったり、あるいは、地球以外の天体には土壌が存在せず、土壌をつくり維持するためには多大なコストが必要であることだったり、そもそも人類は地球上の土壌すらちゃんと管理できていないことであったり、そういうことを挙げている
つまり、テラフォーミングとか、過去の植民地主義を宇宙に向けているだけだろという批判と、それに使われるカネと資源を地球に使うべきだ、という批判となる。
地球にまみれる――テラフォーミングと惑星の編み直し / 福永真弓
最近、筆者が取材しているという藻類養殖の話から
科学的手法がかなり浸透していて、ゲノム編集も受け入れられつつある。また、地上養殖も広がりつつある。
本論は、テラフォーミングを、他の天体の改造というよりは、地球環境の改変として捉える。例えば牧畜とかも、人間が動物を管理しやすいように環境を変えていったものだといえる。
スローターダイクのいう「人間圏」概念をもとに「人間のための圏」という考えを導入し、テラフォーミングを「人間のための圏」を広げていく動きとして捉える。
惑星間庭園主義――エピクロスの快楽主義を宇宙規模に拡張する / 米田翼
以前、『現代思想2025年1月号 特集=ロスト・セオリー 絶滅した思想』 - logical cypher scape2でもアストロバイオロジーや複数世界論の話をしていたが、今回も同様。
前半で、金星生命を念頭に置いた代替生化学の話をして、後半でエピクロスの話をしている。ベルクソンの話も少し
米田さん、エピクロスも読んでいて、最新のアストロバイオロジーの論文も読んでいて、すげーなって思うし、面白いんだけど、どうするとこの組み合わせに至るんだろうというのが謎
今回も、地球中心主義を批判している。
元々、金星の生命についての議論も、地球の生命をベースにした議論だったが、近年、金星の濃硫酸の大気にいるとしたらどのような生命がありうるか、という代替生化学的な議論が展開されている、と(ホスフィンもその一例ではある)。
で、続いてエピクロスだが、エピクロスは複数世界論の源流らしい。エピクロスは、原子論者で、原子の数は無限だが種類は有限だと考えていた。なので、別の世界に同じようなモノ(知的生命含む)ができる可能性を考えていた。
ただし、筆者によればこの考えはなお地球中心主義的。
しかし、これを打破する方向もエピクロスにあるという。
エピクロスの快楽主義は、欲望を、自然で必要な欲望、自然だが不必要な欲望、不自然で不必要な欲望の3種類にわけて、1番目の欲望の充足を求めるもの。2番目や3番目ではない。また、エピクロスの正義は、相互的な契約のような考えをとる。互いに1番目の欲望を妨害しないようにしよう、という。他の惑星に対して、この正義を適用する=惑星間庭園主義の提唱。
これは、宇宙開発の実践的倫理たりえるし、宇宙倫理学の知見とも整合的だとしている。
ところで、ベルクソンは無秩序というのを、秩序の不在ではなく、我々の知っている秩序がない状態であり、そこには我々の知らない別の秩序がある、と考えるらしい。
「惑星の他性」における人間の条件 / 篠原雅武
ディペッシュ・チャクラバルティという人の「惑星の他性」という概念を、アレントを参照しながら論ずるもの。
人新世的な奴
環境破壊は、人間の生存の条件が地球という惑星システムに依存していることを明らかにした。
これは、科学によって地球を客観視、あるいは人間から切り離されたものとして見ることで理解可能になった。
しかし、この科学による地球の客観視は、人間は地球環境をコントロールできるというある種の傲慢とも繋がる
で、人間と他の生き物とのエンタングルメントが大事、みたいな話だった。エンタングルメントって何感があったが。
アレントが、スプートニクの影響受けて、宇宙について何某か書いているというのは稲葉振一郎経由で少し知っていたが、ここでも、そのあたり(アーレントがスプートニクを受けて何某か書いているところ)が引用されていた。
テラフォーミングに伴って起こりうるヒトの将来進化 / 泉龍太郎
個々の文は何言ってるか分かるのだけど、文章全体として何言いたいのか分かりにくい文章だった。
おそらく「人類の進化」というお題が与えられたんだと思うんだけど、そのお題が枷になってしまったのではないか、と。宇宙環境における医学的問題とかエンハンスメントとかっていうテーマでよかったんじゃないかと思う。
進化、というデカいテーマすぎて、その前段階で、議論の範囲とか前提とか言葉の確認とか項目の列挙とかしているうちに、文字数の多くを消費してしまっているような気がする。
宇宙環境への適応に対する技術的解決は色々ありうるかもしれないけど、放射線だけは無理。防護して地球と同レベルにするしかない、っていうのが印象に残った。
異星の人類社会 / 木村大治
人類社会の進化をSFを参考にしながら考える。
- 社会のサイズ
単独、ペア、群れ(これは、伊谷純一郎による霊長類の社会構造論からとられたものだが、吉本隆明の個人幻想、対幻想、共同幻想とも類似)
「一人」
初期の宇宙計画以外にはない。SFでも『火星の人』とか『ゼロ・グラビティ』とか事故で一人になるもの
「ペア」
ペアで宇宙に行ったケースはほとんどなく、SFにもほとんどない
「数人」
実際の宇宙開発現場や多くのSFで描かれている
「数百人」
例えば火星三部作の前半とか
「数万人」
火星三部作の後半。あるいは『月は無慈悲の夜の女王』や『ガンダム』のように地球と対立するストーリーがよくある
「数兆人」
銀河帝国がよく出てくる。
- 種分化について
『闇の左手』『異星の客』『シドニアの騎士』などの文化の変容
サイボーグ化やロボット
- 地球外の多種との関係
「友好系」
レンズマン・シリーズやノウンスペース・シリーズ
「敵対系」
『宇宙戦争』『エンダーのゲーム』『エイリアン』「三体」シリーズなど数知れず
「わからん系」
『ソラリス』『太陽の簒奪者』
私たちはロボットとの恋を描けなかった / 松井哲也
最初、松下哲也だと思って読んでたら、違った。こちらは、ロボット工学の人だった。ただ、わりとマンガの話をしている。なお、ググってみたところ、シャニマスPらしい……
そもそもロボットが人型である必要なくない話から、セクサロイドは人型じゃないといけないよね、となり、しかし、日本ではその方向の研究が意外にも進んでいない、と(例外として西條玲奈への言及がある)。
恋人になるにせよ友人になるにせよ、他者性が必要なのではないか。
(海外のロボット倫理研究(ロバート・スパロー)で、ロボットは同意するとかしないとかできないので、常に同意のないセックスになると指摘している(ロボットとの友情についても、非倫理的と指摘))
しかし、日本のロボット研究はそういう理解がなかった。それは何故かということを『ドラえもん』の誤読に見て取る。
筆者曰く、『ドラえもん』はロボットマンガではなく、「異類」マンガである、と。
ドラえもん、明らかに非合理的な行動をとったり、理解不可能な行動をとったりすることがある。あれ、オバケのQ太郎と同じく「異類」なんだ、と。
ネズミに対して地球破壊爆弾を使おうとしたように、下手すると、こっち(人間側)に多大な危険をもたらすような存在で、そういう緊張関係の中で成立している友情なのだ、と。
それを、何でも受け入れてくれる存在、誰とでも友達になれる存在、という「誤読」をしてこなかったか。
日本のロボット研究者が、ドラえもんのようなロボットを作りたいという時、誰とでも友達になれるようなロボットを考えていないか。しかし、それは本当の意味で友達になれるような存在ではない、と。
最後に『マグロちゃんは食べられたい』というマンガをあげて、異類と人間、それぞれ噛み合わない価値観を持つ者同士の関係として、感動的な決着を描いているよ、と結論している。
『ドラえもん』についていうと、原作のわりとクレイジーなドラえもんと、アニメ化などでマイルドにされたドラえもんの差異は、わりと話題になる話ではあるよなあと思う。
ロボットを「異類」として捉える観点は、例えば、瀬名秀明なんかはずっとテーマにしていたことなのではないだろうか、とは思う。
The real friends of the space voyager are the stars(宇宙を航海する者の真の友は星である) / 中野真備
筆者は、天文民俗学の人、らしい。
天文民俗学というのは、過去の天文現象に関する伝承の研究など。
この論文では、過去から現在までの、人々がどのように星を見てきたかということをテーマとしており、とりわけ、宇宙飛行士の証言を色々取り上げている。
星や星座は宇宙からどう見えるのか。星はまたたかない。
惑星について
かつて、西南戦争時に火星が大接近していて、西郷星と呼ばれていたことがあるらしい
科学技術が発展していくにつれて、惑星は「物質化」していく(我々が現在火星思い浮かべる火星のイメージは、西郷の錦絵ではなく、例えば火星基地のイメージ図、あるいは「火星の石」とか
本論のタイトルは、アポロ8号に搭乗したジム・ラヴェルの言葉から取られている。
星を航法ナヴィゲーションに使う、というのは、古くから航海してきた人たちもそうだし、宇宙飛行士もそう
恐怖をモジュレートする――テラフォーミング時代のミリューと音楽 / 髙橋勇人
宇宙時代の音楽について
映画『ハイ・ライフ』で流れる、スチュアート・ステイプルズによるアンビエント・ミュージック
スティーヴ・グッドマンこと音楽家コード9による『Astro-Darien』
→音の持つ思弁性で物語とナラティブを作り出す「ソニック・フィクション」という方法論
ミリューというのは、フランス語で環境を意味するが、environmentとは区別して、特に関係性を強調したい時に用いられるとして、ここではミリューと訳されている。ドゥルーズ=ガタリが使っている概念らしい。
ジルベール・シモンドンによる個体化の理論
また、デリダがいう「恐怖の飼い慣らし」という考えも参照している。恐怖の否定や克服ではなく、理解可能なものへ恐怖を翻訳すること。
環境的恐怖と制度的恐怖
シンセイザイーブランド、インストゥルオによる「シオン」
=植物や身体の微量の電流から、音を出す機材
人間に理解不可能な自然を音へと変換する技術は、シモンドンの個体化やデリダの「恐怖の飼い慣らし」だともいえる、と
