第二次大戦末期、ソ連の対日参戦によって開戦した日ソ戦争についての本
日ソ戦争の戦場となったのは、満洲と樺太・千島である。
本書については、ソ連が北海道を占領しなかったのは何故か、ということが書かれている本ということから興味をもった。
元々は、純粋な歴史的関心から気になった本であって、『イスラエルとパレスチナ』に対しての関心とは種類の違う動機だったのだけど、ここ最近のウクライナ情勢から、かなりアクチュアルな関心もいりまざった読書になった。というか、アメリカがロシア寄りの立場からウクライナを恫喝しているニュースを見ながら、この本を読むのは、なかなかなんともいえない読書体験ではあった。
それにしても、ソ連が終戦間際に対日参戦したこと自体は知っていても、実際、どこでどういう戦争をしていたのかは、そういえばさっぱり知らなかった。シベリア抑留や北方領土についても、その経緯についてはよく知らなかった。
確かに、日中戦争や太平洋戦争と比較して、ほとんど話題にならない戦争だと思う(そもそも「日ソ戦争」という言葉自体、この本のタイトルで知った)。
ソ連の対日参戦は8月8日、ポツダム宣言の受諾が8月14日(玉音放送が8月15日)、降伏文書への調印が9月2日となるわけだが、この日ソ戦争は、ポツダム宣言受諾後、9月上旬まで継続されている。
つまり、もう戦争は終わったはずなのに、なお戦闘が続くという状況だったのである。武装解除させていく過程、ともいえるのだが、まあ、ソ連なかなかえげつないことをする、というところでもある。
全4章構成だが、分量としては2章と3章がメインで、1章は序章、4章は終章という感じである。
というのも1章は開戦まで、4章は戦闘終了後だからである。
上述した通り、日ソ戦争の戦場は、満洲と樺太・千島であり、それぞれ2章と3章とがあてられている。
歴史の本はいつも、どうやってまとめればいいか悩むのだけど、今回は結局力尽きた。
第1章 開戦までの国家戦略―日米ソの角逐
戦争を演出したアメリカ―大統領と米軍の思惑
打ち砕かれた日本の希望―ソ連のリアリズム
第2章 満洲の蹂躙、関東軍の壊滅
開戦までの道程―日ソの作戦計画と動員
ソ連軍の侵攻―八月九日未明からの一ヵ月
在満日本人の苦難
北緯三八度線までの占領へ
第3章 南樺太と千島列島への侵攻
国内最後の地上戦―南樺太
日本の最北端での激戦―占守島
岐路にあった北海道と北方領土
日ソ戦争の犠牲者たち
第4章 日本の復讐を恐れたスターリン
対日包囲網の形成
シベリア抑留と物資搬出
第1章 開戦までの国家戦略―日米ソの角逐
戦争を演出したアメリカ―大統領と米軍の思惑
打ち砕かれた日本の希望―ソ連のリアリズム
本書では、日ソ戦争の演出者はアメリカだったと述べられている。
どういうことかというと、アメリカがソ連の対日参戦を望んでおり、ソ連に働きかけていたら。
アメリカは、日本を降伏させる戦略として、ソ連参戦と核兵器の2つを用意しており、その両方の準備を進めていた。
ヤルタ会談などがその一例である。
核兵器開発に成功すると、アメリカはソ連参戦を望まなくなった、とも言われているが、実際には核兵器開発成功後も、ソ連と核兵器の両方の戦略を維持した。
ただし、ドイツ敗北後、少しずつ米ソは対立するようになっていき、ローズヴェルトとトルーマンではソ連ないしスターリンへの信頼度も違っていて、ソ連参戦自体は推し進めたけど、ソ連を外す方向も出てくる。
一方、日本はソ連についてどう考えていたか。
日ソ中立条約があったので、ソ連は参戦してこないという楽観論があった。
また、無条件降伏は呑めないと考える者らは、ソ連への仲介も考えていた。
実のところ、参謀の中には、ソ連軍の動きなどから(ドイツ降伏後、極東への移動が始まっていた)、ソ連参戦を予期していた者たちもいた。しかし、大本営全体としては、楽観論へと流れることになった。
第2章 満洲の蹂躙、関東軍の壊滅
開戦までの道程―日ソの作戦計画と動員
ソ連軍の侵攻―八月九日未明からの一ヵ月
在満日本人の苦難
北緯三八度線までの占領へ
満洲については、関東軍が民間人を置いて先に逃げたなどと言われている。
本書の論調としては、現場レベルでは善戦したところもないわけではないが、そもそもの戦略がダメなのでダメ、という感じがした。
ソ連が宣戦布告してくるまで、あくまでもソ連は中立の立場であり、また、仲介を頼みたい思惑もあって、「対ソ静謐」がとられた。ソ連の侵攻を予期して部隊の移動などは始められたのだが、対ソ静謐を維持したままでの実施が強いられたので、中途半端な移動をすることになった。
そもそも関東軍は、ソ連に対する守備を行う軍だが、戦争末期には、中国や南方へ兵力をとられるようになっていて、手薄になっていた。
また、大本営は対米ソ戦について、本土決戦に備える方針だったので、益々満洲は手薄になった(対ソ静謐を保ったまま、朝鮮半島側に師団を移動させることになった)。
日本軍側にまずいところがあったのは確かだが、しかし、民間人に犠牲が出たのはそもそもソ連が攻撃してきたから、ということを本書は再三強調している。
その上で、ソ連側の残虐な行為にはどのような理由があったのか、という背景説明も行っている。
それは、ソ連側の軍隊文化に由来するものである、と。
この文化が変わらないと、行為も変わらない。ウクライナ侵攻しているロシア軍にも、同じ文化があることがうかがえるらしいが、それについては別稿参照とのこと。
ソ連側も厭戦気分があり、日露戦争の復讐がプロパガンダに持ち出された。
北緯38度線までソ連が占領したので、朝鮮半島が2つに分かれ独立することになったわけだが、そもそもソ連の目標は満洲であって、朝鮮半島は当初目標になっていなかったらしい。38度線までソ連が占領するということを決めたのは、アメリカ側で、それに従ってソ連は急遽南下することになったとか。
第3章 南樺太と千島列島への侵攻
国内最後の地上戦―南樺太
日本の最北端での激戦―占守島
岐路にあった北海道と北方領土
日ソ戦争の犠牲者たち
南樺太から逃げ出した人たちが留萌沖までいってたとか
千島列島の攻防の経緯とか
ソ連が考えた雑な北海道分割案とか
(追記20250310)
南樺太について、アメリカがソ連へ攻撃を要請していたが、ソ連は当初、満洲攻撃に注力していたので消極的
また、日本側も対米戦を想定し、対ソ戦はあまり考えおらず、北海道防衛に注力していた(樋口第五方面軍司令官)。
8月10日に開戦
南樺太でも朝鮮人虐殺や集団自決が起きている
集団自決については、吉村昭が小説にしているらしい。
また、真岡への上陸について、当時、真岡に住んでいた李恢成の回想が引用されている
真岡の女性交換手の集団自決は、さすがの自分も聞き覚えがあった。
8月22日に停戦協定が結ばれるのだが、その直後に、豊原へ爆撃が行われたりしている。
またやはり8月22日に留萌沖で、樺太から脱出した人たちを乗せた船が攻撃され沈没している。2022年現在で100名以上が身元不明で、ロシア側の史料公開が進んでおらず、事件の解明が進んでいないとのことである
樺太アイヌの中には樺太に残ることを希望した者もいたが、日本人とみなされ、強制送還の対象になったとか(千島も同様。なお、ニヴフやウイルタは樺太に残留できた)
逆に、樺太からの送還がなされなかった、中国残留孤児ならぬ、樺太残留邦人・朝鮮人・韓国人という問題もある、と
千島列島については、ソ連への軍需物資の補給や日本への攻撃のため、もともとアメリカが欲していた。
ソ連との共同で千島列島占領を考えたり、あるいは、カムチャッカをソ連から借りて日本攻撃の拠点にする案があったりしたが、ソ連側の協力が得られず頓挫する。
アメリカ軍部は、千島列島占領をかなりギリギリまで考えていたらしい。ただ、アメリカ政府内部でも考えの隔たりがあって、結局、トルーマンは千島列島をスターリンに譲る。
日本側も千島列島を攻撃してくるならアメリカだろうと考えて、ソ連が攻撃してくるとは思っていなかったらしい。
8月18日に占守(しゅむしゅ)島へのソ連軍上陸が始まり、激しい戦闘が起きる。
完全にポツダム宣言受託後である。日本側は、マッカーサーに訴えたりしているのだが、ソ連軍はマッカーサーの指揮下に入ることを拒否していたので、これには意味がなかった(満洲でも同様のことが起きている)。
占守島の戦闘の結果、それ以降の千島列島占領に際して、ソ連も攻撃するのではなく日本軍の幕僚を通して降伏させる方向に切り替えたため、以後、無駄な戦闘は避けられた、と。
ソ連とアメリカとでどこを占領するかをめぐって、1945年8月にトルーマンとスターリンのあいだで書簡が往復している
この際、ソ連側は、千島列島だけでなく北海道の北半分も要求しており、北海道の占領はトルーマンが拒絶している。
ソ連側は北海道占領作戦を準備しているが、8月22日に中止命令が出たとされている。
なぜスターリンが北海道占領を諦めたのかについては、史料が残されておらず不明のままで、歴史家の間でも見解が分かれているが、アメリカとの関係悪化をおそれて、というのが妥当ではないか、というのが筆者の見解のようである。
北方領土については、北海道占領を諦めることとバーターで侵攻してきた、という面があるらしく、択捉上陸が8/28、国後・色丹上陸が9/1、歯舞の武装解除完了が9/7
なお、米軍の北海道進駐が始まったのは10/4とのことである。
(追記ここまで)
第4章 日本の復讐を恐れたスターリン
対日包囲網の形成
シベリア抑留と物資搬出
