- もうひとつのフィクション性――「妖精物語について」における〈現実〉の位相 / 勝田悠紀
- ファンタジーの魅惑――J・R・R・トールキン『妖精物語について』におけるフィクション理論 / 岡田進之介
- 物語を受け継ぐ方法――「再創造」という創作・読解行為からみる、トールキン再読の可能性 / 渡邉裕子
- ファンタジーの祖型はなぜトールキンなのか / 井辻朱美
- 怪物とファンタジーの紡ぎ手たち――J・R・R・トールキンと「人種」をめぐる覚書 / 清水知子
- イメージ・ファンタジー・労働の二層性――ラルフ・バクシとランキンバス社による『指輪物語』もののアニメーション / 宮本裕子
- トールキンを読むシリコンバレー――カウンターカルチャー、シリコンバレー、『指輪物語』 / 木澤佐登志
想像のobjectと想像のvividness - logical cypher scape2で「岡田スライドについては、また機を改めて触れるかもしれない。」と述べたが、そのスライドの中で岡田は、フィクションを鑑賞するにあたっては「「想像の産物に現実らしい一貫性を与える表現を達成する」作家の能力(ファンタジー)が必要」というトールキンの妖精物語論に言及している。
で、『ユリイカ』に岡田がトールキンについて論じたものが掲載されているのを知ったので、手に取った。
というか、トールキン特集が出てたのは知っていて気になってはいたが、優先度が低いままで忘れていた。
岡田論文以外にも、気になったものをいくつかピックアップして読んだ。
もうひとつのフィクション性――「妖精物語について」における〈現実〉の位相 / 勝田悠紀
トールキンのいう「妖精物語」は単に妖精が出てくる話というわけではなく「妖精国」にかかわる話
そして「妖精国」というのは「第二世界」のこと
「第二世界」は、人間世界とは切り離された時空で、準創造されるもの(創造は神のすることなので、人間のするそれは準創造となる)。『ガリバー旅行記』はリリパット国が出てくるが、人間世界と地続きのどこかなので、その意味で妖精物語ではない
準創造は、言葉によってなされる。例えば「緑の太陽」など、言葉の組み合わせを変えることによって。
トドロフの幻想文学論、ならびにそれに影響されたジャンクスンのファンタジー論との比較トドロフ-ジャクスンは、現実の奥に非現実を見るという点で、リアリズム的ファンタジー論
トールキンのファンタジー論にそういう二層性はない
トールキンの演劇批判
妖精の「魅惑」と人間の「願い」
ファンタジーの魅惑――J・R・R・トールキン『妖精物語について』におけるフィクション理論 / 岡田進之介
トールキンにおける「ファンタジー」概念を整理した上で、想像的抵抗のパズルへの応用を提案している。
トールキンは、コールリッジの「不信の自発的停止」という考え方を批判する。
想像力でつくられたものに対して、不信の停止というだけでは足りず、一貫性を与える必要がある。
(優れたフィクションに触れているときの状態を、「不信の停止」というのは実態にそぐわない。もっと積極的に没入しているのではないか、というようなことだったかと思う。で、そのためには「一貫性」が必要だ、と)
その一貫性を与える技のことを「ファンタジー」と呼ぶ。
人間の技であるファンタジーに対して、妖精による「魅惑」がある。ファンタジーは魅惑を模したもの
想像的抵抗について、一貫性を欠く場合に生じるのではないか、という提案。逆に、倫理的に受入れがたい内容でも、そういう世界であると納得させるにたる一貫性があれば、想像的抵抗は生じないのではないか、とも。
物語を受け継ぐ方法――「再創造」という創作・読解行為からみる、トールキン再読の可能性 / 渡邉裕子
トールキンの創作論として「準創造」が有名だけど「再創造」も重要
で「再創造」とは何かというと、元々ある要素の再配置みたいな話で、トールキンの場合、古典とか神話とかを再利用しているわけだけど、ここでは『力の指輪』がトールキン原作を「再創造」しているという話になって、アダプテーション論みたいな感じになっている。
ファンタジーの祖型はなぜトールキンなのか / 井辻朱美
Maria Sahiko Cesire の”Re-Enchanted: The Rise of Children’s Fantasy Literature in the Twentieth Century”という本の紹介
トールキンとルイスが、当時のモダニズムによる「脱魔術化」に抗して「再魔術化」を行おうとしていたという話で、
2人でオックスフォードのカリキュラム改革を行って、古典の比重を増やしたらしい。
他方で、周知の通り、ファンタジー児童文学を書いた。
つまり、アカデミズムと大衆文学の二正面作戦で「再魔術化」を行った、という話。
でまあ、まさにその古典重視カリキュラムでトールキンの弟子となった人たちから、さらにファンタジー作家が輩出されている、という。
あと、トールキンが影響を受けたものとして、秘境幻想小説がある。架空の編集者の覚書や非公式な脚注が挿入されたりしている。こうした「パラテクスト的な客観性のしるし」は19世紀後半のロマンス小説の特徴でもあり、こうしたテクニックがSFやファンタジーにも使われるようになった、と。「別世界」を支える学術としての言語学
イメージ・ファンタジー・労働の二層性――ラルフ・バクシとランキンバス社による『指輪物語』もののアニメーション / 宮本裕子
『指輪物語』の映像化といえば、今ではすっかりピーター・ジャクソンによるそれを指すことが多いが、それ以前のものとして、ラルフ・バクシ監督によるアニメーションとランキン・バス社によるアニメーションとがある。
- バクシ版
ロトスコープの使用
漫画絵と実写的なものの並存(闇の勢力では、ロトスコープで使った実写フッテージが透けて見えている)
https://macc.bunka.go.jp/265/
- ランキン・バス版
描線の数が細かく、キャラクター造形が複雑
一方、動きは限定的
のちに『風の谷のナウシカ』を制作することになる日本のアニメスタジオのトップクラフトが実質的に作っている。近年、日本のアニメスタジオが、アジア諸国に外注しているように、アメリカのアニメ制作が日本に外注されていた歴史がある、と。
トールキンを読むシリコンバレー――カウンターカルチャー、シリコンバレー、『指輪物語』 / 木澤佐登志
アメリカのカウンターカルチャーの中での『指輪物語』について
ピーター・ティールやイーロン・マスクが『指輪物語』から影響を受けているけど、単に個人的に彼らが愛読していたというだけでなく、文化的背景があるよ、と。
カウンターカルチャー、ヒッピーカルチャーの中で『指輪物語』はバイブルとなり、”Frodo Lives!”というスローガンが流行していた、とか。
IBMに対抗するAppleみたいな構図にも引き継がれていく(小さき者が大きな悪に立ち向かう)