藤野可織『来世の記憶』

藤野可織の最新短編集。長さ的には、掌編・ショートショート的なものも結構入っている。
初出媒体は文芸誌を中心としつつ、結構色々な媒体が混ざっている。
初出で最も古いのは2009年の「れいぞうこ」だが、それを除くと、2014年~2019年の作品+書き下ろし1篇が収録されている。
本書は、「その只事でない世界観、圧倒的な美しい文章と表現力により読者を異界へいざない、現実の恐怖へ突き落とす。これぞ世界文学レベルの日本文学」という出版社の惹句がつけられている。
自分は海外文学をあまり読まないので「世界文学レベル」というのが何を指すのかはよく分からないが、ストレンジな作風にそういうところを感じないわけではない。
そして頗る面白いのは確かで、その独特なアイデアで展開される世界観と、ところどころ不気味な描写を丹念に描く文章は読んでいて引き込まれる。
ところで、藤野作品は、大森望がたびたびSFアンソロジーに収録している。藤野作品には時折SFっぽいガジェットが出てくることもあるし、奇想SFっぽいところがないわけでもない。しかし、普通の意味ではやっぱりSFではないよなとも思う。
SFかどうかというのは別に大した話ではないのだが、例えば、SFがセンス・オブ・ワンダーを目指す文学だとして、藤野作品は不思議なもの、ストレンジなものをいっぱい書いている割に、多分そこを目指していないのだろうという感じはある。
あるいは、仮にSFが人間よりも世界の仕組みに関心を向けるジャンルだとすると、藤野作品は、世界よりも人間、ひいては「私」に関心を向けているような気がして、その意味ではいわゆる狭義の「文学」に位置づける方が、しっくりくるかもなあとは思う。
なお、第218回:藤野可織さんその6「各国の小説、そして自身の新作」 - 作家の読書道 | WEB本の雑誌を読むと、読書遍歴の中にSFが含まれていないことも分かる。
藤野作品のストレンジさは、どちらかといえば、彼女のホラー・怪談への嗜好から生み出されているっぽい。その点、あえてSFとのつながりでいうなら、ニュー・ウィアードが近しいのかもしれない。
それから、フェミニズム文学としても読むことができる作品が多いとも思う。
一つは、女の子同士の関係、特にある種のクラス内カーストというか、そういうものをテーマにした作品がいくつかある。
もう一つには、男女の差異をテーマにしたもので「切手占い殺人事件」「ニュー・クリノリノン・ジェネレーション」「怪獣を虐待する」などが顕著だが、それ以外にも、恋人同士、夫婦同士でのすれ違いを描いている作品もある。
フェミニズム、と聞くと身構えてしまう人がもしかしたらいるかもしれないが、しかし、ことさら何かを批判するというものではなくて、やはり何か不気味なもの、ストレンジなものとして描かれているというところがある。むろん、それを通じて性差別的なものへの批判もこめられてはいるだろうし、男性読者として、居心地の悪い思いをする作品もある。しかし、おそらくは、女性が読んでも不気味に思ったり、居心地悪く感じる作品があるはずで、それは出版社が「現実の恐怖へ突き落とす」と書いていることにも通じるだろう。
なんともいえない読後感をもたらす作品も多々あり、しかしそれも含めて、間違いなく面白い作品集である。


個人的には「れいぞうこ」「ピアノ・トランスフォーマー「フラン」「時間ある?」「鈴木さんの映画」「眠るまで」「ネグリジェと世界美術大全集」「鍵」が特に面白かった。

  • 最近読んだ藤野作品

藤野可織『おはなしして子ちゃん』 - logical cypher scape2
藤野可織『いやしい鳥』 - logical cypher scape2

前世の記憶

前世におっさんだった記憶をもつ少女の話
地球滅亡後の宇宙ステーションに暮らす少女の前世は、妻を殴り殺したおっさんだった。
宇宙ステーションには、地球にあった様々なものを人工的に再現しており、その再現の緻密さに感動している。
彼女の親友の前世は、まさにその妻に他ならないのだが、前世の記憶はない。
初出は、資生堂の雑誌『花椿

眠りの館

あまりに眠くて友達とカードゲームをしているうちにソファで寝入ってしまう主人公
その後、うつらうつらしていると「仕事に行かなくていいの?」とか「結婚式に遅れちゃうよ?」とか声をかけられるのだが、その度に起きることができず再び眠りにおちてしまう。
それを繰り返す度に、戦争が起きて世界が滅んでしまってから、ようやく目覚める。

れいぞうこ

冷蔵庫で寝るようになった少女の話
クラスの女の子はみんな、腐るのを少しでも遅らせるために、冷蔵庫で寝ることになった。
まだ身体が小さいので、身体を折り曲げると、なんとか入り込むことができるが、背が伸びた子は冷蔵庫に入れなくなる。
両親に見咎められるが、仲間はずれになってしまうという主張に、しぶしぶ冷蔵庫で寝ることを認められるが、代わりに防寒着を着込むように言われる。
いつか自分も背が伸びて冷蔵庫では寝られなくなるし、そもそも両親は冷蔵庫で寝ることができないが、将来は、みんなが寝ることができるような冷蔵庫を開発するのだという「こころざし」がある。

ピアノ・トランスフォーマー

ピアノを習っていたが全くピアノのことが好きではない姉妹
ある日、ピアノが人類に反撃しはじめたのだが、自分たちは散々ピアノに対してひどいことをしてきたので全く仕方ないことなんだけど、割を食っているのはピアノを愛していた人たちで大変だな、という話
姉妹は、個人でピアノの先生をやっている人のところに通っていたのだが、その先生の息子もピアノを習っていて、彼は当然ながらとてもピアノが上手かった。
しかし、ある時期から、ピアノを演奏すると演奏しながら寝てしまう奇癖が出てきた。
それはピアノ・トランスフォーマーになってしまう前兆だった。
世界中で、ピアノは生きものとなって、人がピアノを演奏しようとすると噛みつき、勝手にピアノを演奏するようになった。そして、一部のピアノ奏者はピアノになってしまった。

フラン

自分の娘が、大阪駅が新しくなったんだよと言って、それ聞いたことあると答えることで、自分自身が19歳だったころの出来事を思い出す(デジャビュみたいな感じで)。
当時、友人から誘われた際には行かなかったが、片思いしていた相手から誘われて一緒に大阪駅へ行ったというエピソードで、初デートだと思ってはりきって出かけるのだが、どうも相手はそう思っていなかったようだという話(彼は友人たちとゾンビ映画を撮る計画をたてていてそのロケハンだった。ロメロのゾンビ映画を見た際に、何故自分が普段と違う女の子っぽい格好をして彼に少しがっかりされたのかが分かる、という後日談つき。なお、「フラン」は『ゾンビ』の主人公の名前)
ところで、これらは全て回想で、この主人公は現在においては、2人の夫と1人の妻がいる(そういう結婚が可能になった未来世界に生きている)。
お金が無限にあれば食べたいと思ったパンを全て買いたいが、そうではないし食べきれないので、食べれるだけのパンを買う。
それで十分幸福な人生を送っているし、19才の頃のことなんか普段は忘れているけれど、しかし、消え失せないでほしいな、と

切手占い殺人事件

女の子が一人殺され、語り手の「ぼく」がそれに至るまでのクラスの女子たちの間で起きた奇妙な流行を回想する
タイトルにある通り、それが「切手占い」で、最初は切手を集めることが流行り始める。そして、どうやらそれで占いをしているらしいことが分かるのだが、男子に対しては切手について一切話をしないので、男子にはどういう占いなのかは全く分からない。
そして、最初は切手を交換したり、複数人で占いをしていたりしたのだが、次第に、1人で占いをするようになっていく。
しかし、この作品の不気味さは、この女子の間で流行る謎の「切手占い」よりも、語り手の「ぼく」や男子たちが無邪気に前提している性差別的な価値観にも由来する。
彼らは、女子の切手占いブームに困惑するのだが、それは女子たちが自分たち男子のために存在しているわけではないことを突きつけてくるからだ。
「ぼく」は、次第に女子たちの見分けがつかなくなる。よく見れば、顔かたちなどが全く違うのは了解されるのだが、彼女たちの美醜や振る舞いが自分たちのためになされていないことにより、パッと見で見分けがつかなくなってしまうのだ。
女子の見た目を序列化し、またその見た目が男子を意識したものであるという考えを無邪気にひけらかす10代の少年というのは、大人として読んでいると、感情移入しがたい存在ではある。しかし、女子の気を引くためにちょっと巫山戯た口調で話しかけたり、「学年で1番とは言わないがクラスでは1番かわいい」といった評価だったり、そうしたもの自体は自分とも無縁だったとは言えない。
そのあたりの居心地の悪さみたいなものが最後まで続く

キャラ

「キャラ」というものをみんなが被っている世界。概念的な話じゃなくて物理的に。
アイデンティティを的確に示し、また感情表現などもしてくれる代物なのだが、それを捨てる人が時々いる。
東京に遊びに来た主人公とその友達が、その場面を目撃して驚くという話
ちなみに、1行あたりの文字数が他より少なくて、前後の余白が大きい組版になっている。初出をみると「毎日新聞

時間ある?

主人公が親友の結婚祝いにサンスベリアを贈るところから始まる。
基本的には、時々その親友と主人公が電話で会話するシーンで進む。
タイトルの「時間ある?」は、親友が話を切り出す時の決まり文句。
ひたすら何でもない愚痴やのろけに付き合う話なのだけど、次第にどこか歪な関係なのではないか、というのが分かってくる。
親友は何でも開けっぴろげに話すタイプで、両親に対しても包み隠さず何でも話していた
彼女はからっぽで、親友の人生の大部分は両親か自分のものだと主人公は思っている。
彼女は何も話すことがなくなってしまい泣いてしまう。かつて両親の前で泣いてしまい、両親は両親で娘のことを非常に大事に育てていたので、一体何があったのかを頑張って聞き出そうとした結果、「親友と喧嘩した」という話を作り上げてしまい、その時、親友に指名されたのが主人公だったが、その時まで別に親しかったわけでもなんでもない。
が、主人公はその後、彼女の「親友」となる。
親友は何でも親に話すタイプだが、性に関する話は両親が否定的だったこともあって話しておらず、逆に主人公に対しては話していた。
結婚から2年たって、主人公は親友の家に訪れる。サンスベリアに覆われてしまっているマンションの部屋……。

スパゲティ禍

人がスパゲティになって死んでしまうようになった世界で、スパゲティを食べ続けることができる男の話。
元々、市販のスパゲティを炊飯器でゆでるお手軽メニューが好きな主人公
ある時、世界中で人間が突然ゆでたてのスパゲティの姿に変わってしまう現象が発生。何の前触れもなく老若男女の区別なく、突然スパゲティになってしまう。
主人公は、この現象が初めて起きたときに、小学校の息子がスパゲティになってしまった母親の回想記事をいつも手元に持っている。
そんな現象が起きるようになってからも主人公はスパゲティを食べているのだが、世界中のほとんどの人はスパゲティを食べられなくなってしまう。
ごく一部の人間だけがスパゲティを食べ続け、疎まれるようになり、ついには隔離されてしまう
隔離された先で、主人公は延々とテレビで時代劇を見てスパゲティを食べる生活を送る。
ちなみに、第218回:藤野可織さんその6「各国の小説、そして自身の新作」 - 作家の読書道 | WEB本の雑誌によると藤野は子どもの頃から時代劇をよく見ていたらしい。
初出は『美術手帖』なんだけど、こんな小説載ってることあるんだ

世界

喉仏が人よりも大きい彼氏が、有名な写真家に写真を撮られる。
美術館でその写真家の個展が開かれた時、彼女はそれを見に行き、彼氏は美術館には入らずその外で彼女が出てくるのを待っている。
彼女から時々電話がかかってくるのだが、他に客がいないこと、展示写真がものすごく多いこと、まるで世界のようだということ、しかし彼氏の写真が見つからないので必ず見つけ出すことなどを伝えてくる。
明らかに彼女の様子がおかしいので早く出てくるように伝えるが、なかなか出てこない

ニュー・クリノリン・ジェネレーション

クリノリンを新たな器官として獲得した人類の話
クリノリンの形をした骨と肉ができた女が生まれ始める。これにより女は自分たちの性の自由を手に入れ、逆に、男性へ性的視線を向けることになり、最後男性もクリノリンを獲得するというショートショート
ちなみに、1行あたりの文字数が他より少なくて、前後の余白が大きい組版になっている。初出をみると、KCI(京都服飾文化研究財団)広報誌

鈴木さんの映画

会社の健康管理室には、ニコラス・ケイジの3Dホログラムの健康管理AIがいる。
導入した当時から時代遅れになりはじめていたこのAIは、新人がきたときに紹介されるくらいで、ほとんど見向きもされていないが、新卒の鈴木さんは、お昼休みに話し相手にしていた。
ニコラス・ケイジ起動」と「ニコラス・ケイジ終了」が面白すぎる。
なお、藤野可織のインタビュー(https://www.webdoku.jp/rensai/sakka/michi218_fujino/)を読んでいて知ったのだが、藤野はニコラス・ケイジ好きで有名らしい

眠るまで

寝る前に死体の写真を見る主人公
日々の生活の細かな言動に悔んだり悔まなかったりしながら、死体の写真を見る。
「そのうちにこんなことはしなくなって、していたことすらすっかり忘れてしまうだろう。十年後か二十年後にも、私はそう思うかもしれない。まだ出会っていない夫と子どもが寝静まったあと、缶ビールで手を濡らして、食卓においたノートパソコンの前で。時間が私をそこへと、さらにその先へと追いやり、押し流していく。数多の死体の方向へと」
この最後の段落の時間の流れ方というか、書き方になかなか痺れる。
ちなみに、1行あたりの文字数が他より少なくて、前後の余白が大きい組版になっている。初出は『文學界


ネグリジェと世界美術大全集

高校時代、友人が2人登校拒否になった。
少し複雑な時制で展開される話が、主人公が老人になっている現在と、高校時代の回想とが交互に展開されるが、さらに大学時代の話もあり、大学時代の話もまた現在時制で書かれている。というか、大学時代と老人時代とが何故か繋がっている。
主人公は、AとBそれぞれと友人だったが、AとB同士は友人ではなかった。しかし、その2人が同時に登校拒否になったとき、主人公には2人が結託したように感じられて憤りを感じていた。
Aは「みんなで群れてバカみたい」というタイプで、Bは「自分がみんなから浮いていないか不安」というタイプで、主人公は、普通に同級生と群れることができるタイプ。
2人が登校拒否になった後、Bだけは図書室登校するようになり、主人公は度々Bのもとを訪れるのだが、主人公はBよりもむしろ『世界美術大全集』に夢中になる。
法学部に入った主人公は、大学の図書館で『世界美術大全集』に再会し借りるのだが、本のサイズが大きすぎて、本を片手に抱えて自転車に乗る羽目になり、転倒してしまう。
というようなあたりから、シームレスに老人になる。
AとBによる復讐らしいというような台詞があり、老人になった主人公は自分が暗い色の服しか持っていないことに気付き、唯一明るい色のネグリジェを着て自転車に乗って出かける。
同じく老人になってしまった同級生たちがそれを見て、やはりネグリジェなどを着て出かけるようになる。
主人公の孫がやってきて、なんでみんな同じような恰好をしているのと泣き始める。

スマートフォンたちはまだ

電車に乗ってスマートフォンを見る。
スマートフォンから入ってくる情報の流れが地の文に書き起こされている(乗り換え案内やニュース、SNSなど)。それがまた「わたし」とスマートフォンの間の会話のようにも読める。
途中、スマートフォンに対して「おまえ」と話しかけているところがある。過去の記憶やこれからどうすべきかまで教えてくれるようになれ、と。
最後、電車の中からみんなで朝焼けを見る。
ちなみに初出は『ユリイカ2016年7月号特集=ニッポンの妖怪文化』調べてみると、他に米澤穂信田辺青蛙西岡兄妹が創作を寄せていたらしい。

怪獣を虐待する

タイトル通り、怪獣を虐待する話
森の中に怪獣がいて、周辺の住民はみんな、その怪獣を虐待している。
男たちは堂々と虐待しに行き、女たちは隠れて虐待しているが、それは母親世代までで主人公たちは友達同士連れだって虐待しにいっていて、母親から女の子がそんなことしてと眉をひそめられている。
怪獣を虐待した日の夜、彼女たちは決まって自分が陵辱される夢を見る
一方、男子たちは怪獣が死んでしまう夢を見る

植物装

姉が先生をやっている音楽教室の合唱発表会の手伝いのバイトにきた主人公は、子どもたちに花柄の衣装を着させる。
花柄ではなく植物柄のスカート
ちなみに、1行あたりの文字数が他より少なくて、前後の余白が大きい組版になっている。初出は、『GINZA』

夜の帰り道で遭遇する「赤いおばあちゃん」に恐怖する夫
主人公は夫に対して、自分も夜道では暴漢に襲われる不安があって、そんな時は鍵を握りしめて反撃するつもりだと話すのだが、夫にはそれが全く伝わらない。
しかし、夫は「赤いおばあちゃん」を不気味だと恐怖する。
ある日、主人公は「赤いおばあちゃん」をすぐ近くで目撃し、彼女も自分と同じなのだと確信する。ウォーキングのために赤いTシャツを着て夜道を歩きながら、見知らぬ男性への不安から警戒心を抱いている女性。
2人で、仮想暴漢に対して反撃するシミュレーションをしながら、それを呆然とみている夫。
ちなみに主人公は妊婦。

誕生

出産が早まり、帝王切開のため急遽産院に入院することになった主人公。
入院初日の夜、異様に救急車のサイレンが聞こえてくる。翌日から、何故か看護婦も夫も外の様子を見せてくれなくなる。
なお、初出は西崎憲プロデュースの『kaze no tanbun』vol.1
『kaze no tanbun』気になるな。

いつかたったひとつの最高のかばんで

大森望編『ベストSF2021』 - logical cypher scape2で読んだ
本書書き下ろし作品だったようだ。
以前読んだ際、「「一体これのどこがSFなんだと思ったけどやっぱりSFかもしれない」枠」と書いたが、やっぱりSFではないよな、これ