チャールズ・コケル『生命進化の物理法則』

生き物の(広義の)デザインに物理的にどのような制約条件があるのか、ということを、生態から個体、細胞、 遺伝、代謝、元素と、上の階層から下の階層へと進む形で見ていく本。
筆者はアストロバイオロジーの研究者であり、この本も3分の2程度はアストロバイオロジーの本として読むことができる。


もし水中を泳ぐ動物がいるとしたら、それは流線形をしている可能性が高いだろう。流体の中を移動するには、流線形が効率よいからだ。それは物理的に決まっていることで、地球以外でもそうだ。
この本は、おおむねこのような物理的な制約条件の話をしている。
ある意味では、非常に当たり前の話をしているとも言える。
この本は、生き物の様々な側面でこのような制約条件が働いていることを指摘し、地球の生き物のデザイン(形だけでなく、どの素材を使っているかも含めて)が、かなり蓋然性の高いものだと論じている。
この本は生命の起源についての話ではないので、どのような条件があれば生命が生まれるかという点は論じていないが、もしこの宇宙に生命が生まれるとしたならば、地球の生命のようになる蓋然性は高い、ということを論じている。
これはそれなりに強い主張であり、必ずしも、当たり前と言える主張ではない。
また、究極的には、地球外生命体を発見できなければ検証が難しい話でもあるので、その点、コケルは確かに譲歩しているが、それでもこの強い主張にかなりコミットしてるように読める。


生物の進化は偶有性が高く予測ができない、と考えられているところがある(例えばグールドは、進化をもう一度やり直したら全然違う姿になるだろう、みたいなことを言う)が、この本は、物理的な制約条件が結構あるので思ってたほど偶有性高くないし、予測もわりとできるんだ、という立場をとる。
(本書の中で「予測」は結構キーワード。生物学も「予測」ができるのだ、と)
ただし、これは決定論というわけでは必ずしもない。
細部について、進化が偶有性が有することは否定しない。というか、細部はすごく多様だ。しかし、その多様性も一歩引くと少数のパターンに収まるだろう、と。


本書は、以上のような全体を貫くテーマはあるが、群れから元素まで、と様々なスケールの話をすることもあり、色々なトピックを足早で紹介していく感は否めず、個人的には、前半はなかなかどういう本か掴めなかった。
途中から、個人的にはわりと馴染みのある(?)トピックになってきたこともあり、「アストロバイオロジーの本として読めるな」と思うとグイグイ読めた。
あと、これは本書に限った話ではないと思うけど、節がないのが微妙に読みにくかった。日本の新書なら、ここで節分けるよなーと思うのだが、章までしか分かれてない。
そういえば、ミゲル・シカール『プレイ・マターズ 遊び心の哲学』(松永伸司・訳) - logical cypher scape2もそうだったな、と。

第1章 生命を支配する沈黙の司令官
第2章 群れを組織化する
第3章 テントウムシの物理学
第4章 大小さまざまな生き物の体
第5章 生命の袋
第6章 生命の限界
第7章 生命の暗号
第8章 サンドイッチと硫黄
第9章 水——生命の液体
第10章 生命の原子
第11章 普遍生物学はあるか
第12章 生命の法則——進化と物理法則の統合

生命進化の物理法則

生命進化の物理法則

第1章 生命を支配する沈黙の司令官

注釈に読んだことある論文出てきた。Clelandの"Defining life"
アストロバイオロジーの哲学 - logical cypher scape2

第2章 群れを組織化する

アリやムクドリなど、群れの話
べき乗則とか自己組織化とか

第3章 テントウムシの物理学

前の章が群れで、この章は個体
これは筆者が学生にプロジェクト型の授業でやらせてる、テントウムシに働く物理法則を調べるというもの
脚の粘着力とか、外骨格の強度とか、呼吸のための空気の拡散とか、目(個眼)の数と大きさの限界とか

第4章 大小さまざまな生き物の体

なぜ動物は車輪やプロペラを生み出さなかったの、という話から始めつつ
動物の形態と環境の関係について、エボデボの観点から説明している*1
エボデボの話に入る前に、ダーシー・トムソンの『生物のかたち』(1917)という本が紹介されている。トムソンは数学者で、貝殻の等角らせんや植物の芽に見られるフィボナッチ数列などを研究した人らしい。何となく近藤滋『波紋と螺旋とフィボナッチ』 - logical cypher scape2を思い出した*2

第5章 生命の袋

細胞の話
細胞は希釈への対応
細胞のサイズや形は、拡散などによって決まってくるなど。表面積を増やそうとするので、細長い円筒形になるなど
細胞膜の構成については、偶有性の余地があるとも。

第6章 生命の限界

極限環境微生物の話
生物が生きられる温度やpHの限界について
まずは高温
実際に見つかってる生物の中では、ブラックスモーカーに住む超好熱菌が、122℃で繁殖可能
理論的な話として、大半の有機分子が破壊されてしまう450℃をあげている。もっとも、450℃まで耐えられる生物が存在しうる、というわけではなく、実際にはもっと低い(122℃に近い)ところに限界があるだろうとは述べている。
この450℃というのは、仮にこの温度までいけたとして、(地下の方が温度が高いわけだがそれでどの深さまでいけるかというと)、地球の半径の0.3%までいけない、という話につなげていて、温度の壁があるので、生物圏にはどうしても限界がある、と。
低温の方で、これも低温に耐えるための方法がいくつか紹介される(凝固点降下など)が、低温になるとどうしても化学反応が遅くなり、細胞の損傷への対処が追いつかなるのがネックになる、としている。
次に検討されるのが塩分の問題
塩分が上がるとまず浸透圧の問題が出てくる。次に、水分活性が問題になる。そもそも水が利用できない。液体の水があっても、塩分濃度が高すぎると、生命は存在できないらしい。
pHについては、意外なことに、生命にとって根本的に限界になりうる要素はないようだ。
他に圧力や放射線についても触れていると、これはさらっとした言及にとどまる。

第7章 生命の暗号

DNA、RNAアミノ酸、タンパク質について
なんで遺伝暗号を担うDNAは4つの塩基からなるのか
担える情報量が適度に複雑で、かつエラーにも強いから
合成生物学では、遺伝暗号の文字を変えたり増やしたりしても成り立つ、ということをやれるけど、最適な組み合わせ、というのはやはり今の状態なのでは、と
遺伝の暗号表についても同様。エラーが少なくなるように最適な組み合わせになっている、と
また、アミノ酸についても、実際にはたくさん種類があるものの、生物がよく使うのは20種類程度にとどまる。この20種類は、たまたま偶然選ばれたのか。
アミノ酸のいくつかの性質を選んで調べた研究によると、この20種類の組み合わせは、性質が多様。少ない種類で多様な性質のアミノ酸を揃えた結果なのではないか、と。
タンパク質は、その折り畳み方が熱力学によって制約されており、アミノ酸の組み合わせは多様だが、その形は限られている。


この章は、遺伝暗号について、たまたま初期の生命が偶然これらの分子を使ったから、地球の生命のこの数や組み合わせでやっている、のではなくて、進化の中で最適な組み合わせになるように選択が行われてきたに違いない、といあ趣旨になっている
なので、物理的な限界の話というわけではない。

第8章 サンドイッチと硫黄

代謝について
1961年にピーター・ミッチェルが発表した、プロトン勾配と電子伝達系*3
プロトン勾配とATP合成酵素は、水力発電所のタービンにたとえられていて、エネルギーを集める仕組みとして普遍性があることが示唆されている(生化学を知らないエンジニアが、細胞膜によって勾配のできてるところからエネルギー集めろ、と言われたら同じアイデアを出すだろう、と)
本文中に名前は出てこないが、注釈の中で、ニック・レーン『生命、エネルギー、進化』 - logical cypher scape2やヴェヒターショイザーへの言及がある。
電子受容体と供給体の組み合わせにはバリエーションがある旨の説明の中で、自由電子を利用できる微生物についても触れられている*4


途中、ちょっと面白い挿話が入っている
筆者が行なっている授業で、異星人のコスプレをして行なっている回について。この異星人は嫌気性で、石膏(硫酸カルシウム)を食べ、酸素ではなく硫酸塩を利用しているという設定で、地球がいかに生命が存在しづらい環境かを論じるという講義である。
この講義は、地球を相対化する視点を学生に見せるという教育的効果があるわけだが、本書の中では、その一方で、このような異星人であっても、電子伝達系を利用してエネルギーを集めているということを示している。
また、この講義の設定が実際には結構無理があることを筆者自身が認めており、このような異星人が絶対いないとは言い切れないものの、酸素を用いない場合得られるエネルギーが少ないので、可能性はかなり低いだろうと指摘する。
地球の生命を相対化する講義ではあるものの、やはり、地球生命が用いている方法は、少なとも電子伝達系は高い普遍性がありそうだし、その中でも酸素を用いるものの方が蓋然性高そうという話になっている


本章の最後では、それ以外のエネルギーを集める方法を色々検討されている
発酵、核分裂、電離放射線の利用、核融合プロトン勾配ではなく熱勾配、圧力勾配、重力を用いる方法
いずれも生命が利用するのは難しそう(発酵は実際に使われてるが得られるエネルギーが少ない。熱勾配は利用可能だが場所が限られる)
やはり、電子伝達系は生命にとって普遍性の高いシステムっぽい、と

第9章 水——生命の液体

タイトル通り、水(H2O)の話だが、水以外の溶媒による生命の可能性が検討される


水は、生命にとって好ましくない性質も持つ(加水分解)
しかし、それ以外に有用な性質が多い。ここでは、タンパク質と水との協力関係などが挙げられている


水以外の溶媒として、アンモニア、硫酸、ホルムアミド、フッ化水素、そしてタイタンの海にあるメタン
ここで求められるのは、適度な化学反応を起こせること。激しすぎてもダメだし穏やかすぎてもダメ
特に問題となるのが、低温で液体になる溶媒。低温だと、どうしても化学反応の速度は遅くなる。ところで、生命は放射線など環境からの様々な要因で損傷するのでこれを修復するために、損傷するよりも速く化学反応を進める必要がある。
そんなわけで、タイタンは可能性低いのでは、と述べている。
また、水とそれ以外との溶媒の違いとして、宇宙にある量も指摘されている。水の存在量は、断然多い。


というわけで、水は、液体である温度で化学反応の速度がちょうどよい、量が多い、という点からして、宇宙に生命が誕生した時に利用される可能性がとても高そう

第10章 生命の原子

前の章がH2Oってちょうどよいという話だとすると、この章は炭素ってちょうどよい、というのが主な話


原子の性質として、パウリの排他原理により電子の数や軌道の説明をした上で、炭素は結合が強く、しかし程よく解けやすいという利点をあげている
これに対して、周期表で炭素の下にあり、性質の近いケイ素について検討される。
ケイ素生物ってSFだと定番で、アストロバイオロジーの本だと一応言及されるが可能性は低いとされる奴
本書でも、炭素と比べて結合が弱いこと、酸素と結びつくて(炭素が二酸化炭素という使いやすいガスになるのに対して)安定してしまって使いにくいケイ酸塩になってしまうことを挙げて、あんまり生命に向いてないことが示される。
もちろん、ケイ素を使っている生物はいるが、それは構造を支える支持体としてで、炭素の代わりになることはない。
トリトンのような星で液体窒素の中であれば、という話も出てくる。これは、可能性はないわけではないが、どういう挙動とるかよくわかってないのでよくわからん、と。


水と同じで、炭素もまた、宇宙に存在している量が多い。分子雲とかに有機化合物がある。隕石や彗星にもアミノ酸も見つかっている。一方、隕石にケイ素化合物は見つかっていない。


炭素以外の元素についても論じられている。
まず、水素、窒素、酸素、リン、硫黄
特に窒素、酸素、リン、硫黄は、周期表上で炭素からの距離が近く、炭素との結合で役割を果たす。
また、周期表で酸素の隣のフッ素、フッ素の下の塩素、リンの下のヒ素、硫黄の下のセレンについても触れられている。
フッ素と塩素は反応性が高く使えない
ヒ素とセレンは、実は生物によって利用されてはいるのだが、結合が弱いので多用されてはいない
これらの各元素の性質と、生物にとっての使いやすさについても、一貫して電子の数や軌道、原子の大きさで説明されているので分かりやすい。
あと、周期表で炭素の隣にいるホウ素だが、これは生物でよく使われているらしいのだが、あまり詳しいことはまだよく分かっていないらしい。
確かに、ホウ素って周期表の上の方にある元素の中では一番馴染みがないが、原子番号の小さい奴でもあまりよく分かってないのがあるのだな、という感想


最後に筆者は、地球生命は「炭素ベース」なのではなく「周期表ベース」なのだという。
つまり、利用できる元素を片っ端から試して、使いやすい元素を使ってるだけなのだ、と。
ここで、炭素と水に基づく生命には普遍性があるという主張について、穏健な解釈と強硬な解釈の2つの見方があるとしている。
穏健な解釈は、炭素と水は多いからそれに基づく生命は多くなる(が、それ以外に基づく生命の可能性は否定しない)という見方
強硬な解釈は、化学的性質からいって、炭素と水以外をベースにした生命はありえないという見方
筆者は、地球以外の生命が見つかっていない以上、科学的な態度としては強硬な解釈はとれないけれど、そちらの解釈に魅力を感じている、と述べている。
訳者はあとがきでこの部分に触れて、コケルは「異論を受け入れる態度」「慎重な態度」をとっていると述べているが、これ断言できるような話では全然ないからエクスキューズをつけているだけで、筆者は結構強い主張をしたがっているように見える。

第11章 普遍生物学はあるか

系外惑星ないし地球以外の惑星の環境について
系外惑星の話を一通りして、例えば重力というパラメータが変わると生物がどう変わりうるか、と(スーパーアースは地球より重力が大きい)
重力が大きいと、大型の地上生物の形状にその影響が出てくる。しかし、昆虫のような小型の生物や水中生物にはあまり影響がないかも。
また、タイタンのように重力が小さく大気密度が高いと、空を飛びやすくなる、とか

第12章 生命の法則——進化と物理法則の統合

生物学と物理学の違いについて
より大きいスケールから考えるか、小さいスケールから考えるかという違いがあるのではないか、と。
物理現象は、小さいスケールに不確定性があり、スケールが大きくなると不確定性がなくなっていく。
生命は、逆で、大きいスケールになるほど不確定性が大きい
ただ、量子生物学というジャンルだと、量子的な不確定性が生物にも関わってくるよ、という話も少ししていて、生物学と物理学は統合できるんだ、みたいな話になり、この本のテーマである、進化における偶発性って結局どれくらいあるのか、という話に戻ってきて、経路は狭いだろうと。


最後の最後にさらっと、(本書は、群れから元素まで階層を遡り、それぞれの階層に物理法則を見てきたわけだが)、ある階層の制約が他の階層に基礎付けられているわけではない、というようなことが述べられている。
ここ当たり前の話ではあるのだけど、ちょっと面白い話だと思ったが、あまりにも分量が少ないのでうまく面白さが説明できない。

感想

最後の章で、長いあいだ、生物は無生物とは異なるという考え方が強かったけれど、しかし、生物だって物質なのだから、物理法則に制約されるでしょ、ということが述べられている。
ところで本書は、偶有性・偶発性が、従来の生物学で思われているのよりも狭く制限されているのだ、と主張する本でもある。
さて、この生物における偶有性みたいなのをどう位置付けるのか、というのはちょっとややこしい気がした。
本書では、生物の進化が偶発的で予測できず多様であることが、生物の単なる物質とは異なる特別さとして扱われてきたのではないか、というのが暗に示され批判されているように読める。
しかし、生物の進化が偶然であることを強調するのは、目的論的世界観への抵抗という意味合いも強いように思える。つまり、偶有性を強調することこそ、生物が特別ではないことを示すことになる、という考えもあるはず。
つまり「生物は偶然によって進化してきたのであり、ゆえに特定の目的によってデザインされたわけではない」というために、偶然性は強調されたりする。
本書は「生物は物理法則に従って進化するのであり、ゆえに偶然の働く余地は実は思ってたより少ない」と主張している。そして、もちろんこの主張は目的論的世界観を含意していないので、この2つの主張は当然両立する。
ただ、前者の主張も、生物は特別な存在ではなく物質的な存在だという趣旨があるような気がするので、偶然性がないことこそ物質的な存在であることになるのだ、ということ言われると、気持ち的には「ん?」となりそうな気もする。


生物の限界を定めるような制約の話と
そこに落ち着く蓋然性が高いという話と
その法則に従っておくと適応度が高くなるという話とが
それぞれ混ざっているように思えた。


6、8、9、10章が特に面白かった

*1:なお、筆者は、理由は書いてないが、エボデボという略し方はひどいと思っているらしい

*2:ただ、近藤滋はチューリング・パターン推しで、チューリング・パターンの話は本書ではテントウムシの方で出てくる。あと、本書では、トムソンはそういう数学的パターンがどのように生じたか説明しなかったが、今なら進化発生生物学で、生物の形がどのように生じたか分かってきたぞ、という風につなげるのだが、近藤はややそのあたりとは距離をとっていたかと思う

*3:水素伝達系、という方が一般的かと思う、と書こうとしたのだがWikipedia見てみたら、今の教科書では水素伝達系という言葉は使われていないらしい!

*4:電気を用いる生態系について高井研編著『生命の起源はどこまでわかったか――深海と宇宙から迫る』 - logical cypher scape2が論じている