Deena Skolnick and Paul Bloom ”The Intuitive Cosmology of Fictional Worlds"

"The Architecture of the Imagination: New Essays on Pretence, Possibility, and Fiction"の第5章 
https://pdfs.semanticscholar.org/8a0a/bb1d0e73c11017ae923a844aa0a43c67ac62.pdf
筆者のポール・ブルームはイェール大の心理学者
複数のフィクション世界や、フィクション世界と現実世界の関係について、どういうふうに認識しているか、という話
なお、この本は、アイロニーについてカリーが、想像的抵抗についてウォルトンやメスキンが書いているようだ。
James Harold "The Value of Fictional Worlds (or Why 'The Lord of the Rings' is Worth Reading)" - logical cypher scape2の参考文献にあがっていたので、眺めてみた


基本線としては、ルイスやウォルトンが、フィクション世界を解釈する際に、まずは現実世界とできるだけ近い世界を想定する(ウォルトンが現実原理と呼んだもの)としていた奴が、似ている話かなと思う。
心理学的なフィクションの研究なのかなと思うけれど、この論文自体は、あまり心理学の実験結果とかが書かれているわけではない。
フィクション世界とフィクション世界との関係を、我々はどのようにとらえているのか、という点を考察しているという意味ではちょっと面白い


REALITY AND FICTION
THE RELATIONSHIPS AMONG FICTIONAL WORLDS
THE CREATION OF FICTIONAL WORLDS
CHALLENGES AND EXTENSIONS
 Crossovers
 Putting characters in the right world
 Errors versus alterations
 Porous boundaries
BEYOND FICTION

REALITY AND FICTION

フィクションと現実の区別という二値的なカテゴリは正しくない
バットマンスポンジボブはどちらもフィクションだが、互いに別の世界に属している。我々はバットマンにもスポンジボブにも実際に会うことができないが、同様に、バットマンスポンジボブと会うことは出来ない。
で、そういう区別を子どもも大人と同じようにしているか、という発達心理学的研究
少なくとも、フィクションと現実の区別は3歳から出来ているというのは既に多くの証拠があるところらしい

THE RELATIONSHIPS AMONG FICTIONAL WORLDS

(1)「~は~にとって現実である」関係:同じ世界にいるキャラクター同士の関係
(2)「~は~にとってフィクショナルである」関係」:別の世界にいるキャラクター同士
キャラクターが有している信念の推論が可能になる。バットマンはロビンが実在していると信じているがスポンジボブはフィクショナルだと信じている、など。
(2)の関係は非対称的。バットマンは「あなた」がフィクショナルであるとは思っていない。現実世界についてバットマンは何も知らない。フィクション間にも非対称性はある。

THE CREATION OF FICTIONAL WORLDS

フィクションの世界をどのように想像するか。
まずは、現実世界と同じ世界を仮定する。
次に、作品で書かれていること、ジャンルの慣習などから、修正しして調整していく。


まず、現実世界を仮定する、次に、現実世界には存在しないバットマンやロビンが存在するというように調整する。あと、バットマンの世界にバットマンについてのコミックや映画はないとか、『ミリオンダラーベイビー』の世界に俳優クリント・イーストウッドはいないとか。
こうしたworld creation理論がフィクショナルキャラクターの他のキャラクターについての信念についての我々の直観を説明する
異なる世界のキャラクター同士の関係について尋ねられた時、私たちは直接これらの世界の関係を計算するわけではない。ジェームズ・ボンドの世界に対して、我々の世界と同様に「シンデレラはフィクションである」ということをエクスポートしてもよいか、考える。これは、非対称性を説明する。シンデレラの世界は現実世界からより離れているので、「ボンドはフィクションである」ということを我々の世界からシンデレラの世界へエクスポートできない。

CHALLENGES AND EXTENSIONS

クロスオーバー

ウォルトンが述べているが、第3の世界を作る。
CSIとクロスジョーダンのコラボとか、バットマンスパイダーマンのクロスオーバーとかは、現実世界との違いが同じくらい(前者は大体現実世界と同じ世界だし、後者はスーパーヴィランがいるという点で似てる)なので、特に問題はない
しかし、リアリスティックなドラマである「ロー&オーダー」とスポンジボブの世界は、そもそもクロスオーバーが可能かどうかさえわからない。
クロスオーバーにおける類似度(likeness)は、フィクション世界のコスモロジーの組織化を反映している(現実に近い世界同士は近いとか)

Putting characters in the right world

現実かフィクションかをどのように区別するか。
→現実状態(reality status)の情報が多くの場合は明示されているが、そういう情報を欠く場合も多い。他の手がかりへのsensibilityを子どもも持つ。
現実世界に属しているものであるかどうか。フィクションの中で新しいキャラクターや生き物に出会ったら、現実世界にいるものと似ているか、フィクションの中にでてきたものと似ているかを、知覚的に比較する。知覚的性質を用いて、異なるカテゴリーへ分けるということは子どもにとってたやすい。子どもたちは、私たちと一緒に歩く漫画のキャラクターを見ることはないということを知っている。
現実かファンタジーかを区別する主な手がかりが類似度であるなら、リアリスティックなキャラクターがフィクショナルなのを理解するのは難しいだろうが、それは今後の研究の課題。
フィクションとリアルを区別できたら、残るは、キャラクターを正しい世界に配置することである。我々の理論では、新しい物語に触れるたびに新しい世界を作っているのだとしているが、その前に「物語」について確認。シャーロックホームズ作品は、どれも同じ世界に属してるはずなので、各作品を読むたびに新しい世界を作っているわけではない。物語は、1つの作品よりも広い。
1つの物語とは一体? 同じキャラクターがいるという方向で考えてみる。ホームズシリーズについてはうまくいく。しかし、同じキャラクターがいなくても同じ世界ということはある(例:スタートレック)。一方、同じキャラクターがいるのに同じ世界と思えない例もある。ジェームズ・ボンドは、原作小説の世界では(1950年代が舞台なので)、1920年代生まれでなければならない。しかし、映画版では、現代においてもまだ中年である。役者が変わるたびに新しい世界となっているのだろうか。だが、それにも問題がある。それぞれのボンドの間で歴史が共有されない。
解決法として、ボンドの本質的な性質と偶然的な性質を区別し、本質的な性質を持つが偶然的な性質を持たない(?)1つの世界を作る。
この解決法は、各小説や映画で様々なボンドを同じキャラクターとする一方で、同じ名前の別人が出てくる作品を別の世界に分けることができる(ジェームズ・ボンドという名前のダンサーが出てくる映画が仮にあるとして)
ボンドが黒人、女性、ゲイといった作品はどう考えるかは、難題として残る。が、これの難しさは、キャラクターの本質的な性質と偶然的な性質が何であるかという問題に起因しているということは分かる。この問題への答えは、新しいボンドが同じ世界に属しているかどうかで示されるだろう。

エラーvs変更

作者の誤りなのか、作者がそのような世界を作ったのか
ロバート・パーカーの小説は、ボストンが舞台なのだが、実際のボストンと道が異なっていた。これは、パーカーの間違いだろう。
マクウェインの小説『土曜日』で、物語の最後、バクスターという悪漢が若い女性の詩になだめられる。バンヴィルは、バクスターがこんな反応をするだろうか、マクウェインはバクスターの反応を間違ったのではないか、と批判した。重要なのは、マクウェインへの非難ではなくて、ボストンの道を間違うというような単なる間違いと、目的ある描写a purposeful depictionとを見分ける能力があるということ


Larsonの書いたコミックでは、蚊の夫婦が出てくるのだが、あるとき、読者からLarsonに対して、蚊で血を吸うのはメスであってオスではないという手紙があった。Larsonは、蚊が家に住んで服を着て英語をしゃべっているマンガなのに、蚊のジェンダーロールに気を遣うべきなのか、と応答した。しかし、Larsonは間違っている。現実から離れているといって全てが白紙になるわけではない。破られるべき現実のルールと守られるべき現実のルールがあることが期待されている。

Porous boundaries

フィクションと現実の境界の区別における孔
感情的反応におけるそれは、フィクションのパラドックスとして知られているが、それに限らない。フィクションを通して現実世界について知る・学ぶということもある。
こうした多孔性は、混乱をもたらす。ドラマの中の医者が言っていることを信じるなど。役柄に基づいて結論を下してしまうことを避けるのは難しい。
こうした混乱は、現実世界とフィクション世界が類似していることの重要性を示している。この類似により、現実世界について正しいことを知ることもできるが、だまされてしまうこともある。