Rafe McGregor "The Problem of Cinematic Imagination"

カリーとスクルートンの、映画鑑賞における想像の考え方を比較している
ロペスとウォルトンも出てくるが
特別面白い話をしているわけではないのだが、まあ整理としては読みやすい
というか、英語が読みやすい英語だった気がする
https://contempaesthetics.org/newvolume/pages/article.php?articleID=629

  • 1. The scope for imagination

カリーのシミュレーション仮説
想像と信念を対比させて、想像はオフラインというアレ
ロペスによるそれへの反論(想像よりも知覚的経験から説明すべきでしょ、という話らしい)


スクルートン
想像とファンタジーを対比
想像は、芸術の鑑賞に関わり、それを通して現実について間接的に理解する手段。様式、慣習、記述や描写の手法を通して、想像は現実を把握する。
一方、ファンタジーは、性や暴力など道徳的に禁止されたものへの欲求を、リアライズしたもので、現実の代行・代理。写真やろう人形など、現実に似せているけれど、それは代理品なので、現実からはむしろ離れる。
スクルートンによれば、映画は想像じゃなくてファンタジー

  • 2. Imagination as make-believe

カリー(およびウォルトン)の想像:メイクビリーブによって定義
メイクビリーブと視覚化(visualisation)を区別
なお、カリーは、ファンタジーとフィクションは同じところもあるし違うところもあるとしていて、どちらもメイクビリーブしている(かつ視覚化は必要ではない)ところは同じだけど、ファンタジーは個人間でアクセスできない、フィクションはできる、という区別。(なお、ここでのファンタジーは白昼夢を指しているらしいので、スクルートンとはそもそも対象がかなり違うと思われる)
プロンプター・プロップの説明
ウォルトンによる、描写をリッチでビビッドな知覚的メイクビリーブとして説明する奴の紹介
カリーも似たようなことを言っているらしい

  • 3. The creative imagination

ロペスのカリー批判(想像なしの映画的経験を持つ)を反論
このあと、カリー、スクルートン、ウォルトンの議論を並べて、映画とそれ以外(舞台や小説)とを比較する
要するに、舞台や小説と違って、映画は細部まで決まっているから、その分、鑑賞者が考えなきゃいけないところは少ないよね、という話
小説だと、髪の色は茶色としか書いてなかったとしても、映画だと、それがどんな茶色でどれくらいの長さなのか見たらわかる
舞台と映画とではそこが違うよね、というのはスクルートンの主張なのだが
筆者は、それをウォルトンのオブジェクトとヴィヴィッドの議論に接続している。
ウォルトンは、俳優を直接見ている分だけ、映画より舞台の方がヴィヴィッドだ、と言っているのだけど、筆者は、それに同意はしてない。
より細かいところまでメイクビリーブできることとヴィヴィッドであることを結びつけて、映画だってヴィヴィッドなのでは、という議論をしている


カリーは、想像を「心的イメージを作ること」と「虚構的命題に対してメイクビリーブの態度をとること」の二つにわけているが
一方、Leslie Stevensonは、想像概念を12に分類しており、その中に、このカリーの二つの分類に対応するものがある。
でもって、この後者の方を、Stevensonはさらに2つのサブカテゴリーに分けている
「フィクションを創造する能力」と「すでにフィクションとして創られたフィクションについて考える能力」
で、普通前者は、作り手に帰せられるものだけど、筆者は、鑑賞者にも求められる能力だ、としている
でで、映画というのは、前者にとってプアなプロップであり、後者にとっては効果的なプロップなんだ、と。
スクルートンとカリーの映画と想像についての主張はそれぞれ正しいんだけど、スクルートンは想像を前者の意味で、カリーは後者の意味で捉えていた、という話。
映画は、小説や舞台と比べてより細かいところまでメイクビリーブできる(プロップによってどのようなものか定められている)のであり、それはつまり、鑑賞者が想像できる余地が少ないということでもある。

感想

映画は、小説や演劇に比べて見る人が想像を働かせる余地が少ない(その分、リアルなのだ)、という話、それはそうかもしれないが、それでいいのかという気もしないでもない
まあ、だから映画の方がよい・悪いという話をしているわけではないから、いいんかな(スクルートンはそういう話してそう、知らんけど)
ただ、そのあたりを、想像の分類をささっと引いてきてパパっと整理しているのは、よいかも
あと、ウォルトンのvividの説明は、確かにウォルトンは映画より舞台の方がvividってわりとあっさり言い切っている感があり、映画だってvividだろと言いたくなる気持ちはわかる