小川哲『嘘と正典』

『ユートロニカのこちら側』『ゲームの王国』といった長編を発表してきた筆者の初短編集
時間や歴史(世界史から家族の歴史までスケールは様々)を扱ったSF作品が主で、また「魔術師」や「嘘と正典」などはミステリ的な要素もある
紛うことなきSF作品揃いで、いずれもクオリティの高いものばかりだが、現実世界とほぼ変わらない世界が舞台で(宇宙や未来が舞台になっているわけではない)、SFっぽいガジェットが出てくるわけでもないので、表面的にはさほどえすえふしていないので、普段からSF読む人にもそうでない人にもおすすめできる
「魔術師」と「嘘と正典」が頭抜けて面白いと思う。どちらも時間もので、タイムパラドックス起きないようにどういう仕掛けがなされているか、というところがあるので、ロジカルに組み立てられている感じの小説が好きな人は好きだと思う。
「ムジカ・ムンダーナ」も好き。

魔術師
ひとすじの光
時の扉
ムジカ・ムンダーナ
最後の不良
嘘と正典

嘘と正典

嘘と正典

魔術師

先行して、無料版電子書籍が配信されており、事前にこれだけ読んでいた。
クリストファー・プリーストを思わせるようなマジシャンもので、SFともミステリとも読めるような作品。
語り手である主人公は、父親と姉がマジシャン
父親はかつて、タイムマシンマジックを披露し、そしてそのまま姿を消した。
そして、そのトリックを看破した姉もまた、同じタイムマシンマジックに挑戦しようとしていた。
ここで姉が看破したトリックというのが、自分の人生を丸々使う、正気の沙汰ではない代物で、これだけでも読者としては驚かされる。プリーストの場合『双生児』という長編をかけて描いたようなトリックを、短編におさめてしまっているのもまた舌を巻く。
ところで、この通り読むと、父親が作ったタイムマシンはトリックだったということになるのだが、実はこの話、タイムマシンが本物のタイムマシンであったとという読み方も可能で、やはりプリーストばりに複数の解釈が両立するような作品になっている

ひとすじの光

競馬ものなので、競馬に詳しくない自分には今ひとつ分からない部分もあるが
疎遠だった父親が亡くなり、父親が馬主だったことと、ある馬の家系について調べた原稿と資料があったことが分かる。
スランプに陥った作家である主人公は、その原稿を読み始める。

時の扉

語り部が王に「時の扉」についての物語をいくつか語る
それは、様々な後悔に接して「時の扉」を使って過去をなかったことにするというような話なのだが、それら複数の話から、ヒトラーユダヤ人の話が浮かびあがってくる

ムジカ・ムンダーナ

父親が作曲家で、自分も元バンドマンで今も音楽に関わる主人公
父親の遺品の中から「ダイガのために」と書かれたカセットテープを見つける。主人公の名前は「大河(ダイガ)」
この曲の謎を追ううちに、東南アジアの島に、音楽を財産・通貨として使っている村があることを知る。そこには、高い価値を持つがゆえに一度も演奏されたことがないという曲があるという。それが「ダイガ」

嘘と正典

モスクワで働くCIAのスパイの話
共産主義を巡る時間SF
全ミッションの停止命令を受けたCIAモスクワ支部のスパイのもとに、ソ連の電波技術の研究者からの接触がある。重要な機密文書を渡したい、と。
その研究者は、予算獲得を巡る政治的な動きにより、不毛な研究をさせられており、そのようなソ連の非合理性に嫌気がさしていたのだった。
ところが彼は、その不毛な研究から、過去へメッセージを送ることのできる技術を発明(発見)してしまう。
一方、スパイの方は、その研究者との接触を行うとともに、たまたま空港で出会った歴史研究をしている学生から興味深い話を聞く。
万有引力の法則はニュートンがいなくても、いずれ誰かが発見していただろう。一方、『オリバー・ツイスト』はもしディキンズがいなければ、書かれなかっただろう。だとしたら、共産主義は一体どちらなのか。
学生は後者だという。マルクスエンゲルスが出会わなければ、マルクス主義と言われるタイプの共産主義は生まれなかっただろう、と。エンゲルスマルクスと出会う前、ある事件の容疑者として逮捕されている。1人の目撃証言によってアリバイがあることがわかり、エンゲルスは無罪放免となるが、もし彼がその証言をしていなかったら、エンゲルスは有罪となりマルクスとも出会うことはなく、共産主義も生まれなかったのではないか、とその学生は言うのだった。
果たして、歴史は書き換えることができるのか。