『組曲虐殺』

天王洲アイルの銀河劇場にて
色々あって人からチケットをいただいたので、行ってきた
井上ひさしの遺作にあたる作品で、小林多喜二を主人公としたミュージカル
すごいタイトルではあるが、半分くらいがコメディパート
音楽がピアノのソロ演奏のみで、これがとてもかっこよかった
ステージが2階建てになっていて、2階部分にピアノがいる。作曲の人がピアノ演奏もしており、わりとジャズ系


そういえば、小林多喜二について、『蟹工船』、拷問、デスマスクというキーワードしか知らなくて、それ以外については全然知らなかったな、と気付いた。

小林多喜二(作家):井上芳雄
田口瀧子(多喜二の恋人):上白石萌音
伊藤ふじ子(多喜二の妻):神野三鈴
山本正(特高刑事):土屋佑壱
古橋鉄雄(特高刑事):山本龍二
佐藤チマ(多喜二の実姉):高畑淳子


音楽・演奏:小曽根 真


シーンとしては、小樽のパン屋から始まるが、物語としては、特高の2人が多喜二を取り調べているところから始まる。
そこで、多喜二の前半生などが説明される感じ
秋田で生まれて、その後、小樽でパン屋をして成功した伯父のもとで育つ。ケチな伯父にこき使われるようにパン屋で働かせられながらも、小樽高等商科(のちの小樽商業大学)まで通う。その後、銀行勤務。酌婦である瀧子を身請け。作家となり、人気を博し、『戦旗』など左翼雑誌に連載を持つ。
続いて、姉のチマが上京し、東京の美容学校で勉強しながら働いている瀧子とともに、多喜二のもとを訪れるシーン
多喜二は不在で、代わりに留守番を任されているというふじ子という女性がいる。彼女は、多喜二の大ファンというが、話の端々から拷問で傷を負った多喜二を世話していることがうかがえ、瀧子は気が気でない。そこに特高の2人が現れる。
ふじ子が用意していたバケツによる暗号で、多喜二はその場を逃れるが、その後掴まったようで、その次のシーンは、多喜二が独房にいるところ。
その後、釈放された多喜二は、一時、政治的な活動からは離れる。そんな多喜二を見張るために、多喜二の家の下宿人となる特高の2人。そこに再び、上京した姉、瀧子、ふじ子が訪れる。瀧子は美容学校をやめてカフェで働くようになっている。特高の山本は、下手くそな小説を隠れて書いて、多喜二に読んでもらおうとする。
さらにその後、多喜二は地下活動をはじめ、それをふじ子が支える。資金の供給を絶たれた多喜二を、姉が金銭的に支え、瀧子は(恋愛的な意味で)身を引く。
アジトを転々とする多喜二。姉に自分の原稿を渡すため、瀧子の働くカフェに、変装して集まる4人。そこに、やはり変装した特高の2人も待ち伏せしている。
6人がおしくらまんじゅうしながら歌う映写機の歌が不意に途切れる。
最後は、北海道へ帰る姉を瀧子が送っていくシーン。既に、多喜二の葬式などは終わっている。交番勤務に降格した山本が現れ、特高が彼に何をしたのかを涙ながらに語る。次に古橋が現れ、山本は警察官組合を作ろうとしているのだという。


特高の2人も含めて、ドタバタコメディみたくなっているシーンが多い
主に、多喜二の家に特高が下宿しているシーンと、変装してカフェにやってくるシーンがそれ
山本は、貧しかった頃に学費を貸してくれた老人に金を返すため、小説を書くのだが、それがへんてこな捕物帖だったりする
基調はドタバタコメディなのだけど、特高2人も含めて、登場人物がみなそれぞれに、貧しく苦しかった過去や現在などを抱えながら生きていることがわかっていく、という作り


独房シーンの、「独房からのラブレター」という歌が、井上芳雄のソロ歌唱とピアノなのだが、これがバチバチにかっこよかった
パンフレットによると、ブルースらしいが(実際ブルースだと思うが)、ピアノがジャズっぽい不協和音に近い音を鳴らしてボーカルとピッタリあわさっているのがかっこいい
歌詞は、貧しい人たちの生活の情景を描いたもので、井上芳雄の絞り出すような切々とした歌い方が、情景を浮かび上がらせる。
ただ、そんな人々に対して自分は何もできない役立たずだなあという歌でもあって、ちょっとばかり、インテリのロマンティシズムみたいなもんを感じないわけでもない。


舞台としてはとても面白い作品なのは間違いなく、
やっぱ、高畑淳子はすごいなーとか、井上芳雄の歌かっこいいなーとか思うわけなんだけど
小林多喜二のこと自体は、そこまで好きにならないなと思ったのは、瀧子のあたりのことで、瀧子は自分がパートナーになっても地下活動をする多喜二の足を引っ張るだけだということで身を引くのだけど、まあ明らかに多喜二は瀧子のことをふるとかはしていなくて、「これからの女性は自立して生きるべき」と言いつつも、なんか女性の犠牲のもと生きてんじゃねーか感が否めない
元々、瀧子は「多喜二の許嫁以上奥さん未満」として登場するが、多喜二のことを「多喜二兄さん」と呼んでより、兄妹のような関係にある。それで関係を先に進めたい瀧子は「多喜二さん」と呼び方を変える。が、その後、パートナーとなることを諦めたあとは「多喜二くん」と呼び方を変える。というのよかったと思う。
それはそれとして、この作品で描かれている様々な政治的状況は、アクチュアルなものとしても見ることを期待されている作品だと思うし、それはそれで別に悪くないとは思うんだけど、とはいえ、多喜二という人が現代においてもありか、と言われるとちょっとなというところはある


特高の山本刑事が、コメディ面でもシリアス面でも美味しい役どころ