スタンフォード大学でVR研究している筆者が、現在、VRがどのようなことに利用されているのか、またどのような分野での開発が進められているのか、といったことを紹介している本
とかく様々な事例を広く紹介しているので、なるほどそんなとこに使おうしているんだとかが分かる。
自分がVRを実際に経験したことが少ないこともあって、VRのお勉強に、と思って読んだが、それにちょうどよい感じであった。
原題は “Experience on Demand: What Virtual Reality Is, How It Works, and What It Can Do”
邦題より原題(特にサブタイトル)の方が、よほどどのような本であるかを的確に表している。
うーん、まあ、日本語のタイトルが、(おそらく)売りやすいと判断されたものとなり、内容と離れてしまっているということは、珍しいことではないので、あーだこーだ言うのもなんなのだが、この日本語タイトルは内容と全然あっていない。
まあ、営業かなんかのために「脳」というキーワードを入れたかったのだろうが、脳の話はほとんどしていない(脳の話が出てくるところとしては、VRさせながら脳活動を測定するのは、技術的にほとんど無理、よってVR中の脳活動データはほとんどとれていないって話くらい)。
筆者は、専攻的には心理学者なので、サブタイトルの「仮想現実の心理学」は当たらずも遠からじの面はあるが、既に述べた通り、事例紹介の側面が大きい本なので、心理学というのもまたちょっと違う感じである。
原題サブタイトルの「VRとは何か、どのように働くのか、何ができるのか」は、内容をわりとそのまま言い表している。
ただ、原題の「オンデマンドな経験」は、さすがに日本語タイトルとしては全然売れなさそうな感じがするので、別のタイトルになるのは仕方ない感じがする。
一方で、例えば「VRは社会をどう変えるか?」であれば、それなりに興味をひくタイトルのように思えるし、この本の内容としても的確なものだったように思えるのだが……
(筆者自身、「社会を変える」ことに関心があることが本書の随所からうかがえる。スタンフォード大で働いているとそういう関心の持ち方をするようになるらしい)
メインタイトルだけなら、そう珍しいことでもないのだが、章タイトルのいくつかも、章の内容に対してあまり的確ではないのでは、というのを見かけた。こちらは、原著の目次を確認していないので、どれくらいなのか意訳なのかはわからんけど
個人的に、VRについてちょっと勉強しておくかと思ったのは、描写の哲学的な関心の延長で、以下の2点が気になっていた。
(1)VRは二面性のある経験なのか
(2)「VR」ってそもそもどういうものに分類される概念?
先に、(2)の方からいうと
VR=仮想現実って、既存の何と比較されたりするポジションにあるのか、というか。
まず、仮想現実というと、『ニューロマンサー』とか『マトリックス』で描かれるようなサイバースペース、というようなイメージがある。
そうすると、現実世界とか物理的な土地とかと対になるものとして、VRという概念があるのかな、という感じがする。
しかし、例えば、近年のオキュラスとかPSVRとかかからVRを捉えると、HMDやそれに類するデバイスによって提供されるコンテンツというような意味合いにもとれる。コンテンツを提供する技術的な概念なのかな、と。そうするとVRっていうのは、ハイビジョンとか3Dとかと対比される概念なのかな、というようにも見える。
そこらへんが個人的によくわからんという感じだったんだけど、本書においては、わりとよく、映像やビデオとVRとが比較されているのを見かけた。
メディアのあり方の一種として、VRが位置づけられているように読み取れた。
文字、画像、映像、VR、みたいな感じか。
ハイビジョンや3Dは映像技術の一種だけど、VRは映像技術というよりは、映像ではない新しいメディアという位置づけと考えた方がよさそう。
また、映像は、TVモニターだったりプロジェクターとスクリーンだったりと様々なデバイスによって再生可能であるが、VRも、基本的にはHMDによる再生が一般的ではあると思うが、何のデバイスを使っているかは本質的ではないのかな、と思った。
上述した「サイバースペース」は、本書に出てくる言葉では「メタヴァース」に相当するかなあと思うのだが、これは、VRというメディアによって作られるコンテンツの一種であって、VRそのものではないかな、というふうに理解した。
また、サイバースペース=メタヴァースは、VRと相性がいいが、必ずしもVRを用いなくてもよい、という点はあるかと思う。
例えば「セカンドライフ」などは、一種のメタヴァースだろうが、あれはVRを用いていない。
ところで、本書では、明示されていないが、広義のVRと狭義のVRの使い分けがあるように思われた。
「没入型VR」という言葉が出てくるのだが、これはHMDを用いるようなVRを指す。この「没入型VR」という言葉は、没入型ではないVRを対としている。
没入型VRと没入型ではないVRを含んだ意味でのVR(広義のVR)と、没入型VRのみを指しているVR(狭義のVR)があるように思えた。
ただ、この使い分けは、明示的に示されているわけではないので、あまりはっきりしないし、没入型ではないVRがいまいちよく分からない(モニタで見て、マウスで操作するようなタイプを想定しているように思える)。
ただ、映像・ビデオと対になるものとしてのVRは、没入型VRのみを指しているように思える。
さて、VRを映像・ビデオと比較して、それらとVRが全く違うものであることを本書は繰り返し強調しているわけだが
本書の言葉を使ってのべるならそれは、VRが提供するものは、「メディア経験」ではなく本物の「経験」だ、ということになる。
VRは、メディアの一種として位置づける概念なのだろう、というのが(2)に対する個人的な結論なのだが、本書によれば、VRというメディアによって提供されるのはもはや、メディアを介した経験ではない、ということなのである。
これはおおむね(1)に対する回答になっていると考えてよいだろう。
すなわち、VRには経験の二面性がない。
描写の哲学では、トロンプ・ルイユには経験の二面性がない、と考えられることが多いが、VRはその延長線上にあるものと考えられるのかもしれない。
細かい点だが、読んでいて気になった単語として、「アフォーダンス」がある。「VRを特別な技術にしている各特 徴これを「アフォーダンス」という」(p.38)、としてこの語は導入されており、その後に出てくる文脈を見ても、ほぼ「特徴」と言い換え可能な形で使われていた。
こんな「アフォーダンス」の用法があるのか、と気になった。
Weblio英和辞典引くと「グラフィックス関連では、あるオブジェクトの機能の視覚的目印となるものを指すことがある。」と出てくるから、それに近い用例なのだろうか。
- 作者: ジェレミーベイレンソン,Jeremy Bailenson,倉田幸信
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2018/08/08
- メディア: 単行本
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序章 なぜフェイスブックはVRに賭けたのか?
第1章 一流はバーチャル空間で練習する
第2章 その没入感は脳を変える
第3章 人類は初めて新たな身体を手に入れる
第4章 消費活動の中心は仮想世界へ
第5章 二〇〇〇人のPTSD患者を救ったVRソフト
第6章 医療の現場が注目する“痛みからの解放”
第7章 アバターは人間関係をいかに変えるか?
第8章 映画とゲームを融合した新世代のエンタテイメント
第9章 バーチャル教室で子供は学ぶ
第10章 優れたVRコンテンツの三条件
第1章 一流はバーチャル空間で練習する
アメフトとVR
プロのアメフト選手が練習にVRを利用しているという話
アメフトというのは、練習試合をしたりなんだりという以上に、戦略を覚えこむという作業が多いらしく、そのために、ひたすら相手チームのビデオを見るとかそういう練習に時間をかけるらしい
で、ビデオに代わってVRを導入するようになって、結果が出た、という話
ビデオと違って、現実であるように感じる、身体が反応するなどから、訓練・研修に使える、と。
VRの技術3つ
(1)トラッキング
(2)レンダリング
(3)ディスプレイ
とにかく、何はなくともトラッキングが大事、とのこと
第2章 その没入感は脳を変える
VRのリスクや人体に与えるネガティブな影響
この章では、冒頭にVRを用いたミルグラム実験について述べられている。
また、この章は、日本語タイトルともなっている「VRが脳をどう変えるか」という問いを扱っているが、先述したとおり、現状、VRを使っている最中の脳の測定がほとんどできないという話がされている
fMRIなどは、身体を固定していないと測定できないが、VRはむしろ身体を動かすというのもこみで成り立っているものだから。
VRのリスクとして、筆者は以下の4つをあげる
(1)暴力の行動モデリング
(2)現実逃避
(3)過度の利用
(4)注意力の低下
暴力についての影響は、かなり危惧されるものの一つだろう
(3)過度の利用について、筆者の研究室では、20分ルールを定めている、と
シミュレーター酔いや眼精疲労が起きるから
また、長時間VRをやって、現実感覚を失ってしまったという実験例もあるらしい
暴力が〜とか現実感覚が〜とかは、VRのもたらす問題として、インパクトのある話であり、また話として予想しやすいものだが、
筆者的にVRが普及した際に一番問題になりそうなこととして、壁にぶつかったり転んだりしての事故、というのを挙げていたりもした。
第3章 人類は初めて新たな身体を手に入れる
共感とVR
うってかわって、VRがもたらすよい影響の話
まず、シリアの難民キャンプを題材にしたVRドキュメンタリー作品が紹介される
VRは、例えば難民の生活を実体験させることで、共感を広げるのに役に立つのではないだろうか、と
ゴムの手実験の延長線上に、VRで「身体移転」するというものがあり、例えば、高齢者の身体がどのようなものか経験してみるなどができる
これを体験させ、高齢者への差別意識が、体験前と体験後で変化したという実験があるらしい。
VRを使うと差別を減らすことができる?!
これがそううまくもいかないらしく、他に、高齢者ではなく黒人verでやった実験では、差別意識を減らせる結果は出なかったとか
色覚異常のVR体験では共感が増えたが、盲目のVR体験では共感が増えなかったとか
この手の実験はまだそれほど多くなくて、あまり一般的に言えることが少ないみたい
また、共感を増やしているという結果は出ているが、その量としては微々たるものかもしれない、とか
そんなわけで、一概にうまくいくという話ではないのだけど、この章の最後で、ちょっと面白い話として、うつ病患者への治療の話が出てくる。自分への配慮を増やすのにVRを使うというもの。
第4章 消費活動の中心は仮想世界へ
環境問題とVR
この章、タイトルがちょっとあっていないと思う。タイトルに関わるような話ももちろんしているのだが。
宇宙飛行士が宇宙から地球を見ると、環境問題などへの意識が芽生えるという「オーバービュー効果」から話が始まり、VRを環境教育に使えるのではないか、というのがこの章の主な
話
トイレットペーパーやシャワーを使うと、どれくらい資源が消費されるのかということを体感させるVRとか
イスキア島という島の海の高精度VRを作り、海洋の酸性化について学ぶことのできるVRを作った話とか
そこから、エコツーリズムというのは、将来VRしていった方が環境への負担を減らせていいのではないか、という話となり
最終的に、「セカンドライフ」みたいなバーチャル世界での消費がなされるようになれば、大量生産大量消費による資源の浪費を止められるのではないのか、という話で終わっている。
第5章 二〇〇〇人のPTSD患者を救ったVRソフト
PTSDとVR
911テロに遭遇しPTSDに悩まされる患者が、VRによって治療できた話など
PTSDの治療は、トラウマを負った状況を思い出すことで、原因を認知し直すこと
これにVRは威力を発揮する
第6章 医療の現場が注目する“痛みからの解放”
ペインクリニック/エンハンスメントとVR
5章に引き続き、医療とVR
痛みを緩和させるためのVR
鎮痛剤は、依存症などのリスクを伴うし、場合によっては効かない
「気をそらせる」という方法で痛みを和らげるというのを試しているのがあって、それにVRが効果的ではないのか、という話。実際に少しずつ治療の現場でも用いられているらしい。
これでちょっと思い出したのだけど、子どもの頃に通っていた歯医者。治療中にアニメを見せたり、ゲームをやらせたりしてくれる病院だった。歯医者の、あのライトがついているアームに液晶モニタもついていて、治療用の寝椅子に寝たままビデオが見れる、という。
この章では他に、幻肢痛の治療に用いるVRや、リハビリで使うVR(自己肯定感をもたらす)などが紹介されている。これらは、先述した「身体移転」を用いたものだが、この章では、さらに特殊な例も紹介されている
移転させるアバターを色々と変えてみるというものだが、例えば、手足を逆転させるとか、ロブスターのアバターを操作させるとか
そうした実験の中に、第三の腕を生やして操作させるというものがあって、これによって作業の効率化を図ろうという。この第三の腕実験にお金を出したのが、日本のNECだったという、ちょっと面白い話
第7章 アバターは人間関係をいかに変えるか?
ソーシャルVR
VRのキラーアプリは、ソーシャルなものだ、と
まだ、これはなかなか実現できていなくて難しいけれど、需要もあるだろうし、重要だろうと。
人間は、人と会話している時に無意識な動きをしていて、これが同期すると、会話がはずんだりする。ソーシャルVRのためには、そういう動きの再現が重要だろう、とか
「セカンドライフ」の開発者は今、「ハイ・フェディリティ」というVR前提の仮想スペースを作っているところで、こちらでは「手」を重視して、VR用のグローブも作っているとか
心理学では「ミダス・タッチ効果」と呼ばれている現象があって、身体接触があると親密度が高まるというのがある。ウェイトレスに触られると注文が増えるとか。政治家に握手されると投票につながるとか。
ジョイスティックを用いたヴァーチャル握手でも、「ミダス・タッチ効果」が見られた。
将来的に、政治家のヴァーチャル演説会で、何千人もの観衆に同時に握手できるようになるかも、とか。
ビデオチャットよりもアバターを用いた映像通信がこれから重要だろう、とも
アップルが買収した「フェイスシフト」というアバター技術があって、筆者がこれを非常にほめている。本人と話しているような存在感のあるアバターであり、また、アバターの場合、トラッキング・データだけ送受信すればいいので、ビデオチャットと比べて、トラフィックを圧迫しないし、レイテンシーを圧倒的に減らせる。また、ビデオチャットのカメラ目線問題も解決できる、と。
第8章 映画とゲームを融合した新世代のエンタテイメント
物語とVR
この章は、前半で、ジャーナリズムやドキュメンタリーについて、後半で、映画やゲームなどフィクションについて触れている
いずれも、問題としては、VRでは「ストーリー展開」を見せるのが難しい、という点がある。
VRはまだまだ黎明期であり、映画のような文法が確立しておらず、今後、そうしたものを確立するコンテンツが出てくることになるのだろう、と
第9章 バーチャル教室で子供は学ぶ
教育とVR
『セサミストリート』の話から始まる
この番組というのは、まだテレビで子供向け番組が少なかったころに、低所得者層向けへの教育を目的に作られた、というのを恥ずかしながら全然知らなかった
筆者も幼い頃からの『セサミストリート』ファンで、特に社会見学のコーナーが好きだった、と。
VRなら社会見学のコンテンツ作れそう、と
さて、教育用VRというのは、何というかいかにも効果のありそうなもののように思える
ところが、実際にはなかなか学習効果が得られていないらしい。
これ、第8章と同じ問題点があって、「ストーリー」を見せることがVRは不得意、というのがある。
具体的には、VR体験中にナレーションを聞かせるのが難しい、と。だから、制作者側が意図した方向に、VRユーザーを連れていくのが難しい、と。
VRは、能動的に何かをやらせるようにする、ということにはとても向いている。
動機付けには使えて、VRをやらせたあとに、学習させるとよく覚えた、などがある。
だから、そのあたり、うまくミックスして使うといいんじゃないか、と
その他に、ソーシャルVRともつながる話で、教師のアバターを通して授業を受けさせると、多人数講義でありながら、1対1授業のようにすることができる、とか
VRは、身体の動きをトラッキングするので、無意識的な動きを収集できる
このデータを用いると、成績が予想できるようになる、とかも