Bence Nanay ”Threefoldness"

Threefoldness | SpringerLink
Nanayによる、「二面性」でなくて「三面性」だという論文
二面性が、絵の表面と描かれているものの二面だが、
絵の表面、絵の表面によってエンコードされる三次元のもの、描かれているものの3つだ、と。
間に1つかますことで、風刺画とかキュビスムとか、あまりに絵の表面から見えるものと、描かれているものとの違いがあるような絵について説明を与える。
描かれているものは、心的イメージによってrepresentされてるんだ、とも言っている(例えば、ミック・ジャガーの風刺画、ミック・ジャガーのこと知らないと、ミック・ジャガーを描いたものとしては見れないよねーみたいな)。

1 Introduction
2 The Twofoldness Claim
3 Picture perception versus the aesthetic appreciation of pictures
4 From twofoldness to threefoldness
5 The three folds
6 Twofoldness versus threefoldness

2節・3節では二面性の話をしている
二面性におけるその同時性について、注意(attention)と知覚(perception)の違いから、普通の絵画経験においては、同時に知覚してても、同時に注意はしてない、と。
けど、美的な鑑賞の場合は、同時に注意もしていて、それが単なる絵画を見る経験と美的な絵画鑑賞との違いになっている、と。
三面性みたいなことは、自分(Nanay)以外にも言っている人はいて、Hopkinsとかもそうだけど、フッサールに依拠している研究者のWiesingの主張はよく似ている、と。しかし、これら3つの関係については異なっている。フッサール系の伝統とウォルハイム・ゴンブリッチ系の伝統の違いかも。
描かれているものについて、上述したとおり、ミック・ジャガーの風刺画を見て、単に唇の強調された人の顔だけを見るか、ミック・ジャガーの顔をも同時に見るか。ミック・ジャガーを知らないと後者は見えないとNanayは考えているけれど、これは判断ではなくて、準知覚的なものだとしていて、そのあたりが、フッサール系との違い
認知の侵入みたいなことを言っていて、最近の知覚の哲学とかかわっている感じがある。