キム・スタンリー・ロビンスン『グリーン・マーズ』上下

キム・スタンリー・ロビンスン『レッド・マーズ』上下 - logical cypher scapeの続編
2020年代〜2061年までを描いた前作に引き続き、2100年代初頭の火星を描く。
タイトルにあるとおり、火星の緑化が少しずつ進行している。人為的な温暖化が進行し、大気も厚くなってきている。とはいえ、まだほとんどの場所・季節で氷点下をはるかに下回る気温であり、緑化といっても、本格的に植物が生い茂っているわけではない。しかし、遺伝子操作を加えられ火星環境に適応的な地衣類が、テント・シティの外でも少しずつ自生するようになってきているのである(場所によっては高山植物が生えてるところもある)。さらに後半では、火星に海を作る試みが実行に移されている。


本作『グリーン・マーズ』は、前作『レッド・マーズ』を上回る面白さになっていて、グリーンを読むためにレッドを読んできたんだな自分は、と思った。
レッドがつまらないわけではないのだが、長いこともあって中だるみするところがないわけではないし、また、主人公であるフランク・チャーマーズやマヤ・トイトヴィナが、視点人物として読者が感情移入していくには、性格に難のある人物であった、という問題があった。
が、本作ではそういう読みにくさはなく、わりと主人公然とした登場人物が最初に出てくるので、入りやすい(巻末の大野万紀による解説にも同じことが書いてあった)。
また、一方で、レッドにおけるクセのあった登場人物たちが、深みをまして、愛着をもてるようになっている。


その他、レッドよりグリーンがより面白いと感じられる理由として
・登場人物や諸組織の関係について、前作同様の複雑さはあるものの、大枠としては、超国家企業体による支配とそれへの抵抗運動、というものがあるので、わかりやすくなっている。
・地質学、生物学、経済学、諸工学が出てくるのは前作と変わらないが、よりスケールアップしているし、それぞれに面白くなったと思う。
・火星の風景の壮大さは前作にもあったが、本作では、より多様性を増した姿を見ることができる。
・前作からの登場人物たちの変容や今作からの新しい登場人物達との違いなど、人間ドラマとしての面白さが増している。
などがあるように思える。

グリーン・マーズ〈上〉 (創元SF文庫)

グリーン・マーズ〈上〉 (創元SF文庫)

グリーン・マーズ〈下〉 (創元SF文庫)

グリーン・マーズ〈下〉 (創元SF文庫)

第一部 火星化効果
第二部 大使
第三部 長い逃亡
第四部 科学者、英雄に
第五部 宿無し
第六部 タリクワート
第七部 何をなすべきか
第八部 社会工学
第九部 もののはずみ
第十部 位相転移


前作に引き続き、今作でも「最初の100人」の中の主要メンバーが主人公となっているのは変わりがない。
彼らはみな長寿処置を施しており、現在は、120〜130歳の高齢者となりながらも、なお一線で活躍している。
ただし、「2061年」があったために、多くは地下社会に隠れている。
火星は、2061年以降、表の世界と裏の世界とに分かれており、おおむね、北半球と南半球が対応している。
UNOMA(国連火星事業局)は解散し、国連暫定統治機構(UNTA)が火星を統治しているが、この組織の実態は、超国籍企業体(トランスナショナル)同士の調整機関であり、事実上、火星はトランスナショナル支配下にある。
一方、トランスナショナルによる支配をよしとしない者たちは、南半球の各地に散らばって、自給自足の生活を行っている。衛星からの監視を逃れるため、文字通り地下に町を作っている人たちもいれば、そこまではしていない町や共同体もある。2061年から40年以上経っていることもあり、トランスナショナルもそこまで厳しい監視体制をとっていないので、完全に隠れなくともトランスナショナルから距離を置くことができている共同体もある。また、表の世界の人間と裏の世界の人間がどちらも住んでいる街もある。地下社会の人間に対して偽造の身分を供与しているのである。
この裏の世界に属する者たちとしては、「最初の100人」のほか、レッズやボクタノビスト、マーズ・ファーストといった火星に新しい社会を作ろうと試みている者たちや、アラブ人を始めとして地球では維持できなくなった伝統的社会を持ち込もうとする者たちがいる。
彼らは、火星の独立を目指すという点で思惑は一致しているが、それ以外の面ではバラバラである。現状でもトランスナショナルからの介入を最低限に保てているのでそれでいいという者たちもいれば、積極的に武力抗争を行いたい者たちもいる。
本作に登場する、2061年を生き残った「最初の100人」(既に40数人程度まで減っているのだが)は、フィリスを除き全員が裏の世界に身を潜めており、それぞれの形で火星独立運動へと関わっていくが、また同時に、2061年を繰り返さないためにはどうすればいいのか、ということを考えている。
彼らはみな2061年で仲間達を失っているためである。
一方で、火星生まれの2世、3世たちが新たに登場する。彼らはみな、火星の低重力で育ったために高身長の姿をしており、火星生まれ同士のネットワークを構築している。彼らの中にも、過激派もいれば穏健派もいて内部の違いもあるのだが、火星生まれ世代と地球から来た者たちの間の感覚の隔たりというのがまた大きい。


第一部 火星化効果

火星生まれの第三世代ニルガルの子供時代とその終わりを描く。
ヒロコによって火星の南極に作られた隠れ里ザイゴート
そこには、ヒロコのほか、マヤ、ナディア、サックス、アン、サイモン、ヴラド、ウルズラなど「最初の百人」のメンバーの多くが集まって隠れて暮らしているほか、コヨーテも旅の途中に立ち寄る場所になっている。
そして、2世、3世といった子供たちがいる。
アンとサイモンの子であるピーター、ヒロコとブーンの子であるカセイといった2世、そしてカセイの娘であるジャッキィを最年長とする3世ないし第三世代の子どもたち。第三世代の中では、ニルガルは、ジャッキィとハルマキスよりも年下であるが、ジャキィがヒロコの孫にあたるのに対して、ニルガルはヒロコ(とコヨーテ)の子にあたる(体外受精児)。
第三世代の子供たちはザイゴートの中の世界しか知らず、マヤやサックス、時にヒロコやコヨーテが教師となって授業を行っていた。
子供たちの中では、ジャッキィが女帝的なポジションにいて、ハルマキスとニルガルとを手玉にとっている(?)のだけど、周囲の誰からも「マヤに似ている」と評されていて、公衆浴場でジャッキィの後ろでマヤがじっと見ているというシーンが、何とも言えず不気味。
マヤというのは、『レッド・マーズ』ではほんと「なんだこいつ」ってなるんだけど、その蓄積があるので、ジャッキィとマヤを重ね合わせるというキャラクター描写が強い
サイモンは白血病で余命いくばくもなく、ニルガルが骨髄移植に適合したため、亡くなる直前のサイモンと親しくなっていく。
だが、サイモンは結局亡くなってしまい、ニルガルにショックを与える。
その後、コヨーテは、ニルガルを南極周辺の隠れ里やモホールを回る旅へと連れていく。この旅は、ニルガルにとってザイゴートという世界を相対化させる契機となった。
ニルガルは人に熱を与えるという能力を持っていて、これにより他のコロニーですでに有名人となっている。
帰ってきたのち、ニルガルは自分がほかの子供たちとは変わってしまったと感じる。そして、ザイゴートは屋根の部分が崩落し、さらに氷のトンネルの奥へと場所を移し、ガミートと名前を変える

第二部 大使

舞台は地球にうつる。
アート・ランドルフは、小さな会社でエンジニアとして働いていたが、次第にプロジェクト管理、調停、交渉の仕事こそが自分によりあっていることに気づき、実際そのような仕事に従事するようになる。そして、勤めていた会社が、トランスナショナルの一つであるプラクシスに吸収されるにいたる。
トランスナショナルの一つである三菱に努める妻とは、すれ違い多くなっており、そんな折、プラクシスの創設者であるウィリアム・フォートからの誘いをうける。
『グリーン・マーズ』が書かれたのは1994年なのだが、『レッド・マーズ』の感想にも書いたとおり、アジア圏としては日本の存在感が強い。登場人物を眺めても、日本人はいるのだが(最初の百人の一人であるヒロコのほかに、火星には日本人が創設し、独特の火星日本文化が生まれている街があって日本人が登場する)、中国人やインド人の姿は見られない。上述の通り、三菱がトランスナショナルとして世界を牛耳る巨大企業の一つに名前を連ねているし、またトランスナショナルの中でも最大と思しきワンダフルという会社も、三菱以外の日本企業連合がベースになっている。
フォートのセミナーは、海岸沿いのフォートの邸宅で行われ、そこでフォート流の飽和世界経済モデルの経済学が開陳された。
『レッド・マーズ』では生物学者のグループが、火星におけるオルタナティブな経済として、カロリー効率をもとにしたエコ経済学というものを考案したりしており、またアルカディイも地球から経済的に自立することを考えていた。
また、コヨーテは、隠れ里をまわる旅をしながら、エコ経済学をベースにした交易を行っている。火星は、地球と違って生きるための環境自体が希少なので、貨幣経済とは別に、贈与交換経済的な形で、必需品の交易を隠れコロニー間で行っているのである。
資本主義に代わるオルタナティブ経済の可能性が、マーズ三部作の中では、時折差し挟まれている。確か『太陽系動乱』は、完全に資本主義ではない経済体制に移行していたはずなので、ロビンスンにそういった志向があるのだろう。
フォートとプラクシスは、他のトランスナショナルとは少し性質が違っていて、成長よりも持続を志向していて、そのために国家の基盤インフラを抱え込もうとしている。
そしてフォートは、アートに対して、火星へ行くように命じる。
フォートは、火星の南半球に地下社会ができていることを知っており、アートに対してそこへの接触を命じるのである。
実は、火星側からフォートへと接触していたのは、青年となったニルガルで、エンジニアという名目で火星にやってきたアートに対しても、ニルガルが接触する。
61年に落下した軌道エレベーターのケーブルから炭素を回収する事業の視察という名目で、火星をローヴァーで回っていた時、事故を装い、マヤとコヨーテに拾われる

第三部 長い逃亡

北半球を一人で旅するアン
長距離流出土砂崩落で、何が土砂を滑らせているのか。アンはまさにそれを目の当たりにする。
この謎を解き明かし、そしてそのまま死んでいく、と思われたのだが、結局生き残ってしまう。
火星は姿を変えていき、フランクの死に責任を感じ続け、そしてサイモンも亡くし、長寿化措置もすでに受けないようになっていたアンは、それでもなお死を免れてしまう自分の運命に倦んでいた。
コヨーテからレッズの話を聞かされる。レッズは今や、かつてヒロコのもとにいた一派やボクタノビスト、日本人、アラブ人、火星の2世・3世など様々なグループの中の過激派が集まったゲリラとなっていた。コヨーテもまたレッズのシンパであった。
アンはレッズと合流することを決意する。
そういえば、火星の地名に言及しているところがあって、スキャパレリによる命名が由来なのだが、芸術家の人名で統一された水星、有名な女性の名前で統一された金星と違って、ラテン語ギリシア語、聖書、ホメロスと引用元がバラバラだ、という指摘がされていた。

第四部 科学者、英雄に

サックスは、ザイゴートを出て、再び表の社会で研究者として働くことを決める。
コヨーテとスイス人から、偽名による身分を調達してもらうとともに、顔を整形する。
スイス人たちは、偽パスポートの発行に暗黙裡に協力していた。
サックスは名前を変えて、プラクシス傘下の企業バイオティーク社のバロゥズ支社へと入り込み、生物物理学の研究員となる。
第二部ではフォートの経済学、第三部ではアンの地質学、そして第四部ではサックスの生物学の話が細かく書かれていて、楽しい。
特に第四部では、火星の環境の中で地衣類をはじめとしつつ様々な植物が生育しはじめいて、サックスはフィールドワークしながら、生態学的な研究にのめりこんでいくことになる。
『レッド・マーズ』では、緑化計画全体を統括するような立場であったが、ここではむしろ、一研究者の立場に戻って専門を深めていく喜びに浸っている。
その中でも、空の色を計算するシーンは、屈指の名シーンだろう。火星における大気は少しずつ増えていっている。その組成は地球とは異なるものになっている(窒素が少なく、二酸化炭素が多い)。サックスは、移動中のローバーの車内で、火星の空が今後何色に変化していくかを計算するのだ。
あ、あと、細かい話だが、相同や相似の話をしている中で「相近」という語が出てきて「?」となったのだが、どうも「収斂」の中国語っぽい。
と、その一方で、物語としては、サックスがあのフィリスと再会してしまうという展開を見せる。
フィリスは、61年を生き延びたが、他の多くの「最初の百人」とは異なり、いわば体制派の人間である。フィリスはもともと地質学者のはずだが、フィリスはもはや科学には興味がなく、エスタブリッシュメント層の地位を得て、その中での人事・ゴシップに最大の興味を振り向ける人間になっている。
偽名を名乗り、整形してすっかり違う見た目となり、表面上はかつてのサックスとは異なり、社交的な人間を演じるようになったサックスに、フィリスは全く気付かず、二人は関係を重ねるようになる。
ところで、サックスはザイゴートから離れる時、アンと会話をしている。サックスとアンはお互いに避けるようになっていて、話をしてもいつもかみ合わず、サックスが旅立つ前の最後の会話もやはりかみ合わないものだった(ちなみにこの同じシーンは、第三部にもあるが、アンにとっても不毛な会話として描かれている)。
サックスは、アンと科学的な対話をしたいと思っているが、価値観の話をされてしまう、と思っていた。また、アンによる反論は、言葉の綾のようなものだと思っていた。
しかし、火星の植物のフィールドワークをしていたサックスは、ある時不意に、アンが何を言おうとしていたのかを理解するのである。
アンの気持ちが分かったわけでも、アンの立場に同意したわけでもないけれど、アンがただ言葉を弄していたわけではなく、アンにはアンの主張があったのだということを理解する。
ここで、クーンのパラダイム論とか出てくるのがちょっと面白くはあるんだけど、それはそれとして、あの61年の大洪水の時も自分の携帯端末に入ってくるデータとにらめっこしかしていなかったサックスが、博物学こそが科学の基本だと考えるようになって、火星と向き合うようになるという変容を遂げていくこの第四部は、たまらなく面白い箇所だと思う。
また、こんな時に限って隣にいるのは、アンではなくフィリスだ、という人間関係のすれ違い的なドラマにちゃんと仕立てているのもよい。
その後、サックスは、惑星緑化事業に関する学会に出席する。
ここも面白い。
最初は純粋に科学的な興味で進められていた会議なのだが、日程が進んでいくにつれて、次第に政治的な思惑が飛び交い始める。
これまで行われてきた惑星緑化事業がどれだけ温暖化に寄与したのかという研究発表が行われ、サックスが『レッド・マーズ』で行っていたプロジェクトがとりあげられたりしているのも楽しい。
惑星緑化について、サックスがかつて考えていたことと、現在各トランスナショナルが進めていることが、だいぶ違うということが分かってくる。
トランスナショナルは、二酸化炭素の量をひたすら増やして温暖化させ、その後、二酸化炭素を何らかの方法によって取り除くという二段階緑化を考えていた。
また、ソレッタと呼ばれる巨大な鏡を軌道上に挙げて、太陽光を照射する方法もある。そのレンズで地面に巨大な溝ができて、ガラス化するほどの高温になる。
こうした方法を進める背後には、トランスナショナルがいて、会議において、過去がどのようであったかという事実を検証するパートは科学的に進むのだが、今後どうしていけばいいかという話に話題が進むにつれて、各トランスナショナルの利益を代弁する議論になっていく。
一方、元々サックスは、二酸化炭素を取り除くのは難しいと考え、地球に比べれば低い温度にはなるものの、そこそこの気温まであげたところで目標達成とする、一段階緑化を考えている。
そして、サックスは、ようやく政治へと興味を持つようになっていく。
ここでサックスは、歴史についての科学理論が必要だーといって、歴史学社会学をあさるも、こんなんじゃだめだーとなっているのだが、たぶん、サックス先生が読むべきだったの政治学や経済学だったのではないか、とw
サックスはなんというかやっぱゴリゴリの理系で、人文社会系の素養がほとんどないし、むしろ文系学問への偏見がある感じで描かれている。
サックスは2061年に何があったのかを改めて調べ始める。
『レッド・マーズ』でも示唆されていたものの、ここではっきりと、61年は地球側でも世界大戦状態になっていたことが説明される。
ところで、その中でサックスがフランクのことを思い出して、「あの頑固で厳しい精神が傍らにいて手を引っ張ってくれればいいんだが」とか言っているのが!!
(マヤやナディア視点からもフランクへの回想が時々あるが、あの時期、最初の百人からも孤立していたように思えるフランクが、ここにフランクがいてくれば的な感じで回想されるのが、彼らの絆の強さを感じさせる)
コヨーテに自らの考えを語り、コヨーテから「革命へようこそ」と言われるサックスだが、フィリスに正体がばれてしまう

第五部 宿無し

コヨーテ、ニルガル、マヤ、ミシェル、スペンサー、アートらによるサックス奪還作戦
(アートは、コヨーテ、マヤに拾われたばかりで、マヤからはスパイ疑惑をかけられている。まあ実際、アートはスパイ的な任務を受けているわけだが)
火星における刑務所的な場所は、かつてコロリョフという街だったが、今では小惑星での懲役に代わっているらしい。
しかし、いまだ火星に刑務所的な保安施設が秘密裏に存在していて、サックスはそこへ連行されていた。
そこは峡谷に作られており、コヨーテはその地形を利用して、人工的に暴風を発生させる仕掛けを準備していた。その仕掛けを使って、サックス奪還作戦が実施される。
マヤとミシェルが親しくなっていく。
奪還作戦の途中で、マヤがフィリスを殺す。
記憶を引き出すために脳に電極刺されていたのをマヤが無理矢理外したせいで、のち、サックスはブローカ失語症になる。

第六部 タリクワート

コヨーテ、サックス、アート、ニルガルは、マヤたちとは別ルートでガミートへの帰路につく。
アートとニルガルはすっかり意気投合するようになる。ニルガルの明日香時代の話などが書かれる。ニルガルは、ガミートを出た後、明日香で学生生活を送っていた。
サックスの正体がフィリスにばれてしまったことで、レジスタンスのネットワークが実在することがトランスナショナル側に露見してしまったことになる。地下社会はこれまで通りではいられなくなる。
アートとニルガルは、地下社会の諸勢力を集めた大会議を開くことを考え始める。
ガミートへ帰ると、アートとニルガルと、さらにナディアが意気投合し、3人は年齢の離れた友人関係となる(ナディアが120歳くらいで、アートが50歳くらいで、ニルガルが20代前半くらい)。
そして、会議への参加を呼び掛けるために、様々なコミュニティを回り始める。
その途上でジャッキィとも再会する。
ニルガルとジャッキィは、モホールが噴火しているところに出くわす。マグマの噴出で気温が高くなっており、2人はヘルメット以外すべて脱ぐ
この直前でちょっと出てくる、太陽の光の入り方で様々な色で輝く雪の描写や、このモホールの噴火の描写など、不毛で静かだったはずの火星が、多様な形で自然のダイナミックさをみせるようになっている。

第七部 何をなすべきか

『グリーン・マーズ』の中での、盛り上がりどころの一つである、ドルサ・ブレヴィア会議を、ナディア視点から描く。数週間ないし数か月にわたった会議をおよそ80ページかけて描いている。
ドルサ・ブレヴィアは、溶岩ドームに作られた隠れ里で、隠れ里の中で最大の規模を誇る巨大な地下都市。
スイス人たちが無数の議題を整理して、無数の作業部会を準備
本当に無数の作業部会が用意されており、これに対する不満も出てくる。「マイクロポリティクスか」という言葉に対して「ナノポリティクスだ」「いやピコポリティクスだ、フェムトポリティクスだ」とか言った応酬があったりするw
緑化をめぐる作業部会では、アンとサックスが再び議論を戦わせていたが、そこにはヒロコやジャッキィらも加わっていた。
財政についての作業部会では、ヴラドとマリーナのエコ経済学を、コヨーテによって実際に行われてきた交易システムにより修正していく議論がなされ、これにはスーフィーたちも気に入るなど生産的な議論がなされたが
一方、権利章典をめぐる作業部会では、アラブ側との軋轢が明らかになる(ここは、『レッド・マーズ』でのフランクとゼイクのやり取りを再演のように見える。フランクはもういないが、ゼイクはこの場でアラブ側の主張を繰り返している。フランクがいれば違ったのかもしれない)。
2061年をめぐる作業部会ではサックスが論陣を張り、地球との関係を問い直す作業部会ではコヨーテとマヤが対立した。
そして、ニルガルとアートとナディアは、毎日、すべての作業部会に顔を見せるように精力的に回り、夜には記録をとりまとめていた。
会議は様々な対立点を浮き彫りにして、なかなか収束するものではなかったが、「最初の百人」はみな「怠けていなかった」と。彼らはみな、61年を繰り返してはならないということでは一致しており、この会議によって、61年とは違う方向で革命を進めることができると信じて、議論を交わし続けていた。
会議の途中でちょっとした事件が起きる。アートが無断でフォートを会議に呼んでいたのである。
地球から、トランスナショナルの人間がやってくるということで、一気に緊張が高まったが、フォートは協力的で、彼らからの質問に対して地球の情勢を詳細に伝えた。
地球において、トランスナショナルは、メタナショナルへと発展していた。
ラクシスは、国際司法裁判所を中心にした国際秩序の構築を目指していたが、他のメタナショナルは国際司法裁判所を無視して、自分たちに都合のよい国際調停機関を作ろうとしていた。
作業部会はすべての日程を終え、全ての記録を精査したニルガルとアートは、あらゆる参加者が7つの点については同意できると、7つの原則を発表。
その後、再びそれをめぐって論争が起きるが、最終的に、第6原則の緑化をめぐることを除けば同意ができることが分かった
しかし問題は、その緑化をめぐる点だった。
ドルサ・ブレヴィア会議は、大きな前進でありつつも、すべてを解決するものとはなりえなかった。

第八部 社会工学

サックスは、ピーターらとともに、破壊工作を始める。
ミラー衛星を破壊し、さらにデイモスが将来軍事利用されることを警戒し、アルカディイがフォボスに破壊工作をしたように、火星の軌道からはじきとばしてしまう。

第九部 もののはずみ

ミシェルと暮らすようになったマヤ視点の話
マヤを中心にして、彼女の個人的な物語と火星全体を巡る物語とが進行していく。
マヤは、明日香から、ヘラス盆地沿いのオデッサへと居住地を移す。
彼女は、フランクがジョン・ブーンを殺したという説が定着していることを知り、改めてフランクのことを調べ始める。今まで触れないようにしてきたフランクにまつわる大量の伝記や資料を読んだり、フランクを知っている者に話を聞く。特に、アラブコミュニティのゼイクから話を聞き、ブーン暗殺に何らかの形でフランクがかかわっていたことのは確かだったことを知る。
フランクがかつてNASAに入る前は熱心な活動家で、妻がいたことも知る。それがどこかで、自分たちの知る、冷笑家で怒りの人に変わっていったのだということもマヤは知る。
一方で、フランクにまつわる様々な記録と、自分の記憶との違いにも気づいていく。
最終的に、彼女にとって、フランクは歴史上の人物と同じような存在になってしまう。私の中のフランクが消えた、と述懐するシーンはなんとも切ない。
マヤに限らず、長命化処置を受け、100歳以上を老化せずに生きてきた彼らは、例えばサックスなども、少しずつ記憶に問題を抱え始めており、地球時代を全く思い出せなくなったりしている。ヴラドとウルズラ、マリーナといった長命化処置を行っているメンバーや、ミシェルもそのことは認識しているが、解決策は見いだせていない。
ミシェルとの関係は、主治医と患者という関係から恋人という関係に変わっていたが、一歩でミシェルは精神科医としてもマヤに接していて、それがマヤにとって気に入らないこともあったが、おおむねマヤに安定をもたらしていた。
オデッサでは、ヘラス盆地に水を引き込み、海を作る事業が進行しており、マヤはこの事業にかかわることとなった。若い火星生まれの地質学研究をしている女性を部下とする。帯水層から水を汲みだし、ヘラス盆地へと注ぐ。注がれた水は巨大な氷となりながらも、その下には確実に液体の水も溜まっていく。
北半球では、バロゥズの北、ポリアレス、イシディスでさらに大規模な、同様の事業が行われている。
後半、ついに氷の堤防が決壊し、洪水が起き、そして計算通り、オデッサの下まで水がやってきて海ができる。
この、火星に海を作るという一大事業の下りも、それだけで一本SF小説が書けるだろう大ネタだと思うし、実際、ここの海ができるシーンも名シーン。
さて、そのような表向きの仕事とは別に、マヤは、スペンサーとともに、オデッサで行われる独立運動の会合に足しげく通うようになる。
そこには、火星生まれもいれば地球からの移植者もおり、過激派も穏健派もいたが、マヤは、火星生まれと自分たちの間のギャップに気づかされている。
火星では、非常にスケールの大きい建築が行われるようになってきているが、火星生まれは、そのスケールにはとんと関心を示さないのだ。また、いずれ街のテントが外れることも願っている。ニルガルへの支持が広まっている。
(第一世代が120歳とかになっているのに依然指導者として動いており、本来なら指導者層になるはずの年齢を迎えている第二世代がその地位に至っていないという指摘などもあり、長寿処置が社会にどのような影響を与えるのか、という点での未来社会SFとしても本作は読める)
61年を繰り返さないために、独立運動をある程度コントロールしていきたい、というのが、マヤら「最初の百人」主流派の考えだが、一方でマヤは、自分たちはもはや事態を何も把握できていないのではないか、とも考えるようになる。
レッズとなったアンや、ピーターとともに何やら不穏な動きをしているサックスなど、「最初の百人」の中にも、マヤにとっては頭痛の種となる存在がいる。
カセイ、ジャッキィなどはより過激派となっていき、アラブ系の過激派ともつながりを深めている。
ジャッキィとマヤは似ているからこそ、互いに敵対意識も深めていく。
そしてある日、メタナショナルの保安部隊によって明日香が襲われる事件が起きる。
コヨーテは何とか逃げるが、ヒロコ集団からの連絡が完全に途絶えてしまう。
各集団の暴発を抑えるために奔走するマヤ。
バロゥズでジャッキィがデモを実行する。
しかし、いよいよ、マヤたちが望んでいたタイミングが到来する。

第十部 位相転移

地球の南極で火山が噴火し、氷床が崩落。地球全体で急速な海面上昇が発生する。
メタナショナルと地球の、火星への関心が薄れるタイミングこそ、マヤたちが革命を進めるために待ち望んでいたタイミングであった。
ナディアが、アンダーヒルへ向かうところから革命が始まった。
ナディアは、暫定統治機構の保安部隊をアンダーヒルから撤退させた。疲労困憊のナディアが、解放されたアンダーヒルに過去の幻をみるエモさ。
ナディアとサックスは飛行機でエリシウムへと飛び立つ。
かつて、ナディアがアルカディイとたどった、北極からアンダーヒルに水を運んでいた道のあととかの話が不意に挿入されるのとかずるい。
その間、アンが明日香を奪還、エリシウム諸都市は自由火星国(フリー・マーズは、ニルガルが火星各地に広めていた運動名でもある)へ参加。蓬莱、コロリョフニコシア、ヘラス盆地諸都市が次々と独立を宣言していく。
一方、治安部隊は、いくつかの大都市へと結集していき、バロゥズ、カイロ、シェフィールドなどが中心地となっていった。
混乱は続いていたが、一方で、明らかに61年よりも事態はよい方向へと進んでいた。ナディアは、サックスが打ち上げた衛星のおかげで、61年とは比べ物にならないほど通信状態がよいことに希望を見ている。
(また、自分が各所と盛んに連絡をとりあう仕事を続けることに、そういえばフランクも当時あちこちへ連絡していたなと思い出したりしている)
物語は、バロゥズへと収束していく。
バロゥズには、マヤ、ニルガル、ジャッキィがいるものの、駅や道路、生存のための施設は完全に治安部隊に抑えられて、出ることができない状況になっていた。
ナディアやサックスらは、バロゥズを囲む大絶壁の上のクレーターまでやってくる。
一方で、バロゥズの北の堤防付近には、レッズのゲリラたちが侵攻しているという情報があった。ナディアたちとしては、バロゥズをおさえる治安部隊には、そのまま空港から撤退してもらいたいが、レッズがもし北から空港へと攻め込むことがあれば、治安部隊は強硬手段に出るだろう。
何より、レッズが堤防に爆弾を仕掛けたという話もある。もし、そうなればイシディスの水がバロゥズへ襲い掛かり、治安部隊だけでなく、バロゥズの市民が全員死んでしまい、地球側から介入の口実を与えてしまう。
そして、地球からはすでに応援部隊が火星へと向かっていた。それまでにどうにか事態を収束しなければならない。
バロゥズの中で、ジャキィが集会を主導する。暴発する危険があるため、マヤも集会へと向かう。そこで、ニルガルとマヤは宣言を行う。
ニルガルは、火星の自決権を求めるとともに、火星は地球を助けることができると宣言
さらに、マヤはそれよりも踏み込み、火星の独立を国際司法裁判所に求め、スイス、インド、中国との外交関係の樹立、ドルサ・ブレヴィア宣言をもとにした火星政府樹立を進めることを宣言する。
これは、ナディアとアートが、マヤに伝えていたことだった。もっともこれはこの時点ではまだ実現していないことだったが、マヤが宣言することによって実現させるというアートの作戦でもあった。
しかし、この宣言を受けても、治安部隊は駐留を解かず、地球からの応援部隊が火星上空へと迫っていた。だが、サックスらの策により、援軍は火星着陸に失敗し、火星軌道を離れていく。
ほっとしたのもつかの間、レッズが堤防を爆破させてしまう。
そして、サックスは以前から準備していたことをナディアに明かす。
革命の準備を進めていた時期から、火星の酸素濃度が上がっていた(高い酸素濃度は、61年のアルカディイの最期を思い起こさせる不穏な要素であった)。サックスは、破壊活動を始めており、さらに計画があることをほのめかすもそれが何か明かしてこなかった。
だが、実はサックスは、最悪の事態として、バロゥズを洪水が襲う可能性を想定しており、その時のための準備をしていた。
それは、バロゥズから一番近くの駅、リビア駅まで歩いて逃げること。
火星の大気は350hPa。高山なみの気圧であり、普通であれば高山病になってしまうが、酸素濃度が高まっているため、その危険性は緩和されている。そして、二酸化炭素さえろ過すれば呼吸が可能な大気になっているという。サックスは、そのためのマスクを準備していた。外気温は、マイナス20度。
バロゥズからリビア駅まで70キロ、バロゥズの人々の行軍が始まった。
マスク一つで、多くの人々が、何にも覆われていない火星の大地を歩いていく、というこのシーンが、本作のクライマックスで、火星の環境が変容したことを何よりもはっきりと示す象徴的なシーンともなっている。
本当に一番最後、ついに駅までたどり着き、火星全土からきた列車に次々と乗り込んでいくシーンで、「最後の百人」メンバー(マヤ、ミシェル、ナディア、サックス、アン、ヴラド、ウルズラ、マリーナ、スペンサー、イヴァナ、そしてコヨーテ)は自然と1つの車両に集まっていた。そして、アルカディイはきっと喜んだね、サイモンもね。フランクは不平の種をどこかから必ず見つけてくるよ。ジョンはどうだろう。と話すシーンが、あまりにエモくて、泣きそうだった。
『レッド・マーズ』『グリーン・マーズ』で、あわせて2000ページくらい、火星の6,70年くらいの歴史を読んできたからこそ、到達できた感動があった。
『グリーン・マーズ』、あらすじだけでいうと、リアリティを求めた結果、かなり複雑に細かく火星の独立を描くことになったハードSFとなるのだけど、実際のところ、結構抒情的なドラマが繰り広げらてもいる作品だった。