宮内悠介『彼女がエスパーだったころ』

小説現代』で掲載されていた、様々なオカルト、エセ科学を扱った連作短編をまとめたもの。
ジャーナリストである「わたし」が語り手で、話が進むにつれて、彼の私的な部分も多くなっていく。
オカルトや似非科学から、倫理的な問題点がほとんどなかったとして、そのうえでどのように付き合っていくか、みたいな話かなとも思えた。

彼女がエスパーだったころ

彼女がエスパーだったころ

百匹目の火神

ニホンザルが火を熾すことを覚え、人間の家屋に放火するようになったという事件
次々と他の群れに、この行動がうつっていったので「百匹目の猿」「シンクロニシティ」がまことしやかにささやかれ、流行語にもなる。
実際には、ある一頭のサル(のちに火神(アグニ)と呼ばれる)が、群れから群れへと伝えていったのではないかとされる。
このアグニという猿と、類人猿学者の物語。
また、アグニが火のおこし方を知ったのは、とある新興宗教のメンバーが猿の群れの近くでキャンプしていた時に火のおこし方を教えたから、という話も出てくる。

彼女がエスパーだったころ

スプーン曲げをする動画をネットにアップして一躍有名になった女性の話。
彼女は、懐疑派で知られる物理学者と結婚するのだが、のちのこの夫は自宅のマンションで墜死する。その後、保険金で何不自由なく暮らすも、精神的には不安定になってくる。
そんなときの彼女を取材する「わたし」だが、母とのけんかの時になぜか呼び出されたりなど、若干依存されはじめる。
元恋人の男なども登場しつつ、夫の死の原因について(事故死なんだけど、彼女は自分があんなことしたせいでという罪悪感を負っている)
超能力者への非難として、科学者からの非科学的だという批判と、マジシャンからの非倫理的だという批判があるとか。
トリックがあるのかないのかはわからないまま終わる。


ムイシュキンの脳髄

前、読んだときの感想
『小説現代』7月号 - logical cypher scape
大森望・日下三蔵編『年刊日本SF傑作選さよならの儀式』 - logical cypher scape

この話、オーギトミーにはこんな欠点があるのではないかと言われるけれど、実はそんなことはないというのが書かれていく。逆に、欠点が何もないからこそ、人々に嫌がられるのではないか、とも。

水神計画

このあたりから、語り手の「わたし」の存在感が強くなってくる。
というのも、ジャーナリストから事件の当事者となっていくから。
色々浄化できるという水を研究している学者への取材から始まる。彼とそのアシスタントの女性は、浮島と呼ばれている海上原発に、その水を注ぐことで、海洋汚染を防ごうとしている。
で、「わたし」が原発への取材を装って、水を注ぎに行く役割を請け負うことになるのだが、実は女性の方が本当はテロリストだった、と。
「わたし」は、世間からは騙された被害者とみなされたので糾弾されなかったが、ジャーナリストは辞めてしまう。

薄ければ薄いほど

これも以前に読んでいたので、その時の感想
宮内悠介「薄ければ薄いほど」(『小説現代』)/オキシタケヒコ「サイレンの呪文」(『SFマガジン』)/『日経サイエンス』 - logical cypher scape
いわゆるターミナルケアの話で、メレディっぽい水も出てくるのだけど、ホメパシーと違って既存の医療を拒むものでもなく、代替医療の非難されがちな問題点がないものとして描かれている。
もともとキリスト教系の施設として出発したが、既存の宗教にも疑問を感じ、宗教・信仰に関係なく、穏やかな終末期を迎えることを目指す。
そのためにとられているのが、記録を残さないこと、なのだが、「私は性を残しすぎました」と語るAV女優がこの施設に入っているというのが、まあ対のようになっている。
この話でも「わたし」は、それなりに事件に関わっている。

佛点

ジャーナリストをやめた「あたし」は、知人のつてで小さなIT企業に就職する。そこで、ロシア人プログラマーと親しくなる。
一方、スプーン曲げの女性から連絡がある。彼女の友人が、アルコール依存症の互助会に入ったのだが、そこがどうも怪しいというのである。ロシア人夫婦が主宰するその会は、メンバーが全員女性であり、性的な「儀式」が行われるという。
彼女をいかに助け出すか、。
しかし、結果は最悪に近いものに終わる。
会社を辞め、サンクトペテルブルクにロシア人プログラマーに会いにいくところで終わる。そこにスプーン曲げの彼女が追いかけてくる。