グレッグ・イーガン『クロックワーク・ロケット』

直行三部作の1作目
1作目なので物語としては途中だが、女性物理学者ヤルダの生涯が1冊かけて描かれている。
『白熱光』は地球ではない星で物理学が発展していく話だったが、こちらは、我々の住んでいる宇宙とは別の宇宙での話。
我々の宇宙と、物理法則が違う世界であり、正直、そのあたりの物理話は本当に全然分からなかった。
では、物理話が分からないと楽しめない話なのかというと、まあ半分くらいは楽しめない。
あるピンチが起きて、それを回避するために奮闘する話なのだが、そのピンチが何故起きたのか、どのようにしてそれを回避するのか、どちらも、まあ何となくは分かるが、ちゃんと理解するためにはこの世界の物理法則がどうなっているのかある程度は分からないと分からない。
しかし、この作品の物語を支えるアイデアはもう1つあって、こちらは分かりやすい。
この世界に出てくる登場人物達は、考え方や価値観等は地球人とほぼ同じだといってよいが、身体の仕組みに違いがあり、特に生殖・出産にまつわる部分が大きく異なる。そのことが、この社会における女性の立ち位置にも影響を与えており、「女性」物理学者ヤルダの人生にも関わってくる。



物語は、ヤルダの子ども時代から始まる。
田舎の農場生まれのヤルダは、理解ある父親により、女性としてはやや珍しく学校に通わせてもらうことになる(ヤルダの亡くなった母親も教育は受けており、女性が教育を受けることが全くないというわけではないが、そういうことをあまりよく思っていない人々も多い状況)。
子供時代の話で印象的なのは、祖父が発光しながら亡くなるシーンだろう。
この世界、光の性質が我々の宇宙とはだいぶ違う。
波長によって速度が違ってたりする。
どういう理由なのかよく分からないのだが、植物は夜に発光してエネルギーを作る(逆・光合成みたいなことをやっているらしい?)
それから、これは後ろに載ってる解説を読まないと分からないことだと思うのだが、この世界には電子がないらしい。タイトルにある通り、ロケットの出てくる話だが、コンピュータなしで制御してる。
あと、生物の神経系もいわゆる神経じゃない。
液体もないらしいんだけど、確か1回だけ「液体」って言葉が出てくるはず(ヤルダの聞いたことない言葉として)。


成長したヤルダは、故郷を離れ都会の大学へと通い、物理学者の道を歩み始める。
自分の研究のために、もっとも高い山の頂にある観測施設を使いたいのだが、そのためには、ちょっと性格のよくない教授の許可をもらわなきゃいけない。その過程でヤルダは、同じく女性研究者であるトゥリアと出会う。
トゥリアに連れられてヤルダは〈単者クラブ〉のメンバーとなる。


このあたりで、この世界に出てくる「人間」について。
まず、基本的には直立二足歩行をしている生き物だが、腕や脚を自由に変形させたり生やしたり引っ込めたりすることができる。2対4本の腕を出していることが多いみたい。
腕を脚に変えたり、脚を腕に変えることができる。これは、物語前半と後半でそれぞれ出てくる。
頭部の後ろにも目がある。「後目線を向けた」という表現がしょっちゅう出てくる。
身体に袋がついていて、カバンは使わず、そこに物を入れて持ち歩いている。
胸部に、文字や図形を浮かび上がらせることができる。記録しておきたい時は、胸にインクを塗って紙に写す。逆に言えば、紙はあるけど筆記具はない模様。
振動膜という構造を使って発声する。口は食事にしか使われない。
そして何よりも違うのは、生殖・出産方法である。
この種族において、子は母親が文字通り4つに分裂することによって産まれる。女性にとって出産=死である。
分裂した4つの個体は、男女一組の双子が2ペアとして産まれてくる。この双子を双と呼ぶ。ルシオとルシアのように名付けられる。双は、双子であるとともに夫婦でもある。
まれに、4個体ではなく3個体しか産まれてこないことがあり、このとき、双を持たないものが「単者」と呼ばれる。単者は、代理双を見つけて生殖するのが一般的である。
この種族では、女性の方が身体が大きいが、単者として産まれたヤルダはその中でも特に身体が大きいということが繰り返し言及されている。
ちなみにこの世界、他の生き物は雄しかいないらしい。


ヤルダは、自分は男と同じように死ぬのだと考えていたが、トゥリアから、生殖なしでもある程度の年齢に達すると自然と四分裂してしまうのだと教えられる。そして、それを遅らせるための非合法ピルが存在し、単者クラブにおいてそれが手に入るということも。


田舎において、女性への教育があまりよく思われていないことなど男女差別的な点がこの社会で見られるのは、女性は子供を産んで死ぬという生物学上の定めだからだと言える。
ただ、地球のそれと違うのは、子育ては完全に男性だけのものだということあたりだろうか。「女に子育てできるはずがない」という罵倒がある。


ヤルダはある時、アシリオという男からからかわれ石を投げられる。反撃として石を投げ返したところ、後に逮捕され、投獄されてしまう。
実は、ヤルダが家庭教師しているエルセビオと、アルシオの父親同士が商売敵であり、ヤルダはそのいざこざのとばっちりをうけていたのである。
エルセビオの助けによって釈放されるが、投獄されている間ヤルダは、トゥリアの助言に従い、研究を続け、回転物理学を編み上げていく。
この回転物理学というのは、我々の宇宙における相対性理論にあたるが、こちらの世界では、時間と空間の対称性が高く、回転物理学ということになるらしい。空間軸と時間軸が直交していて、回転対称になっているという話??


中盤のクライマックスは、ヤルダがトゥリアの出産に出くわしてしまうところだろう。
その後、残されたヤルダと単者クラブの友人達で、女だけでトゥリアの子供を育てていくことになる。

疾走星というものが観測されるんだけど、宇宙始原の時から、この星とは別の時間線を辿ってきた世界で、なんかぶつかるとヤバイ。
やばいけど回避する方法が、現代の科学ではない。
で、エルセビオが考えた方法は、直交方向に宇宙飛行すること。宇宙船内は時間が過ぎるが、母星では時間が経過していない。宇宙船内で科学技術を発展させ、疾走星を回避する方法を見つけたところで、母星へと戻る。すると、宇宙船内では何世代も経過しているのに、母星ではほんの数年しか経っていない時間に戻ってくることができる。
そのために、かつてヤルダが観測装置を使うためにいった、世界で最も高い山を、中身くり抜いて、丸ごとロケットで打ち上げるという。
エルセビオはこれを自分たちだけで作ろうとしていたが、ヤルダは広く情報公開し賛同者を募ることとした。むろん、多くの人は最初真面目に受け取らなかったが、少しずつ賛同者が増えていく。


ヤルダをリーダーとして、その巨大ロケットはついに打ち上げられる。
その中でも様々な困難が待ち受けているが、その1つは打ち上げ直後に早速遭遇することになる。
アシリオに雇われていた農民のニノが妨害工作を行ったのである。
ニノの処刑を求める声があがるなか、ヤルダはニノを監禁するにとどめる。
ロケット打ち上げ後の話は、いかにヤルダが理想のコミュニティを作り上げることができるか、という話でもある。
双を持っている者も単者も同じような立場でいられる社会。女性が自らの意志で出産を遅らせることのできる社会。コミュニティ全体の教育レベルを引き上げ、科学研究が活発に進む社会。
ちなみに、宇宙へ行く際に問題になるのは、熱をどのように逃がすかという点で、呼吸ではないらしい。放熱するために空気が必要らしい。
セイタカアワダチソウが枯れて大変なことに。


原子ではなく輝素というのがあって、それの構造を発見するシーンがある。
このあたりで、長期間にわたって科学的知の探求を目指すことに高い価値を見出すという点で、『ディアスポラ』的な価値観も感じられる。
ただ、『ディアスポラ』と違うのは、あっちは1つの個体が、分裂することはあっても、電子化されて超長寿化されているけれど、こっちは世代交代ありきという点だろうか。