デイヴィッド・ルイス「フィクションの真理」(樋口えり子訳)

以前読んだグレゴリー・カリー『フィクションの性質』("THE NATURE OF FICTION")第2章 - logical cypher scapeで、ルイス説についてまとめられていたけど、まあ当たり前だけど、大体同じだった。


マイノング主義ではうまくいかないことがあるので、「然々の物語において……」という内包的オペレータで始まる文の省略だと考える。
オペレータ付きではないと思われる文(「ホームズは架空の人物である。」など)については、ここでは論じない。
「ある物語における真理は含意のもとに閉じている。このような閉包性は、相対的必然性のオペレーターの目印である。」


→諸可能世界への限定された普遍量化として分析
この諸可能世界を、単に、「物語の筋が具現化した世界」と考えてよいか→よくない
理由1)循環の恐れ
理由2)偶然に、現実で物語の筋と一致する出来事が起きていた場合


物語り行為=ふりをすること
「事実として物語が語られるような諸世界」を考える
同じ(ないし対応者関係のある)物語り行為によって同定


これでもまだ足りない
事実を背景としてフィクションを読んでいる。
例:ホームズは、ウォータールー駅よりパディントン駅の近くに住んでいるなど
「我々の現実世界により類似している諸世界」
反事実的推論に酷似


不確定性について
1つの特定の世界が選び出されるのではなく「諸世界」


フィクションにおける真理は、事実に依拠するところがある。
『まだらのひもの冒険』におけるへびの事例や、精神分析による登場人物の心理解釈について
現実世界と類似してはいるが、フィクションにおける真理となっているのか。
→「語られた当時の共同体の共有信念世界」
overtな信念については、共通知識のことと注釈されていた。


フィクションにおける真理は、「フィクションに明示される内容と、我々の世界の事実もしくは当時の共同体の公然の諸信念のいずれかよりなる背景という2つの要素から合成されたもの」
さらに第三の要素として、他のフィクションの真理の影響もある。
三文オペラ』やドラゴンの例


現代思想』1995年4月号に掲載されていた奴。