第19回文学フリマ感想

『アニバタvol.10』(特集:洲崎西

事前に全くノーチェックだったけれど、特集タイトルを見て即買いしてしまったw
しかもこれは当日に読み終わって、当日に感想をpostしてるw

「茶番の転回とビジネスの展開」洲崎西史における転換点として、リスナーの投稿した茶番が採用された時点を挙げるという着眼がすごいと思った。
「結局、どうして笑ってしまうのか」西の笑いが番組中でどのように機能しているか3つ挙げている。面白い分析だった。
「SSC制作番組概観」力作

それ以外のものについて
「豚のゆくえ」
ここでは「百合(営業)」と「ガチレズ感」とを区別している。オタク文化圏において「百合」という言葉にある含意を避けて「ガチレズ」という形容がされているという話。そういう使い分けがほんとにあるとしたら、PC的にはちょっと使いがたい言葉だけど、分析としては気になる
「『洲崎西』の魅力(アドバンテージ)」
洲崎と西とで、分離可能な魅力と分離不可能な魅力とにわけているのはいいんだけど、いかんせん短すぎる
「『洲崎西』の誠実さ」
洲崎西云々の前に、ラジオ番組であっても、台本があって作られたものであるという前提がすごく強調されているのが、ちょっと面白いなと思った

『恋愛SF小説集』

アーカイブ騎士団の第6弾小説集
今までで一番分厚いのではなかろうか。

  • 形而上学刑事――愛をめぐる三つの短編」高田敦史

まさに哲学SF
人生という物語をどのように生きるかというテーマから、リアリティショーを演ずる俳優と女優の悩みを描く「永遠の愛」
(人間の)複製による愛の不可能性を描く「ストーンとフラワー」
そして、ヤクザになったアンドロイドが形而上学的な難題への答えと任侠の力を手に入れる「なぜ何もないのではなく、これらすべてがあるのか」
どれも面白いのだけれど、特に最後の作品が、哲学しつつエンタメしていてテンションあがる

  • 「恋愛探偵と密室恋人」渡辺公暁

恋すると、恋された人が死んでしまう世界。人を恋した人々を集めた更正施設で、不可能恋人が起きる。
どうやって恋したかというよりも、何故(その被害者に対して)恋するのが不可能なのか、という仕掛けがすごかった

  • 「花泥棒」魔導師ユリスモール99

ちょっと切ない系*1宇宙ショートショート

天才性と引き換えに1万日前後の寿命しかないデザインチャイルドが生きる未来
同じくデザインチャイルドである先生が、生前していた研究とは何か、学生時代の恋心を抱えながら探る。登場人物たちが、寿命が1万日前後なので、既に晩年ながら、しかし実際には20代後半くらいというのが何ともいえない雰囲気

『ロウドウジン』

大阪文学フリマで出していたという『別冊追悼ロウドウジン』と、『ロウドウジン(総特集:パンデミック)』
前者が、若くして自殺した女性についてというものなのだが、ロウドウジン的なおふざけモードで書かれており、どこからフィクションでどこまでがノンフィクションなのか分からない

『河馬の好奇心』

普段はコミケに出していて、文フリは今回が初(?)っぽいサークル。博物館レポートを書いているコピー本
27号と28号を購入
27号は成田空港にある「航空科学博物館」と「稲毛民間航空記念館」
28号は「千葉市科学館」と「千葉県立現代産業科学館」
写真もけっこう載っていて、結構詳細にレポートされており、どちらも行ってみたくなる

『ビンダー』(特集:たまこラブストーリー

たまこ、見てないんだけど、たまこに限定されない形で論じられているので、面白く読めた

  • 「無意識をアニメートする」てらまっと

劇場版けいおんあずにゃんについての考察が、いつもながらすごい

  • 「すれ違うグルーヴに針を落とす――山田尚子論」noirse

山本寛による京アニ作品(「ハルヒ」と「らき☆すた」)が映像と音楽を一致させる作風であったのに対して、山田尚子作品が、映像と音に「ズレ」があることを、けいおん1期、2期、劇場版、たまこまーけっとたまこラブストーリーを通して論じ、アニメにおける音声的要素へと注目させる丁寧な論考

  • 「いま、個人映画を観るということ(一)」佐々木友輔

広末涼子の初主演映画だという『20世紀ノスタルジア』という97年の作品が、コンテンツ志向とコミュニケーション志向の対立と和解を描いていたと論じている

トム・クルーズが、生と死、夢と現実をめぐる物語に拘っていることを、彼がサイエントロジー信者であることから捉えて、『オブリビオン』や『オールユーニードイズキル』といった「ゲーム映画」がその傾向と合致していたと

  • 「全世界音楽史 第一回」永田希

アメリカの話
面白そうな感じがする

『F14号』(特集:ゼロ年代とはなんだったのか)

ゼロ年代について、「批評」「アニメ」「小説」「ゲーム」「お笑い」「SNS」「女子」「ネット」といったジャンル別にそれぞれ論考があるが、面白かったのは、矢野さんの「お笑い民主主義はいかにして成立したか」くらい
というか、ゼロ年代についての○○というテーマで書くのはまあ難しそうという気はする。まとまりのある文章にしようとするとどこかで見たことのあるような議論になる。『F』なので、論文のあとに論者による10選があるのだけど、そこに挙げられている作品なりについての語りの方が読みたかったかも。多少、まとまりに欠ける文章になったとしても。*2
巻頭に座談会がある
矢野さんが、「ゼロ年代はコミュニケーション志向について論じる時代だったけど、そろそろコンテンツの話しよう、しないとまずい」という問題提起をして、それに対して、「そうは言っても、コンテンツの話するのだってコミュニケーションだし」という反論が。
個人的に、矢野さんがいう「コミュニケーションの外部はある」という立場にたつけど、一方で、矢野さんの危機感みたいなものはあんまり共有できない。
コミュニケーションのネタになるような作品ばかりが作られるようになったらよくないっていう話なんだけど。
コミュニケーション志向って、つまりは、インターネットによってコミュニケーションが効率的に可視化・計量化されるようになったということだと思うので、それが一つの指標となってしまうのは、まあ仕方ないというか当然のことだと思う。で、それって、売上という指標と何がどれくらい違うのかな、と。
つまり、先述の主張って「売れることを目指した作品ばかり作られたらよくない」とどれくらい違うだろうか、と


この座談会を含め、この特集が全体的に、ゼロ年代=コミュニケーション志向という感じで、まあそれは確かにそういう一面があったのは間違いないけれど、そんなにコミュニケーションの話ばかりだったか、という気もしている。
自分だったら、むしろ「キャラクター」をキーワードにあげるかな、と思った
ゼロ年代初頭って、ギャルゲー論壇的なものがまずあったようなイメージがあって、まあ自分はそのあたり全然知らないんで、完全な偏見だけれど、あのあたりからの流れって「キャラクターを如何に救うのか」みたいなテーマがずっとあったような気がしている。例えばそういうゼロ年代的なものの総決算として、村上裕一の『ゴーストの条件』の水子の章があるのではないか、と。あと、文フリ論壇的には、てらまっと「ツインテールの天使」とかがパッと思いつくところ。どっちも書かれたのゼロ年代じゃないけど。
セカイ系とかギャルゲーとかライトノベルとかがあって、ライトノベル大塚英志は「キャラクター小説」と呼んでいて、伊藤剛キャラ/キャラクター論があって。東浩紀は「データベース消費」からキャラ萌えを説明して、一方、斎藤環精神分析からキャラ萌えを説明するという対立があり。斎藤環はその後もずっとキャラクターの話をしている感じがある。フィクションの中のキャラクターだけでなく、対人関係の中における「キャラ」とか。
あとは、「ゆるキャラ」の流行だったり、初音ミクという「キャラクター」がCGMの触媒になっていたということだったり。
まあ、これはこれで狭い世界の話だな、という感じはするけど。でも、2010年代になっても、擬人化文化の問題というのは色々話題になっているし


あと、座談会で気になったのは、『みならいディーバ』をお手軽にdisってんじゃねえってことかなw
まあ確かに、色々考えてみて、言われてることもそんなに間違ってないし、そこまで必死に擁護するほど優れた作品なのかと言われると、全面的に面白いわけじゃないけれども。
ただ、一応気になった点を挙げておくと
まず、「DVDを買う気にならない」というdisり方で、それは本当に正しいdisり方なのか、と。
あと、あれは日常系アニメの系譜ではないのではないかと。あの作品の監督は、そもそもアニメ畑の人じゃなくて、元お笑い芸人の放送作家で、だから彼の作品は、そもそもはアニメというより声優を使ったバラエティ番組と思った方がいい。しかし、彼の作品が面白いとすれば、バラエティ番組であってもアニメになってしまうというところだと思う。これは監督自身が、声優じゃなくてキャラクターを見てほしいということを言ってたりすることにあらわれてたりすると思う*3。だから、あの作品は、なんかのジャンルのアニメの極北というより、突然変異みたいなもののような気がしている。
それから、『みならいディーバ』は生放送であるという特質を生かして、視聴者とコミュニケーションをとろうとした番組ではあるが、そっちの方向の企画は正直つまらなくて、視聴者とコミュニケーションとらなかった奴の方が面白い、ということもあわせて記しておくw
まあ、ダテコー作品だったら『てさぐれ!部活もの』の方が面白いし、あの時期のギャグアニメだと他にも面白かった作品があったなあという印象はあるんだけど、それはそれとして『みならいディーバ』についてはちょっと語りたくなったりもするので、ちょっといい機会だからと、もはや全然『F』とは関係なくなっているけれど書いてみたw

『PLUTIA』

太陽系を舞台にしたスペオペ
まだ読み始めたばかりなので、特にこれ以上は書くことない。

*1:この書き方語弊あるな。恋した相手が実は人間でなかったっていう奴

*2:ゲームの奴とか、ノベルゲーの話よりトレカアケゲーの方が読みたい感じはある。ゼロ年代じゃなくなっちゃうかもだけど

*3:そういう意味で、山本希望は求められていたことをよく分かっていた気がしてすごい。山本希望として暴れまくりながらもウイちゃんというキャラをやってた、と思う。そもそも当初のウイの設定はガン無視してんだけどw